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館主のご本人を、テレビ東京の”開運 なんでも鑑定団”の番組で見て驚きました。
弥永芳子さんと言うのですが、かっては私設で個人博物館を運営されておられました。
その名も、弥永北海道歴史館といい、個人で集めた収蔵資料は十万点以上です。
鉱物、化石、金製品、北海道の先住民、アイヌ民族の資料など、展示物はさまざま。
北海道に関係するものばかりなのですが、その番組でも博物館が紹介されていました。
久しぶりだなー思いつつ、お宝は、鉱物資源だとか、てっきり展示物だと思うはずです。
ところが、鑑定の依頼は、あまり関係のないアンティークのブレスレットとロケットでした。
実に番組の趣旨を地で行くようなお宝で、ご本人の評価額は50万円と少し控え目。
それで、実際の鑑定額は350万円と七倍にも値上がりして、審美眼はさすがです。
そんなことを思って番組を視聴していましたが、最近、博物館のパンフを見つけました。
鑑定団ホームページより |
訪ねたのは、開館した昭和60年から、さほど日も経っていない頃のことだと思います。
入館者は私一人だけで、館長の弥永さんが、自ら説明いただいたのを覚えています。
自宅に、私設博物館を開くのもすごいですが、ご近所には北海道大学もあります。
アカデミックな雰囲気を漂わせる印象でしたが、風の便りでは、最近、閉館されたとか。
ご存命であれば、97歳と百歳まであと少しのご長寿ゆえ、体力的にも厳しいでしょう。
なので、閉館は致し方ないと思いましたが、あのコレクションが見られないのは寂しい。
そんな思い出の博物館ですが、北海道で採掘された砂金のコレクションがまばゆい。
芥子粒のような砂金が赤い布地を下に引いて円筒形のケースに収納されております。
かつて、北海道はゴールドラッシュの景気に沸き、砂金堀が全国から馳せ参じました。
明治末期、あまり開拓の進んでいない道北まで、一攫千金を夢見た人が集まります。
一夜にして集落ができたほど賑わいを見せたというのも、あながち嘘でもないでしょう。
なので、砂金の取れる河川が流れていた中頓別町、浜頓別町に人々が集まりました。
カントリーサイン 浜頓別は、砂金より白鳥が有名 |
それで、川の名前が風変わりで、中頓別はペーチャン川と、アイヌ語の読み方のまま。
ペンケ・イチャン(上流にあるホリ場)があるので、なまって兵知安になったようです。
一方、浜頓別はウソタンナイ川ですが、これも同じくアイヌ語地名の完全な借用です。
お互いに滝が掘っている川という意味ですが、いみじくも砂金堀にとっては意味がある。
砂金は水に比べて比重が重いので、流されてきた砂金は川床のくぼみに溜まります。
つまり、ホリ場があると言うのは、大事なシグナルで、名前で判断したのかもしれない。
ただ、金の絶対量は少なかったのか、ペーチャン川は、わずか数年のブームでした。
金が取れなくなれば、一人去りまた一人去りと、やがてはゴーストタウンになってしまう。
こうして、今現在、砂金堀は、観光体験をしてもらうだけの施設になってしまいました。
どちらの川でも、貸し出される用具を使って、土砂の中から金を見つけてもらう段取り。
日本古来の伝統道具では、スコップのようなカッチャで川底から土砂をすくい上げます。
その後、小石や荒めの砂を取り除いたら、ゆり板で砂をやさしく洗い流していきます。
ここで、比重の重い金は板に張り付いて残りますが、乱暴な砂の洗い流しは禁物です。
一方、アメリカですと、ふるいで小石を取り除いたら、ゴールドパンで砂を流しだします。
食事に使う金属製のお皿を代用したと思われますが、日本では専用道具の板です。
形状に違いはありますが、砂を洗い流す目的は同じでして、お国柄の違いでしょうな。
というわけで、インストラクターもいて、胴付ゴム長まで貸し出すサービスがうれしい。
道北は冷涼ですから、夏場でも川の水は身を切るように冷たく、一番暑い盛りの期間でしか体験できなのですが、往時の砂金堀は、水が冷たかろうがお構い無しに、川にジャブジャブ入っていって浚っていたのを思うと、いかに一攫千金でも難儀なことだと思ったのでありました。
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