2016年1月31日日曜日

どうも、ごっつぁんですの関取も捨てがたく、なつかしい思い出 - 黒姫高原スキー場(黒姫高原スノーパーク)(長野県)

黒姫山

山麓にゲレンデが広がる黒姫山は、郷土富士として信濃富士と呼ばれています。
南東方向より見た整った姿は秀麗で、標高二千メーター越えの成層火山です。

実は、新潟・長野には、この名の三峰が存在し、ここは信州黒姫山と呼ばれます。
他は、新潟柏崎の刈羽黒姫山と、糸魚川の青海黒姫山ですが、知名度は低いかも。


そういえば、関取の四股名にも黒姫山があり、小さいころ取り組みをよく見ました。 
立ち合いからのぶちかましが強烈で、その威力でよく金星を挙げていたものです。


そのせいか、馬力のある蒸気機関車にちなんだ「デゴイチ」の異名を覚えています。

額が広くて個性的な要望ですが、目元の優しそうな顔立ちが特徴的で好きでした。

この四股名の由来なんですが、信州ではなくて青海黒姫山が由来なんだそうです。
ご本人の出身地にちなんだのでしょうが、自分はてっきり信濃富士と思っていました。




さて、このゲレンデは、国道18号線からは意外と近いところにありました。
スキー場の案内標識に従って車を走らせますが、始めは森の中を抜けて行きます。

次第に視界が開けるとペンションやロッジも点在していて、ゲレンデに到着しました。
まず第一印象ですが、南側に広がる緩い斜面がとてつもなく広大に感じられました。


驚いたことに、そのスロープでは、誰も滑っている人がいないのです。

それがとても強く記憶に残っていて、なんだかもったいない気もして来ます。

実際、クロスカントリースキーを持って来れば良かったと、悔やんだほどでした。
現在、ここは童話の森スノーウェーブというSAJ公認のクロスカントリーコースです。

当時のチラシでは、歩くスキーコースとありますが、ゲレンデには標識もありません。
今、見直してみて気がついたぐらいですから、殺風景な雪原が目立ったのでした。

平成4年2月14日滑走

ゲレンデスキーのコースといえば、中級者用スロープが中心に感じられました。
現在は廃止されたトップの第六リフトが上級者コースですが、かなりきつかった。

コブ斜面を無理せず降りたという感じで、現在は第2リフトの上級コースが残ります。
ホームページを見ますと、上級で最大斜度が28度なのは、中上級並みでしょう。

レルヒコースの斜度ですが、他は上級で最大25度ですから中級みたいなものです。
その分、初中級者向けにたくさんのゲレンデが用意されているレイアウトでした。

というわけで、次第に物足りなくなって、近場のタングラムスキー場に移動しました。
もっと長居しても良かったのですが、リフト待ちもそこそこあったし、滑ってみたら斜面に満足できなくなったのですが、クロスカントリーとか滑るバリエーションを増やしたら、もっと楽しめるかもしれないとも思うのでした。


おまけ:
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2016年1月27日水曜日

学校法人が運営しているゲレンデとは恐れ入りました - 北竜湖ファミリースキー場( 長野県)

平成4年2月29日

このスキー場、二つのゲレンデへ移るのにかなりのスキー歩行を強いられました。
かなり昔のことで記憶もあやふやですが、汗だくになったのは間違いありません。

リフト頂上駅から平坦部をスキーを履いたままで、延々と歩いたように思います。
本当は、第一ゲレンデと第二ゲレンデは離れていて、全く別の代物でした。

スキー場のホームページでは、第二ゲレンデのロッジが新しくなっており綺麗です。
ただ、滑った当時、このロッジが閉鎖されていて休憩どころではありませんでした。

雪も降っていましたし、わざわざリフト二本を乗るためにトホホで気が沈みました。
どちらのゲレンデで駐車したのかはっきりしませんが、第一ゲレンデだと思います。

ゲレンデマップ
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文化学園という学校法人が所有しているゲレンデですから、スキー学習向けですね。
時分が滑った時、女子高生のチームが来ていて、リフト乗り場で一緒に並びました。

乗れるまで短い間でしたが、おしゃべりをすると二級検定が目標なんだそうです。
見ていますと、滑り終わった後に、確かにフォームを思い返している感じでした。

こちらは、気楽なスキー旅ですから、気ままにゲレンデを滑らせていただきます。
結局、お客さんが五十人いるかどうかで、ひなびたゲレンデの風情を楽しみました。

実は、すぐ隣に野沢温泉スキー場があるので、混雑回避にはぴったりの穴場です。
一方、北竜湖は飯山市にありますが、なぜ東京の学園がスキー場へ投資したのか。

それは、地元出身で学園の理事長だった大沼 淳(すなお)氏が決断したからです。
この地域貢献が非常に多大でして、同氏は飯山市の名誉市民に選ばれました。

身体障害者向けのスキー教室も開催されていていますが、背景はここなのでしょう。
大阪市の主催する教室も通算39年になりましたが、非常に熱意が感じ取れます。

というわけで、ゲレンデの頂上には、ハート型をした北竜湖が水をたたえています。
シーズン中は雪に完全に埋もれてしまって、どこが湖面だか分かりませんでした。

春になれば、北竜湖畔に広がる菜の花畑も美しく、湖の青、山の緑とのコントラストが見事らしいので、小学唱歌「朧月夜(おぼろづきよ)」のふるさと、飯山の歌詞を愛でに出かけてみようかとも思ったのでした。


おまけ:
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「通勤」ラッシュのある街は、ここから


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2016年1月24日日曜日

ナイターの明かりが見えたから、たどり着けたスキー場 - 古志高原スキー場(新潟県・中越)

平成5年12月25日滑走

ここは、長岡市に併合される以前、元々、山古志村と言う名前の自治体でした。
この村ですが、元来、全国的にも特産物・観光資源で名前が知られております。

一つは、特産物と錦鯉(にしきごい)でして、この村が発祥の地なんだそうです。
そして、もう一つが牛の角突き(うしのつのつき)といわれる、牛同士の闘牛です。

近郷の二十村郷で競い合いが行われ、特に、山古志は千年を誇る伝統の行事です。
どちらも、季節が巡ってくると、全国的にテレビのニュースで放映されてきました。

このため、新潟県の村の一つにしては、村の名は全国的に意外に知られています。
他方、養殖鯉は、闘牛と同じく周辺で盛んに営まれており、小千谷市も含まれます。

全日本錦鯉振興会なる業界団体が、この小千谷にあるくらいですが、山古志は本家。
江戸時代、突然変異により誕生したカラフルな鯉は、この山古志が故郷なんだとか。

事業も手広くなれば、山村に本部を置くよりは、往来のある市中に置くのが当然です。
こうして、本家ではひっそりと養殖業者の方が、美しい鯉作りに励んできたのでしょう。

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そんな事情が、このスキー場パンフには、さりげなく触れられております。
もちろん、PRはスキー場自体ですが、やっぱりマスコットは牛君なのでした。

そういえば、この”うしくん”なら、パペットマペットのぬいぐるみ漫才を思い出します。
最近、テレビであまり見なくなりましたけど、テレビ神奈川では見かけますね。

地元に住んでいるので見られますが、そこそこ、見かけるので楽しいですな。
相方のカエルくんもおりますが、田んぼに付き物ですから、山古志キャラでしょう。

こうして、山古志村は全国区になったのですが、スキー場も存在したとは露知らず。
ネットによって、ゲレンデ情報が広範囲に入手できる現在と、あの頃は違います。

せいぜい、新聞の積雪情報が頼りで、あとはゲレンデガイドの出版物を開くだけ。
リフト一本だけのゲレンデだと、住所の記載で、アクセスも詳しく述べられません。

後は、マップルのロードマップが頼りで出かけますが、冬と言う季節が障害です。
県道だって、山間部では冬季閉鎖の道がざらに存在するのが新潟県なのだ。

全国的なゲレンデガイドでの紹介
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特に、冬季は、この山古志に至る安全なルートは、小千谷からに限られました。
冬季の道路情報も電話案内がありましたが、そんなことは、地元でしか分からない。

結局、近くまでドライブして分かったのは、この小千谷ルートだけということです。
たどり着くのに時間がかかってしまい、日暮れてしまって、スキー場が分からない。

ところが、幸運にもナイター営業してくれたおかげで、この明かりを道しるべにします。
県道から少し外れていただけで到達できましたが、降雪のためか路面が圧雪です。

夜道をスリル満点のドライブでしたが、ナイター営業で滑られだけでもありがたい。
この日は、地元のちびっ子たちが滑りに来ていた程度で、実に静かなスキー場でした。

というわけで、この付近は、平成16年の新潟県中越地震で大きな被害を受けました。
復興までにかなり時間を要したのですが、スキー場が再開できて、うれしい限りです。

あの地震の時、住んでいた横浜でも震度4で長く大きなゆれがあり、びっくりしてテレビ報道を見続けたのを思い出しますが、とにかくにも、次回は、ぜひ日中の営業時間にたどり着いてゲレンデ全体を見渡しながら、滑り込んで見たいとも思うのでした


おまけ:
新潟日報のスキーガイドが役に立ちました
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2016年1月21日木曜日

ユルユル斜面だからトロイカに乗ってソリ遊びだ - 山田温泉スキー場(山田温泉ちびっこスキー場・山田温泉キッズスノーパーク)(長野県)


  
トロイカは、元来、ロシア語で三つ組という意味で、三頭立ての馬ソリのことです。
日本で、この言葉が親しまれるようになったのは、ロシア民謡がきっかけでした。

曲調は、リズミカルでテンポも早く、ソヴィエトの若者の明るい喜びを表現しました。
ただ、オリジナルは、金持ちに恋人を奪われた若い馭者の悲しみを歌っています。

作詞をしたのは森おくじさんですが、カチューシャ楽団で歌唱指導をしていました。
その時、このトロイカの美しいメロディーに気がついて、歌詞を作ったのだそうです。

この方は、ロシア民謡を日本に広めたことで知られ、昨年、本も出版されました。
そんなスキートロイカは、ソリのイメージも手伝って、リフトの名称にもなっています。

  
要するに、大きなソリにスキー客を乗せて、ロープで坂を引っ張りあげる方式です。
このトロイカをネットで探したのですが、他には県内の爺ヶ岳スキー場だけでした。

つまり、索道としても、全国で非常に希少な乗り物になってしまっているようです。
自分が訪ねた時はリフトも稼動していたのですが、既に廃止してしまったのでしょう。

当時は、あまりに緩斜面すぎて、スキーが滑らずにストックで漕いだりしていました。
ここは、子供のスキー学習、ソリ遊び、雪遊びには充分適しているとは思うのです。

お母さんと子供たちは、このゲレンデで楽しむとして、お父さんはヤマボクなのだ。
系列のゲレンデには無料の連絡バスで往復できますので、出向いたほうがいい。

山田温泉の旅館街も近いですから、子供たちも飽きたらさっさと戻れるのですよ。
かく言う自分も、このゲレンデには二時間で十分といった気になってしまいました。

平成4年3月8日滑走
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残るは、名湯の山田温泉ですから、日帰り温泉に立ち寄るのが当然でしょう。
そこで、菅平高原に向かう道すがら見つけたのが、日帰りの子安温泉です。

この温泉は、実にシンプルで、浴槽だけの源泉掛け流しで勝負していました。
シャワーも露天風呂もなく、黄土色の濁った湯がいかにも体に効きそうです。

命名も子安神社のそばで湧出したという、余りにストレートで拍子抜けしました。
まったりとした湯といいますけど、ここはそれがとてしっくりしている気がしたものです。

というわけで、時間に余裕があれば、「一茶ゆかりの里 一茶館」も捨てがたい。
自分の訪ねた頃は、めぼしいのは歴史民族資料館だけだったと思います。

この資料館に収蔵されていた小林一茶の俳句資料も、おそらく一茶館へ移されて拡充したと思いますので、このゲレンデを改めて滑りに出かけたときは、ここもぜひに訪問して見学せねばなるまいと思った次第なのでした


おまけ:

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2016年1月18日月曜日

日本の雪不足は残念だが、インドではアルミ溶接技術の指導で忙しいのだ - 某アルミ溶接業者(インド・ムンバイ)



このおじさん、俺の技術はこんなもんだと、”ドヤ顔”が非常に晴れがましい。
この会社へは、アルミ配管にフランジを溶接してもらう注文を続けてきました。

ところが、今までは溶接が今一なできで、気密試験をすればたまに漏れます。
客を見くびっているのかとも思いまして、インドまで出張して確認いたしました。

つまり、インドまでわざわざ出張してきているのですが、実に雪が恋しいのだ。
毎日気温が三十度まで上がる、ここムンバイでは、これでも過ごしやすい。

乾季なので、雨が全く降りませんので乾燥していて、汗をかくこともありません。
でも、日本にいたらスキーができるのにと、少しは愚痴も言って見たくなります。

ただ、今年は日本も暖冬のようで、オープンできないスキー場もまだあるみたい。
経営者にとっては、大問題の年になりそうですが、それを横目にインドに来ました。

それで、先ず最初の重要な仕事が技術指導だったのですが、首尾よく行きました。
溶接技術が甘いと思っていたのですが、アイデアを出すと進歩がありすぎです。

手動の溶接ですが、ほぼ満足のいく品質が確保できて、呆気に取られました。
最初から、もう少し手取り足取り、指導すればよかったともいますが、後の祭りです。

ようやく、今回の出張では、業者さんの潜在能力を把握できたような感じも致します。
やっぱり、海外での協力会社探しは、実に困難な仕事だと、改めて思いました。

というわけで、参考までに作業の写真を紹介していましたが、クレームがつきました。
どうも、インドでは政府関係筋の取引があると、うるさいようなので差し控えます。

フェースブックでも似たような写真をアップしましたが、そこから発見されたようです。
ですので、現地の従業員から注意されてしまって、自身、お恥ずかしい限りです。

というわけで、悪しからず記事の訂正をさせていただくとともに、作業写真の紹介はわずか一日の命となり、夢幻のごとく消去させていただきますので、宜しく、ご了承いただきたいとも思うのでした。



おまけ:
代りに、先週、工場で行った消防訓練の写真を掲載して、お茶濁しとさせてください。






2016年1月15日金曜日

洒落た仏語のシャトーと名づけたのに、長岡将軍杯争奪の言語ギャップに悶絶 - シャトー塩沢スキー場(新潟県)

長岡外史陸軍中将

明治の軍人、長岡中将は、プロペラ髭と呼ばれる長い髭を蓄えておりました。
周囲の人は不可解に思っても、本人はいたって本気で自慢していたそうです。

髭は最長で七十センチ弱に達したそうですが、生活に困らなかったのでしょうか。
そんな将軍ですが、今日でも日本スキー界の恩人として仰がれております。

オーストリアの軍人レルヒ少佐が伝えたスキーを軍隊にはじめて導入しました。
これが日本スキーの発祥と言われますが、先入観にとらわれなかったのでしょう。

進取の気風にあふれ、新しいものを受け入れる柔軟さ持ち合わせていました。
この長岡将軍ですが、このスキー場と大いに関係があるのが、面白いです。

つまり、名前を冠した草スキーレースが、昭和33年から開催されて来ました。
伝統あるスキー大会ですが、地元では、親子や女性の参加も大歓迎です。

正式には、レルヒカップ・長岡将軍杯争奪大回転競技大会というのですね。
将軍杯争奪となるとものものしい感じですが、レルヒカップならスポーツっぽい。

平成4年12月20日滑走

そんなスキー場ですが、ここはシャトーテル塩沢ホテルの付属ゲレンデなのです。
一本杉と吉里に分かれたゲレンデが山頂でドッキングするレイアウトでした。

コースは、初級40% 中級40% 上級20%の構成で、初中級者向けです。 
緩斜面が多いせいか、ホテルのHPでは、スキー修学旅行をPRしていました。

ホテルも、宿泊客を団体で受け入れると、空室を手軽に埋められる分けです。
経営は安定して大助かりでしょうけど、一般スキーヤーはどう感じるでしょうか。

ゼッケンをつけた初心者がわんさか出てくれば、危ないし滑りにくい気もします。
自分が滑った頃、リフトは7本もあったのでスキー客が分散したかもしれません。

ゲレンデパンフグーグルドライブはこちらから

ところが、現在は四本にまとめられてしまったので、どうなんでしょうかね、
それよりもスキーブームは過去の話で、もう混雑することはないのかも知れない。  

というわけで、このスキー場はどうも思い出せずにいて、書き出しに悩みました。
滑ったゲレンデは、大概、何がしかの思い出があるのですが、ここは違います。

なので、ネットで調べたスキー大会とか、由来の長岡将軍の逸話とか、やや苦し紛れの感もあるのですが、それでも書いてみると何となく記事になった当たり、スキー場には感謝せねばならないと思ったのでした。


おまけ:
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スキー大会要領
長岡将軍の略歴がおもしろい
リフト券裏面
ゲレンデガイド(平成5年)
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2016年1月11日月曜日

タブレットに乗り遅れたマイクロソフトは、ウインドウズは10で巻き返しに躍起になっている - Windows10 & Edge (その他)

エイサーのミニノート(初期型)

五年前に購入した、ミニノートのバッテリーが逝かれたままになっていました。
なぜなら、ウインドウズ7に乗せ換えたのはいいが、あまりに動きが遅いのです。

メモリーも2GBに奮発して、XPからグレードアップしてみたのですが、実にトロい。
ユーチューブもラジコも、途切れ途切れに再生されるようになり、不満が募ります。

XPの頃は、ワイヤレスでネットに接続しても、こんなことにはなりませんでした。
やっぱり、セブンはSP1になって重たくなったのだろうと、思わずにいられません。

それで、最近は10にグレードアップしませんかと、余計な勧誘画面が現れます。
うざったいなーと感じましたが、少しは動きが軽くなるかもと、思い始めました。

ならば、無料グレードアップに乗ってみようと思いつつも、評判は芳しくありません。
シャットダウンしたりブルー画面が現れるとか、出来の悪い印象が目立ちます。

そこで、大規模な修正のパッチが出されてから、ようやく10に上げてみました。
まあ、すんなりと乗せ換えは成功して、動きも少しは軽くなったようで、満足です。

一番うれしかったのはユーチューブやラジコの再生が途切れなくなったことでした。
今までは、セブンだと再生がブツ切れになったり、音が中断して使えなかったのです。

ですが、10ではそれもなくなり、ブラウザーの動きもサクサク感が復活しました。
もともと、このミニノートは、エイサーの初期型で、CPUもAtomのシングルコアです。

クロックが1.6Ghzと言うスピードは、初期のアンロイド7インチタブレットでしょうか。
それぐらいの性能しかありませんので、最初、多くは期待していなかったのです。

ですが、意外に使用に当っては復活した感じもしてきて、バッテリーも変えました。
しかも、ネットではメーカー品はすでに扱われていなくて、サードパーティーだけです。

大丈夫だろうと踏んで買ってみましたが、容量も大きくなって三時間以上は持ちます。
純正品は容量が一時間半しか保てなくて、これならモーバイルに不足はありません。

こうして、モーバイルとして復活できして、コンビニのフリーWiFiで活用しております。
特に、日本ブログ村のランキングに参戦中で、クリックのポイント稼ぎに便利です。

みんな、やってるのだろうと思いつつ、最近、驚いた参加者ブログがありました。
週間INポイントがゼロで、OUTポイントが600近くなのは、どれだけクリックしたの。

負けずにこちらも依怙地になってコンビニへ出かけますが、タブレットも使ったりします。
そこで、発見したのは、このウインドウズのブラウザーエッジの立ち上がりなんですね。

コンビニ・ローソンでの立ち上がり画面

自動的にフリーWiFiの設定画面へ誘導してくれますが、アンドロイドの画面にそっくり。
なるほど、タブレットのブラウザーの起動スタイルを真似しているんだと、感じました。

思うのですが、ミニノートの動きがあまりに遅く、タブレットに切り替えた人も多いはず。
しかも、ミニノートでも重量は軽く1キロを超えてしまい、モーバイルとしては不満かも。

こうなると、ウインドウズ7のミニノート・ユーザーを失うのは見えていたのでしょうね。
というわけで、日本ブログ村のジャンルでスキー場・スノボー場というのは、実にマイナーで参加者も限られているのですが、それでもマスターベーション的クリックで、上位に張り付いているのはまんざらでもないわけでして、そのために、このミニノートが復活してくれたのは、うれしい限りなのでした。


おまけ:

ローソンよりセブンイレブンの起動はトロい気がする
この画面デザインはタブレット・モーバイル優先かもなー




    

2016年1月9日土曜日

近くには、雪うさぎロゴで知られる日本曹達の工場があったんだな - あらい船岡山スキー場(新潟県・上越)

平成5年12月24日滑走

このスキー場は、今は妙高市と名称の変わった新井市の市街にありました。
リフト山頂部で標高が180メーターほどで、平坦地にある小高い丘でしょう。

かつては、豪雪地帯ゆえ雪には苦労しなかったはずですが、暖冬傾向です。
雪不足に悩まされたはずで、スキーブームも終わると、子供達も集まりません。

こうなると、ファミリースキー場としての役割は終わってしまったかのようです。
もっとも、どんな家庭にもファミリーカーの一台ぐらいあるご時世になりました。

近場には妙高高原の有名なスキー場もありますし、簡単に出かけられます。
こうなると、市民スキー場としてがんばってきましたが、スキー客は離れました。

こうして、十年位前に閉鎖された中、スキー条例がネットで見つかりました。
最後の改正が平成十四年で、一日券が千円ですが、回数券が見当たりません。

自分が乗った頃は、回数券でも千二百円と、本当に割安なゲレンデでした。
リフトが三百メーターちょっとと短くて、乗ったらすぐ降りてしまうほどです。

それでも、コースも初中上級と分かれていて、ちゃんとバリエーションもあります。
中でも、中級コースは滑っても楽しくて、市民スキー場の割りに楽しめました。

グーグルマップで探したのですが、スキー場手前のストリートビューもあります。
ゲレンデ前を取材車が通過したようで、三本のコースがはっきり確認できますね。

グーグルストリートビューから
それで、近くにはJRの二本木駅もありますが、昔は中郷村に位置していました。
この辺りは自治体が入り組んで隣接しており、平成の合併先も分かれています。

中郷村は、上越市に編入されましたが、新井市は他の二つの町村と合併しました。
現在、この二つの市の区域を地図でながめますと、実に面白い形をしているのです。



なんだか、上越市が妙高市の区域に割り込んだような形をしているのが面白い。
ただ、中郷村の住民の二割以上が、かつての新井市へ通勤しております。

しかも、上越市の高田から、この中郷区へ出向くには、必ず妙高市を通ります。
つまり、中郷と上越は山岳地帯でつながるだけで、そこに生活圏はありません。

合併の話し合いの中で、色々な思惑が働いたのでしょうが、面白いものです。
そして、この二本木には日本曹達の工場がありましたが、会社発祥の地です。

しかも、会社ロゴが雪うさぎマークとかわいいのですが、いかにも雪国らしい。
何でも、製薬・試薬会社の取り決めで、動物マークが各社に割り当てられたとか。

たぶん昭和初期の話で、未だに使用する企業も多く、大正製薬もその一つです。
ワシのマークっていうキャッチはご存知でしょうし、エスエス製薬はうさぎでした。

小宗化学薬品株式会社
『犬印の試薬』

城製薬株式会社
「みずとりマーク」 ブランド

大正製薬株式会社
1955年(昭和30年)7月、<ワシのマーク>を制定

塩野義製薬株式会社
戦前のブランド名称「松鯉印」

エスエス製薬株式会社
「うさぎマーク」がエスエスチェーンの統一マークに決定

このほか、鹿、カメレオン、雉などのマークだったりする会社もあるので、興味深い。
というわけで、江戸時代、この地域は江戸(東京)を往還する北国街道が開かれていましたので、賑わいを見せており、その後、自然に宿場町から発展した町村も多かったのですが、平成の大合併を過ぎてからは、妙高市と上越市のみになってしまったわけでして、何とも味気ない町の名称に弁別されたと、思うのでありました。


おまけ:
日本曹達㈱の雪うさぎブランドの発祥のいわれは、こちらから

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北国街道の説明が面白いです

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