2016年9月11日日曜日

イギリス人が通行権を行使してフットパスを歩くのなら、北海道のここが最もふさわしいと思うね - 北海道野幌森林公園・北海道百年記念塔・北海道開拓の村(北海道・札幌市)

シートでコレクションした大事なお宝

札幌の小学校に通っていた三年生の時、半世紀近くも前の昭和43年のことでした。
当時、札幌市は人口が百万人に到達するのが、時間の問題といわれていました。

大都市として急速に変貌しつつあったのですが、これも冬季オリンピックのおかげ。
昭和47年の開催まで、あと四年と迫っており、地下鉄工事など建設ラッシュでした。

そういう活況を見せていた中で、北海道の開拓百周年という行事も重なっています。
明治の初め、北海道の札幌に開拓史の拠点が置かれてから、もうすぐ一世紀です。

その間、内地から開拓のために移住した人々の労苦は、計り知れなかったでしょう。
そんな努力や苦労を道民が積み重ねて一世紀、北海道の社会は成長してきました。

だからこそ、道民なら百周年の節目は、感慨ひとしおのものがあったのだと思います。
父や母も、北海道は網走や十勝の郡部出身ですから、想いは違ったのかもしれない。

一方、当時は子供だったので、お祭り気分ぐらいでしかなかったのが、本音なのです。
それでも、学校では私たちの郷土の歴史として、副読本を使って授業を受けました。

最後にはテストまであって、歴代の開拓史長官の名前を必死で暗記したものです。
そういえば、黒田清隆もその一人で、NHKの朝ドラ”あさが来た”に登場していました。

長官の職を去ってから、実業家へ転進した頃のお話なんでしょうが、びっくりぽんです。
実は、この清隆さん、開拓使官有物払い下げ事件の渦中の人で、真っ黒クロスケ。

北海道開拓使の役所

まあ、薩摩出身ゆえに、藩閥政府が政商とつるんで起こした疑獄事件の走りです。
そんなことを鮮明に思い出しましたが、子供時分の授業が役に立ったとは、懐かしい。

ところで、冒頭の写真は、その百周年を記念して建てられた百年記念塔の記念切手。
この塔は 道立自然公園の指定区域内にありまして、野幌森林公園という名称です。

大都市札幌の近郊にあり、まとまった規模の森林からなる平地林は、実に特徴的。
一方、明治百年を記念した事業の一つとして制定された国定公園も、存在します。

明治の森高尾箕面ですが、どちらかというと山林の指定で、面積もそれほではない。
各々、東京ドームで164個と205個で小ぶりなのに、野幌は437個と、どでかい。

ちっぽけな面積の方が国定なら、日本でも数少ない平野部の森林が自然公園です。
もし、人口の集中する政令指定都市で指定されたのなら、どちらも趣旨は同じでしょ。

この野幌自然公園は、規模は桁外れに大きくて、国定公園の昇格だって問題ない。
だったら、北海道自然公園ぐらいに止めないで、北海道開拓の森国定公園はどうか。

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そして、何れも最近流行のフットパス、つまりハイキングや散策で森林浴を楽しめます。
ただ、高尾山は麓から登れば登山路に近い感じなので、お年寄りにはちょっときつい。

ところで、野幌の読みも”のっぽろ”と風変わりでて、アイヌ語のヌポロペツが転じました。
野中の川の意に由来し、川が流れるぐらいの緩やかな起伏だから、歩くのにもってこい。

というわけで、まあ北海道自体が観光ブランドだから、国定公園こだわる必要もない。
そして、この公園内には、百年記念塔と同じく、北海道開拓の村も設置されています。

開拓の過程における生活と産業・経済・文化の歴史を示す建造物などを、多数移設して復元・保存に努めながら、開拓当時の情景を再現しようとしているのですが、愛知県の犬山市にある博物館明示村と似たような雰囲気でして、北海道開拓百年と明治百年は、こんなところでも競い合っていたのかと、思わず苦笑してしまった自分がいるのでした。


おまけ:
北海道の四月は、春とはいえなかった

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記念塔も開拓の村も、本当に一部だけ

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