2018年6月15日金曜日

日本では、仏教の守護神である歓喜天なのですが、秘仏として一般に公開されることが少ないんだって - ガネーシャ(गणेश, gaṇeśa)

  
インドから研修に来ていた女子大生が、帰国前に挨拶に来てくれました。
その時、お礼だと言って小さな紙製の手提げ袋を貰いましたが、驚いた。

簡単な通訳を二三日していただけなので、お土産を考えていたとはなあ。
彼女が帰った後、何が入っているのか気になったので、すぐに空けてみます。

すると、小さな赤い象さんの神様が出てきて、これがガネーシャの像なんだ。
ヒンズー教の神様でして、現世利益をもたらすとされて、人気があります。

富の神様として、商人などから絶大な信仰を集めていますが、ここは日本。
しかも、おいらは仏教徒なんだから、ご利益に預かれないはずなんだけど。

ところが、神様は慈悲深いのか、インド人によれば、宗教は関係ないらしい。
まあ、仏教徒だって、ここ日本では神社へ行けば、信心で手を合わせます。

そんな感じだから、異教徒の我々にも、グッドラックを運んでくれるかもね。
彼女の気持ちをありがたいと思って、デスクの上に置いて飾ることにしました。

ところで、このガネーシャは現世利益をもたらす神として、タイでも大人気よ。
願いごとがあると、みんな、ガネーシャに祈りに行きますが、国が違うでしょ。

でも、ヒンドゥー教の神様を、仏教徒のタイ人が手を合わせるのは変な感じ。
でも、タイ人の宗教観から言えば、それはまったく問題はないと言うのです。

なぜなら、ヒンズー教の教えでは、仏様はビシュヌ神の化身と見てきました。
だから、仏教はヒンズー教の弟分みたいなもので、神様の共有は大丈夫。

この他、タイ人はブラフマーというヒンドゥー教の神様にも手を合わせますよ。
バンコクの街中にある、「エラワン廟」のブラフマーはとても有名でしょう。

タイに住んでいた時、撮影したもの

いつもたくさんのタイ人でにぎわっていますが、爆破事件のテロもありました。
どうしてって思うけど、タイの南部はイスラム教徒が多いので対立しています。

このため、テロ事件が起きたりしますが、国教を仏教にしているからだと思う。
だって、小学校の教科書を見ると、仏教の行事に関連する内容が多いんだ。

こうなると、イスラム教徒は異教の教科書で勉強することになってしまうね。
だから、反発反抗してしまい、つい過激なテロ行為に走るのだと感じました。

というわけで、これも、タイに四年間、住んでみて経験したから知りえたこと。
個人的には、どうしてイスラム教徒だけが、世界中で暴力的で過激なテロ行為に走るのかと思うのですが、人類みな兄弟と考えて、のほほんと互いの宗教を許しあい共存できるような時代が、何時になったらやって来るのかと、きな臭いテロ事件の報道をみながら、つい自問自答するのでありました。



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2018年6月12日火曜日

14針の抜歯の糸を見たら、よう口の中を縫っていたんだなあと感慨を持つインプラント手術 - 長谷川歯科・口腔外科(横浜市西区)

   
先週の土曜日、インプラント手術から丁度一週間が経って、通院しました。
その間、飲んだ薬は抗菌薬と痛み止めの薬ですが、お馴染みのものです。

フロモックス、ロキソニン、ムコスタを各一錠ずつ、毎食後に飲んでいました。
本当の正式名は、科学品名で分かりにく、これらは薬剤の商品名なのね。

セフカペン ピボキシル塩酸塩、ロキソプロフェンナトリウムと言われてもなあ。
これらの薬は、お薬手帳を開いてみれば、必ず見つかるような代物です。

最近は、ロキソニンが、消炎剤で普通の薬局で入手できるようになりました。
それで、薬が強いので胃が荒れるらしく、必ず胃薬が追加されていますよ。

だから、毎食後に飲むという処方ですが、おかゆを食べるなど半病人扱い。
もっとも、口の中を縫っているわけですから、傷口が開かないのも大事です。

でも、柔らかい食事ばかりで、終いにはおやつに赤ちゃん用せんべいなんだ。
これって、ゆっくり噛めば口の中で溶けてしまい、歯がなくても食べられます。

まあ、一週間の我慢で抜歯してもらいましたが、まだ頬が腫れていました。
それで、先生にさりげなく言ったら、もう一週間、抗菌薬を処方されました。

今度は薬が変わってミノマイシンの薬になり、一日一回、一週間の服用。
最初のは、セフェム系抗生物質で、細菌の細胞壁合成を阻害しました。

今度は、テトラサイクリン系で、細菌の増殖に必要な蛋白質合成を阻害。
どっちも、細菌が増殖できないようにしますが、抑止の方法が違うようです。

先生が言うのは、手術後、5%の患者さんは、二~三週間後が要注意。
感染症が出てくる可能性もあるので、抗菌薬を飲み続けてもらうのでした。

今、飲んでいますが、こういった薬は、普段の生活には、影響ありませんな。
ただ、食事に乳製品を取るのはよくないので、朝飯でなく夕飯後にしました。

今週、土曜日に経過を見てもらいますので、もう一回投薬になるかどうか。
そんなインプラント手術後ですが、食べ物も気をつけながら通常復帰です。

先生が言うには、親知らずの抜歯も、傷口が綺麗に塞がっていたんだそう。
それで、ホワイトボードには、見たこともない感じの熟語が書いてあるんだ。
傷口が開いちゃうとまずいんだとか言って、これが読めるかと聞かれました。
まあ、読めるわけなくて、わからないと言うと、”しかい”と教えてくれます。

つまり、哆開は傷が開くことで、治った傷が再び開くことを意味するらしい。
学生に講義すると、みんな、”たかい”と読み間違えるんだと言っていました。

ウインドウズのカナ漢字変換はできませんが、グーグルでは探してくれます。
試しに、しかい、医学用語と打ってググれば、あーら不思議、すぐにヒット。

面白いのは医学書院のサイトで、昔これをタカイと読んだ偉い外科医がいた。
という逸話を紹介しながら、哆の字が漢字変換できなかったとありました。

というわけで、この医院へ通院すれば、うんちくが広がって面白いのでした。
他のお医者さんのブログを読んでいると、この熟語が使えずに、代わりに離開を使ってしまう人もいるんだとか書いてあるので、さもありなんと思いつつ、一方、漢字検定の試験で、過去にこの熟語は出題されたのだろうかと、つい考えてしまうのでありました。



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2018年6月9日土曜日

曜変天目茶碗がもし誤まった鑑定だとしても、私にとっては宝ですと、ご先祖様へのレスペクト感が半端ないんだ -  曜変天目茶碗(「開運! なんでも鑑定団」(テレビ東京))

    
耀変天目茶碗は、数百年前に中国から交易で渡来した、謎に包まれた茶碗です。
中国南部の福建省の建窯(けんよう)で作られていた程度は、分かっています。

ただ、陶磁器を焼く際、窯の中で予期しない色に変化した結果が作品の全て。
黒地に大小の瑠璃色または虹色の光彩の斑紋が、美しく光り輝くのが美しい。

元来は窯変ですが、このような特徴から「耀」の字を当てるようになりました。
それで、中国の地名から、黒いうわ薬のかかった茶碗だから天目なんだってさ。

まあ、通り一遍の説明はこれくらいで、世界中に四点しか現存しておりません。
いずれも日本にありますが、これも茶の湯の名器として付加価値が付いたから。

戦国時代、織田信長が天下統一を王手にかけて、茶の湯は政治利用されました。
合戦の恩賞代わりに領地に代わる褒美で、茶器を下げ渡して茶の湯を許すのね。

与える領地や黄金のような実物資産が不足しましたから、名誉を与えるわけよ。
これって勲章みたいなものだけど、茶の湯ができるのが、正に社会的地位です。

こうなると、戦国大名たちも競って茶器を収集して自慢し合うようになります。
中には、奈良の東大寺を焼失させた松永久秀の大名もいたり、下剋上の世の中。

一方、三好長慶という阿波の国を治めていた戦国大名が、冒頭の写真の持ち主。
という触れ込みで、お宝鑑定団の番組に登場しましたが、かなり前の話です。

ところが、その後、真贋論争にまで発展してしまい、今は偽物が有力なのだ。
それで、本当は本物であって欲しいと強く願っているのですが、分けがある。

     
だって、出展者は、徳島県警を勤め上げて、脱サラしたラーメン屋さんなんだ。
客商売をする人なら、世間的な風評は非常に気にするところでもありましょう。

だから、そんな偽物を全国ネットの番組に、傍証の資料も付けて出展するのか。
食べログでは、評価3.56点の徳島ラーメン屋さんだから繁盛していると思うよ。

まあ、戦国大名三好長慶伝来の茶器なら、現代まで残されたのが奇跡でしょう。
今やその家系が絶えて、伝えられるべき茶の湯の名器まで散逸されてしまった。

それなのに、茶の湯大名だった三好家伝来の、天目茶碗が出たのはロマンです。
箱書もあればキワメ書き(鑑定)まであるとなると、信じてみたくなるんだな。

まあ、窯変の出来栄えが国宝級でなくても、そんなことは関係ないでしょうよ。
しかも、茶碗は釉薬の化学的な窯変を、その場の焼き加減に依存するだけです。

出来不出来は焼き上りを見なければわからないという、博打にしか過ぎない。
だからこそ、科学知識が未熟だった時代に、偶然に焼き上がった茶碗は少ない。

希少性芸術性で国宝に指定するのは納得ですが、多少不出来な物もあるだろう。
だから、今回の茶碗がその範疇に入るというのであれば、それも良しとします。

そして、あの中島さんの鑑定が、茶の湯の歴史的なロマンを感じさせてくれた。
それが付与されたからこそ、二千五百万円の鑑定額になったのではないかなあ。

というわけで、偽物だと強く主張した陶芸作家の話を聞くと一方的だよな。
その陶芸作家が作った天目茶碗を見ましたが、あれは再現だけであって、独創性も創造性も既に過去を踏襲しただけに過ぎない気がして、これまでの逸品を凌駕しているとは、余り感じられませんでしたし、陶芸作家として、そこまでこだわるのは、個人的なオリジナルな作陶というより、絶えてしまった工法を単に復活させようともがいて追従品を作っているだけだと思うような気もするので、こういった人間には、茶の湯の奥深い歴史性や物語性は絶対に理解できないのであろうなと、思ったのでした。



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