この路線図を見て納得 |
錦市場をぶらついてから、京都駅に舞い戻る道のりを間違えてしまいました。
近くに阪急電車の始発、河原町駅があったので、そこから乗ってしまったんだ。
この路線は初め地下の軌道なので、乗換えの便利さで京都駅を通過するだろう。
そんな思い込みから乗ったのが運の尽きになり、京都駅なんか通過しませんわ。
知らない駅ばかりに停車していくだけで、上さんに間違ったと攻められました。
まあ、必至で携帯から乗り換え方法を再検索しましたが、何だ乗換えなんだな。
このため、反対側ホームへ階段を上り下りして乗り換え、烏丸駅まで戻ります。
何のことは無い、駅一つしか阪急電車に乗らなかったわけで、残るは地下鉄だ。
直結している京都市営の四条駅に乗り換えて、二駅目で京都駅まで戻りました。
これに掛かった所要時間が三十分くらいだから、徒歩も似たようなものですな。
帰宅してからグーグルマップで調べましたが、歩きもそんな感じになのでした。
でも、錦市場を見物する前に、三十三間堂、八坂の五重塔など歩き回りました。
かなりの距離で疲れたし、電車に乗り戻ったとしても不思議ではありますまい。
面白いのは京阪電車も京都駅を通らないし、市営地下鉄も二路線に限られます。
だから、京都駅前のバス乗場では、おもてなしコンシェルジュが活躍するんだ。
目的の観光地までバスの乗り方や、行き方を教えてくれるのがありがたいです。
ただ、駅からブラブラ歩いて拝観できる自社仏閣は、歩いてみるのが面白いよ。
今回、三十三間堂へ行く途中、塩小路を歩いていて碇組の船鉾に出会いました。
周辺は崇仁地区で、昔は新日吉(いまひえ)神宮の祭礼に参加していてみたい。
戦後、祭礼の参加は中断されていましたが、地元有志の熱意で復活したんだな。
そこで練り歩きの山車が必要になり復元されたのですが、小ぶりでも豪奢です。
使用されていた木彫や金工品などを上手に利用しだけあり、造作は素晴らしい。
交差点のビルで、一階のガラス張りの部屋に納められていたのを見て感激だな。
こういった地元愛と言うか、京都の歴史に裏打ちされたプライドは清清しいよ。
というわけで、新日吉神宮の祭礼といいますが、”いまひえ”とは読めなんだ。
なんで、新日吉がそうなるのか、平安時代に後白河法皇が法住寺殿を造設し、鎮守社として近江の日吉山王(ひえさんのう)の七社を移したのが始まりなんだそうで、ならば最初から読み仮名として改めて覚えておくことにするしかないなと、思うのでした。
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