歴史のあるゲレンデですがら、そのせいかスロープが実にコンパクトでした。
当時を考えれば、地元にそう大きな資本力もないし、技術力もこんなものか。
現在もリフトは三本で、昔のシングルから、ペアリフトに掛け換わってはいる。
しかも、索道距離が二三百メーターと短く、乗ればあっという間に山頂でした。
三分もかからないし、お湯を注いでカップヌードルができてしまう所要時間。
こういったゲレンデは鳴子上野々スキー場で経験したが、それなりに楽しい。
寂れた印象はぬぐえませんでしたが、ちびっ子たちも滑りに来ていました。
ここは、駅から歩いて五分ほどと近く、昔はスキー列車も運行されたようです。
首都圏から大挙してスキーヤーが来たらしいのですが、時代は変わりました。
マイカーブームが来ると、誰もが車でスキー場へ出かけるようなご時世です。
新幹線も使えますが、手前の浦佐駅を降りて上越線へ乗り換えねばいけない。
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まあ、そこまでしてリフト三本の場所へ、あえて出かける人もいないでしょう。
こうして、地元民が冬のレジャーを楽しむゲレンデに戻ったとしても仕方ない。
そんな、雰囲気のゲレンデは、地元の小出高校はスキー部が強豪なのです。
インターハイ常連校、県の強化指定ですが、ノルディック競技が強いみたい。
まあ、アルペン選手がこのバーンで練習しても、残念、滑走距離が足りません。
近くにはジャンプ台もあり、なれば、距離とか複合の競技が有利なんでしょう。
ところで、この小出は、歴史的に見ても”雪合戦の発祥の地”なんだそうです。
由来は、戦国時代までさかのぼり、越後を治めた守護職の内紛が発端でした。
刀折れ矢も尽きても、なお、両者は戦いをやめず、雪を固めて投げ合ったとか。
季節が冬だから雪玉でしょうが、夏場は田んぼの泥球になったかも知れない。
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それで争い事に決着がつけば、何とものどかで微笑ましい気もいたしました。
地元では、これをきっかけに”小出国際雪合戦”も、例年、開催されています。
国際と冠名がついているものの、世界中で行われている大会でもないしな。
理由は、この魚沼市の隣の南魚沼市に国際大学があるからなんだそうです。
実際に、海外の学生が参加するので、国際色豊かなという意味づけでした。
というわけで、スキーブームの下火でこのゲレンデも閉鎖しそうになりました。
発端は、スキー場を管理する小出町が、合併して魚沼市になったことですな。
このため、自治体が所有した五ヶ所のスキー場を併せて管理せねばならない。
この財政負担が耐え切れずに、平成21年に閉鎖せざるを得なくなりました。
それでも、地元の嘆願もあり、運営が継続されているのは喜ばしいことです。
この他、関越国際大原スキー場やら歴史のある須原スキー場も健在ですので、町に一番近いホームゲレンデとして、このスキー場が存在したっていいじゃないかと思う次第なのでした。
お断り:
記事を書いた時の関越国際大原スキー場は、改称で新生大原スキー場になりました。コロナで、今シーズンオープンできるか心配だな。
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