2019年10月29日火曜日

おらは、アイヌの人が北海道の先住民だと強弁するので、”チュサッパハムニダ!”と言いたくなってしまう - 北海道アイヌ協会(そのほか)

名付けて”茅空(かっくう)”の愛称
   
この中空土偶は、北海道南部のとあるジャガイモ畑から発掘されました。
偶然、地元の主婦が農作業中に、畑から人型の焼物を掘り当てます。

その後、家族も教科書で見た土偶かもしれないと思って、役場に相談。
その結果、町の教育委員会が発掘調査を行なったら、遺跡だったとか。

時代も縄文後期と判明し、後日、著保内野遺跡として知られました。
年代的には、約3200年前と推定されており、ヒスイの勾玉も出たのよ。

それで、土偶は「茅空」と名付けられ、北海道唯一の国宝になりました。
まあ、北海道は、近世になるまで文字で書かれた文献が殆どないんだ。

このため、遺跡、墳墓の発掘を通じて、その歴史を推測するしかない。
なので、学術的には日本人の祖先たる縄文人が蝦夷地にいた証拠だ。

     
だから、かの地に先に住んでいた人々だから、先住民(原日本人)。
一方では、アイヌが新法で先住民として定義されるのか、訳が分からん。

ただ、政治的な色合いを込めた定義だとアイヌの人も当てはまるらしい。
まあ、日本国の領土で、アイヌの人は、人口比で少数派なのは事実。

なので、アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するようにしたい。
このための施策の推進に関する法律が、「アイヌ民族支援法」だとか。

言っとくけど、蝦夷地に定住したのは縄文人であって、アイヌ人ではない。
そして、アイヌ人が、歴史的に登場するのは、遅れて十二~三世紀だ。

それまで、土器を作り、竪穴住居で暮らした縄文人が蝦夷地の民人。
学術的には、縄文、続縄文、擦文と時代区分が続けど、土器文化。

寒冷地で稲作もできなくて、代わりにヒエ、アワ、キビ、ソバを栽培した。
学術的にも、遺跡発掘から種子を採取した論文もあって間違いない。

一方、アイヌ人も農耕をしていた事実はありますが土器は作らなくなる。
しかも、居住環境が、竪穴式を止めて掘立小屋に住んだから面妖だ。

十三世紀以降、忽然と土器と竪穴住居の文化が消滅したのは、なぜ。
しかも、擦文文化が、北海道東部にまで広がったのに突然に断絶する。

まあ、この文化的な消滅について北海道アイヌ協会の定義がユニーク。
交易経済の発展で、鉄製品や漆器等の移入が進み、土器が廃れた。

松前藩家老、蠣崎波響の描いた酋長

その辺りの生活様式の変わり方を”変容”と表現したが、違いすぎるな。
ところで、かれらは、大陸沿海州や樺太北部の諸民族とも交易をした。

三丹交易や蝦夷錦の言葉がある通り、その文物は日本にもたらされる。
北方民族との交流が深かったようですが、アイヌは樺太にも住んでいた。

なので、アイヌ人の生活・交流圏は北方にあって、北方民族なんだろう。
他方、道南の縄文人は、本州から黒曜石を移入したと判明している。

ただし、縄文人の遺跡からは、北方民族系の遺物は出てきていない。
だから、文物の交流を見ても、縄文~擦文とアイヌ文化は交わらない。

思うに、アイヌの人は気候変動による、北方系の南下民族なのでしょう。
実際、地球レベルの気候変動を見ると、日本は平安時代が温暖期。

その後、気候が寒冷化し、蝦夷地で農耕できなくなった可能性が高い。
結果、擦文文化の人々は、食糧不足のなかで消滅していったのだろう。

なぜなら、グリーンランドで14世紀以降に寒冷化が進んだ時も同じだ。
イヌイット達は、狩猟・漁労の方法を進歩させて南下しつつ生き延びた。

それ対して、ヴァイキング達は北欧式の牧畜と穀物栽培に固執します。
結果、擦文文化の縄文人と同じように歴史から退場したと考えられる。

一方、アイヌ語学者の知里真志保も、アイヌ人は移り住んで来たってさ。
カムチャツカから、千島を南下して北海道にやって来たのだと述べました。

思うに、南下のルートは、カラフトと千島列島の二手に分かれたのかな。
なぜなら、アイヌ語に標準語と呼べるのが存在せず、地域差が大きい。

樺太、千島、そして北海道のアイヌ語と分かれますが地理的に広範囲。
まあ、文字を持たなかった民族ゆえ、その違いを明確に確認できないな。

北朝鮮の国際金日成賞
右から二人目が、尾上健一

というわけで、結論は、学術的にはアイヌ人は北海道先住民ではない。
なので、あのアイヌ新法は、単純に、政治的な差別利権商法なんだな。

昔、2chでは前身のウタリ教会の会員名簿には、リー(李)とかボク(朴)とか、なんで一文字苗字がいるんだって話題になったほどで、差別だ謝罪だの利権に付け込むビジネスは、あっち系の面目躍如だし、しかもチュチェ思想で国際金日成賞を受賞した尾上健一某が、その協会の世話人を任ずるに至っては、やっぱりお里が知れたなと、思ったほどなのでした。

注:”チュサッパハムニダ”は、朝鮮語で”チュチェ思想派だ”を指します。



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2019年10月27日日曜日

自宅ベランダが手狭に感じられても、快適なガーデニングスペースに変身させるために、DIYにチャレンジだ - マンションのベランダ(そのほか).

    
マンション暮らしも二十年が過ぎましたが、ガーデニングはつい最近です。
かと言っても四五年にはなりますが、植木鉢はベランダ床に置いたまま。

ベランダで、上さんが洗濯物を干すので、誤って蹴飛ばしたりしてしまう。
転がった鉢からは土がこぼれ、植物はダメージを受けるのでかわいそうだ。

これが何度も続きますと、今度は上さんが邪魔と邪険に扱おうとします。
しかも、ベランダの一部はコンクリートで高さが一メーターを少し超えます。

意外に高いので、その辺りに鉢を置くと日光が差し込まない季節もある。
結果、日当たりも悪くなったりで、週末の晴れた日には鉢を移動します。

特に、バルコニーの手すりは摺りガラスなので、日差しも注いでくれます。
なので、太陽の動きを追って鉢を移動させたりと、大変で手間なんだ。

その内、いろいろと栽培したい植物も増えてきて、勢い鉢が増殖します。
上さんも危険を察知して、整理しろと叫びだす始末で、なんとかせねば。

色々考えたのですが、ベランダの両側にある、避難壁はずっと手付かず。
”蹴破り戸”とも言い、確かに非常時の扱い方のステッカーも貼ってある。

     
アルミサッシ製で、強度上、中央部には間仕切り枠が設けられています。
なので、逃げる時は、下部の壁を蹴破って破壊してから、逃げ出します。

他方、ハイキックで上側を壊して、またいで逃げ出す人はいない筈です。
結論は、下側を避難用にスペースを確保しておけばいいと判断しました。

なので、上側は単なる壁だと認識して、植木鉢を吊り下げてみましょう。
しかも、壁掛け用に半分が平面になった吊り下げ鉢も、売られています。

まあ、百均に行けば見つかりますが、生憎、丸い鉢も多く残っています。
これを捨てるのももったいないし、ここは長方形の鉢受け皿で棚作りだ。

材料は、全部百均で購入したものばかりで、お安いハンドメイドなんだ。
たまたま、隔て板のトップには溝も作られており、フックが掛けられました。

というわけで、蹴破り戸越しに隣家のベランダを見ると避難経路がない。
要するに、両サイドのお隣さんも、蹴破り戸の付近にはプランターやら植木鉢が、わんさか無造作に考えることもなく寄せられていて、いざ非難というときには邪魔な障害物になるのは必死なわけですが、本当にそうなったら踏みつぶすしかないと考えつつつ、植物だって生き物なんだから、許しくれよとちょっと済まない気持ちになる自分がいるのでした。



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2019年10月23日水曜日

あの洪水の起きた土手には、皮肉で林芙美子の文学碑を建立するとよいわ - 台風19号多摩川洪水(そのほか)

      
この間の台風19号は、東日本に災害の爪痕を残して通り過ぎました。
あまたの河川も氾濫し、被災された方には、お見舞い申し上げます。

東京都内でも、こんな所で洪水が起きるのと思った個所もありました。
一方、首都圏には洪水対策で、地下に眠るパルテノン神殿があります。

TV番組でもよく紹介されますが、首都圏外郭放水路という貯水池ね。
都市部は、コンクリやアスファルトのジャングルで、地面の露出はわずか。

このため、洪水時には、土壌で水を吸収してもらう効果は、望めません。
なので、大量の雨水を地下深くのプールにため込んでから放流します。

放流されるのは江戸川なのだそうで、台風が訪れた時に稼働しますな。
地上で暮らす人々の目にしない施設ですが、大切な役割を担います。

他方、東京都と神奈川県の県境になっている多摩川は氾濫しました。
世田谷区の二子玉川駅付近で、堤防未整備区間が未だに存在する。

       
今時堤防がないのも怪しく、ここから住宅地へ流れ込むのは自明の理。
行政の河川事務所も、堤防整備の説明会を度々行っていたそうです。

でも、地域住民からは「景観が大切」と理解が得られていませんでした。
その未整備区間は、五百メーターに及ぶそうで、決壊したらどうなるのか。

この間は多摩川が自然に造作した自然堤防に、多少補強しただけね。
かつて、この辺りは多摩川の川面を景観とする料亭が数多くあったとか。

本当にそうかと思われますが、実はこれに関わる小説を読んでいました。
林芙美子の「多摩川」という短編で、青空文庫から無料でダウンロード

この作品は、昭和九年に発表されておりますが、多摩川の料亭も舞台。
男女の心の揺れ動きを多摩川に絡ませて描き、小編でも味わい深い。

今回、洪水の発生箇所を報道で知り、読んでいたのを思い出しました。
当時は、多摩川で泳ぎができたり蛍が棲息していたとか、ちょっと驚きだ。

今でも清流を好むアユが遡上しますが、さすがに今は泳がないでしょう。
まあ、昔は多摩川もきれいで、川水を飲用水として商売したといいます。

多摩川大橋付近へ船を繰り出し、船倉に水を汲上げて下流へ運ぶ。
水に不自由した羽田の人々は、これに依存していたという時代の話。

水屋という屋号のお家も残っていて、庶民に欠かせなかった多摩川だ。
というわけで、NHKの「ブラタモリ」でも、多摩川の色々を紹介しました。

試験貯水開始の八ッ場ダム
満水状態の八ッ場ダム

二十一紀の今頃、景観を望む地域住民の声があったのも事実です。
しかも、河川敷が広く、住民は洪水がここまでくるわけないと高を括った。

それが運の尽きで、今回の被害を目の当たりにしてしまったわけで、他方、あの事業仕分けで、おバカ民主党に散々いじめられた八ッ場ダムが見事に台風の雨量を貯め込めたのは、間に合ってこれ幸いだったのかもしれず、セレブな都民さんよ、景観より命が大事だろと説教したくなったのでした。



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2019年10月20日日曜日

終末予言をのたまうようになると、おまえは麻原尊師かって言ってやりたくなるんだ - 山口の柳内某(そのほか)

   
過日、ユニクロの創業者、柳井某の雑誌インタビューで、妄言の極致。
何でも、日本が韓国を敵対視するのは、おかしいと強弁したのだそう。

しかも、日本が韓国に反感をもつに至ったのは劣化の証拠と続けます。
今まで三十年間、世界が急速に成長しても日本は殆ど成長できない。

先進国から中進国になって開発途上国に転落してしまうかもしれない、
本屋で"日本が最高"という本を見かける度に、いつも気分が悪くなる。

最終的に、日本に対して”このままでは滅びる”とハルマゲドンのご託宣。
オーム真理教に負けじ劣らじの終末予言に、気色悪さを感じました。

現在、韓国に反感を持つことが、なぜ日本人の劣化に繋がるのですか。
見当もつきませんが、両国の関係は韓国がしでかした所業が発端です。

数々の悪行が因果であり、それがもはや隠し通せないほどに発展した。
もし、日本人がどんなにお人よしだとしても、これでは悟りに至りますな。

   
つまり、韓国の異様な国民性に反感を持ったのは、劣化ではないんだ。
知ったからだと思うのであって、柳内某は企業経営者の傲岸不遜です。

思い出したが、ジム・ロジャーズという、とんでも米人投資家を思い出す。
”滅びゆく日本を脱出して中国や韓国に移住すべ”とファンタジー発言。

呉越同舟なる悪臭を感じさせる辺り、これが立ち位置としての発言か。
要するに、自分の立場から有利な状況になるように行う発言なんだ。

「日本が韓国を敵視すれば、日本製(含ユニクロ)は売れなくなる」
「韓国が日本を敵視していても、日本製品(含ユニクロ)は売れる」
「日本が韓国を敵視しなければ、日本製品(含ユニクロ)は売れる」
「韓国が日本を敵視しなければ、日本製品(含ユニクロ)は売れる」

要するに、韓国でユニクロの売り上げが落ちては困るという思惑でしょう。
海外部門の売上高は、現在の同社を牽引して国内を抜いていました。

それで、柳井某には野望があり、”売上高の八割は海外で叩き出す”。
その意味では、国益を無視する金のガリガリ亡者なのかもしれませんな。

そして、万が一ユニクロが滅びるときがあるとしても、海外に逃げるだけ。
多国籍企業というは、時には利己的で本国の国益の加害者にもなる。

それが、この柳内某の際立ったインタビュー記事ではないかと思います。
たかが、海外でつくたっ商品を仕入れて国内で売りさばく流通業です。

生産はコストで勝る海外任せになって、国内には雇用をもたらさない。
いかに巨額の法人税を払ったとしても、労働者にはブラックだからなあ。

というわけで、思い上がりも甚だしい柳内某のブランドは、不買します。
おまえの好きな韓国が、”NO NO JAPAN”の不買運動をしているのだから、不条理に好き嫌いで理性もなく感情の赴くままに、UNIQLOを金輪際、未来永劫に呪って買ってやらないからなと、国体を国益を平然と毀損する野郎は蔑んで、近所の”しまむら”で買うことにしようと思う自分がいるのでした。

※香ばしい親戚(ウイキより)
大叔父・柳井傳一
大叔父の柳井傳一は全国水平社創立大会の参加者で、みずから創設に尽力した山口県水平社の聯盟本部役員を務めた。
伯父・柳井政雄]
1908年 - 1998年、部落解放運動家、実業家、政治家。全日本同和会会長、部落解放全国委員会山口県連合会の委員長などを歴任した他、「小郡商事」を創業した実業家でもあった。



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