昭和60年1月18日滑走 |
ここは、感熱マーキング方式のリフト券でした。
初めて見るデザインで、ベースは茶色です。
その上に黒い丸とか四角が転写されていました。
よく見ると、購入した日付に印がつけられています。
他方、碁盤の目にマーキングがベッタリつけられました。
当時、実に不思議なリフト券だと思いました。
確か、ゴンドラに乗る時も改札口で提示しました。
すると、機械で読み取りしていたのを覚えています。
なぜ、こんな面倒なのか良くわからない。
日付をスタンプした一日券なら、見せるだけです。
監視員の人もどうぞと軽く会釈してくれるでしょう。
ところが、このスキー場はかなり違いました。
ただ、作業を見ていて気づくことがあったのです。
何かをデータを集めているようです。
この券を裏返してみたのですが、面白いことに気づきました。
リフトの運営会社が二社併記されています。
飯森とゴンドラのあるゲレンデなのですが、ちょっと離れています。
つまり、スキー場は一つでリフト運営は別々なのでしょう。
だから、どっちのリフトに乗ったか集計する必要があります。
これは、後でリフト収入を配分するのに便利です。
当時は、スキー場開発に民間の資本力が弱かったのかもしれません。
一つがゲレンデ開発で成功したら、他社が隣接して乗り出してくる。
こうして規模は大きくなりますが、運営はまちまちです。
ただ、こうなるのももっともな理由があると感じました。
クリックで拡大(昭文社:山と高原地図より) |
このスキー場、ゲレンデのレイアウトが不思議です。
麓の初中級コースから急に上級コースへ斜面がせり上がります。
これを乗り越えると、改めて広大な中級コースが広がるのです。
標高がかなり高いですし、雪質もかなり良くなります。
リフトで乗り継ぎするぐらいなら、ゴンドラが便利でしょう。
一気にスキー客をあげてしまえば、喜んでもらえる。
それには施設の立ち上げに投資もかなり要るだろう。
こうして、別々に掛けられていったのだと思いますね。
クリックで拡大 |
このゴンドラですが、当時、卵形のテレキャビンで四人乗りでした。
フランスのPOMA社製で安全策道(Ansaku)が敷設しています。
稼動した年が1973年で、会社案内の沿革にも乗っておりました。
後年、箱型のゴンドラが主流になりますが、初期は丸型でした。
まあ、比較的すいているスキー場です。
白馬としては、手前にある立地で関東方面からも行きやすい。
そんなスキー場ですが、後年、五月連休の春スキーでよく行きました。
Hakuba47スキー場にもアクセスしています。
規模も、八方や栂池に匹敵したんじゃないのか。
時間を掛けて熟成したスキー場になったのだと思いました。
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