2016年9月5日月曜日

そういえば、安岡力也がホタテマンで人気者になっていたなとか、思い出してしまった北辺の鍾乳洞 - 中頓別鍾乳洞(北海道・中頓別町)

北海道天然記念物の石碑

もし観光スポットに、日本最北とか最南端のタイトルがあれば、少し印象も変わります。
確かに、中頓別鍾乳洞は日本最北と称しており、訪ねて見たくなるものがなくもない。

この辺りでは、日本の最北端が宗谷岬ですから、日本の領土はここまでってことです。
だから、これ以上、新しい鍾乳洞が付近に発見されることは、ないのかもしれません。

しかも、北海道で最初に発見された鍾乳洞ですから、歴史的価値も多いにあるはず。
百年前、馬方が吹雪に出遭ってしまい、風雪から逃れようと、避難場所を探しました。

未開の原野ですから、人家ははるか遠く、途方に暮れていて、偶然、洞穴を見つける。
中は大きくて、馬まで避難できて、夜を明かしたのが、発見につながったといいます。

これが、後に村の青年団が団結して、探検に踏み込んでみたら、これが鍾乳洞だった。
こうして、おらが村の宝は貴重だからと、国に陳情して天然記念物に指定されました。

鍾乳洞より、洞窟といったイメージ

戦後、国指定から外されて北海道指定に切り替わっても、天然記念物に変わりはない。
学術的価値が薄れたのかどうかは知りませんが、北海道で最初の発見に価値がある。

こうして、実態はどうなのかと思いまして、今回の地味目な道北旅行で訪ねて見ました。
一般的には、鍾乳洞は、サンゴ礁や貝殻などの化石で作られた石灰岩がベースです。

つまり、海で生物遺骸が集まって堆積し、これが地圧で岩石に編成して隆起します。
これが丘や山になったら、柔らかい石灰岩ですから、雨風に簡単に浸食を受けやすい。

こうして、気の遠くなる年月を掛けて、この作用が洞穴を作り上げていくことになります。
最低でも、数百万年の単位が必要みたいで、一方、中頓別は形成が若いらしいのだ。

一千万年前の新生代第三紀に堆積した中頓別層は、ホタテガイなど貝殻が素材です。
絶滅したホタテガイの化石も大量に出土しておりますが、この貝は現在もご当地名産。

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近隣の猿払村では、ホタテ貝の養殖事業が盛んな分けで、不思議な縁を感じました。
さて、この鍾乳洞は年月が浅いためか、特有の石筍や石柱が、発達しておりません。

浸食で岩盤もえぐられておらず、立ち入って見学できる距離も数十メートルと短いです。
だって、石筍が1センチ成長するのに、数百年以上もかかるようでは致し方ありません。

それでも、石灰岩で作られたカルスト地形が、小規模とは言え、確認できるのが良い。
石灰岩の割れ目に沿って、集中的な雨水の浸食作用でできた、ドリーネもありました。

あばたのえくぼみたいな陥没穴ですが、カルスト台地で有名な秋吉台では、大型です。
片や、この鍾乳洞ではこじんまりしており、これもできあがった時代が若いせいだから。

しかも、石灰岩の原料が南洋のサンゴに比べて、ホタテガイなのが、いかにも北海道。
貝殻がどれほど堆積したのだろうと想像したくなりますが、現在の貝ではないようです。

石灰岩が隆起した軍艦岩

この時代のホタテガイは、既に絶滅したとネットで読みましたが、名前も面白いです。
トウキョウホタテガイ、タカハシホタテガイ、キムラホタテガイ、コビヤマホタテガイなど。

発見場所や、発見者の地名に因んでいると思いつつ、最後のコビヤマが不思議です。
コビヤマって、小檜山さんが見つけたのでしょうけど、日本に二千人近くの苗字なんだ。

というわけで、鍾乳洞のあるカルスト台地は、きれいな公園として整備されていました。
石灰岩の大地を通り抜けた地下水は、結構な水量となって、ちょっとした池になっているのですが、そこにはルリヤンマの美しいトンボが飛翔し、エゾサンショウウオも生息しながら、ガマの穂が良く実った湿地まで作られていて、これぞ、ジオパークなんだろうなと思ったのでした。


おまけ:
蒲の穂もきれい
懐かしいホタテマン

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