平成3年2月21日滑走 |
このスキー場は、 白馬エリアのゲレンデの歴史を語る生き字引的な場所です。
自分の生まれる前、 昭和33年に先ず八方尾根ロープウェーが開業しました。
続いて、昭和37年に栂池高原が、 その四年後に岩岳がオープンしています。
これで、 日本百名山の白馬山のふもとにゲレンデの三兄弟が勢ぞろいしまし た。
山登りをたしなむ人なら、 このエリアは後立山連峰だというのもお馴染みです。
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他のスキー場も、これら山々の名前が引用されていますので、 お分かりでしょう。
このゲレンデ三兄弟は、 東急グループの白馬観光開発が長く運営してきました。
これだけ魅力的な観光地だと、 絶対に譲り渡しがあるとは思わなかったのです。
やっぱり、昨今のスキー客の長期低落傾向が、 大きく響いていたのでしょうか。
結果的に、日本駐車場開発が経営を引き継ぎましたけど、 驚きは隠せません。
自分自身も、”あの東急が...そうだったのか” って二の句を継げないほどでした。
地域の生活価値を創造し続ける事業展開」を基本戦略とする中期3か年経営計画を策定し、「東急沿線が選ばれる沿線であり続ける」「“ひとつの東急”として強い企業集団を形成する」という2つのビジョンの実現に向けた施策を実施しています。
当社は、これらの取り組みの一環として白馬観光の今後の事業戦略について検討してまいりましたが、長野県内にも複数のスキー場を運営している日本スキー場開発との事業上の相乗効果を発揮し、白馬観光の事業基盤を強化していくことが適切であると判断したことから、当社グループが保有する白馬観光株式を日本スキー場開発に譲渡することといたしました。 (平成24年9月28日発表)
発表されたプレスリリースがネットで見つかりましたので、 ここで紹介してみました。
やはり運輸系企業は、 沿線開発を踏まえた事業に舵取りをしたのが分かります。
飛び地の事業だとシナジー効果も期待できなくて、 大きな決断だったのでしょう。
さて、自分史の思い出に戻るとして、 八方は平日でもメチャ込みで驚愕でした。
朝九時ごろ到着したのですが、 木曜日なのにゴンドラ待ちが一時間になりました。
しかも、ゲレンデの前は乱雑な宿泊街で、 なかなか駐車場が見つかりません。
民宿などの駐車場で空きがあれば借りるのですが、 千五百円も取られました。
当時の物価水準から見ればかなり高額だと思ったのですが、 売り手市場です。
しかも、ゲレンデまでスキーを担いで十分以上も歩きましたので、 実に不便でした。
かつまた、ゴンドラの距離が2キロと中途半端な長さで、 規模にしては短いのです。
どうも雪の豊富な上部へ運び上げるだけで、 主な併走のコースも見当たりません。
このため、ゲレンデの連絡は主にリフトが中心になり、 ちょっと意外だったりしました。
ゴンドラは”アダム”の名前で運行され、対比して栂池高原は” イブ”の名称です。
経営母体が同じゲレンデですから、 対比してアダムとイブを名づけたのでしょう。
栂池は初心者向けに緩斜面も多いし、 女性的なスキー場だということでしょう。
と言うわけで、スキーブームの渦中にあっては、 混雑だけが記憶のゲレンデでした。
スピードを出して滑ると衝突する不安もあったし、 リフト待ちが三十分ときびしい。
時間的に滑走間隔が開いてしまうと、 滑りのイメージを忘れてしまいがちで、 反復レッスンの意味もなくなってしまうし、 平日なのになぜこのブランドスキー場は空いていないのかと、 激しく恨めしく思ったスキー場なのでした。
おまけ:
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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95( 立風書房)
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