2026年7月4日土曜日

三角油揚げが美味なのですが、仙台市内の藤﨑百貨店地下二階の食品売り場にあるのを知らなんだ ー 常儀如来西芳寺(宮城県)

昭和61年建立の五重塔
                                       
昔、二十代の一時期ですが、仙台近郊で仙石線沿いの多賀城に住んでいました。
勤務先の関係で赴任して、週末で暇があれば色々な場所に出かけていたのです。

ただ、常儀如来と一般に呼ばれる西方寺まで、詣でたことはありませんでした。
方向としては、作並温泉と泉ヶ岳の間に位置して、かなり山奥には間違いない。

まあ、まだ若かったから、この寺院だけを訪ねようと思わなかったのかもなあ。
だから、かの地に長く住んでいたのに、あえて出向いた事はありませんでした。

それから、首都圏の方に移り住んでしまい、仙台近辺とは関係が遠のきました。
今回、ひょんなこともあって仙台に赴く機会ができたので、なら行ってみよう。

新幹線に乗れば、最速は一時間半で着いてしまうので、気楽に日帰りもできる。
そう思って出かけたのですが、仙台駅からはレンタカーで一時間も掛からない。

それに、サンドイッチマンの伊達きみおさんが好物にする”三角あぶらあげ”だ。
分厚くて、ジューシーな油揚げだと評判なのですが、この寺で作り始めたとか。

              
今は定義とうふ店で販売していますが、その場でありつけるという趣向なんだ。
中の席数は少ないので、店周辺に置かれた椅子テーブルで食べることになるな。

備え付けに、しょうゆとにんにく七味が置いてあって、この調味料が最高です。
最初は一人一枚にして、上さんと席に座って食べ始めましたが、物足りません。

なので、一枚を追加して半分こにして食べたのですが、量も十分でお昼替わり。
テレビの旅番組でも紹介されて、それで知ったことから行ったというのが本音。

このお寺は、”じょうぎさん”と呼ばれるのですが、山号ではなくて敬称なんだ。
参拝者が、親しみを込めて”定義さん”と言っていて、これが本当のようでした。

というわけで、年間約百万人もの観光客が訪れる門前町としての観光地でした。
今回、改めて知ったのは、平家の落人であった平野貞能が、ここまで落ち延びて
身を寄せて、その際に名を”定義(さだよし)”と改めたことが、”じょうぎ”の地名で呼ばれるようになったのが由縁と知って、なるほどなと思ったのでした。



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2026年7月2日木曜日

自分の人生の中で、何か理由のわからないもやもやを解決しようとしたが、ダメだった - 面会回避理由(そのほか)

                                   
以前、勤めていた会社の知人を不意に訪ねまのですが、留守中にしていました。
なぜ、会いに行ったのかは、電話をしてもメッセージをしても受け取りません。

折り返しの連絡がない状態の音信不通で、代わりに年末の贈答品があるだけだ。
自分からは、中華街で食べるのが好きだったので、飲茶のセットを返礼します。

同郷のよしみですから長くお付き合いさせていただきましたが、年上なのです。
それで、自分が会社を離れた後でも、つかず離れずにと付き合いはありました。

十歳ほどの先輩でして、すでに後期高齢者になっていますので、少し心配だな。
所在は、新幹線で一時間半程と離れていますが、思い切って出かけた次第です。

前日の出発前には、電話やらファクスも送りましたが、例の通りに返事はない。
ここで、びっくりしたのは、グーグルマップのストリートビュー恐ろしさです。

自宅前へ移動してズームしてみますと、表札が読めてしまうことに驚きました。
これでは、プライバシー保護もないと思いますが、転宅したのでもありません。

これは論より証拠に行くしかないなと決めて、駅からはレンタカーで直行だよ。
自宅を目指しましたが、生憎なのか、もちろん不在で会えずじまいなのでした。

思うに、会いたくないのなら、歳暮のように贈答などしなくてもいいはずです。
ところが、毎年贈られてくる上に、今年は突然の春先に佐藤錦のさくらんぼだ。

現地で有名な果物屋さんの発送なので、ネットで調べると一万近い品なのです。
これは奮発させてしまったと驚き、折り返し、高めの飲茶セットを送りました。

認知症とか、寝たきりとか、不安のある中、玄関に手土産を置いて去りました。
ただですね、その日は時間を持て余してしまって、夕方にもう一度訪ねました。

ところが、驚いたのは、玄関に置いたお土産を入れた紙袋げが見当たりません。
まあ、誰かが取りに来たのかもしれないし、それにしても面妖な面持ちなのだ。

というわけで、カーテンもせずに乱雑なリビングが丸見えの一軒家なのでした。
これで、もう、彼をあらためて再訪することもないでしょうし、ただ年末に果物が送られてきたと思えば、お礼の品を送るという奇妙な付き合いが繰り返されるはずで、謎は謎のままで蓋をしようと思ってしまった自分なのでした。



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2026年6月30日火曜日

頭の体操ではないですが、ガーデニングでもちょっとした工作が必要になれば、細かな計算の設計が必要になるんだ ー 園芸支柱ベース設計(ガーデニング・DIY)

                                
いやはや、エクセルで正確な六角形を描画するって、かなりの至難の業でした。
このアプリでは、シェイプの各図形から選んで、縮尺を調整して作図しました。

デフォルトは、線も塗りつぶし色も青になっているので書式の変更は必要です。
そうして、作った六角形が、円に外接、内接できるかというと、全然だめです。

シェイプで円を選んで描画した後で、真円と思しきように、調整はするのです。
次に、その縁を六角形に合わせてみますと、各頂点が微妙に合わずにずれます。

なんで、こんな努力をしていたかというと、それは冒頭のベース設計図なんだ。
以前の投稿でも述べたのですが、百均の園芸リング支柱はベースがありません。

鉢に結わえ付けてもらうような考えか、三本支柱とワッパが付属するだけです。
しかも、不織布の円形プランターは、外周の布地が柔らかいので、難しいなあ。

このため、冒頭の写真のようにベースを設計しながら、支柱を立ててみました。
これは、プランターに外接する正六角形の枠を、百均角材でこさえたものです。

この外接の一辺は、ネットのサイトで計算しましたがプランターを取り囲むな。
結構、手間暇をかけただけあって、この支柱は意外と丈夫で、最終仕様なんだ。

なので、忘備録としてブログにアップして永久保存しようと、思い立ちました。
だけど、設計図はレシート用紙に殴り書きしたもので、清書すらしていません。

だから、エクセルで六角形を書き出したら、正確に描画できないのが判明です。
うーん、これでは永久保存版が残せないではないかと思って、手書きに変更だ。

                           
というわけで、これを残しておけば、思いついた時に、参考のできるアイデア。
こういった情報は、USBのピンアサインとか、ICのTDA2822のアンプ回路とか、ATX電源の配線ケーブル詳細とか、後々、参考になるような電子工作情報は
残しているので、同じく木工工作でもこれに準じて残しておくことにしたのでした。



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2026年6月28日日曜日

コルンゴルドの作品は、委嘱したピアニストが演奏面で排他的な権利を持っていたので、余計レパートリーから外れてしまったらしい ー 左手のための協奏曲(音楽鑑賞)

日本の左手ピアニスト、館野泉
             
ユーチューブで、BGM風にクラシック作品を選曲して、聞く機会が増えました。
中でも、折に触れてセルゲイ・ボルトキエヴィチのピアノ協奏曲を聞くのです。

ピアニストの一方、作曲でもあったボルトキエヴィチは、三番まで残しました。
どれも捨てがたい作品なのですが、特に2番は”左手のための”と副題付きです。

この副題付きの作品は、ラベルがよく知られていますが、こちらは目新しいな。
この副題については、戦争で片手を失ったピアニストが、依頼したからでした。

つまり、裕福な出身のヴィトゲンシュタインは、このまま演奏を希望しました。
ただ、左手だけなので両手を使わずに済むピアノ作品が、どうしても必要です。

このため、彼は当代で著名な作曲家に作品を依頼した成果が、この作品でした。
ラベルの作品との比較は難しいのですが、ロマン派らしい堂々とした作風だな。

活躍した時代は二十世紀前半ですが、当時の音楽動向に影響を受けていません。
このため、左手だけで演奏していると思えないほどに、華麗な出来上がりです。

それで、作曲家に委嘱した中に、プロコフィエフのピアノ協奏曲がありました。
4番ですが、あの有名な3番の後に作曲されたのに、無名なままが不思議です。

これも、ウイキで作品解説を読んだのですが、依頼者が演奏不能としたせいだ。
結局、第二次大戦で右手を負傷した、ジークフリート・ラップが初演しました。

しかも、作曲家の死後から三年を経てからでタイミングを逸したのは否めない。
それでも、左手になったピアニストが、復活公園にこの作品を選んだりします。

ユーチューブで聞けたりしますが、他の作曲家も探すと見つかったりするんだ。
次に、作品を紹介しておきますが、ヴィトゲンシュタインは資産家なのでした。







というわけで、末尾に挙げたラーボアは盲目のピアニストで作曲家でもあった。
実は、盲目のピアニストというのは、現在では辻井伸行さんが著名ですが、十八世紀にはオーストリアのマリア・テレジア・フォン・パラディスという女流ピアニスト・作曲家が活躍したぐらいで、このラーボアの作品などを聞いていると、隻腕であろうが盲目であろうが、才能次第なのだろうとも思えたのでした。



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