2017年2月18日土曜日

東日本のゲレンデしか書かない、局地ブロガーどもに、西日本の情報を教えたるわ ー 恐羅漢/雌鹿平温泉スキー場(広島県)

スキー場のパンフをゲットしてきたぜ

福岡とか久留米ナンバーの車を見たら、九州に近づいたのだと思いました。
御当地は広島県なので、お隣りの山口ナンバーなら当たり前かもしれません。

しかも、本州四国架橋を経由して愛媛から往来があっても、普通のことです。
これに比べて、九州地方の他県ナンバーを駐車場で見かけるので驚きました。

ここは、雌鹿平温泉スキー場で、中国自動車道の吉和インターに直結します。
降りたら10分も掛からずに、ゲレンデのパーキングに到着する便利さです。

広島県でもっとも西側にあるスキー場なので、九州に近いといえばそうかな。
車でニ三時間の圏内にあるし、ゲレンデ探しに苦労する九州人には救世主。

それで、17日は冬だというのに気温が上がって大雨になってしまいました。
宿泊先も、標高が八百メーターもあるというのに、夜中から降り出す始末です。

テレビで気性予報を見ても、その日の午後にようやく降り止むのが恨めしい。
ただ、雲の流れが予想以上に早かったので、ひょっとして早く止むかもしれない。

そんな甘い期待を膨らませて、出かけてみたのは恐羅漢スキー場なのでした。
だって、雨が降る中、何か観光しようにも、季節外れで見るべきものがない。

三段峡は渓谷美で有名な景勝地が目と鼻の先ですが、冬場は閉ざされます。
だからスキー場もオープンできるのですが、アクセスも舗装路とは言え厳しい。

上り下りの激しい大規模林道を経由してたどり着きましたが、雨はひどいまま。
ずぶ濡れになってまで滑る気もないし、ここはゲレンデの偵察に留めました。

後は来た道を引き返し、時間つぶしで安芸太田町の道の駅に寄って、昼食。
その向かいには、屋台風の店が立ち並んでおり、若者もたむろしております。

天気があまりに悪くて、滑るのをあきらめて時間でも潰しているのじゃないか。
そんなことを上さんと喋りつつ、こちらも同じ店で天むすをお買い上げですわ。

というわけで、車中でほおばりつつ、雨脚の衰えを見て雌鹿平へ移動しました。
滑走はどうだったのかと言うと、やはり途中で土砂降りに急変するなど、天候は散々な目にあったせよ、以外に楽しめたのが本音で、ゲレンデの本格的な紹介は後に譲るとしても、西日本のゲレンデは意外に堪能できると思ったのが、偽らざる感想なのでした。




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2017年2月15日水曜日

江戸時代、只見の住人は越後(新潟)の人々と、最も交流があったって聞いて驚いたわ - 只見スキー場(福島県只見町)

平成5年12月30日滑走

奥会津の隅っことも言うべき、只見町は正月と5月の休暇に、二度、訪ねました。
車の運転ならルートは幾つかありますが、高速道の直接アクセスはありません。

スキーで滑りに来た時は、磐越道を降りて、只見川沿いの下道を走っています。
一方、五月連休の旅行では、関越道の小出ICから国道252号線に入りました。

JR只見線も併走しており、名前の通り、只見町に至っている未電化の路線です。
ディーゼル一両だけの編成で、気動車が走り去るのを見ながら、車を走らせます。

小出駅から一時間半ほどの鉄道旅になりますが、車も意外に時間が掛かりました。
これも、六十里越と名づけられた往還をなぞった国道で、かなりの標高差です。

トップの地点では残雪もちらほら見られるほどで、豪雪地帯ゆえかと思いました。
人家も全く無くなり、プラットホームだけの停車場を見かけたり、正に秘境です。

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六十里越のルートに沿っています

でも、江戸時代には雪に閉ざされない限り、越後から往来が錯綜したようです。
塩、小間物、塩鮭、ニシン等、人々に欠かせない食料・用品が運び込まれました。

これに代って、只見からは麻・生糸・ゼンマイが送り出された重要な交易路です。
塩の道になぞらえるのに格好でしょうが、実は同様な別ルートも存在しました。

八十里越と言いまして、現在の三条市に至るルートで、こちらも険しい山道です。
その名の由来も、険しさゆえに一里が十里に感じられる程、しんどいからだそう。

だから、実際にはどちらもはるかに短い距離ですが、落石の危険性もかなり高い。
このため、急峻かつ長大な山道の労苦をかみしめて、言葉で表現したのでしょう。

鉄道に加えて、国道の開通も悲願なのは間違いなく、先ず252号が通じました。
ところが、八十里越はというと、険しい核心部分が未だに開通できない物凄さ。

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番号は289号線で、地図上ではルートが点線なので、点線国道とも呼ばれます。
それで、これがいじめっ子扱いで、かつては別の箇所でも登山道がルートでした。

福島県白河市から下郷町へ抜ける際、甲子峠を超えるのに、歩きの山岳路です。
つまり、峠越えの登山道が国道指定を受けて、国道標識付きの登山国道なのだ。

点線国道より通行できるからマシでしょうが、生活のために使う人もおりません。
ただ、 数年ほど前にトンネルが縦貫し、この甲子道路は実用道路に変わりました。

だから、この点線区間を残すのみとなったのですが、八十里越は気候が厳しい。
建設作業は、雪の無い五月から十一月までに限られるので遅遅として進みません。

なので、その代わりに旧道の山道を越えようとチャレンジする猛者がでる始末です。
ネットで簡単に見つかりますが、きついらしくて物好き以外は、試さないでしょう。

というわけで、開通まで後十年を待ち望むとして、もうひとつ只見はダムの町です。
田子倉ダムによって生み出された人造湖には、季節ともなれば観光遊覧船も運航されるなど、紅葉の季節には絶景の観光地になるのですが、他方、戦後の只見川電源開発計画で作られた田子倉発電所は、未だに国内第二位39万キロワットもの水力発電量を誇るなど、ダムお宅にとっても見逃せないロケーションに違いないのでした。


おまけ:
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ゲレンデ貸切もできるみたい


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2017年2月12日日曜日

伊豆急に乗りたいのは鉄女でしょうが、ならんだの里は仏女の聖地になりつつあると思うよ - 伊豆ならんだの里・川津平安の仏像展示館(静岡県・河津町)

河津桜も、もう開花してるはずだな

二月上旬から咲き始めるという河津桜は、春の訪れを先駆けてくれます。
南伊豆は、春の訪れが一足早いからでもありますが、梅の開花も同じ頃です。

可憐な花弁も濃い目のピンクで、パッと咲いて散る潔い染井吉野とは違います。
早咲きですが、例年二月上旬から開花し始めて、一ヶ月で満開になります。

このため、満開が連綿と続く特徴があり、長い間、花見客を楽しませてくれます。
それゆえ、年間二百万人近くもの花見客が、この地を訪れるようになりました。

ただ、この時期を過ぎれば、河津はいつも通りのひなびた温泉町に戻ります。
まあ、山間に入れば河津七滝や八丁池など、観光地があることにはあります。

特に、川端康成の小説、伊豆の踊り子で有名な旧天城トンネルもそうです。
ですが、それなりで、この桜ほど、観光客を惹きつける魅力はあるのかどうか。

確かに、温泉ファン、桜マニア、文学愛好家には、なじみの観光地でしょうね。
そして、今新たに、仏女の詣でる聖地になろうとしているのが、この河津なんだ。

仏女っていうのは、主に仏像など仏教的な事物を好む女性を指す言葉です。
宗教的な意味合いを持つものではなく、純粋に仏像の鑑賞を楽しむスタイル。

加えて、座禅や説法で癒しを求めたりする、今や働く女性のトレンドなのです。
一方、歴女、鉄女、という言葉もメディアで使われて、お馴染みになりました。

それで、この河津には、荒れ果てたお堂に古い仏像がひっそりと眠っておりました。
それは南禅寺と言い、桜の咲く川土手を渡り、谷津という山奥に分け入ります。

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地区の住民が代々守ってきたお堂ですが、資力に乏しく荒れるに任せました。
しかも、山津波で呑み込まれた大寺院の仏像を掘り起こしては、移しました。

だから、朽ちてしまった仏像群は、お堂にぎゅうぎゅう詰めになっていたのです。
でも、ご本尊だけは価値が認められ、戦前は帝室博物館で展示されています。

なんと国宝の扱いでしたが、戦後は審査が厳しくて重文に格下げされてしまう。
しかも、この地区で保管・維持するのに必要な金銭的な余裕すら、ありません。

こうして、地区の人々は泣く泣く、指定を辞退してしまったという逸話が残ります。
現在は、県指定の有形文化財に留まっていますが、九世紀前半の古い仏像。

平安期のカヤ材による一木造りは、東日本では滅多に見られるものでもない。
朽ち果てることもなく、幾星霜を人々の信仰心で守られてきた薬師如来です。

それを見守るかのような、いっそう落剥の激しい仏像群は、何か哀れを誘います。
この仏像展示館にご動座され、千年以上の時を経て、仏様もホッとしたでしょう。

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しかも、平安時代後期に作られた”おびんずる様”像は、触ることもできました。
何でも、自分の痛い場所を、像に触ると霊験で、痛みが取れるというご霊験。

そんなことを、この展示館の管理人さんから説明を受け、自分も触れてみました。
本当は、高僧の仏像だったらしいのですが、時の移ろいで由緒は分からずじまい。

その内、庶民は、病除けの加護があると期待し、その名をなぞらえてしまいました。
多くの信者が触れた通り、かしこと照り光るをの見ると、素朴な信仰心を感じます。

一方、この辺りは、二三の寺院の興亡を経た中、山岳修験道も盛んなのでした。
行者さんの子孫に関わる方が、お寺の後方にあるお住まいになっておられるとか。

少なくとも数世紀という時間軸で、子々孫々、お住まいなのに圧倒されました。
というわけで、この仏像展示館は、のんびりハイキング気分で歩いて訪ねてみたい。

河津桜の咲く季節も良し、深い森に分け入るような新緑の季節でも良し、季節に応じながら仏様に会いに行くことで、何か心の洗われるものがあり、仏女もそうでしょうが、現代人の求める癒しや瞑想のために、この上なくありがたい場所柄であったということなのでした。


おまけ:
静岡県立中央図書館のHPでも紹介されています
 「伊豆 歴史散歩 ~南伊豆・西伊豆編



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