2014年5月30日金曜日

途中は廃墟マニア垂涎の地 - 岩手八幡平スキー場 (その二) (岩手県)

グーグルドライブはこちらから

このスキー場へ行く途中に、不気味な光景に出くわします。
廃墟となった集合アパートが林立する地域を抜けていくのです。

この辺り、遠まわしにカーブを描きながら道路は高度を上げていきます。
周辺は草木も生えていないようで、荒涼感がいっそうつのります。

観光がメインの八幡平アスピーデラインなのに、何か変です。
怪しい雰囲気がただよう中、滑ったらすっかり忘れてしまいました。

平成3年4月29日滑走

後年、思い出したのですが、それは夏場に出かけたときです。
ここは、十和田八幡平国立公園の観光地です。

公明な温泉地も多く、泊りがけで出かけた時のことでした。
同じように近くを通ったのですが、夏場でも寂寥感が漂っています。

帰宅してから、あの廃墟は一体なんだったのか気になって調べてみました。
分かったのは、東洋一といわれた松尾硫黄鉱山の跡地です。

最盛期には、一万五千人近くもの人々が住んでいたとか。
ただ、輸入品や石油精製代替品に押されて経営が行き詰ってしまう。

結局、昭和47年の1972年には閉山してしまいました。
しかし、話はこれだけでは終わらず、公害問題が残りました。

それは、廃鉱から流出する強酸性の鉱毒水です。
この中和処理に、なんと年間数億円以上の金が掛かっています。

八幡平有料道路(秋田側)

なんともなんとも、厄介な負の遺産が相続されてしまいました。
そんなことも露知らずに滑ったのですが、未だにあの廃墟は忘れられません。

と言うわけで、このゴーストタウンは廃墟マニアの名所なのだそうです。
今や、このキー場は閉鎖されてしまいましたが、近くにも良いスキー場があります。

もし興味があるのなら、滑りに行った後、是非お立ち寄りくださいとお勧めしたくなるのでした。


おまけ:クリックしてみてください!
八幡平ユースホステル
松尾鉱山
松尾鉱山(八幡平中腹に残る不気味な廃墟アパート群)
旧松尾鉱山坑廃水の中和処理を考える
八幡平有料道路(裏面、秋田側)

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2014年5月28日水曜日

初すべり、すべり納め、季節ものスポーツならでは - 岩手八幡平スキー場 (その一) (岩手県)

昭和62年12月12日滑走

昔は、初すべり御用達のスキー場が各地にありました。
例えば、関越では谷川岳天神平が真っ先にオープンします。

一方、東北地方へ北上すれば各県に存在していました。
青森なら八甲田、宮城は蔵王すみかわ、山形が天元台。

岩手ですと、この岩手八幡平スキー場に白羽の矢が立ちます。
例年12月初旬にオープンしますが、冷え込みのきつい年もあります。

こういった時、まれですが11月末に臨時オープンです。
ただ、その後、雪が融けてしまって一時的にクローズもします。

初冬、天気予報で寒波情報を見ますとなぜかウキウキです。
この気圧配置なら、あそこは積雪何センチだろうとか推測します。

とにかく、寒波が初雪を降らして通り去ってくれた後が大事です。
いてもたってもたまらなくなって、スキー場へ電話をしてみます。

相手から30センチと聞こうものなら、よっしゃーと歓声ですよ。
もちろん、リフトを営業しますと相手から確認するのも忘れない。

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こうして、この年はいそいそすべりに出かけることができました。
このスキー場、ハッキリ言ってシーズン初めと終わりの用向きだけ。

あいにく、フルシーズンになってしまえば見向きもされません。
なぜなら、標高があるので寒いし雪のある日が多いのです。

天候に恵まれなければ、ふもとの八幡平リゾートが快適でしょう。
そんなスキー場なので、客層はかなりマニアックな連中ばかりでした。

この日は未だに覚えていて、午後からみぞれまじりの雪になりました。
滑走には最悪の天候でして、吹雪いてまともな視界すらありません。

そんなスキー場の思い出ですから、リフト全てを通したこともありません。
初すべりは、たいてい、一番下のゲレンデだけでした。


リフト券(裏面)
東北ではこのコンフォールというスキー板を見かけました

すべり納めになると、残雪の上部リフトを使用します。
しかも、バーンが数メーターの幅しかなくなって窮屈に滑りました。

とにかく、コースを選んで滑る余裕などは全くありません。
でも、滑れればよいというマニアにはたまらないスキー場でした。

と言うわけで、このゲレンデは廃止されてしまって、いかにも残念です。
ただ、今は元来の山スキーコースに先祖がえりして生き残りました。

春先の残雪をたのしみに、スキーを履いて登山と言うのも、乙なことではないかと思った次第なのでした。


注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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2014年5月26日月曜日

幻の冬季オリンピック候補地 - 霧ヶ峰スキー場(長野県)

昭和62年3月7日

日本国は、一度、オリンピックの開催を断念しました。
それは、戦争によって国際情勢が悪化したからです。

それは、昭和15年、西暦は1940年のことでした。
すでに八十年近くも前のことですが、夏冬の両方です。

当時、夏は東京で冬は札幌で開催される予定でした。
この冬季ですが、事前に国内で候補地を選んでいます。

中でも、長野県は複数の地域が名乗りを上げました。
志賀高原、菅平、乗鞍、そしてこの霧ヶ峰がそうです。

一方、札幌はすでに人口が二十万を超えていました。
北国のフロンティアでもあり、冬のスポーツも盛んです。

これは手ごわい候補地だったのには違いありません。
一方、長野県は有名な場所がバラバラに立候補しました。

こうなると、札幌がまとまりがあって選ばれるはずでしょう。
こういった誘致合戦では、長野は残念まとまりを欠きました。

結局、戦後になって冬季オリンピックは札幌で開催されました。
だから、ひょっとして霧ヶ峰は競技会場になったのかもしれません。

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そんな隠れたかの地の歴史ですが、長野オリンピックでは選外です。
だって、最大斜度20度、平均斜度10度の緩斜面しかありません。

技術レベルが段違いに進歩、向上した現代の競技スキーです。
今ならば、ファミリー向けに楽しんでもらうゲレンデに落ち着くしかない。

ただ、そうは言っても霧ヶ峰高原にはスキー場の長い歴史があります。
これに加えて、一年を通じた観光の魅力も加われば、鬼に金棒でしょう。

というわけで、このスキー場は高原の季節を表すひとつの風物なのです。
名前の知られている分、こむずかしいことは考え無いほうがいい。

雪に滑り、戯れるレジャーのために、このゲレンデがあるということなのでしょう。


おまけ:
正しいリフトの乗り方(ストックの持ち方)
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霧ヶ峰有料道路券


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2014年5月24日土曜日

底辺の広がらない運営​は自滅の一歩 - 野辺山スキー場(レー​シングキャンプ野辺山​) (長野県)

北越雪譜より、鈴木牧之著(1837年)

著者は、江戸時代の人ですが、知っていたのです。
雪が結晶となって、空から舞い降りてくるということをです。

これは、冬の季節に人々にもたらされる自然の贈り物でしょう。
結晶の一つ一つは、小さくて降り積もってもふわふわです。

正六角形を基本として、針葉樹のような枝葉がのびています。
このせいで、もし踏みしめたとしてもわずかな隙間が残されます。

こうして、雪の感触自体にはやわらかさが残るものです。
一方、ゲレンデに降り注いだとしても同じことを足腰で感じるはずです。

もし、天然雪だけでゲレンデがつくられていたら、滑ってどう感じるか。
降ったままの新雪ならフカフカだろうし、圧雪でも固さは感じない。

初心者が転んだとしても、やわらかいバーンなら痛さを感じないはず。
雪に親しみ、遊ぶ楽しさを覚えさせてくれるのは、天然のパウダーだけです。

昭和61年2月頃滑走

ところが、人口雪のゲレンデだと固くて往生した人も多いと思います。
自分も、この野辺山スキー場では、ガリガリの固さで難儀しました。

もっとも、日中は晴天の多い内陸地方なので気温も上がりやすい。
雪も、融けては固まるのを繰り返して行きます。

こうして、アイスバーンになりやすいのかもしれない。
でも、天然雪だとあれほど固くしまったような感じがしなくもない。

これは、やはり人口雪で作ったバーンなのだ。
滑ってみて、改めて納得させられました。

さて、このスキー場では、零度以上で人口雪ができるとPRしていました。
取材テレビで見たのですが、真昼時、ぶっといホースから雪が飛び出します。

雪というよりはザラメみたいに感じましたが、いわれればそうです。
これは、深夜番組でスキー場を紹介していたときの一コマでした。

今改めて調べなおしてみましたが、これは人口造雪機です。
アイス・クラッシャー・システム(ICS)とも言い、要するに巨大なカキ氷機。

氷を作って削って溜め込んで、雪モドキを圧送して降らせ積もらせます。
後は、圧雪車がゲレンデを整備してていねいにコースを完成させます。

でも、これって単なる滑りやすいコースを作る目的だけなんじゃないでしょうか。
たまさか、冬のスポーツだから擬似的な要素の雪を用意したまでです。

滑りやすい目的なら、高分子給水ポリマーの人口雪だってかまわない。
となれば、このスキー場には、天然雪の感触は元々無かったことになる。

ガチガチのバーンだからエッジを利かせないと、上手に滑り降りられない。
こんなゲレンデ、家族連れで来られるところではないでしょう。

他方、ポール練習とか、競技指向のスキーヤーだったら、腕の見せ所です。
いかにタイムロスを少なくして旗門を通過できるとか、うってつけでしょう。

それに、横に並んで三本のリフトも短くて、標高差はわずか二百メーターです。
反復練習には申し分ありませんが、長い距離を楽しく滑る雰囲気すらない。

ますますファミリー向けのスキー行楽客は遠のくというものです。
大体、基礎技術・競技スキーヤーの層などたかがしれています。

こんなリピーター層を相手にしても、スキー場に金が落ちるのかどうか。
やはり、先鋭化する顧客層より、ファミリーの大衆路線が大事でしょう。

こうして、将来の集客力が深読みできてしまうと、費用が賄えるのか。
ICSによる人口造雪では、結構コストも掛かるし、その負担が大きい。

しかも、耐久期間を過ぎたリフトの架け替えでは、あらたな投資が必要です。
結局、未来の採算が描ききれなくなったのかもしれません。

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もっとも、隣接するシャトレーゼスキー場は、お菓子の会社が運営しています。
客層として、お菓子=子供=家族の図式が見事に成立しているのでありました。

というわけで、近くには太陽電波観測所もありました。
パラボラアンテナの林立する風景は、まさにシュールなウリでもあります。

しかも、夏はゲレンデ上部がハイキングコースとして紹介されています。
なので、通年型のアイデアは無かったのかと残念に思う次第なのでありました。

太陽電波観測所のフリー素材

 
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2014年5月22日木曜日

クワッドでも良かった​んじゃないのか - しらかば高原国際スキ​ー場 (長野県)

昭和61年2月21日滑走

諏訪地方のビーナスラインはスキー場が多いのです。
蓼科・白樺高原を中心に十箇所以上が点在しています。

一方、自治体はこの高原を境界にして隣り合っています。
その内訳は、立科町をはじめとする四市町村です。

この立科町ですが、実に面白い自治体の領域です。
地図で見ると猫が座り込んで見上げたような形をしています。

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北側は、ちゃんと耳がついた頭のようで、町役場が所在します。
南部は、座った姿でしょうか、観光地の白樺高原になります。

それで、これをつなぐ胴体がやけに華奢なのです。
幅がわずかに五十メーターで、隣町にぐんとはさまれます。

あるのは山林と南北を貫く県道40号線だけです。
どうしてこんな区域になったのか分かりませんが、面白い。

おそらく、昔はこの県道が中仙道の脇道だったのかもしれない。
それで往来もあったので、自治体を設けるときにつなげた。

そんなところじゃないでしょうか。
そう考えれば、この領域の姿形も合点が行くでしょう。

さて、この白樺高原ですが、町営スキー場が二つです。
”白樺”が冠名になって、”高原国際”と”2in1”になります。

この白樺高原国際ですが、ゴンドラが運行されていました。
冬は、もちろんスキーですが、夏は観光用に変身します。


その名もシャトルビーナス、搬器も六人乗りで大型でした。
ただ、距離が実に短距離で1260メーターしかない。

乗り込めばわずか五分で山頂駅に到着してしまうのです。
それなら、クワッドリフトでも用が足りたんじゃないのか。

でも、リフトなら支柱の高さを季節によって変えねばなりません。
これには、索道事業の規則があり通年営業なら面倒くさい。

なので、いっそのことゴンドラにしてしまったのだと思いました。
滑りまくりましたよ、なんと二時間半で15回も乗りました。

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滑っては降り、滑っては降りで、休憩なんかしません。
ゴンドラに乗ったら、その五分間が貴重な休み時間です。

これも、ゲレンデが緩やかな初中級者向けだからできたのだ。
疲れたとは言え、若い二十代なので無理してみました。

さて、このスキー場は牧草地を開放したゲレンデです。
積雪が少なくても滑走できるメリットはあります。

ただ、内陸の高原地域ゆえに雪不足には悩まされます。
天然雪を補うため、スノーマシンでゲレンデ整備は欠かせません。

と言うわけで、スロープには小石が転がっていたりして滑走面をよく傷つけました


注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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2014年5月20日火曜日

メイン国道隣接の交通至便がグッド - 米沢スキー場 (山形県)

昭和63年1月23日滑走

スキー場のリフト券マスコットがかわいいのです。
雪だるまさんが、スキーを履いております。

正ちゃん帽をかぶったり、手袋もしたりしています。
家族向けのスキー場をイメージさせてくれます。

このスキー場、国道13号線沿いにあるので便利です。
首都圏からは車で四時間半と宣伝もされています。

上越場よりは多少時間がかかりますが、雪質が違うのです。
せっかく山形まで来たのだから、良質の粉雪に期待しましょう。

ペンション村もありまして、キラキラ王国の名前でした。
若い人向けに、家族向けに宿泊も便利なわけです。

ただ、痛ましい死亡事故が起きてしまいました。
それは平成8年の2月11日のことです。

四人連れの家族が一酸化炭素中毒になりました。
その内、お二人が犠牲になっています。

何でも、喚起の悪い部屋でのストーブが原因らしい。
降雪もあって、雪がロッジ全体を塞いでしまった。

そのため、喚起も悪くなり不完全燃焼ガスが充満します。
こうして、犠牲者も出てしまったのですが、実に悲しい事故です。

ペンション村としてもショックだったんじゃないでしょうか。
そんな記憶はさておき、スキー場の印象は雪また雪でした。

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滑ったとき、大雪でして前方の視界が開けない。
メガネを掛けているので、ゴーグルは余り好きでない。

滑っていると、メガネ前面に雪が張り付いてきます。
スピードも余り出せず、ちんたら曲がりながら滑り降りました。

このスキー場、41度の大壁コースもあるんですね。
一度だけですが、試しにだましだまし降りてきて見ました。



滑りの経験は長いですから、斜度は気になりません。
ですが、滑る格好はバタバタですから駄目です。

それ以外は中級ゲレンデもあり、楽しく滑られました。
もう少し天候に恵まれたらと、今でも思っています。

と言うわけで、前に戻りますがリフト券のマスコットが秀逸です。
たかがリフト券、されどリフト券のデザインといった感じなのでした。


注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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2014年5月18日日曜日

雪質が良いならガッツ​なゲレンデも欲しい - 国設湯殿山スキー場 (​山形県)

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この辺りは、日本海から雪雲がやってきて大量に降らせます。
山形県の庄内地方ですが、日本有数の豪雪地帯です。

先ず、仙台から出かけたので、月山花笠ラインを超えました。
この国道は112号線ですが、自動車専用道路です。

途中、休憩を兼ねた駐車場に、高い標柱を見かけました。
月山峠の付近だったと思いますが、最高積雪点を記していました。

確か、6メーター近くにも達していたはずです。
こんなに積もれば、除雪で道路わきは雪の壁になってしまう。

立山黒部アルペンルートみたいな観光地だったら分からなくもない
でも、ここは庄内と村山の両地方を結ぶ、重要な生活道路です。

交通の要所と言って良い場所でも、雪の壁ができてしまうようです。
その積雪量は大変なもので、残雪スキーだって大丈夫。

昭和63年2月28日

隣接する月山スキー場がそうで、7月までは楽しめます。
一方、昔は、ここだって春スキーで4月下旬まで滑られました。

ゲレンデの造りですが、なだらかな初中級コースが主体です。
特徴もあまり無くて、やや物足りないレイアウトでした。

ただ、週末のせいかもしれませんが、かなり混雑していました。
実際、庄内地方には大きなスキー場がありません。

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なので、地元スキーヤーがかなり集まって来ている感じです。
雪質も良いですし、深雪シュプールを楽しむゲレンデなのでしょう。

と言うわけで、今となっては規模で比べれば見劣りするのは否めません。
それでも、スキー場の重要なファクター”雪”が未だに大きく物を言っているスキー場なのでした。


おまけ:
国設湯殿山パンフ(裏)
国設湯殿山リフト券(裏)


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2014年5月16日金曜日

第一シードの海和が滑​った - やまがた赤倉温泉スキ​ー場(山形県)

昭和63年2月13日滑走

海和俊宏さんは、山形県最上(もがみ)町出身です。
日本が生んだ初のワールドカップ・第一シード選手なのです。

回転競技で五位にはいり、オリンピックでメダルの期待もありました。
ただ、突然のケガが選手生命を短くしてしまった。

練習中にアキレス腱を切断してしまったトラブルです。
なんとも不幸で、今一、世界で実力を発揮できなかった。

実に残念なことで、ケガさえなければという思いもよぎります。
なぜなら、”技術的に世界で一番こわい”と言われたようです。

あの二十世紀を代表するスラローマー、ステンマルクの発言です。
彼と活躍時期が重なりますので、本当だったのでしょう。

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このスキー場ですが、当然、彼のホームゲレンデでした。
冬季国体も開かれていますから、コースも整っています。

最上部は、平均斜度で28度の上級者向けバーン。
しかも、海和バレーとご本人の名前が付けられていました。

今となっては珍しいシングルリフトが設置されているだけです。
わずか350メーターと短くて、反復練習用だったのでしょうか。

圧雪が入った後、滑らかな斜面を滑り出す爽快感はたまらない。
ただ、脚力が弱いから、なかなか制動が利かずに滑ってしまいました。


大回りのターンとはいえ、スピード感を覚えずにはいられません。
これが病み付きになり、このリフトを繰り返し滑ってみました。

と言うわけで、このスキー場はコンパクトなりにガッツのあるゲレンデです。
標高はさほど高くありませんが、山形県まで来ると雪質は期待できます。

後は、温泉にのんびり浸かって体の疲れを癒すとしましょうか。
そんな、あのバーンをもう一度滑りたいと思う、やまがた赤倉温泉スキー場なのでした。


注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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2014年5月14日水曜日

大五郎3分待つのだぞ - 鳴子上野々スキー場 (宮城県)

昭和63年1月30日滑走

ここは、宮城県スキー発祥の地だそうです。
鳴子温泉街の裏山に位置しています。

ところが、簡単そうに思えてたどり着けられない。
分かりやすい道しるべもないし、無論カーナビは後世の話。

とにかく、駅前から鳴子小学校をぐるっと回り込んでみました。
すると、程なくしてなだらかなスロープが見えてまります。

ここが、齢90歳を超えようとする歴史の長いスキー場なのです。
開かれたのは大正12年、昭和以前の話ですからかなり古い。

最初はリフトも無く、スキーを担いで上ったのでしょう。
当然、体力的にも負担にならないようスロープもなだらかです。

距離もさほど無いし、ここにリフトを掛けても気持ち程度でしょう。
滑った当時、三本のリフトの内、二本が稼動していました。

どちらも、二百数十メーターの長さで、三分かからない距離です。
この三分と言えば、、インスタント食品の定番時間ですね。

この間、我慢すればおいしく出来上がって食べられるわけです。
なかでも、レトルトの代名詞”ボンカレー”のCMは秀逸でした。

放映中の時代劇”子連れ狼”を見事にパロディーしています。
時は昭和47年、台詞回しも面白いものでした。


岩波新書:キャッチフレーズの戦後史より

”大五郎。 母が恋しいか。”
”おおそうであった。 三分間待つんだぞ。”

この後、”腹がへってもじっとガマンの子であった”で閉めます。
当時、第四次中東戦争で石油価格がかなり高騰していました。

物不足も広範囲に発生して、買いだめも横行したりしています。
つまり、一般庶民は耐乏生活を強いられていたのです。

だから、我慢という言葉が世相にドンピシャはまったのでしょう。
まあ、高度経済成長の日本に陰りの差した時期なのでした。

クリックで拡大します

そんな昔を、このスキー場のリフトからつい思い出してしまいました。
なんたって、三分で乗り終えてしまう短さが可愛くもあります。

しかも、最大斜度20度、平均で10度以下のユルユルなゲレンデ。
ファミリーをはじめ初級・中級者でも安心して楽しめる。

はっきりいえば、温泉客や地元の子ども向けスキー場。
しかも、温泉街からすぐとゲレンデアクセスは意外に魅力的でした。

と言うわけで、幸いにして未だにスキー場の運営が続けられています。
ただ、ガラガラで経営自体どうなっているのか心配も残ります。

それでも、フリーゾーンが確保されてソリ遊びには穴場でしょう。
子どもにはその方がいいと、変に納得してしまう鳴子上野々スキー場なのでした。


おまけ:
(出典:岩波新書:キャッチフレーズの戦後史)

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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2014年5月12日月曜日

エコーラインをなぞっ​た感じ - 坊平高原スキー場(蔵​王ライザスキーワール​ド)(山形県)

昭和62年12月19日滑走

蔵王温泉スキー場の陰に隠れてしまいました。
東北を代表するネームバリューに比べて実に地味です。

規模的にちっぽけなという印象はありませんでした。
自分が滑った当時、リフトが四本です。

ただ、現在はリフト三本とレイアウトがもっとシンプルです。
リフト二本分が距離のあるクワッドにまとめられました。

乗り継ぎが不要で、機動性も高まったということでしょうね。
滑走距離は昔どおり二キロのダウンヒルができます。

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さて、このスキー場は傍らに蔵王エコーラインが通っています。
山頂の火口湖、御釜を見るには絶好の観光道路なのです。

こうなると、ここは夏の観光も捨てがたいものがありますね。
ドライブすれば、ここがスキー場だったのかとすぐに分かります。

それで、スキー場とは別物に夏場の観光リフトがありました。
スキー場の上部から、エコーラインでもう少し上ったところです。



かすかな記憶なんですが、自分も一度乗ったと思います。
距離にして四百メーターあるかないかですが、苅田岳頂上はすぐです。

ただ、本当は車があればエコーライン有料道路で登れてしまう。
きっと、昔は観光バスがリフトのりばまで運行していたのでしょう。

と言うわけで、この坊平高原は、蔵王の南麓に位置しています。
むしろ、かみのやま温泉の方が近いかもしれません。

蔵王という名前がついたばかりで、あの巨大なスキー場に埋もれてしまった。
どうせなら、その名を冠にせずに別の名前で勝負すればよいのにと思ったのでした。


おまけ:グーグルドライブはこちらから
百名山やまがたトレッキングガイド(表)
百名山やまがたトレッキングガイド(蔵王)
トレッキングMAP(蔵王)

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


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