シートでコレクションした大事なお宝 |
札幌の小学校に通っていた三年生の時、半世紀近くも前の昭和43年のことでした。
当時、札幌市は人口が百万人に到達するのが、時間の問題といわれていました。
大都市として急速に変貌しつつあったのですが、これも冬季オリンピックのおかげ。
昭和47年の開催まで、あと四年と迫っており、地下鉄工事など建設ラッシュでした。
そういう活況を見せていた中で、北海道の開拓百周年という行事も重なっています。
明治の初め、北海道の札幌に開拓史の拠点が置かれてから、もうすぐ一世紀です。
その間、内地から開拓のために移住した人々の労苦は、計り知れなかったでしょう。
そんな努力や苦労を道民が積み重ねて一世紀、北海道の社会は成長してきました。
だからこそ、道民なら百周年の節目は、感慨ひとしおのものがあったのだと思います。
父や母も、北海道は網走や十勝の郡部出身ですから、想いは違ったのかもしれない。
一方、当時は子供だったので、お祭り気分ぐらいでしかなかったのが、本音なのです。
それでも、学校では私たちの郷土の歴史として、副読本を使って授業を受けました。
最後にはテストまであって、歴代の開拓史長官の名前を必死で暗記したものです。
そういえば、黒田清隆もその一人で、NHKの朝ドラ”あさが来た”に登場していました。
長官の職を去ってから、実業家へ転進した頃のお話なんでしょうが、びっくりぽんです。
実は、この清隆さん、開拓使官有物払い下げ事件の渦中の人で、真っ黒クロスケ。
北海道開拓使の役所 |
まあ、薩摩出身ゆえに、藩閥政府が政商とつるんで起こした疑獄事件の走りです。
そんなことを鮮明に思い出しましたが、子供時分の授業が役に立ったとは、懐かしい。
ところで、冒頭の写真は、その百周年を記念して建てられた百年記念塔の記念切手。
この塔は 道立自然公園の指定区域内にありまして、野幌森林公園という名称です。
大都市札幌の近郊にあり、まとまった規模の森林からなる平地林は、実に特徴的。
一方、明治百年を記念した事業の一つとして制定された国定公園も、存在します。
明治の森高尾と箕面ですが、どちらかというと山林の指定で、面積もそれほではない。
各々、東京ドームで164個と205個で小ぶりなのに、野幌は437個と、どでかい。
ちっぽけな面積の方が国定なら、日本でも数少ない平野部の森林が自然公園です。
もし、人口の集中する政令指定都市で指定されたのなら、どちらも趣旨は同じでしょ。
この野幌自然公園は、規模は桁外れに大きくて、国定公園の昇格だって問題ない。
だったら、北海道自然公園ぐらいに止めないで、北海道開拓の森国定公園はどうか。
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そして、何れも最近流行のフットパス、つまりハイキングや散策で森林浴を楽しめます。
ただ、高尾山は麓から登れば登山路に近い感じなので、お年寄りにはちょっときつい。
ところで、野幌の読みも”のっぽろ”と風変わりでて、アイヌ語のヌポロペツが転じました。
野中の川の意に由来し、川が流れるぐらいの緩やかな起伏だから、歩くのにもってこい。
というわけで、まあ北海道自体が観光ブランドだから、国定公園こだわる必要もない。
そして、この公園内には、百年記念塔と同じく、北海道開拓の村も設置されています。
開拓の過程における生活と産業・経済・文化の歴史を示す建造物などを、多数移設して復元・保存に努めながら、開拓当時の情景を再現しようとしているのですが、愛知県の犬山市にある博物館明示村と似たような雰囲気でして、北海道開拓百年と明治百年は、こんなところでも競い合っていたのかと、思わず苦笑してしまった自分がいるのでした。
おまけ:
北海道の四月は、春とはいえなかった |
クリックするとPDFに移動 記念塔も開拓の村も、本当に一部だけ |
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