昭和62年3月6日滑走 |
リフト待ち一時間が常識だった頃です。
一日粘って滑って数回しか乗れない。
ただスキー場に行くだけですよ。
それでも、みんな若かったから楽しかった。
今時並んで待つのは、ラーメン屋で十分。
寒い中を、よくもお行儀よく並んでいたと思いました。
このスキー場は首都圏に近いのが売りです。
テレビなどメディアでもよく紹介されて来ました。
特にお正月の行楽地では、格好の取材先です。
ヘリコプターからリフト乗り場が撮影中継されました。
スキーヤーが乗り場に群がっています。
まるで、ありんこが砂糖恋しさで誘われたみたいです。
その数、六百人だとアナウンサーが紹介していました。
一方、自分は寝正月でしてぐーたらを決め込んでいます。
わざわざ、人ごみの中に出かけるなんて馬鹿らしい。
おせち料理で一杯やって、コタツで丸くなるのだ。
確か、その年は不思議とスキーに出かけていませんでした。
例年なら、正月休暇は滑走行脚が恒例でしたから。
それで、このスキー場は3月にでもなれば空くだろう。
そう高をくくって判断して時機を待ったのです。
結果は、一言、人の多さに改めて酔いました。
出かけたら、リフトの一時間待ちは変わらないままです。
緩斜面が多いゲレンデなので、すぐに滑りきってしまう。
すべりが五分、乗るのに一時間。
結局、リフト一日券の元が全然取れませんでした。
こうなったら疲れたから早く帰ろう。
だって、混雑してお帰り渋滞が怖いですよ。
だから、午後は早めに脱出して帰宅しました。
あの頃、駐車料金が千円もして憤慨です。
四半世紀前の物価なら、考えるとかなりお高いはずです。
今なんか、無料も当たり前になって時代も変わりましたなー。
そんなスキー場の思い出なのでした。
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