2014年3月30日日曜日

一晩、津軽ナイター三兄弟(その一) - 岩木山百沢スキー場 (青森県)

平成4年1月1日滑走

要するに、スキー場を強行にはしごした分けです。
ナイターで三ヶ所も滑ってしまいました。

営業時間が短いにもかかわらずです。
せいぜい、夜九時まで四五時間でしょうか。

日中は、朝の八時から夕方四時まで八時間とたっぷりです。
それに比べると夜間はかなり短い。

でも、移動しながらそれができてしまったのです。
場所は、津軽の小京都、弘前でした。

ここには、津軽の名峰、岩木山があります。
その麓の百沢スキー場へ続けて出かけました。

先ず、鯵ヶ沢から雲谷スキー場へは、すでに滑り終わりました。
あの時は、お正月休暇でゲレンデを訪ね歩いていたのです。

ただ、青森市郊外の雲谷からはかなり遠かった。
途中、黒石の日帰り温泉で道草したせいもあります。

さて、このスキー場ですが、一枚バーンのゲレンデでした。
滑りやすくて、結構、混雑してましたね。

昼間だと岩木山が見るみたいです。

まあ、このスキー場は軽く滑り終わりました。
まだ、ナイターの営業時間は十分残っています。

こうなったら、近場のスキー場に移動しましょうか。
そこで、ゲレンデガイドに道路地図帳と見比べっこです。

そう言えば、そうま何とかと言うスキー場もあったな。
一時間もかからないと判断して決行ですよ。

移動を開始したんですが、この途中でハプニングもありました。
それが、次のスキー場だった分けです。

そのお話は、次回の楽しみといたしましょう。


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2014年3月28日金曜日

山スキーの出発点 - 車山高原スキー場(その二) (長野県・諏訪)

昭和61年3月1日滑走

このスキー場の最上部は、霧が峰です。
三菱のルームエアコンで有名になりました。

ただ、スキー場の名称は車山です。
いくつかの峰の高原を総称して霧が峰なんですね。

最高峰が、車山ということになっています。
標高1,925メーターですから、高山には違いありません。

ゲレンデスキーもいいですが、ここは山スキーが最適です。
このスキー場頂上から、北側に格好のコースが広がります。

もっとも、エコーバレー、ブランシュたかやまもこの高原に接します。
山スキーなら他のスキー場へはしごができてしまいます。

自分もゲレンデはそっちのけで、クロスカントリーに挑戦しました。
先ず、冬山装備にスキーを結わえ付けてゲレンデを登ります。

35度の壁で高度を稼ぎますが、これが苦しい。
滑らないように登山靴にアイゼンを付けてゆっくり登攀です。

滑走するスキーヤーには、じろじろ見られました。
カラフルなウエアとはあまりに場違いな、山屋のいでたちです。

しかも、結わえ付けた細長いスキー板も特徴的です。
この人、何しに来たのだろうと思われたのでしょう。

ようやく、三百メーター以上を上り詰めました。
ここが、山頂の展望で周囲の視界も大きく広がります。

さて、ここからクロスカントリーの板を履きました。
後は、登山地図の道筋を参考にして、雪原を歩き出します。

グーグルドライブはこちらから

まず、最初に北側にある北の耳を目指しました。
ここは、エコーバレースキー場の山頂部に当たります。

スキー板が細くて深雪に埋もれてしまうのですが、これも楽しい。
滑り出すより、板を機械的に上下しながら前進します。

一時間は歩きましたでしょうか。
半円形のカーブを描いた耳の頂部に達しました。

おっ、ゲレンデにはたくさんのスキーヤーが滑っております。
谷底のほうへ、みんな降りて行くんですね。

これが山彦谷、エコーバレーなのでしょう。
なるほど、リフトを乗り継いで上がるのとは印象が違います。

なだらかな平原を歩けば、下り斜面に出会ったぐらいでしょう。
ほっとしまして、ザックをおろして昼食です。

コンロでお湯を沸かしてインスタントラーメンにしました。
すると、興味のある人が寄ってきて声を掛けます。

皆さん、意外に山スキーのコースを知らないようです。
一応、説明だけはしておきました。

続けて、西側の湿原へ足を伸ばして車山に戻ります。
それから、ここで一泊するのでテントを設営しました。

というわけで、この一泊が失敗の元になりました。
ゲレンデの縁、稜線の場所には人口雪が降りかかります。

降雪機のコンプレッサー騒音も大きくて眠られません。
朝起きたらテントもガチガチになり、撤収にかなり苦労しました。

何もゲレンデスキーだけじゃないんですよ。
かぐらみつまたもそうですけど、山スキーがミックスできる場所は多い。

そんな車山の思い出でした。


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2014年3月26日水曜日

末っ子の妹らしいスケール - エコーバレースキー場(その3) (長野県・諏訪)

グーグルドライブはこちらから

スイスはアンデルマット・スキー場と姉妹提携らしいです。
その証拠に、現在のホームページでも関連ロゴが使用中でした。

このスキー場って、規模とか設備とかまったく知りません。
ヨーロッパアルプスだから、なんか格上年長イメージがあります。

そうならば、エコーバレーは妹なのかもしれません。
ここのゲレンデは、リフトが9本と一応そろっています。

ただ、もっとも長いので六百メーターに満たないのです。
距離がちょっと帯に短したすきに長しでしょう。

それでも、リフトを乗り継げば、ダウンヒルも楽しめます。
最上部から、2キロ半ですからかなりです。

ただ、途中がユルい斜面で一気に降りる人がいるのかどうか。
最上部に並んだリフトを反復滑走するんじゃないでしょうか。

中上級者向けですが、言われるほど斜度もない感じです。
一方、ガッツのある人向けのコースもないわけではない。

アンデルマットゲレンデといいまして、35度の壁です。
これが、管理センターの前面に立ちはだかっています。

いきなり、ゲレンデ麓から見上げて絶壁なんですよ。
普通は、最上部が上級コースになるものでしょう。

平成3年3月30日滑走

つまり、このスキー場、レイアウトがさかしまなのでした。
なぜかというと、ピークが二つあるせいです。

一つ目が殿上山で、上級コースが設けられました。
こことは別に、まず右の山彦谷を経て別の山頂に至ります。

この山頂がゲレンデマップにある通り西の耳です。
確かに、行くとわかりますが、形が耳らしく見えます。

私見ですが、無理して造成したと思いました。
だったら、お姉さん格のアンデルマットはどうなのか。

ものすごく興味もわいてきました。
こういう時、今はネットがあるから便利です。

図書館なんかに行く必要もない。
調べると資料がすぐに見つかりました。

クリックで拡大します

なんと最上部は、標高三千メーター近くです。
最初のロープウェーだけで、標高二千メーターを軽く超えます。

これはゲレンデスキーというより、山岳ツアースキーでしょう。
ちょっと、スケールが違いすぎるんじゃないでしょうか。

なので、エコーバレーは末っ子の妹ですね。
お姉さんから見たら、かわいいかわいいゲレンデなんでしょう。


おまけ:


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2014年3月24日月曜日

どんづまり、混雑回避、ただそれだけ - 三国スキー場 (新潟県)

たぶん昭和60年12月15日滑走

このスキー場、二回滑りに行ったようです。
一回目は、リフト券がストックに貼り付けていました。

このタイプは、苗場スキー場で紹介しました。
多分、翌日に東京へ戻る際に、寄り道したと思います。

先ず苗場を出ると、国道17号線から353号線に入ります。
このどん詰まりが、三国スキー場です。

つまり、この国道には不通区間があるわけです。
隣県の群馬四万温泉に入って、改めて道路が現れます。

このため、帰りはピストンみたく分岐まで戻らねばなりません。
後は、東京に戻るなら三国峠のトンネル越えが近道です。

それで、二回目に滑った時は、ごく不通のリフト券でした。
可もなく不可もないデザインなんですね。

平成5年5月4日滑走

ゲレンデ自体も、三本のリフトでそれほど長くありません。
この内、二本を乗り継ぐと多少滑走距離が取れます。

最長滑走距離、2.5キロって説明がありました。
自分の記憶だと、そこそこ長いものの、緩やかだった感じです。

まあ、滑りきってしまって反復的に何回でも繰り返す。
そのうち、ゲレンデのレイアウトになれてしまう。

そして、これで十分だと思ったらお帰りモードです。
つまり、このスキー場は半日モードの印象があるのです。

クリックで拡大します

確かに、ゲレンデレイアウトはリフトの少ない分、変化に乏しい。
もし、滑り込みの利く圧雪バーンがあれば楽しめたかもしれない。

平均斜度25度くらいなら、ガッツに滑って楽しめたはずです。
こうなると、繰り返して滑走感が楽しめるというものです。

でも、林間コース風に滑るゲレンデでは客層も違います。
家族連れで楽しめたら、それで良い感じだったのでしょうか。

それとも、苗場の混雑を回避する役割だったのでしょうか。
それにしても、交通の便のかなり悪いスキー場でした。

だから、閉鎖されてしまったのでしょう。
今なら、苗場でも余裕で滑ることができます。

そんな、三国スキー場の思いでなのでした。


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2014年3月22日土曜日

名称勝ちのビーナスライン - ビーナスラインスキーエリア索道協会 (長野県)

グーぐるドライブはこちらから

昔は、地域のスキー場を紹介したパンフレットが無料配布でした。
中でも、この索道協会は頻繁に発行していたと思います。

今回紹介するパンフレットは、平成6年のシーズン向けです。
当時、15ヶ所のスキー場が参画しました。

残念ながら、現在のところ四ヶ所が廃止されてしまいました。
一方、残ったスキー場は健在で、ホームページから確認できます。

グーグルドライブはこちらから
  
このビースラインという道路は、観光目的で開発されました。
今から半世紀近く前、公募で名称が決定されたとあります。

なかなか素敵な名前で、ヒントになった女神湖も存在しています。
これは、蓼科山の麓にありますが、白樺高原国際スキー場のそばです。

地図を見ますと、道路沿いにスキー場がきれいに展開しています。
規模もまちまちですが、小規模なものが休止に追い込まれました。

集客力では見劣りしたということでしょう。
それでも、池の平ホテルに併設されたのものは、運営中です。

宿泊客向けに、手軽に利用できる点が勝ったということでしょうか。
これも、スキー場の安近短と言っていいかもしれません。

旧廃止されたゲレンデですが、すでに個別に紹介したものもあります。
和田峠国設がそうで、これから掲載する機会が増えて行くでしょう。

この道路は、夏場の登山にもよく利用し運転しました。
平均標高1,400メーターですから、高原地帯のさわやかさは格別です。

でも、冬場のスキー場行脚で雪道はもっと親しみました。
もっとも、ボディーをこすったりして事故まがいもありましたけどね、、、、


おまけ:


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2014年3月20日木曜日

道産子にもなつかしいゲレンデ - 聖ヶ丘スキー場(聖山パノラマスキー場)(長野県)

平成5年3月6日滑走

このスキー場は、偶然にたどり着けました。
聖高原スキー場を滑った後で探し当てたのです。

一枚バーンだと、何となく変化に乏しいものがあります。
一気呵成に回数券を一時間半で滑りきってしまいました。

そうなると、次のゲレンデへ移動したくなってしまう。
そこで、車に置きっぱなしのゲレンデガイドに目が行きます。

ぺらぺらめくりましたが、聖ヶ丘スキー場に目が止まりました。
所在も、隣村らしい大岡と所在が書かれていました。

こうなれば出かけてみるしかありません。
車にそそくさと乗り込むと、猿ヶ馬場峠の国道までまず戻りました。

グーグルドライブはこちらから

ここで、道路標識をしっかり見かけたんですね。
ちゃんと、大岡と書いてあったのです。

これを信じて進んでみるしかありません。
もし、市街まで降りてしまったら、誰かに聞き出そう。

そんな気軽な冒険心もあって、車を走らせます。
それで、この道路が下り坂で結構な曲がり道です。

分譲の別荘地らしく、道がよく枝分かれします。
ただ、メイン道路だけは幅があるので見当はつきました。

15分くらいも運転しましたでしょうか。
視界が広がったと思ったら右手にバーンが見えました。

リフトも稼動しているのがうかがえます。
これが目的のスキー場なんじゃないでしょうか。

クリックで拡大します

後は、駐車場に車を止めて滑ってきました。
五回分リフト券を購入して、一枚記念に残しました。

このスキー場ですが、客が十人ほどとまばらです。
管理棟もプレハブ作りでこじんまりと質素でした。

しかも、券売り場やら休憩室兼食堂が一つ屋根です。
本当にシンプルな施設としか言いようがありません。

でも、道産子としてはすごく懐かしさを覚えました。
北海道には、こんなスキー場がここかしこにあるのです。

たいていはリフトが一本ですし、バーンの規模も似通っています。
でも、何となく滑っていてホッとするんですね。

だから、廃止になったと聞いて残念に感じました。
聖高原とセットで滑れば、それなりに楽しめたはずですから。


注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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2014年3月18日火曜日

旧国鉄時代の日帰りパック - カムイスキーリンクス (北海道・道北)

昭和61年12月30日滑走

団体リフト券だったのには、理由があります。
札幌から往復列車の日帰りパックを利用しました。

当時、JRの移行前で国鉄時代のスキー企画です。
一日リフト券と乗車券がセットになっていました。

たぶん、八千円くらいだったのではないでしょうか。
札幌からは特急の自由席が利用できました。

一時間半も掛からずに深川駅に到着して下車します。
そこからスキー場までは、シャトルバスに乗りました。

日付から見ますと年末ですので、帰省していたはずです。
あの頃、母が亡くなって久しく父親が一人暮らしでした。

自分は東京に就職していたので、まず空路で戻りました。
ただ、帰って自宅にいてもすることがありません。

男親なんて、さしたる話題に花が咲きようもないのです。
それでも、正月三箇日は親父と一緒に過ごすつもりでした。

未だ日もあるから、自分のために時間を使おうか。
そんな気持ちで出かけたんだと思います。

一方、内地には懐かしいシュプール号もありました。
あちらは、夜列車がメインで鈍行ののんびり旅です。

グーグルドライブはこちらから

今なら、上越のガーラ湯沢へ新幹線で日帰りできます。
時代はどんどん便利になっていくものです。

さて、このスキー場、国設神居スキー場が前身でした。
第五リフトだけで、中心ゲレンデからかなり離れています。

実に、ポツンとしていて奇妙なレイアウトです。
これも、ゴンドラでご一緒したスキー客が教えてくれました。

だから、新たに開発し直したといったほうが正しい。
それだけ、神居山の山容がゲレンデに向いていたのでしょう。

というわけで、スキーヤーなら旭川と言えばここです。
ラーメンに旭山動物園だけじゃない、そんな風に思うのでした。


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2014年3月16日日曜日

伝説の阿屋須王国にゲ​レンデが - 雲谷スキー場 (モヤヒルズ) (青森県)

平成4年元旦滑走!

この日、余りに滑りすぎて記憶が飛んでいました。
まめに滑走記録を取っていたのが幸いです。

正確には、平成四年一月一日の元旦、お正月。
五ヶ所を滑り回った強行軍になりました。

まるで、八甲田山死の彷徨みたいなものです。
回った順番をおさらいしてみましょうか。

鯵ヶ沢スキー場
雲谷スキー場
③ 岩木山百沢スキー場
④ 東目屋スキー場
⑤ そうまロマントピアスキー場

さて、この二番目が全くすっぽり抜けていました。
日中のスキーは、この二ヶ所で終えています。

三番目からが、ナイター滑走になりました。
地図をご覧の通り、かなりの移動距離です。

クリックで拡大してね

まあ、走り滑って回り狂っていた感じです。
これ以上、短日で数をこなすのは無理でしょう。

このゲレンデは、青森市の郊外にありました。
まさに市民スキー場の性格を持ち合わせています。

でも、リフト券のキャラは何を意味しているのでしょうか。
この若者は、弥生時代の服装で髪型も特長的です。

みずら”なのですが、スキー場との関係は一体何なのか。
ミステリーといった気もして、まずググってはみました。
駐車券
多少、縄文時代の遺跡が近辺では発掘されたようです。
ですが、稲作の弥生時代とは合致していません。

何かしっくり来ませんが、とにかく古代にあやかったのでしょう。
髪型の知られている範囲で安易に設定したキャラだったのか。

一方、リフト券の右上端がちょっと気になり始めました。
”阿屋須王国”とっしっかり刷られているのです。

スキーとの関連性をあまり感じませんが、重要なヒントです。
もう一度、ネットでこの言葉をググってみて、驚きました。

ここ、雲谷峠には、古代に王国があったらしいのです。
アイヌの女酋長、阿屋須(オヤス)が館を構えていた言い伝えです。

昔、弟の頓慶(トンケイ)と共にこの地を支配していたとか。
ただ、征夷大将軍の坂上田村麻呂に滅ぼされたと言います。

こんな伝説が残されていたなんて、初めて知りました。
しかも、これにちなんだイベントも開かれていたようです。

だから、古代にあやかったキャラの設定なんですね。
滑った時分、おかしな印象だったのが、今ようやく氷解しました。

でも、残念ながらゲレンデの記憶が薄いままなのです。
そして、この若者(弟)だけが、想像の世界を一人歩きしているのでした。


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2014年3月14日金曜日

タンクが凍りますた? - エコーバレースキー場​(その2) (長野県・諏訪)

昭和61年3月16日滑走

ガソリンタンクが凍りました。
うそだよ、凝固点はマイナス90度ですから。

確かに、凍る温度はそうでしょうが事実は違いました。
本当に凍ったらしく、エンジンが掛からなくなりました。

場所は、大門峠の交差点です。
直進しますとエコーバレースキー場に至ります。

ところで、標高千四百メーターの交差点はすご過ぎです。
現在は交通信号も付いているようで、なおさら驚きました。

あの時、大学の同窓生と話して日帰りスキーを決行しました。
朝三時に起きて、近所に住む友達を拾い車を飛ばします。

ノーマルタイヤで峠までは珍しくスムーズに来れました。
でも、この峠から下り道が、時節柄、圧雪になりやすい。

多少きつめのカーブも多くて、スリップでグリッと回転するのも怖い。
これに用心しまして、チェーンをタイヤにかけました。

さて、出発とエンジンをかけた瞬間です。
スターターの音だけがむなしく空回りしています。

つまり、エンジンが掛からないままです。
さっきまで問題なく動いていたのに変だと思いました。

まあ、白樺湖畔の市街にはガソリンスタンドがあります。
何とかしてくれるだろうと考えて、トボトボ歩きました。

無論、友達も付き添ってくれました。
でも、マイナス十度の朝は厳しく、身も心も冷え込みます。

さて、やるせない気持ちで何とかスタンドまで到着です。
早速、事態を説明しながら修理してよと、問いかけです。

スタンドの人は、フッと笑って我々を見るのです。
それから、車をレッカーすると言ってくれました。

あの笑いは何なのでしょうか、ひょっとしてよくある話かもしれません。
最終的には、車は簡単に復帰しましたが冗談に近い。

後輪をジャッキアップしたら、なんと温風でタンクを暖めるだけです。
しかも、約5分、するとエンジンがブルルンと起動しました。

リフト券(裏) あの頃は、まだ平たい板でした

何だか、呆気にとられてしまいました。
所長が、タンクの中の水分が凍って吸引口を塞いだと言います。

燃料のガソリンが、気化器までどうやら到達しなくなったらしい。
加えて、念のために水抜き剤も注入してくれました。

この料金にプラスして、お礼にガソリンも満タンにしたら、これが高価です。
レギュラーでリッター170円もしました。

当時は、リッター130円程度だったと思います。
今考えたとしてもかなり高く、観光地プライスだと納得させてしまいました。

つまり、水抜き剤は絶対必要だと、貴重な体験をしたわけです。
年に一回は、カー用品店で購入して注入するのをお勧めします。

これは、寒い寒いスキー場への必需品に違いないのです。
これを変に納得した日帰りスキー旅行になってしまいました。


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2014年3月12日水曜日

進化をやめても種は生き残る - ホワイトバレースキー場 (群馬県)

昭和62年3月1日滑走

無骨なリフト監視員に怒りました。
リフト回数券をもぎ取られたんです。

後一回で使い切ったら記念に持って帰ろう。
そう思って、腕につけたホルダーを差し出します。

相手も、ハイ、終わりねーとか言いました。
その途端、ハサミも入れずに外されてしまいました。

あれっと思った瞬間、リフトに乗っております。
悔しくもあったのですが、そのまま上がってしまいました。

なので、このスキー場は駐車券しか残っておりません。
でも、行って滑ったのには変わりありません。

このスキー場、リフト二本でこじんまりしています。
谷川温泉の渓谷沿いに開かれたせいか、駐車場も小さい。

このため、これ以上ゲレンデは広がりを見せておりません。
昔からのまま、変わらずに営業が続いております。

まあ、首都圏からなら高速の水上インターで降りればかなり近い。
関越トンネルをくぐることもないし、時間が節約できます。

ただ、もっと近くにノルン水上スキー場ができてしまいました。
あっちの方は、それなりにゲレンデのバリエーションもある。

滑る楽しみだったら、あちらに軍配が上がりそうです。
ますます、客足が遠のくかというとそれほどでもない。

つまり、温泉宿に近いというメリットは捨てがたいのでした。
日本スキーヤー独特の温泉+スキーが見事にマッチです。

しかも、ゲレンデも拡張せず既存のみで堅実に営業しています。
過大な投資もせず、主に首都圏からの客を受け入れるだけ。

こういうスキー場もあるのですよ。
身の丈にあって自然体で経営しているのでした。

さて、ここは日帰りの行楽もかなり楽しめます。
ただし、滑るというより湯に浸かるのがメインです。

グーグルドライブはこちらから(滑走当時のパンフ)

そこは、日帰り温泉施設の”湯テルメ谷川”です。
じっくり温泉に浸って疲れを癒すのも一興でしょう。

滑るもよし、紅葉もよし、谷川岳の登山もよし。
そんな、マルチな観光地に合わせたゲレンデなのでした。


おまけ:

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2014年3月11日火曜日

週末はすべてスキーだった頃 - 車山高原スキー場(その一) (長野県・諏訪)

昭和61年2月22日滑走

毎週末、一泊二日で出かけました。
自分なりに活動基地を持っていたのです。

それは、白樺湖ユースホステルです。
宿泊費がかなり手ごろで、一泊二食付です。

おにぎりの昼飯も用意してくれました。
たしか、二百五十円をプラスするだけだったようです。

総額、四千円も掛けずに泊まってうれしかった。
つまり金をかけないで滑りまくっていたということです。

それでも、二十代の頃、よく金が保ったと思います。
一回あたり、予算は二万五千円から三万円。

ガソリン、高速、宿泊、リフトなどの費用が含まれます。
スキー場は、一日一ヶ所で計二ヶ所を回りました。

時には、ツマミ食いで追加に滑るときもあるのです。
結果、毎月十万円以上の出費になりましたね。

自分なりにはかなり豪勢でしたよ。
もちろん、月~金はしがない宮仕えのサラリーマンです。

おかげで貯金もできず、月末の預金残高が怖い。
それでも、ケチンボな旅行ながら十分楽しめました。

ナイターにも出かけていました(昭和62年3月14日滑走)

このユースホステルは公営なので、誰でも泊まれます。
民営はユース特有の客層ですが、ここは千差万別でした。

年よりもいれば、仕事の都合で宿泊している人もいます。
ある時、カメラマンらしき泊まり客と話をしました。

何でも、著作権フリーの写真を撮影しているらしい。
このときは、佐久地方の養殖鯉が目当てと聞きました。

確かに鯉の収穫時期は、冬場のようです。
スキー以外のお客さんもいて、宿泊が面白いのでした。

というわけで、スキー場自体の話はこの次にいたしましょう。
幾度と無く出かけたゲレンデには違いありませんから。


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2014年3月9日日曜日

初中級者は降りられない? - 花渕山スキー場 (鳴子スキー場) (宮城県)

昭和63年1月30日滑走

いきなり、最大38度の壁が立ちはだかります。
平均斜度も25度ですから、中級者も寄せ付けないでしょう。

たったシングルリフト三本だけのこじんまりとした縦線形のスキー場。
上がると、多少は緩やかになって滑られました。

つまり、競技志向が強くて軟派は寄せ付けません。
バリバリの硬派だけが許されたスキー場だった気もします。

確か、ゲレンデ整備の圧雪車も入っていませんでした。
だって、最初の壁から登りあがるのは無理でしょう。

だから、ゲレンデ全体のコンデションも滑るがままでした。
多かれ少なかれ、波打った起伏のこぶが作られています。

新雪も積もるだけなので、こぶの上を隠していきます。
だから、滑るとそのこぶが分からず制動に難儀しました。

こういうスキー場へすべりに行く物好きは、少ないでしょう。
滑っていた人は、私以外にいなかったと思います。

クリックで拡大します

こんなスキー場でしたが、後年、ゴンドラが掛けられました。
しかも、鳴子スキー場と改名されてリニューアルです。

きっかけは、宮城県の国体スキー大会に間に合わせたのです。
でも、スキーブームのピークはとっくに過ぎてしまい客足も伸びません。

しかも、標高がさほど高くないせいか雪質もベタ付き気味です。
だから、十年もしないうちに閉鎖・廃業となってしまいました。

やさしいコースも増えたし、あの過酷な壁を降りなくても良くなったのに。
ちょっと、さびしい気もしました。

グーグルドライブはこちらから

今となっては、すぐそばの日本こけし館を訪ねるぐらいです。
あるいは、鳴子温泉の共同浴場”滝の湯”にでも浸かりましょうか。

いや、登山という手が残っていました。
あの山頂は、一等三角点で見晴らしがいいはずです。

しかも、東北の秋ですから、紅葉も期待したい。
今となっては、スキー場より山登りに魅せられた気もしました。


おまけ:
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