2015年12月31日木曜日

北海道の原野は、どこでもクロスカントリースキーのコースに変身するっていう雰囲気 - 塩狩温泉ユースホステル(北海道・道北)

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若いころ、年末年始の休みに、北海道をスキー旅行で歩き回っていました。
実家は札幌だったので、帰省して親と新年を過ごす目的もあったのです。

ただ、親といっても父親だけで、男二人の正月というのは味気ないものです。
母親は、自分が高校の時にこの世を去っていて、父親は一人暮らしでした。

正月のおせち料理にせよ、家に着いても自分が買出しに出かける始末です。
料理にまったく無頓着で、父は自炊していたはずですが、外食だったのか。

帰省しても、自分が正月の支度をする羽目になり、自然と足が遠のくもの。
こうして、自宅には帰らずに、そのまま北海道をうろつく結果になりました。

父親には悪いとは思いましたが、帰省しても歓迎される雰囲気もないのです。
実に味気ないもので、母親が生きていてくれたら違っていたかもしれません。

そんな境遇の独身時代に、塩狩温泉で大晦日を過ごした年が、ありました。
おそらく三十代になっていたのではないかと思いますが、よくは思い出せない。

ただ、塩狩温泉のパンフレットは持ち帰っているので、間違いないでしょう。
この温泉旅館ですが、ユースホステルが併設されており、当日、宿泊しました。

当時は、まだユースに宿泊する若者でにぎわっていて、部屋は混雑しました。
確かジンギスカンが夕飯で、みんな一緒に鍋を囲んだ楽しい思い出もあります。

そして、JR塩狩駅の近くに小説家、三浦綾子の記念館が建てられていました。
彼女は、この土地にちなんだ「塩狩峠」という代表作の小説を残しています。

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映画化されたほどの作品ですが、執筆に当たってこの温泉に滞在したようです。
そんな話がウイキペディアに紹介されていましたが、この旅館はもうありません。

今から十年ぐらい前になりますが、温泉旅館とユース共々閉鎖されたんだとか。
意外と知られていた温泉ですが、時代の波には勝てなかったのかもしれない。

開湯以来、開拓農民の疲れた体を癒してきたのでしょうが、寂しい気もします。
まあ、宿泊客にとっても、駅を降りたらすぐそばという便利さもあったはずです。

一方、ユースの泊り客も、鉄道で旅する人が大半で、私みたいに車の人は少ない。
中には、クロスカントリーのスキーをわざわざ持ち込んでいる、男性客もいました。

二人連れだったのですが、国土地理院の詳細地図を携えているほどなのです。
きっと、目印など見当たらず、降り積もった雪の原野を歩くつもりで必要だったのか。

他方、実際に自分がユースでいただいた冊子に、スキーコースも紹介されています。
冊子は、塩狩周辺ガイドというのですが、版を重ねて改定五版になっていました。

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塩狩~蘭留クロカンコースの案内

というわけで、大晦日恒例の紅白歌合戦も始まって、みんなは雑談に興じていました。
ところが、自分ときたらスキー行脚の旅で、肉体的な疲労がたまりにたまっています。

ジンギスカンの夕飯でお腹一杯にもなっていますし、それで睡魔に打ち勝つこともできずに、つい寝入ってしまったのですが、一人用の戸袋みたいな寝室を確保しておいたせいで、おしゃべりの話し声にあまり邪魔されずに快眠できたのは、ラッキーだったなと未だに思い返せるのでした。


おまけ:
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謄写版の頃もありました
※現在は、塩狩ヒュッテというYHが開設されております。
   
   
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2015年12月28日月曜日

三菱重工のYanリフト情報は、これで止めをさしておこうかと思う - 菅平高原スキー場など全国各地(長野県など)

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世の中にオタクという人は、数多くいるものですが、ゲレンデにも出没しております。
何を求めさまよっているかといえば、それがリフトやゴンドラの索道なんですね。

皆さん、鉄道オタクはご存知でしょうが、索道オタクはなじみが薄いでしょう。
でも、乗り物好きの究極は、ロープウェイを含めた索道だという人もいるぐらい。

他方、廃墟オタクは廃ガソリンスタンドオタクにたどり着くケースもあるみたいです。
となれば、自転車ツーリングオタクは、しまいに一輪車ツーリングに落ち着くのか。

そんなことはないでしょうが、自分もスキー場へ出かける内に興味を惹かれました。
特に、リフト待ち一時間が当たり前だった頃、並んで待てばすることもありません。

次第に乗り場に近づくにつれて、ぐるぐる回ってくるイス(搬器)も気になります。
しかも、高速クワッドですと、速く回るワイヤーから搬器が外れて減速します。

日本ではデタッチャブル・リフトとよんでいますが、訳せば分離式リフトになります。
英語でちゃんと書けば、Detachable Liftになりますが、一方クワッドはどうなのか。

Quadと英語で略して書き、四つのことを意味しますが、正式にはQuadrupletです。
ただ、発音がややこしくて、クアドルプレットでは、舌をかんでしまいそうです。

このため、仕様や機能になぞらえた商品名を指して、クアッドを用いる事例も多い。
現に、スポーツ用品メーカーのミズノは、ゴルフシャフトにQUADと名づけました。

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こうして、このの四人がけリフトは、スキー客もあわてずにしっかり乗れるわけです。
他方、搬器をロープに固定したリフトは、初心者は意外に失敗して転んだりします。

秒速にして2メーター程なのですが、一方、クワッドは秒速4メーターとかなり早い。
搬器に腰掛けるためには、移動速度を固定式以下にまで落とさねばなりません。

自分は、技術系ではないのですが、このメカニズムにとても興味を持ちました。
しかも、メーカーごとにデザインに工夫が見られて、違いも見受けられたりします。

それで、冒頭のカタログは、索道メーカーに依頼して送ってもらった戦利品です。
送ってもらえたのは、次のメーカーなんですが、皆さん親切にしていただきました。

① 日本ケーブル(会社案内)
② 安全索道(会社案内・各種リフト・設置実績リスト)
③ 東京索道(会社案内・各種リフト)
④ 樫山ダイヤモンドリフト(っ会社案内・各種リフト・スノーマシン)
⑤ 三菱重工(会社案内・スノービジネス各種)

①~③は伝統的にリフトの老舗的なメーカーですが、④と⑤は後発でした。
スキーブームの頃、スキー場開発がラッシュ状態で、索道の需要も増えます。

このため、リフト・ゴンドラのタイプやらメーカーも、スキーブームに乗って増えました。
しかも、大量のスキー客をゲレンデさばくために、高速リフトも主流になります。

特に、三菱重工業のYanリフトは、アメリカのデザインで考え方が大きく違います。
リフトエンジニアリング社と技術提携したことで、日本へ新機軸がもたらされました。

カタログを見ると分かりますが、握索装置と搬器のタイヤ式押送装置が特徴的です。
まず、握索装置は、搬器が高速で移動するロープから脱落しない工夫が必要です。

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握索装置の拡大写真が秀逸

ガッチリ離さないグリップ力なのですが、ヨーロッパ製はコイルバネを用いました。
事務用品の目玉クリップもバネ仕掛けで締めますが、原理的にはよく似ています。

そして、山麓駅と山頂駅で高速ロープから搬器を脱着する構造が欧米で違うのです。
ヨーロッパ製は、握索装置のローラーが、ガイドレールに乗って減速し移動します。

この移動では、握索装置が爪の付いたチェーンにひっかけられて流れる分けです。
これを押送装置といい、Yanではタイヤを使用しており雰囲気が異なりました。

このクワッドですが、ヨーロッパ製の機械的な騒音が、あまり感じられません。
握索装置がゴムタイヤで送り出していくので、意外に静かだったように思います。

そして、握策装置に使われるバネがコイルに代えて、ゴム製スプリングでした。
ウイキの説明では、"marshmallow"、マシュマロと書いてあり、弱かったのでしょう。

実は、ここら辺のデザインが、後年、死亡事故を伴う致命的欠陥だと判明しました。
時は平成7年、カナダ・ウィスラースキー場で、死者2名、負傷者8名の事故です。

原因は、索道が緊急停止した際、その反動で搬器がずれて隣に衝突したとあります。
もっよひどいのは、ロープから外れて斜面を転がり落ちたような記述もありました。

よほど握策のグリップ力がなくて、これではマシュマロといわれても仕方ありません。
結局、会社自体は翌年に破産してしまうのですが、当然の成り行きなのでしょうか。

というわけで、三菱重工の手になるリフトも、すでに他社製に切り替えられています。
当時、三菱重工はレジャー産業の分野で活発に事業を展開し、目玉はスキーでした。

実際、リフトやゴンドラなど索道事業向けに、導入事例のカタログも作られています。
ビジネスチャンスだったとはいえ、この米国発の技術が撤退の引導を渡したみたい。

他方、Yanブランドの創設者、Jan K. Kunczynski氏もスキー業界ではすでに過去の人になってしまったようですが、ネットで英語検索してみると、本人の伝記がそれなりにまだ紹介されており、この会社が業界で一時代を築いていたのは事実だったのだと、改めて思うのでした。


おまけ:
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Yanリフトのアクシデント英文記事



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2015年12月25日金曜日

片手を上げた角栄さんの銅像だけが、さびしく駅前に残った雰囲気なんだな - 浦佐スキー場(新潟県・中越)

平成5年2月27日滑走

このブログ記事を書くときに役立つのが、廃墟検索地図のサイトです。
現在も営業中なら良いのですが、中には閉鎖されたゲレンデもあります。

スキー場をググる内に、休止閉鎖に追い込まれていれば、ご登場でした。
名前の通り、マップで場所を指し示してくれますが、付録が役立ちます。

ページの後半には、その場所を紹介したたサイトが羅列しているのでした。
これが、投稿を書き上げる時の参考文献になったりして、ありがたい。

それで、浦佐スキー場と打ち込むだけで、このサイトがトップにヒットします。
だって、このゲレンデは、平成23年に閉鎖に追い込まれてしまいました。

ここは、昔からスキー道場みたいな、スキーレッスンが主体のスキー場でした。
だから、ここで鍛え上げられて、何人もデモンストレーターが輩出しています。

なので、単におしゃれで滑るだけなら、わざわざ出向くコースではないのです。
単純に五百メーターに満たない短いシングルリフトでは、魅力もありません。

スキー場ゲレンデマップ95
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それでも、最盛期には混雑を解消する目的か、リフトが三列も並びました。
これが意外に壮観だったのですが、ペアリフトにカップルは見受けられません。



それは、神聖なお稽古バーンに、いちゃくつくカップルは出入禁止だったから。
そんな風に思ってしまうほど、滑走技能の伝授にひたむきなスキー場でした。

こうなると、下手の横好きで滑るしか能のない自分には、関係ありません。
ちょっと、ついでに滑っておこうかと気分で、ナイターゲレンデを楽しみました。

一方、標高があまりに低いゲレンデのせいか、滑走できる日も限られました。
トップの標高だって三百メータだから、小高い丘に設けたような印象に近い。

年末の正月休暇には、雪は微塵も見られずに、地肌が露出している始末。
一月に入ってドカンと雪が降って、初めて滑りだせるようだと、実に行きずらい。

しかも、雪質も粉雪とは縁遠い湿雪、ザラメ雪で滑りたい気にもなれない。
上越新幹線浦佐駅の裏山という便利さはありますが、どうも気後れします。

第65代総理大臣、田中角栄の銅像

だったら、駅近コンセプトで言うと、ガーラ湯沢の方がマシってことでしょうか。
標高も千メーター近くまでゴンドラで上がりますし、五月連休まで営業です。

と言うわけで、スキーヤー人口が減って来ると、技能もへったくれもありません。
一途に、滑りのみに技芸の磨きをかけるような、つわものも雲散霧消でした。

こうして、ゲレンデも、単なる地元のローカルスキー場に退化し続けて行きます。
結局、集客力がジリ貧になるのは確実でして、それでもしぶとく生きながらえたのは、水戸黄門のご印籠のように、”浦佐”と言うご威光ブランドの賜物だったのだろうと、思うのでした。

     

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2015年12月22日火曜日

オレにとっちゃ、『頭文字D』より『バリバリ伝説』のほうなんだけどね - 松之 山温泉スキー場(新潟県・上越)

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パンフは全ページごらんいただけます

ゲレンデを見上げましたら、でかでかと看板が掲げられておりました。
あの「バリバリ伝説」のしげの秀一が、この町の出身だと書かれています。

とっさに自分が思い出したのは、彼の描いたライダーのイラストなんですね。
重心を下げたハングオンの姿勢が、カーブを疾走する描写として秀逸です。

まだイニシャル・ディーの連載が始まる前で、バリバリの余韻が残っていました。
漫画は、世界チャンピオンになるまでのサクセススもので、よくあるパターンです。

バイク好きならたまらない話ですが、自分も乗らない割りには読んでいました。
だって、当時はモーターレーシングが若者の間で人気を集めていた時代です。

F1レースや鈴鹿の八耐ロードレースなども、TV番組でも実況されていました。
そんな時代背景があったのですが、まさか、この町の出身とは思いもしません。

当時は、平成の大合併前で、まだ松之山の町制が敷かれていた頃です。
もっとも、松之山温泉自体は、日本三大薬湯の一つとして知られていました。

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自分的には、この温泉目当てに湯治客が訪れるのは、もちろん知っています。
温泉マニアなら、ぜひ訪ねて見たいと思わずにはいられない効能な分けです。

ですが、しげの秀一という漫画家のふるさとだったのが、サプライズになりました。
まあ、雪国新潟の温泉ですから、セットでゲレンデがあったとしても驚きません。

そんなかんだで、日帰り温泉も楽しみに、滑りに出かけたものの、かなり遠い。
よせば良いのに高速料金をケチりまして、湯沢ICをおりたら下道に入りました。

ここから国道17号を経て353号線に入り、後は松之山まで延々と走るだけ。
この日は降雪もあり、特に津南町を抜けて入る山道は、スリルが一杯でした。

カーブの曲がり方も急だし、二車線あるかないかのトンネルを抜けたりします。
実は、この地域こそ、津南町より平均一mは雪が多いといわれる地域です。 
     
世間一般では、隣町の津南町が日本一の豪雪地帯と認識されていますね。
ところが、積雪深の統計値を紐解くと、この松之山こそ、最も雪深いようです。

特に、平成18年度は軽く4mを超えてしまい、何と443センチに達しました。
昭和50年から平成16年までの平均を取っても332センチで、それでもすごい。

平成5年12月23日滑走

まあ、これだけ降るのですから、スキー場ぐらい町がこさえるのは当たり前です。
そんなゲレンデなのですが、温泉街から意外と近く、簡単に見つかりました。

というわけで、当時はリフトが三本で、現在はロングリフトへ架け替えて二本です。
滑った当日、雪の降り止まない悪天候で、視界が効かなかったせいもあって、ゲレンデ全部を滑りきったのかよく分からないままに切り上げてしまって、日帰り温泉センター”鷹の湯”に移動してしまったのですが、コース自体は今でもそのまま活かされているようですので、もう一度すべりに出かけようかとも、思うのでした。


おまけ:
リフト券裏面
クリックで拡大してください
翠の湯は廃止されたとか
ゲレンデマップ
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2015年12月19日土曜日

暖冬だから、標高が低ければ年内のオープンはきびしいいぞ - 八海山麓スキー場(新潟県・中越地方)

平成5年2月28日滑走

12月に入って待望の冬将軍寒波、第二段が現在日本を覆っております。
ところが、暖冬傾向が続きすぎて、雪の降り出すまで、気温が下がりません。

特に、越後湯沢から魚沼地方にかけて、標高の低いスキー場には大打撃。
調べてみたんですが、あの石打丸山スキー場がオープンできないでいます。

トップの標高が920メーターと高いんですが、山麓が256メーターと低い。
積雪15センチでは、一部オープンすらかなわなかったようで、残念でしょう。

隣接するガーラ湯沢は、ゴンドラで上がりますので、一部オープンできました。
それでも、50センチの積雪では、ちょっと雪が不足しているようにも思えます。

圧雪車で踏み固めてバーンにすると、厚みは20センチにも満たないはずです。
こうなると、後続の冬将軍が待ち遠しいのですが、クリスマスまでは来ません。

暖冬ゆえ、気圧も緩んで気温も上がって、雨の天気が予想されてるほど。
これでは、標高の低いスキー場は、いまだに積雪0センチの状況なのです。

この八海山麓スキー場も、ご他聞に漏れず、積雪なしの惨状になりました。
山麓で標高が二百メーター、トップに行っても五百メーターに届かないのです。

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要害山(標高478m)の南側斜面を使ったゲレンデで、リフトは三本としょぼい。
実にこじんまりしたスキー場ですが、インストラクターのレベルは高いようです。

なぜなら、雪不足の時、ご近所の浦佐スキー場に代わって選ばれるみたい。
このため、小規模で魅力も乏しい割には、休止されることもなく続いています。

ただ、方角が南に向いていますから、雪質に期待するのは少し無理があります。
自分が滑ったときは二月末でしたが、山麓ではボタン雪がちらついていました。

この雪は湿って重く、バーンのコンデショんも、お世辞にもよいとはいえません。
しかも、スキー授業・講習会で混雑していて、リフト待ちがかなりありました。

一日券を買っては見ましたが、元が取れるほど回数は乗り切れなかったのです。
そんな混雑したゲレンデだったのですが、今だったら、きっと空いているでしょう。

ところで、このある要害山という地名ですが、意外に全国各地に存在しています。
地形がけわしくて攻めずらく守りやすいので、 戦略上、重要な場所を指すらしい。

 加護山城 村上市葛籠山字要害山
 白鳥城  胎内市羽黒字要害
 加治城  新発田市宮内字要害山
 竹俣城  新発田市上三光字要害
 黒滝城  西蒲原郡弥彦村麓字要害
 加茂城  加茂市上条要害
 根古屋城 魚沼市根小屋字要害
 鷹待城  魚沼市大栃山字ヨウガイ
 桐沢城  南魚沼市大和町桐沢(要害山)

このリストは、新潟県内の要害山にある山城なんですが、結構ありますね。
戦国時代を中心に築かれた山城らしく、さすが戦国大名上杉氏のお膝元。

そして、最後の桐沢城というのが、このゲレンデに因んだ要塞ということでした。
城塞史跡協会という特定非営利法人がネットでちゃんと紹介しております。

今回、この原稿を書く上で探し出したのですが、色々な法人があるものです。
でも、歴史ファンなら、城跡を訪ねて往時を夢想したくなるのかもしれません。

というわけで、かつての山城が今ではレジャーのスキー場に転じていたのでした。
全国的にも、要害山の標高はどんなに高くても、七八百メーターのようですから、スキー場を設けたとしても、暖冬には雪不足で悩まされるのは必至なのだと思ってしまうのでした。


おまけ:ゲレンデ情報(H27年12月19日、越後湯沢~魚沼地方)
舞子スノーリゾート
積雪 50cm 一部オープン
標高 頂上920m 山麓260m

石打丸山スキー場
積雪 15cm 延期
標高 頂上920m 山麓256m

NASPAスキーガーデン
積雪 25cm 延期
標高 頂上690m 山麓430m

奥只見丸山スキー場
積雪 90cm コースほぼ全面滑走可能!
標高 頂上1,242m 山麓735m

上越国際スキー場
積雪 50cm 一部オープン
標高 頂上1,017m 山麓200m

湯沢中里スキー場
積雪 10cm 延期
標高 頂上702m 山麓458m

GALA湯沢スキー場
積雪 50cm 中央エリアの3コースオープン
標高 頂上1,181m 山麓381m

八海山麓スキー場
積雪 0cm 延期
標高 頂上450m 山麓200m

湯沢高原スキー場 
積雪 30cm 延期
標高 山頂1,170m 山麓340m


 

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2015年12月16日水曜日

スキーヤー、ボーダー連中にとっては、寒気団こそが大明神なのである - シベリア寒気団(ユーラシア大陸)

  
そういえば、11月下旬に札幌ではなんと44センチもの降雪がありました。
観測史上、初めての積雪量になるそうですが、現在は0センチだとか。

つまり、それ以降に寒波が全く訪れずに、暖かい日が続いたようです。
結局、それ以降は雪は融け続けていたのですが、これって暖冬でしょうか。

まあ、札幌に長く暮らしていた自分の経験ですが、まだ先は分からない。
冬の始まりは序の口でして、もし暖冬なのか判断するなら、これからです。

天気予報を見ていますと、暦の行事に応じた寒波の呼び名がありますね。
例えば、クリスマス寒波、年末寒波、などですが、規則性があるのです。

秋から冬に掛けて大気が冷え込んでくると、シベリアの寒気団も強まります。
年の瀬に掛けて勢力を増してきますが、その第一弾がクリスマスの頃です。

自分的には、12月20日前後に第一波がやってくるのなら、平年でしょうか。
今年は少し早めなようですが、これまでが暖かすぎで、暖冬にも思えました。

ただ、寒波の襲来だけを見れば、至極、平年並みの天気循環みたいです。
勢力もかなり強そうなので、スキー場にはありがたい天の恵みになります。
  
  
つまり、11月下旬の降雪は早すぎで、寒気が中だるみしてしまったのでしょう。
まだ初冬ですから、この頃にスキー場がオープンできなくても、当たり前のこと。

そして、クリスマス前にゲレンデが開ければ、次は正月寒波の到来です。
この寒波も意外に重要でして、この降雪でゲレンデのバーンが安定します。

気温もぐっと下がり、雪が溶け出すことも無くなって、スキー場も安心します。
ところが、この二つの寒波で、どちらかが欠けると、暖冬傾向は否めません。

というのは、年が明けて、次の大きな寒波は、大寒の月末になるからです。
そして、これから二月の中旬まで、寒気の吹込みが頻繁なら厳冬でしょうか。

昨年一月にアメリカを襲った大寒波は、ナイアガラの滝まで凍らせました。
何しろ、最高気温が広域でマイナス0~20度と真冬日が続いたんだとか。

こういった、大気の循環は地球を巡って、三週間後が日本になりました。
確か、二月、全国各地の山間部も大雪で、集落が孤立状態になります。

メディアでも頻繁に報道されましたが、冬山登山の遭難もまた相次ぎました。
なので、寒気団の訪れには周期性・規則性が見られるということなのです。
  
  
このことを覚えていれば、ゲレンデオープンでやきもきすることもありません。
クリスマス寒波の第一弾が、どれぐらいの強さで襲来するか、確認しましょう。

というわけで、滑走野郎には、天気予報士の分析力が、要求されるのです。
スノーマシンで降らせれば、人工的にゲレンデコンディションが安定させられると言っても、寒気の影響で気温が下がらなければ、雪を降らせる条件が整わない分けでして、ここはシベリア寒気団さまさまと崇めて、天を拝もうかと言う気分になるのでした。

2015年12月13日日曜日

AXIOM、すなはちアクシオムってリゾート名は、場違いなくらい洒落てはいたんだけどね - アクシオムスキー場(新潟県下越)

平成6年1月22日滑走

越後アクシオムスキー場は、2001年のシーズンを最後に閉鎖されました。
リゾートという触れ込みで開発されたのですが、それにしてはゲレンデがしょぼい。

リフトを乗り継いでも滑走距離が一キロ程度で、コースのバリエーションも少ない。
自分が滑った時には、休憩室がプレハブ小屋で、これがリゾートなのと思いました。

まあ、この界隈のあまたのスキー場の一つぐらいの印象でしかなかったのです。
ただ、スキー場内には、PRの赤い旗指し物が、ここかしこにひるがえりました。

これでもかというぐらいですが、逆に場末のゲレンデっぽい印象を強くする始末。
リフト最上部のピークが権現堂山では、リゾートらしい雰囲気を台無しにします。

でも、AXIOM=アクシオムのリゾート命名は、場違いなくらい洒落てはいました。
パンフ自体も、イメージできる雰囲気が、それなりには醸し出されております。

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全ページご覧ください

それで、このパンフを見ていて、越後湯沢近辺のゲレンデより不利だと感じました。
それは、東京からの所要時間が目安として書かれていますが、遠いなーと思う。
 
 東京より新幹線で、2時間20分。
 関越高速道で、2時間55分。
 
この55分の表現が実に微妙なんですが、どうしても三時間を切りたかったのか。
そういえば、北海道新幹線も函館まで四時間を切るのか、それが問題だそうです。

なぜなら、旅客が飛行機から新幹線に切り替える目安が、四時間以内なんだとか。
この時間を越えてしまえば、飛行機で行っても、かまわなくなってしまうみたいです。

こういう距離と時間の相関関係は、スキー場にも集客に大きく影響してきました。
特に、首都圏から二時間いう宣伝文句は、色々なゲレンデで使われていたのです。

例えば、中央道の車山高原が典型的ですが、越後湯沢周辺のゲレンデもそうです。
神立高原、岩原、石打丸山や舞子後楽園など、名立たるビッグゲレンデが目白押し。

後発のリゾートとなるとガチンコで勝負するのは、ちょっと無謀だった気がするのです。
ゲレンデも、開発した山塊の標高も低いし、コースの拡張性に乏しい感じは否めない。

なんだか、不利なこと尽くめで、スキービジネスの参入は特攻だった気もしてきます。
スキーヤーを上手く取り込むには、最初から難しいことは、分かっていたはずですが。

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裏表ご覧ください

というわけで、グーグルストリートビューでは、廃屋のレストハウスが確認できました。
ゲレンデ後も残されたままでみられますが、リフトは撤去されてしまっております。

一方、スキー場の食堂&休憩施設は、自然体験学習型施設に生まれ変わりました。
”みんなのおうち”と言いますが、すぐそばの温泉施設も、そのまま営業中みたい。

神湯温泉倶楽部といって宿泊もできますが、活用できる施設は残されたのでしょう。
こうして、今はどこにでもあるような田舎の山間部に戻っただけのことですが、あの頃の行け行けドンドンでリゾート開発していた当時は、後先顧みずにただ突っ走ってしまって、採算性もへったくれもなかったんじゃないのかと、改めて思う次第なのでした。


おまけ:



現在のスキー場跡が分かります


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2015年12月10日木曜日

ゲレンデに雪だるまのスノーマシンがあったっていいじゃないか - スノーマシン・人口降雪機(荏原製作所)



スキー場にある人工降雪機は、いかにもマシン然としていかにも無骨なものです。
本当なら、雪を降らしてくれるロマンチックな装置なのですが、目的が違います。

スキー場のゲレンデを作ることこそ、第一義ですから見てくれより性能でしょう。
どれだけ効率よく雪を降らせ、いち早くゲレンデを造成し、オープンに持ち込めるか。

それに、スノーマシンは、気温が零度以下になる夜間が活躍の時間帯になります。
なので、スキーヤーの集う日中は、邪魔者以外の何者でもなくなってしまうのです。

まあ、キャタピラー式なら作業が終了すれば、移動して格納庫へ収納されます。
ところが、固定式ファンだとゲレンデの脇に固定されて、無粋な姿をさらしてしまう。

なので、機能優先より、もう少しデザインに気を配って欲しいとは思ってしまいます。
さて、冒頭のビデオは、”SnowWonder"ブランドの雪だるま式スノーマシンでした。

とはいっても、ご家庭用の雪降らせマシン程度にしか過ぎず、雪も人造のようです。
アメリカで販売されている製品ですが、パーティーグッズとしても紹介されています。

ということは、クリスマス・ニューイヤーの冬季パーティーシーズン向けなのでしょう。
アメリカは広大でして、冬の季節でも、雪の降らない地域は意外に多いのです。

フロリダなんか亜熱帯から熱帯の地域に入るし、アリゾナには砂漠だってあります。
一方、ヨーロッパの移民から始まった国ですから、クリスマス行事の意義は大きい。

サンタクロースはトナカイの引く雪ゾリに乗ってやってくるのに、雪が見当たらない。
子供たちも、プレゼントはもちろんですが、冬のシーズンに雪を見たいはずです。

こうして、雪だるまの装置が販売されているのですが、なかなかかわいいですね。
デザインを見ると、ゲレンデ用スノーガンなら雪だるまに仕込めるかもしれません。

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ただ、ゲレンデのスノーマシンは、大型ファンで空中へブローするものが主流です。
ご存知のように、効率よく降らせるには、このデザインがどうしても必要なのでした。

さて、ゲレンデ用の人工降雪機は、調べると世界各地にメーカーがあるようです。
日本では、樫山工業と荏原製作所が営業していましたが、荏原さんは撤退しました。

それでも、長野オリンピックの頃、滑降コースの案件を、六億円で落札しています。
ネットで検索すると新聞記事が見つかりましたので、撤退はそれ以降と思われます。

スキーブームも去ったことだし、それ以降はゲレンデ開発も無くなってしまいました。
ビジネスの将来性が見込めないとなると、あきらめた印象が強い感じがします。

ならば、輸出ビジネスを検討したいところですが、円高では競争力も厳しくなります。
しかも、スキーリゾートの本場、ヨーロッパやアメリカは、この装置の発祥の地です。

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システムの特許も、最初にアメリカで出願されたのは半世紀以上も前のことでした。
ファン方式は昭和49年が嚆矢になります。

一方、日本メーカーは、渡来のノウハウや技術を応用して、製品開発を行いました。
後は、お得意の品質向上や改良で勝負ですが、こういった市場は非常に特殊です。

自動車のように、十万台規模で北米で販売できるほどの市場規模でもありません。
国内にしても、最盛期で年間千台以上を出荷できるぐらいのすきま市場でしょうか

アメリカのSMI社でも、通算の出荷が一万二千台以上とあって想像以上に小さい。
それに、産業機器がこの規模でメンテナンスを展開するのは、大変なのも事実です。

というわけで、荏原さんが撤退してから、国内は樫山工業さんの一社が残りました。
この企業は、スキーリフト(索道)も手がけており、スキービジネスにまい進中です。

ただ、最近では、アメリカのSMI社製を輸入して設置するスキー場もあるようですが、ここは国産品を導入・設置していただくとして、スキー産業全体の底上げを、バイジャパン(BUY JAPAN)で行こうではないかと、個人的には思うのでした。



荏原製作所設置実績表



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