回遊池には、鼻曲がりの鮭が泳いでいたぜ |
この資料館は、係員の方が常駐しておらず、まったくの無人になっていました。
入り口を入れば、明かり窓があるので、かろうじて受付の様子は分かります。
そこに入館者の受付記録が、備え付けてありましたので、先ず記帳をしました。
何気なく、パラパラとめくってみますと、一日、二三組の来訪者がいるかどうか。
ちゃんとトイレもあるし、合併で枝幸町となったので、その町のパンフも置いてある。
放り出したような施設にもみえず、意外に、観光客向けに配慮が見られました。
この歌登の人口は、三千にも満たないし、最北端の宗谷支庁にあるエリアです。
北海道の玄関口、千歳空港に近い、さけのふるさと千歳水族館とは分けが違う。
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だから、孵化場の設備がいかに町の自慢としても、訪問者も限られてしまうのか。
それでも、訪問者は、道内の人はいなくて、みんな内地(本州)の方ばかりでした。
一風変わっているのは、周辺にタイ人のツアー客が宿泊する観光ホテルのある点。
うたのぼり健康回復村ですが、テレビのバラエティー番組でも紹介されたほどです。
そう言えば、タイの人もサケのお刺身が大好きなら、この施設に興味があるかも。
ただ、彼らが雪ではしゃぎ回る冬の季節には、残念ながら閉館してしまいます。
つまり、開館は鮭が遡上し始める八月から、わずか三ヶ月間のオープンなのです。
まあ、期間限定は残念ですが、冬場に無人かつ暖房もないのなら、無理ですね。
それで、資料館の前に、鮭の遡上する母川から、水の引かれた池がありました。
この水の透明度といったらないのですが、鮭の群れが、悠々と泳ぎ回っております。
中には、鼻の曲がりだしたオスもいまして、遡上する時期だと思わせてくれました。
しかし、開館していることは知っていましたが、たったの三ヶ月とは思いもよらない。
加えて、この北見幌別川水系のパンケナイ川は、歌登地区の水道源なのですよ。
小川ほどの川幅しかないのに、豊富な湧水があるからこそで、水質は折紙つき。
つまり、サケが生まれた川を下り、時を経て遡上できるような環境こそ、望ましい。
この川が、最高の条件なのは間違いありませんが、人の手で放流されるからです。
生まれ故郷を遡上するサケを捕獲して、採卵・孵化させる事業は非常に重要なのだ。
既に明治の頃から、サケを採り尽くしてしまわないかという、危機感も生まれました。
こうした中、北海道開拓史で働く伊藤一隆が、サケのふ化事業を成功させました。
これが有名人のご先祖様で、中川翔子こと、しょこたんの高祖父だとは驚きです。
NHKのTV番組、ファミリーヒストリーでも紹介されましたので、見た人もいるでしょう。
千歳水族館には展示コーナーもあるし、有名なインディアン水車も提唱した人です。
そして、この方が奉職したのが、日本で始めて開設された千歳中央ふ化場でした。
以降、一世紀以上の歴史で,人工ふ化放流技術は格段に進歩を遂げています。
まあ、年間で数千万匹もの漁獲高ですから、日本の水産資源として欠かせない。
というわけで、サケの切り身一切れ百円のセールスも、ふ化事業なくして語れない。
かつて、サケは、船団形式の北洋漁業が活躍する「採る漁業」が、中心でした。
それから、二百カイリ問題などで、国際情勢における資源環境の変化もあって、いま、北海道でのサケ漁の主流は定置網に切り替わっており、ご家庭の食卓をにぎわせているものも、日本の河川でふ化放流されたものが大半であるのなら、こういう施設を見学しながら、育てる漁業を考えてみるのもいいことではないかと思うのでした。
おまけ:
サケの資料館に行ってみよう!
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