2015年7月29日水曜日

エロいデザインのチンコ搬器に乗って行きまくれ、滑りまくれ - 月山スキー場(山形県)

クリックで拡大します
昭和62年頃の滑走だと思う

月山のペアリフトは、春スキーの初めは、積雪が未だ豊富でバーン専用です。
山頂駅から、繰り返し滑り降りることができますが、その期間は短いのですよ。

季節が夏に向かって暑くなりだせば、残雪も急速に融けだし始めます。
途中、地表が次第に顔をのぞかせるようになると、リフト脇コースは終了です。

このため、それ以降は、リフトは、登行かつ観光の性格を持つようになります。
スキーヤーも搬器に乗る時は、スキーを抱えながら乗降しなくてはなりません。

こうして、標高の高い姥ヶ岳のゲレンデまで、リフトの空中散歩が始まります。
一方、ゲレンデでは、時間が早いと、まだTバーが稼動を始めておりません。

ペアリフトが先行して八時に運転を開始しますが、Tバーは結構不特定です。
先ず、監視員がペアリフトで上がってきて、Tバーの山麓駅まで歩き出します。

本当は、朝の雪が締まっている間に滑りたいのに、そんなことはお構いなし。
実にチンタラしていて、到着したら、装置に被せてあったホロを外し始めます。

Tバーリフトエンジン

ここで、始業前に駆動装置を点検しだすのですが、これが内燃エンジンです。
燃料の入ったポリタンクなども担いできて、エンジンのタンクに注いだりします。

この作業が長くて、四半時はかかるでしょうか、ようやくエンジンの起動です。
濃いサングラスを掛けたおっちゃんが、スターターのひもを勢い良く引っ張ります。

ブルンブルンとエンジンが震え、排気口から黒い煙がどっと出て来るのですよ。
ところで、山麓駅エンジンと山頂駅のワイヤー返しの仕掛けは、雪の上でした。

地面に固定されているわけでもなく、雪の上にドカッと置かれているだけです。
だから、雪を踏み固めた土台が融けて傾いたりすると、手直しをしていました。

それに、スキーリフトには支柱があるものですが、Tバーは無いに等しいのです。
山麓と山頂駅の間を、ワイヤーはスリスリとヘビのように、雪面をはうのでした。

まあ、これがリフトなのかと思いますが、どうやってワイヤーにしがみつくんだろう。
そこがミソでして、正にTバーと言うストッパー付きの搬器が存在しています。


月山リフトTバー牽引

これで、Tの部分を又にはさんで、ワイヤーで引っ張ってもらう仕組みです。
搬器の先端には、カムが付いていてワイヤーに引っ掛けますが、外れやすい。

乗り方にも慣れが必要で、何度も失敗すると、ド素人と白い目で見られます。
この円筒形のカムの間にワイヤーを潜らせますが、それからが緊張の瞬間。

カムを瞬時に斜めにし、ワイヤーのテンションを作り出し、外れなくするのです。
こうして、ワイヤーの張り出した力で、カムをストッパーに見立て、登るのでした。

ところが、途中、エンジンが不調で速度が急に落ちたりすると、たいへんです。
一瞬でもたるむと、ワイヤーの張りが失せて、引っ掛けたカムが外れてしまう。

この場合は、わざとエンジンを止めるのですが、カムを引っ掛けて待機します。
ワイヤーの張りの代わりに、体重をカムに引っ掛けてテンションを保つのです。

こうして、サングラス姿の山オヤジが、”エンジン動かすぞー”って怒鳴る分け。
ドッドッドッ、エンジンが動き出せば、アイドリングからグンとワイヤーが流れます。

このときのショックが、また強くて、グンと上がって一瞬緩むと、また外れやすい。
つまり、カムを外さないコツがあるわけで、これが月山スキー道の極意でした。

Tバーカムとかなまら祭り

というわけで、このカムの形状がエロっぽく、偶然にもチンコを形どっていました。
偶然、カムを下にした写真を見たのですが、あら不思議、チンコの出現です。

しかも、ワイヤーのつなぎが、何かピュッと飛ばしたような印象までしてきました。
ちょっと、これは卑猥なんだけど、見れば見るほど似ていて、おかしくもあります。

しかも、搬器のカムの掛け方に興奮と緊張が入り混じるのが、似通うのです。
こうして、月山スキー場へは幾度と無く滑りに訪ねましたが、このカムの引っ掛けに習熟が必要なことは、自らも経験したのが貴重だったわけでして、しかもデザインがチンコ様だったことは、今回の投稿を書くに当って、マジマジと見つめ直して大発見できたことを、望外の喜びだと思うのでありました。


おまけ:
都会に初夏を感じたらパンフレット
  
グーグルドライブはこちらから

”かなまら祭り”とは、、、
神奈川県川崎市の【若宮八幡宮 金山神社】
毎年、4月第1日曜日に行われる日本三大奇祭の中で一番有名で人気の高い祭り。


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2015年7月26日日曜日

フェースブックで生き続ける先輩とともに滑った、残雪のゲレンデ - 月山スキー場(山形県)

月山山菜そば

夏スキーの帰りがてら、腹が減ってドライブインの湖月山荘に立ち寄りました。
もちろん、名物の月山山菜そばを賞味したくて、二人とも注文したのです。

スキーで疲れていたせいもあるでしょう、出されたおそばを黙々とすすります。
山菜を煮込んだしょうゆ味のだし汁はやや熱く、おそばの風味を活かします。

本当は、志津地区の出羽屋で食べるべきだったのに、なぜか寄らなかった。
そこは、一度帰りがけに食べたことがあり、古風な家屋が風情を感じます。

味ももちろんですが、おそらく、駐車場に空きがなくてあきらめたのでしょう。
こうして、ダム湖畔に建つ食堂の味も甲乙すてがたく、思い出になりました。

高校時代の先輩は、当時、東京電力の原発がある富岡に住んでいました。
自分は仙台におり、自動車を運転して四時間程の行き来だったでしょうか。

まだ昭和の時代の話で、常磐道も延伸されておらず、下道を走りました。
お互い道産子ですから、スキーはお手の物ですが、夏スキーは珍しいのです。

数メーターに達するような残雪ですし、リフトが七月まで稼動してくれます。
ザラメ雪でこぶだらけの斜面ですが、ピーカン青空の下で滑るのは楽しい。

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二人とも、高校二年まではスキー遠足があったりしたので、ビギナーでもない。
自分なんか、大学の文化系なのにスキー学習の単位が必須だったのです。

だから、二人で滑りに行っても、そこそこ楽しめると思って先輩を誘いました。
先輩も面白がって来てくれたのですが、雪が予想以上に重かったらしい。

リフトを一回滑ったきりで諦めてしまい、それを尻目に一人だけで滑りました。
そんな思い出のあるゲレンデだったのですが、先輩とはそれっきりなのです。

無沙汰を囲って連絡もしない内に、四半世紀も時が過ぎてしまいました。
ただ、郷里の札幌に戻って家業を継いだと、風の便りでは聞いていました。

その内、帰省すれば再会できるはずと、安易に考えたのがどうも運の尽き。
先輩との月山の思い出も、やがては、忘却の彼方に去ってしまいました。

でも、自分も年を取ってくると、ふと昔のことを思い出したりするんですよね。
つい最近も、この先輩って、どうしていらっしゃるのかと、気になり出しました。

それで、家業のお店を探し始めたんですが、電話帳にも見当たりません。
変な予感もしたんですが、実名をググってみますと、ちゃんと見つかりました。

プライバシーのため修正

フェースブックで投稿してたんだーって、でも二年前のが最新の投稿です。
最近、更新がないけどどうしたんだろうって思ったし、コメント返しもありません。

だんだん、心配になって、高校時代のもう一人の先輩に電話してみました。
実は、先輩が話してくれたのは驚きで、もうこの世の人ではないというのです。

つまり、最後の投稿があった頃に、突然に病死したと言うのでした。
まだ五十代後半なのに、早すぎる突然の逝去には、驚かざるを得ません。

折角、フェースブックで見つけて再会と思った矢先の訃報が、痛ましいのです。
もう一人の先輩が、顛末を語ってくれましたが、家業が振るわなかったとか。

亡くなる前には破産の憂き目に会って、仕事もなくなりブラブラしていたらしい。
これから先、生活する気力も体力も失せてしまって、病魔に蝕まれたのか。

そういえば、大学の三年先輩だった方も、この間、肝臓がんで亡くなったなー。
自分も若くは無いことを悟らせてくれたのですが、一つ分かったことがあります。

それは、彼は、フェースブックを通じて、ネットの中では存命しているのです。
時を止めたように、もし運営者に通知さえ行かなければ、存在し続けて行く。

そして、フェ-スブックでは死者のアカウントを「追悼」できるようになっています。
もし、家族や友人が追悼をリクエストしたら、アカウントはログインを止めます。

代わりに、ウオールへの投稿やメッセージを送る機能は、活かされ続けます。
思い出を共有できるようにしたい配慮だそうで、これには背景がありました。

かれこれ十年近く前、米国のバージニア工科大学で乱射事件が起きました。
三十二人が犠牲になったのですが、家族や友人の悲しみは計り知れません。

ところが、当時は、死亡後一ヶ月でアカウントが削除されるポリシーなのです。
一方、愛する人を失った悲しみを、どうしてもアカウントに宛てて伝えたい。

こうした多くの希望が、運営者を揺り動かしたきっかけがあるのでしょう。
というわけで、フェースブックは誰が死んだのかを知るすべが無いせいもあります。

追悼をリクエストしない限りにおいては、あたかもネット上では永遠の魂を手に入れたかのように生き続けることになる分けでして、先輩もこうして自分との係わり合いでは、フェースブックを見続ける限り、生き続けてくれるのであろうなと、思うのでした。


おまけ:
月山ドライブマップチラシ
 
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2015年7月23日木曜日

スキーにまつわる文芸作品は見つからずに、何だこりゃの春歌 - スキー・スキー(スキーなの)(音楽ユニット-HIS)

写真はイメージです

スキー場にある文学碑・歌碑・句碑を調べていて、興が乗ってきました。
それなら、スキーにまつわる文学作品はあるのかと、調べ始めたわけです。

ところが、ミステリーや推理ものが中心になり、純文学は見当たりません。
しいて言えば、雪や冬の季語をあしらった俳句とか、詩とか短歌でしょうかね。

それで、特筆に価するのは詩人の三好達治で、作品はたったの二行です。
題名も「雪」とシンプルですが、七五調で韻を踏んでいるのが音感的でした。


 太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
 二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。


風もなく、雪がしんしんと降り積もる集落の情景が脳裏に浮かび上がります。
そんな日は、家々の子供たちは、きっとすやすやと寝入っているのでしょう。

屋根に降り積もる雪を、子供たちの掛け布団のように見立てたのでしょうか。
一方、風が強い吹雪の日は、ピューピューと音を立てる横なぐりの風です。

すきま風もあるだろうし、うるさくて安らかな眠りにつくことなどもできないはず。
冬の厳しさより、民話風な暖かみのある人々の営みこそ、モチーフだったのか。

そんな風に思いましたが、他方、スキーに関わる作品は収穫がほとんどゼロ。
自棄のやん八で調べまくりましたが、どういうわけか忌野清志朗がでてきます。

”スキー・スキー(スキーなの)”ってどうも歌らしいのですが、どんな曲なんだろう。
そして、ググッてみて出てきたのは、卑猥な想像を掻き立てる春歌なのでした。
  

  
<歌詞>
曲名:スキー・スキー(スキーなの)
作詞・作曲 忌野清志朗

 私はあなたがスキー
 スキー・スキー・スキー
 今年はあなたとスキー
 銀世界でスキー
 直滑降で来て 丘をすべらせて
 あなたの板で 私の丘をすべって欲しいの

 ぼくは君とスキー
 スキー・スキー・スキー
 リフトで高く登るよ
 いちばん上まで
 腰をくねらせて 林をすべりぬけ
 君の汗で 濡れているよ 光っているよ

 あなたがスキー 君とスキー
 ふたりはスキー

 「おーい冬美 早くおいでよ こっちこっちー なにやってんだよ」
 「イヤーン 清志さん まってー こわいの」
 「あれ、 ふぶいてきたな … 早く来ないと先行っちゃうよー」
 「うーん イジワルー まだいっちゃダメー」

 私はとってもスキー
 スキー・スキー・スキー
 雪解けの丘を来てね
 ここまで来てね
 斜滑降でいくよ WAXかけて
 あなたのフォーム とてもステキ すべって行くわ

 あなたがスキー 君とスキー
 ふたりはスキー

 (延々続くので略)

「うーん イジワルー まだいっちゃダメー」って、何か最中の合いの手ですかね。
スキーつながりで、猥歌がでるようでは、純文学にスキーは絶対ありますまい。

しかも、この歌は、演歌歌手の坂本冬美とデュエットしており、飛んでいます。
HISという音楽ユニットなのですが、もう一人は細野晴臣も参加していました。

衣装に学生服、セーラー服を着用するなど奇抜で、楽曲もおちょくりの世界。
平成3年にアルバムを発表しますが、一部はユーチューブでも聞けます。

HIS 「夜空の誓い」シングル化
 
ユーチューブはこちらから

いやはや、坂本冬美さんのこぶしを効かせた歌いっぷりが、素晴らしいですな。
ところで、本題のスキーの歌ですが、アマゾンで45秒分だけ視聴いたしました。

聞けば分かりますけど、いやらしさ感たっぷりで、昭和歌謡を引きずったまま。
一方、ジミ・ヘンドリックスの曲を仕立てにしたパープル・ヘイズ音頭がすごい。

よいよいと手拍子も入って、金沢明子のイエローサブマリン音頭を思い出す。
まあ、本気か洒落か冗談か、鬼界へ旅立った清志郎さんへ聞いてみたい。

というわけで、他にはパクッたような歌、「恋の呪文はケロロスキー」もありました。
歌詞だけを眺めていると、そんな感じもしてきて、他方、歌のほうはアニメ「ケロロ軍曹」のクリスマスアルバム収録曲だけに、ゆるく若年層向きに作られている点が違うのですが、個人的には定番、広瀬香美の「ロマンスの神様」でスキーの歌は止めを刺しておこうかとも、思うのでした。


おまけ:
ユーチューブに、笛うバージョンでアップされたので、載せちゃいましたよ。

「恋の呪文はケロロスキー」
 
ユーチューブはこちらから

歌手:More Peach Summer Snow
(作詞:松浦有希 作曲:窪田ミナ)

<歌詞>
恋に粉雪が舞うロッジで迎えるクリスマス
ずっと夢見ていたの 冬のロマンス

恋の呪文(じゅもん)はケロロスキー
つむじ風追い越してゆく
乙女の妄想(もうそう)はシュプール描き
どこまでも続く

ほら華麗なターンで調夷(さっそう)と振り向く
そんなつもりが止められない ああ 恋に似てる

「みんな〜 ふもとまで競争しよつ!」
「夏美さん! 待っててくださ〜い!」
「今日こそ 冬樹くんと...
とおりやああああ」
「これって、喧々霊々(けんけんごうごう)?」

てゆ一かおじさま一緒にスウィングしちやいましょ
また言い出せない「想い」雪の結晶ね

昔となりのおねえさんは セクシーなポーズをキメて
ハートを射止(いと)めたって話す横顔
ママの実話なの?

いつかバンクマジック 恋も器用に
もっとフツーに パラレル・ラブ 白銀の森で

恋の呪文はケロロスキー
つむじ風追い越してゆく
乙女の妄想はシュプール描き
どこまでも続くの

笑顔で暖炉(だんろ)囲んでキャロル歌えば
きっと忘れないこのひととき
大切なmemory まだみんな 片思いでも...



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2015年7月20日月曜日

文学の好きなスキー野郎は、オフシーズンでもゲレンデを訪ねるのだ - 文学碑のあるスキー場(全国各地)


ソリ遊びは体験したみたい

お笑いコンビのピース・又吉さんが、小説「火花」で芥川賞を受賞しました。
現役の芸人にして文筆家として活動中ですが、本格的な純文学は初めてです。

書評は、そつなく言えば、笑いと文学への尊敬と愛情の書なんだだそうです。
ただ、第一作で受賞できるほどの作品に価値があったのか、批判もあります。

特に、通販サイトのアマゾンの書評では、毀誉褒貶が激しく炎上状態でした。
星五つの評価がある一方で、内容は薄い、残念な作品と酷評も目立ちます。

意見が際立って対立しており、まさに題名どおりに火花を散らしていました。
もし、本当に予測して名づけたのなら、作者の力量は先見の明ありでしょう。

様々に意見を戦わせるのはいいことで、話題性ゆえに本の価値も上がります。
個人的には、村上龍が芥川賞を受賞したデビュー作をふと思い出しました。

『限りなく透明に近いブルー』ですが、群像新人文学賞とのダブル受賞です。
大学在籍中に受賞した綿矢理沙は二作目でしたが、どちらもミリオンセラー。

これから、文藝春秋でこの受賞作と選評が掲載されますが、実に待ち遠しい。
先ずは、今後の彼の活躍に期待するとして、エールを送りたいと思いました。

さて、作家も後世に名を残せるようになれれば、文学碑が建てられるのです。
前の投稿で取り上げた月山スキー場では、詩人丸山薫の文学碑が近くでした。

まあ、日本人は文芸好きですから、全国各地で文学碑が建立されております。
そうなれば、スキー場だって、文学碑が建てられているのではないだろうか。

そんなことをふと思い立ちまして、調べたらそこそこに見つかって来ました。
全部調べ上げたとは思いませんが、ちょっと、紹介してみたいと思います。

 
①川端康成 「雪国の碑」(直筆)
 隣接スキー場:湯沢高原・布場・一本杉ゲレンデ(新潟県湯沢町)


<碑文>
 国境の長いトンネル
  を抜けると雪国
 であった 夜の底が白くなった
 雪国より 川端康成
 
言わずと知れたノーベル文学賞受賞作家の文学碑は、越後湯沢にありました。
この主水(もんど)公園から、駅をはさんだ向かい側がスキー場です。


②三浦綾子 「道ありき」
 隣接スキー場:公園内のクロスカントリーコースとちびっこゲレンデ
        (北海道旭川市) 


<碑文>
 三浦綾子 道ありき

 そして何を思ったのか
 彼は傍らにあった
 小石を拾いあげると、
 突然自分の足を
 ゴツンゴツンと
 つづけざまに打った。

 自分を責めて、
 自分の身に石打つ姿の
 背後に、
 わたしはかつて
 知らなかった光を
 見たような気がした。

この碑は、作家の暮らした北海道旭川の春光台公園に建てられています。
キリスト教の女流作家として、信仰に根ざした敬虔な作品を多く残しました。

中でも、繰り返しドラマ化されて来た「氷点」は、ご存知のはずだと思います。
他にも、「塩狩峠」やこの「道ありき」は、代表作として知られています。

全著作で約四千二百万部の発行部数は、ベストセラー作家の証とも言えそう。
一方、この公園は、スキーの歴史とも係わり合いが非常に深い場所でした。

なぜなら、明治45年2月、オーストリアのレルヒ中尉が旭川を訪ねています。
その際、陸軍や旭川中学の学生にスキー操作の指導をしたと記録があります。


③石坂洋二郎 「若い人」
 隣接スキー場:横手公園スキー場(秋田県横手市)


<碑文>
 小さな完成よりも
 あなたの孕んでいる未完成の方が
 はるかに大きいものであることを
 忘れてはならないと思う

 「若い人より」

秋田県横手市は、作家石坂洋次郎のなりたちに深いつながりを持つ町です。 
健全な常識に立った明快な作風は、この横手の教師時代に確立されました。

ただ、碑文の「若い人」は前任地の弘前の女学校の体験が強いと思います。
舞台の港町が、何となく青森を思わせるところがあり、青い山脈もそうです。

確かに、横手中学校で教えていた頃に、この作品が生まれたのも事実です。
文学碑は横手公園にありますが、この裏手に小さなゲレンデが存在します。


④辻村もと子 「馬追原野」
隣接スキー場:長沼スキー場(北海道長沼町)


<碑文>
強欲な冬の力に抗するように、時折、ぱあっと明るい名残の陽ざしが顔をだすのだが、その光は明るい割に弱々しく、すぐ灰色の雲に押し付けられて、ガラス屑のような硬いこまかな雪片が風と一緒に横なぐりに野面をおおってしまう。馬追の開墾地の人々は、まだ畑に掘り残してあった馬鈴薯の残りを総がかりで小屋に運んでいた。

この作家は、早世したため作品数が少なく、ほとんど知られて降りません。
ただ、この作品で第一回樋口一葉賞を得ており、実力はあったと思います。

作品は、本人の父をモデルにして明治初期の困難を極めた開拓を描きました。
文学碑のあるマオイ文学台へは、長沼スキー場から観光道路がつながります。


⑤林芙美子 (河合倶知安郵便局長の求めに応じた色紙)
隣接スキー場:ニセコ グラン・ヒラフスキー場(北海道倶知安町)



<碑文>
 青き山なり
 ニセコの山は
 吾(わが)心また青々
 心涼しむ

代表作は「放浪記」で、放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説が有名です。
この歌碑はスキー場公園にありますが、天気次第で盤面に羊蹄山が映ります。

風光明媚な観光地ですから、歌碑になかなかしゃれた工夫が生きていますね。
本人もこの土地が気に入ったようで、印象を求めに応じて色紙に残しました。


⑥小林一茶 (代表句)
隣接スキー場:黒姫高原スノーパーク(長野県信濃町)



<碑文>
 蛙たゝかひ見にまかる。四月廿日也けり。
   痩蛙 まけるな一茶 是に有
     一茶(七番日記)

誰もが知る、一茶の代表的な俳句の句碑が、スキー場内にあります。
一茶の句碑は、全国に三百を超えますが、39番目に数えられると言います。

実際のところ、冬になれば、句碑は雪の下でほとんど気づかれないようです。
他方、この句碑は全国各地にありまして、都内には足立区炎天寺にあります。


⑦竹久夢二・若山牧水 (歌碑)
隣接スキー場:聖高原スキー場



<竹久夢二碑文>
 番場峠の五月の花は枝は東に根は西へ

<若山牧水碑文>
 山に入り雪の中なる朴の木にから松に何とものを言ふべき

夢二は、大正13年の春、猿ヶ番場峠の当地を訪れて、この歌を残しました。
聖湖のような地名を使わなかったのは、当時はばんばと言っていたからです。

後年、池が造成されて、近くの聖山を引用して、今の名前へ変わりました。
次に、聖湖から聖高原スキー場に向かうと、若山牧水の歌碑があります。

明治から大正へ変わる頃、牧水は歌会のために信州麻績村を訪れています。
旅を愛し、旅にあって随所で歌を詠んだ漂泊の歌人らしく、一首詠みました。


というわけで、文学碑は他にも残されておりますが、これくらいにしておきましょう。
与謝野鉄幹、長塚節、貞心尼などの碑文もあるのですが、どこのスキー場にあるのかは、謎解きとしてご自分で調査いただくとして、オフシーズンには観光がてら、ぜひお訪ねいただきたいと思うのでした。


おまけ:
与謝野鉄幹歌碑
長塚節歌碑
貞心尼歌碑


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2015年7月17日金曜日

帆・ランプ・鴎ですぐ分かる人は、かなりの文学マニアだと思うよ - 月山スキー場(山形県)

 ”砲塁”

 破片は一つに寄り添はうとしてゐた。
 亀裂はまた微笑もうとしてゐた。
 砲身は起き上がつて、ふたたび砲架に坐らうとしてゐた。
 みんな儚い原形を夢みてゐた。
 ひと風ごとに、砂に埋れて行つた。
 見えない海──候鳥の閃き。

 (詩集「帆・ランプ・鴎」より)

言わずと知れた、詩人 丸山薫の代表作のひとつなんだだそうです。
高校時代、現代国語の授業で習ったのですが、さっぱり分かりませんでした。

何でも、先生によれば、この詩は、大きな時間の”循環”を表しているのだとか。
”儚い原形”を夢見ている”みんな”って、誰のことだろうか、兵士かもしれない。

タイトルが砲塁だし、砲身や砲架のような大砲に関わる言葉も使われています。
この詩が収録された詩集は、戦前の昭和七年で、5.15事件が起きました。

軍部が台頭する中、武装した青年将校たちが総理大臣官邸に乱入します。
時の内閣総理大臣 犬養毅が殺害された大事件ですが、正にクーデターです。

これから、一気に十五年戦争という暗い世相へ突入しますが、その予兆なのか。
だから、はかない夢を見て、負け戦の記憶が砂に埋れて行つたというのでしょうか。

でも、作者の詩は、印象派風の鮮明なイメージがあり、知的で清純な作風です。
昭和期の抒情詩新風として迎えられた中で、反戦的な意味だったのでしょうか。

まあ、これ以降の試作のスタイルを見ますと、そんな風には思えない分けですよ。
たまさか、表現したい内容と時勢がシンクロしてしまったのかもしれません。

 ”白い自由画”

 「春」という題で
 私は子供たちに自由画を描かせる
 子供たちはてんでに絵の具を溶くが
 塗る色がなくて途方に暮れる

 ただ まっ白い山の幾重なりと
 ただ まっ白い野の起伏と
 うっすらとした薄墨の陰影の所々に
 突き刺したような疎林の枝先だけだ

 私はその一枚の空を
 淡いコバルト色に彩ってやる
 そして 誤って まだ濡れている枝間に
 ぽとり!と黄色のひと雫を滲ませる

 私はすぐ後悔するが
 子供たちは却ってよろこぶのだ
 「ああ まんさくの花が咲いた」と
 子供たちはよろこぶのだ

 (詩集「北国」より) 

ところで、この詩人は、夏スキーで有名な月山スキー場の周辺に縁があります。
終戦を挟んで約三年間、西川町の岩根沢に戦火を逃れ、疎開していました。

しかも、そこにある国民学校の教壇に立つかたわら、詩作活動も続けたのです。
かの地では代用教員として働きつつ、四冊の詩集を生み出すなど旺盛でした。

タイトルも、北国、仙境、花の芯、青い黒板など、当時の生活を繁栄したもの。
そこで、地元との交流も育まれたことから、丸山薫記念館の設立になったのです。

この「白い自由画」という詩ですが、この教員時代の体験を踏まえたものでしょう。
雪深い北国で、子どもたちの春を待つ純朴な心が、目に浮かぶような情景です。

まんさくの花は、春に先駆けて「まずさく花」が「まんさく」になったとも言われます。
こぶし、カタクリなど春を告げる花はありますが、この詩にはこの花の色でしょうか。



それで、この記念館は、何かの観光案内で知ってから、何となく気にしていました。
当時、良く出かけた月山スキーの帰り道ならば、途中で手軽に立ち寄れます。

こうして、国道からそれ、山側へ分かれた急な細い舗装道路を、登り始めました。
次第に耕作地も広がり、民家も散在するようになりますが、そこが岩根沢です。

入館者は自分一人だけで、ひっそりとする中、受付の方がいらっしゃいました。
パンフレットに記念の手作りのストラップまでもらいましたが、二百円では心苦しい。

というわけで、そんな気持ちを抱く、地元が愛して止まない詩人の記念館でした。
施設自体は、ささやかなものですが、詩人がこの地で一時期を暮らした証とするには十分なものでして、山形の四季折々の風土とはるかに眺められる月山のたおやかな容貌が、創作意欲に火をつけたのは確かだったのだろうと、思うのでした。


おまけ:



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2015年7月14日火曜日

国宝と芸術の街、十日町市にまで広がるゲレンデ - 上越国際当間スキー場(新潟県)

グーグルドライブはこちらから

上越国際のゲレンデは、だだっ広い印象がかなりありますが、これは事実です。
スロープをつなげば、南魚沼市から魚沼丘陵を越えて、十日町に入ってしまいます。

つまり、魚沼盆地から信濃川沿いの十日町盆地に向かって丘陵を横断するのです。
距離も長く、スキー客で混雑していた昔は、一日で滑りきるのは絶対に無理でした。

十日町の当間ゲレンデに到達できても、リフトの運転時間が残り少なくなってしまう。
乗り継ぐ時間が足りず、駐車場まで帰って来れなくなる可能性が大いにありました。

もし帰れなくなったら、六日町方面へ戻るためにタクシーを呼ぶしかなくなります。
一万円のお札が飛ぶように、タクシーメーターがどんどん回るのは必至でしょう。

もし、カップルや家族連れで滑るなら、無理せず近場のスロープでお茶を濁します。
緩斜面のスロープが中心ですから、どのゲレンデを滑っても大差がないのでした。

まあ、ガツンと滑り込みたいガッツなスキーヤーには、ちょっと物足りなく感じます。
標高もさほど高からず、雪質の良い時期も短くて限られてしまって少し残念でした。

一方、この当間(あてま)ゲレンデのある十日町市は、芸術の街としても有名です。
観光協会のHPを見ると、興味を引く美術館・博物館がいくつか紹介されています。

自分としては、スキーシーズン以外の季節に訪れることを、ぜひお勧めしておきます。
先ず、国宝指定の火焔式縄文土器ですが、十日町市博物館でしっかり見学できます。

HPはこちらから訪問ください

さて、次に紹介するのが、廃校になった小学校を活用したミティラー美術館です。
集落は、昭和59年の豪雪で放棄されてしまい、学校そばのため池が残りました。

ヘラブナ釣りで竿をたれている太公望もいたりして、のどかな風景の美術館です。
古い校舎には、インド人の少数民族も住み込んで、作品制作にいそしんでいました。

インドのコスモロジーあふれる豊かな民俗芸術を収集、展示という、うたい文句です。
コスモロジーって宇宙観を差し示すようですが、なんだか雲をつかむような話みたい。

その昔、インドは麻薬の大麻が合法で州政府公認のガンジャ販売店が実在しました。
欧米のヒッピーが大挙してインドに流れ込み、麻薬をくゆらしてはハイになったのです。

そんな気分に浸れば、宇宙でもさまよった気分になったんじゃないかと、思うのです。
ただ、自分的には、コスモロジーの言葉は死後に近くて、ヒッピー文化の名残でしょう。

さて、館長の長谷川時夫さんは、音楽集団のタージ・マハル旅行団に参加しました。
作品はユーチューブでも聞けるのですが、実にサイケデリックでしてよく分かりません。

ハイな気分にでもなって、音楽が頭上をグルグル回ったらコスモロジーなんでしょうか。
よくは分かりませんけど、インド政府より世界に類がないものと高く評価されています。

というわけで、他に”星と森の詩美術館という詩情豊かな名前の美術館もありました。
“街にゆとりとうるおいを”を理念とした企業美術館で、郷土にゆかりのある作家の収蔵品を主体とする美術館で捨てがたいですし、過疎高齢化の進む日本有数の豪雪地・越後妻有を舞台とした、越後妻有アートトリエンナーレは、世界最大規模の国際芸術祭として知名度もありますから、ぜひ十日町の藝術鑑賞に触れていただきたいと思ったのでした。


おまけ:
ミティラー美術館HPはこちらから
B-ing検索より ワルリー絵画
星と森の詩美術館HPはこちらから


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2015年7月11日土曜日

二時間千五百円ポッキリと二千円朝食バイキング - 奥志賀高原スキー場(長野県)

パンフレット
グーグルドライブはこちらから

朝6時から8時までの早朝二時間だけですが、リフト券が格安で千五百円でした。
シーズン終了直前の春スキーなので、スキーヤー謝恩もかねているとは思うのです。

この二時間は雪がまだ締まっており、それほどベタつかないので重くありません。
雪に引っかかりを感じないで快適な滑りを楽しむには、この時間帯が最高でしょう。

ただ、このリフト券情報は、ホームページをじっくり眺め回さないと見つからない。
来てもらったら儲けが少ないとばかりに、宣伝する気がないような書きっぷりです。

それでも、しっかり見つけ出したあたりは、スキーフリークの執念かもしれません。
それに、奥志賀高原ホテルの朝食バイキングが、二千円で楽しめるとありました。

これも、ホームページにはさらりと書いてあり、つい見落としてしまいそうです。
時間は、7時から9時までの二時間なので、早朝スキーの後でも食事ができます。

そこで、上さんには、このバイキングで先にゆっくり楽しんでもらうことにします。
自分は、勇んでリフト券売り場に並びましたが、なんと索道が故障で動きません。

しかもゲレンデ整備の雪上車がコース上で故障するなど、ハプニング続きなのです。
運転開始が三十分遅れだと、そんなアナウンスも流れて、ちょっとイラつきました。

リフト券(平成27年5月3日滑走)

でも、二十分くらいの遅れでリフトが動き出して、やれやれといった感じでしたね。
早朝なのに、二三百人は行列を作ってリフトに乗ろうとしており、にぎわいます。

それで、うっかりしてスキー手袋を持ち忘れてきたのに、着替えで気がつきました。
これは困ったと思いましたが、予備の厚手のスポーツソックスだけはあります。

こうなったら、恥も外聞もないのですが、これを手袋代わりにするしかありません。
ただ、綿のソックスですから、雪で濡れて来ると冷たくて、これには閉口しました。

こうして、高速ペアリフトを乗り継いで、手始めに頂上のコースを滑りはじめます。
ほとんど休まずに滑っては乗り、滑っては乗りで、五本くらい滑走したでしょうか。

遅れていたゴンドラもようやく動き出してくれて、そちらのコースへ移動します。
このコースは、滑走距離が長くてノンストップで滑ると、ヒザがつらくなります。

でも、斜度が適度にあって、圧雪車でコース整備してくれますので滑りやすい。
二回ほど楽しみましたが、最後は途中で転んでしまって、背中で滑り降りる始末。

早朝ゲレンデは人がいないよ~ん

コース脇の土手に、息もできないほどにぶつかってしまって、やっと止まりました。
打撲かもしれず、体をひねると痛みも少し走るし、癒えるのに時間もかかりそう。

あと何年かで還暦なのに、年寄りの冷や水かもしれず、体力がかなり衰えています。
鍛えておかないと、楽しみに残してある穂高岳・槍ヶ岳が登れないかも知れない。

これでも、百名山の半分は登ったほどの山屋でも、そう思わざるを得ない結果です。
というわけで、残念、ちょっと老いを感じてしまった、スキー納めとなってしまいました。

この後、奥志賀高原ホテルの朝食バイキングを上さんと楽しんだのですが、テレビで見かける俳優さんも宿泊に来ていたと上さんが話してくれたあたり、さすが格のあるホテルだと思いつつ、朝食に舌鼓を打つ自分がいるのでした。



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