昭和63年2月13日滑走 |
海和俊宏さんは、山形県最上(もがみ)町出身です。
日本が生んだ初のワールドカップ・第一シード選手なのです。
回転競技で五位にはいり、 オリンピックでメダルの期待もありました。
ただ、突然のケガが選手生命を短くしてしまった。
練習中にアキレス腱を切断してしまったトラブルです。
なんとも不幸で、今一、世界で実力を発揮できなかった。
実に残念なことで、ケガさえなければという思いもよぎります。
なぜなら、”技術的に世界で一番こわい”と言われたようです。
あの二十世紀を代表するスラローマー、ステンマルクの発言です。
彼と活躍時期が重なりますので、本当だったのでしょう。
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このスキー場ですが、当然、彼のホームゲレンデでした。
冬季国体も開かれていますから、コースも整っています。
最上部は、平均斜度で28度の上級者向けバーン。
しかも、海和バレーとご本人の名前が付けられていました。
今となっては珍しいシングルリフトが設置されているだけです。
わずか350メーターと短くて、反復練習用だったのでしょうか。
圧雪が入った後、滑らかな斜面を滑り出す爽快感はたまらない。
ただ、脚力が弱いから、 なかなか制動が利かずに滑ってしまいました。
大回りのターンとはいえ、スピード感を覚えずにはいられません。
これが病み付きになり、このリフトを繰り返し滑ってみました。
と言うわけで、 このスキー場はコンパクトなりにガッツのあるゲレンデです。
標高はさほど高くありませんが、 山形県まで来ると雪質は期待できます。
後は、温泉にのんびり浸かって体の疲れを癒すとしましょうか。
そんな、あのバーンをもう一度滑りたいと思う、 やまがた赤倉温泉スキー場なのでした。
注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95( 立風書房)
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