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| 壬生塚にアオサギ |
京都旅行の最終日、新選組で有名な壬生寺が最後に訪れた観光地になりました。
実は、新選組はこの寺院を訓練場に使っており、周辺が屯所になっていました。
お寺の隣は八木家で、今では和菓子屋さんを営んでおらて、かつての屯所です。
行ってみたら、本堂は再建されてしまって、古い建造物の印象はありません。
それで、ここを訪ねるのに寺のロケーションがはっきりせず、調べて見ました。
すると、中京区にあって二条城の南に位置しており、本当に市中のお寺なんだ。
先斗町、池田谷騒動跡など有名な地名との位置関係も理解できたのも事実です。
それで、このお寺は中京区に位置していますが、グーグルマップを見て驚いた。
それは、南側の下京区との境界線が大きな通りに沿って引かれていないのです。
むしろ、大きな通りの北側に並んだ住宅が、中京区に入らずに下京区なのです。
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| 赤太線が区界 |
普通の自治体なら、行政区域を大きな通りで区分けをして境界線を設定します。
この慣例を京都では無視しており、歴史のある街だから何か理由があるのかな。
それで、グーグルAIの回答では、”町”というコミュニティに理由があるらしい。
京都の街中では、道路(通り)を挟んで向かい合う家々が一つの”町”なんだと。
こういったコミュニティの形成が”両側町”なのですが、なんとなく理解できる。
時代劇のドラマを見ると、宿場町は、往来の街道沿いに家が立ち並んでいるな。
要するに、通りにある売り買いで経済が成り立っていて、それがコミュニティ。
だから、昔は両側街だったのですが、近代の自治体行政を導入すると厄介です。
単純に行政区分を割り出すなら大通りに境界線を敷くのが、自治体は便利です。
ですが、歴史の長い街では、有力な町民が一部行政を仕切ってきた事実もある。
だから、京都市が区制を敷いた時も、この両側街の意義を尊重したのでしょう。
というわけで、壬生寺の話から脱線しましたが、京都は興味が尽きない都会だ。
まあ、新選組の隊士たちも、先斗町の舞子はんと浮名を流していたのかもしれず、道順は歩けばいとも簡単で、ただ屯所から小一時間もかかるので、そんなに頻繁に出かけたのでは無かったろうと考えたのでした。


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