2015年5月30日土曜日

自炊のブログ生活を改善して、博物館の電子書庫をパワーアップ - パンフをイメージ画像だけで紹介したスキー場(全国津々浦々)



この自炊という言葉ですが、賃貸を借りて一人暮らしを始めるのではありません。
要するに、紙媒体の印刷物を、デジタルのデータに変換してしまうことでした。

つまり、自分の持つ書籍や雑誌を、デジタル化してPDFファイルに変換致します。
後は、タブレットに表示して読めるのですが、どこにでも携行するのに便利です。

ところで、こういった作業をなぜ自炊と呼ぶのか、語源について諸説がありました。
もっとも有力なのは、データを自ら吸い出す、つまり「自吸」を最初とする説です。

つまり、字を吸い出すので、自分で吸い出す意味になり、自炊へと転じました。
うまい具合に当て字も見つかって、今では印刷物の自炊は当たり前なのです。

一方、ネットでは、複写を取る意味で、拓本や魚拓の言葉もポピュラーでした。
特に、この魚拓は、ウエッブ上の情報を画像にして公表するのに使われました。

炎上したネタ
小保方さん、『大人AKB48』で歌手デビュー!(うそ)
ウェブ魚拓はこちらから

ウェブ魚拓とも言い、炎上して消されたサイトを暴露するのに活躍して来ました。
この炎上も同じくネット用語で、不祥事から注目を集めてしまう状況を指します。

ネット社会では、日常用語と少し異なるスラングが出現して、奥が深いものです。
一方、最近は、ネット通販で電子書籍を買って読むのが、当り前になりました。

それでも、アマゾンにない書籍は、デジタル化してしまいたい人だって出てきます。
自分にしても、バーチャル博物館の資料公開には、イメージデータが必要でした。

ブログのアップには、JPEG画像が欠かせなくてスキャナーの利用は必至です。
それで、現在使用しているのは、十五年落ちでも未だに現役のキャノスキャンでした。

平成9年頃に買ったロートルマシン

インターフェースもSCSIで、パソコンに接続ボードを挿さない限り使えません。
しかも、自作パソコンなので、この手のカードを認識しなかったりと、大変でした。

こうして、長期間ほったらかしてきたスキャナーを再生させて、自炊しております。
開館したては、イメージ画像をベタベタ貼りまくって資料をブログに載せていました。

パンフレットをページ毎に貼っていましたが、どうもまとまりのつかない感じです。
冊子単位で閲覧した方が見やすそうで、なんとかしてPDF化してみたくなります。

その後、会社の複写機をこっそり使うと、PDFが作成できるのも分かってきました。
そうなら、パンフやチラシの表紙を載せて、PDFにアクセスしてもらうだけなのだ。

しかも、フリーソフトの「pdf_asがイメージ画像をPDFへ一括変換してくれます。
今まで、ブログ掲載に使ってきたデータを役立てるので、うれしいことはありません。

こうして、画像からPDFへ掲載方法を改善するのに、半年以上も時間が経ちました。
現在は、資料の下部に”グーグルドライブはこちらから”とリンクを紹介しています。

これで、収納したネットワークドライブにアクセスして閲覧できるようになりました。
というわけで、初期のパンフレット・チラシを改めてPDF資料で紹介しましょう。

これから、ゲレンデもオフシーズンに入りますし、スキー場ネタも季節柄、あまりそぐわないかもしれないので、投稿記事の温故知新というわけではありませんが、スキー場のパンフレットを再編集しながら再紹介してみようと思った次第なのでした。


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2015年5月27日水曜日

駐在員の家賃は、四十万円だって聞いてぶっ飛んだ - インドムンバイ・ポワイ地区(番外編)

ポワイ地区の高層マンション群

ムンバイでは、会社を転職した以前の後輩に、久しぶりに会えました。
日本で再会したのではなくて外国だったのですが、当然かもしれない。

なぜなら、自分も彼もインド市場の担当だったからでして、成り行きでしょう。
それで、偶然、フェースブックで彼を見つけて、コメントしたのが話の始まりです。

二三日後、自分が使う勤務先のメアドに彼のメールが舞い込んできました。
一人住まいで週末は時間があるらしく、寂しかったのか、会いたいとのことです。

奥さんと子供さんは、アパートを見つけてから移り住むことになっているみたい。
そこで、週末はアパート探しで忙しい中を、わがままながら同行させてもらいました。

訪れたのは、高級住宅街のポワイ地区で、有名なヒラナンダリ病院があります。
以前の出張で、同僚が脱水症状を起こしてしまい、この病院へ担ぎ込みました。

工場からは、一時間半もかかったのですが、日本人会でも太鼓判を押されています。
日本語の通訳はおりませんが、英語のコミュニケーションは大丈夫と聞きました。

もちろん、本人に代わって病状を説明しましたけど、先生の診察はていねいです。
このため、自分には、この辺りは身近だったのですが、この時は夜間訪問です。

なので、住宅街の様子が分からずにいましたが、今回は日中なので把握できました。
一言で言えば、高級住宅街には違いないのですが、インドの所得レベル相応です。

自分だったら好き好んで住みたいとは思いませんが、駐在員なので已むを得ません。
後輩の話によれば、転職先の会社では、家賃相場が四十万円程度なのだそうです。

玄関が荘厳で、逆に威圧感がある

そこで、ポワイ地区でも賃貸できるとのことで、部屋は4LDKで百平米以上でした。
うーん、自分は出張ですが、四星のそれなりなホテル住まいとは、分けが違います。

やはり、転職したのが成功したのかなあと、羨望を覚えつつ、下見がまたおもしろい。
何件も訪れた中で、日本人学校の先生が住んでいた部屋は、そのまま移り住めます。

引越し前に、部屋をきれいにしたらしく、台所の冷蔵庫も棚が拭かれてありました。
電子レンジのトレイもそうで、台所のシンクも水垢がなく、実に日本人の美徳でしょう。

立つ鳥跡を濁さずの例えどおり、自分的には先生の住まいだった場所を選びたい。
家具の靴箱も残してあります、海外のアパートは玄関に上がりがまちがありません。

このため、住人は土足で部屋に入るのが習慣でして、日本人には少し不慣れです。
このため、日本人は玄関に下足を促すマットをしきまして、そばには靴箱を置きます。

この日本人の習慣が見事に、このインドでアパートの部屋に見出すことができました。
自分も、海外で通算五年間を暮らしましたが、同じくアパート探しの経験をしました。

あの時もそうだったと思い出しつつ、後輩には南向きの部屋は勧めないといいました。
熱帯の国ですから、常時、高温になり、加えて日差しの入る部屋は、熱地獄です。

北方向に、ポワイ湖が見える風光明媚さ

体質的にクーラーの向かない人もいるでしょうし、その時は扇風機が役に立ちます。
このため、室温が少しでも低いほうがしのぎやすいので、北向きがベストなのです。

もし、妥協するとしたら東向きでもかまわないのですが、南と西の方角は鬼門でした。
こうして、何軒か見て回ったのですが、本人は、階の低い物権を希望していました。

耳が気圧の変化に弱いらしく、二十階で耳鳴りがして、違和感を感じるようです。
これでは日常生活に支障をきたすでしょうが、下見は全て高層階の物件なのでした。

残り一軒が十階で、そこに満足しなければ、先生が住んでいた物件で落ち着くのか。
まあ、そんな、ご本人のムンバイ賃貸探しの実態だったというところでしょうね。

というわけで、このポワイ地区は国際空港も病院も近いし、スターバックスもあります。
外人向けのスーパーもあるし、住むには十分な環境とはいえ、海外生活をした自分としては、最初の赴任地としては、インドはハードルが高すぎてお勧めできず、できれば二度目の赴任地であれば、覚悟を決めて仕事も生活もどっぷりはまることができるものだと、過去にインド市場担当だった後輩の因果に、がんばれとエールを送りたくもなるのでした。


おまけ:
こんなネジ屋から調達しております
哲学的な瞑想にふける家具屋のオヤジ
フェニックスモールはブランドショップがいっぱい

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2015年5月24日日曜日

ボリウッドの有名な映画俳優も食べに来るらしい- 日本食レストラン”幸福” (番外編)

インド、ナビ・ムンバイ郊外

この五月を、三週間インドのムンバイで暮らしてきました。
連休は、志賀高原でスキーを楽しみましたが、休み明けですぐに出張です。

こうして、このブログの趣旨とは実に似つかわしくない、灼熱の土地におります。
唯一、定宿のホテルで宿泊日数が累積したおかげで、部屋が特別待遇でした。

宿泊費は同じですが、セミスイートみたいな部屋にグレードアップしてうれしい。
それぐらいが救いで、この地区には日本食のレストランが、未だ一軒もありません。

かろうじて、イタ飯、中華、マクドナルド、ケンタッキーがありますが、味付けも違う。
ホテルの朝飯だって、ご飯も中国風のおかゆだけがあるくらいで、洋食がメイン。

さすが英植民地の名残りで、コーヒー、トースト、オムレツ、ベーコンは普通でした。
残りは、地元インドのスタイルで、朝から辛いカレーも選べるという趣向が、すごい。

一方、隣のイノビット・ショッピングモールに、スターバックスがつい最近オープンです。
二年前に初めてポワイ地区にできたのですが、ナビムンバイへも進出してくれました。

本当に、二三日前のオープンだと思う

だんだん、欧米の系列が入ってきていますが、日本食はまだまだですなー。
大体、インド料理は、使うスパイスも、辛い味付けも、対極的にあるようなものです。

地元の人間にとっては、日本食の味覚など、辛くないし平板で物足りないだけらしい。
日本へ研修で呼んだインド人なんか、なんでも七味をぶっかけて食べておりました。

辛い味付けでないと食べた気がしないらしく、こうなると日本食はお呼びでないのか。
世界中の大都市では、意外に日本食のレストランは見つかりますが、ここは違う。

一千万人の住むアジアの大都会で、片手で数えるくらいしか店がないのですよ。
良く知られた店は、豪華なタージマハールホテルのWASABIというレストランです。

ただ、寿司が握り一個で、六百ルピー(千二百円)もするそうで、気安く行けません。
このため、これに代わって、KOUFUKU(幸福)と言うお店が手ごろで人気です。

自分は、二年前に既に見つけていたのですが、今回、運よく食事の機会を持ちました、
グーグルマップでも、”KOFUKU Mumbai”とタイプするだけで場所を特定してくれます。

川をはさんで東側のナビムンバイからは、車で一時間半ほど掛かるでしょうか。
往復の所要時間を考えますと、一日仕事になってしまい、出かけるとしたら休日です。


”幸福”の入り口、雑居ビルの二階

こうして、先週の土曜日に出かけたのですが、目的はカツどんを食べることでした。
海外の日本食レストランですと、天ぷら、トンカツ、照り焼きは当り外れがありません。

これは、自分の経験なのですが、ラーメン、そば、うどんは乾麺を使っていたりします。
このため、麺のゆで方が今一で、伸びていたり、麺自体もまずかったりするのです。

なので、油で揚げる日本料理ですと、世界中で好まれるようで、どこでもおいしい。
そして、値段の手ごろさを考えると、丼ものをオーダーするのがベストでしょうかね。

店に入って値段表を見たのですが、650ルピー(約千二百円)と高く感じました。
日本ですと、東京の首都圏にある富士そばなんか、これの半額で食べられます。

まあ、日本で食べるのと同じ味であれば、海外での食事なので、良しとしましょう。
こうして、オーダーして食べてみたのですが、大正解でして実においしかったです。

味噌汁のお味もグー

でも、酒の値段が高くて、日本酒はワンショットグラスで300ルピー(六百円)でした。
ワンショットって、お猪口一杯ですから、ここは地元産のビールがリーズナブルです。

味もおいしいので、キングフィッシャーと言う銘柄で乾杯することにいたしました。
と言うわけで、スキーとは全く関係のない日本食レストランの紹介記事になりました。

ところで、スキー場の食堂では、定番メニューにカツどんは余り無いかもしれません。
代わりに、カツカレーはあるんですけど、カレーの本場でカツカレーはいただけない。

まあ、日本から持参したインスタントラーメンをすするような始末でして、カレー味メインの生活から早く脱出して、帰国したら日本食を食べたいと懇願して来た状態も、この”幸福”のおかげで少しは緩和された気もしまして、次回の出張でも一度は食べに行かねばならないと、思うのでありました。



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2015年5月21日木曜日

ホテル直営のプライベートゲレンデらしさは、今も変わらず昔のまま - ルーデンス昭 和スキー場(湯沢温泉スキー場ルーデンスヴィレッジ) (新潟県)

平成4年2月16日滑走

北志賀高原のゲレンデを三ヶ所、しかも一日でハシゴした翌日に訪問しました。
おそらく、新潟の湯沢に至るには、国道117号・353号線を運転したはずです。

田舎の国道は交通量も少なく、雪道であっても走れば、速度が結構出せます。
それでも、雪面は滑りやすく事故になりやすいので、速度は二割ほど控えめでしょう。

先ずは、途中でトイレのある道の駅とか、適当な場所に停車して車中泊をします。
飯山から津南町に抜けるあたりですが、いつも使っていた定番の場所がありました。

それは、信濃川沿いの東京電力の発電所にある駐車場ですが、トイレもあります。
アスファルトも敷かれず、整地されただけで、雪が降ればぬかるみもひどいものでした。

それでも、夜間に照明のある便所と言うものは、大変貴重でよくここで野宿しました。
ちょうど、野沢温泉の辺りと思いますが、ここから津南町を経て目的地に向かいます。

この頃は、リフト券が結構たまり出していて、コレクションが目的になり始めていました。
パンフレットも併行して入手してくるのですが、それぞれスキー場の特色が出ています。

仕事がら広報部門に所属していたし、出版物に興味があったのは間違いありません。
地元の自治体でも観光パンフレットが豊富に発行され、併せてもらったりしました。

スキー場を訪問できるのは週末の休みだけですから、かなり無茶していましたね。
次第に滑るスキー場も遠出にならざるを得ないし、今回の出撃は五ヶ所になりました。

一方、上越方面のスキー場は、比較的近いにもかかわらず、余り滑っておりません。
おそらく、長野に比べて雪質が良くない印象を受けて、後回しにしたのかもしれない。

グーグルドライブはこちらから
(平成四年頃)

このルーデンスにしても、北志賀の帰り道ついでに立ち寄ることにしたのではないのか。
そんな風にも思い返すのですが、このゲレンデにはパンフレットがありませんでした。

結局、コレクションはリフト回数券だけになったのですが、それでも良しとしましょうか。
ゲレンデは、リフトが横に並んで三本と小規模で、滑走距離も長くないレアウトです。

ルーデンスホテルの併設みたいな印象で、プライベートゲレンデらしさが出ています。
もっとも、自分はビジターみたいに滑りに来ただけで、混雑する前に早幕で滑りました。

というわけで、現在は四百メーターちょっとのリフト一本とこじんまりしてしまいました。
面白いのは、湯沢にフクロウがお出迎えするホテルが登場と紹介しているところです。

HPを見ていますと、子供たちと一緒に家族連れで、冬の楽しみをPRしています。
キッズ広場も設けられていて、ゲレンデがファミリー向けに転換したのならそれも良し。

周辺にはえり好みできる色々なスキー場がありますし、リフトの本数とかコースレアウトがどうなのかと言う前に、ホテルの特色を活かした併設ゲレンデとして、子供たちに雪と戯れる楽しさを提供できる場所として、運営してもらいたいと思うのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから
平成四年頃のパンフレット


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2015年5月18日月曜日

中級レベルの人には、適当なゲレンデがないので欲求不満かも - 北志賀高原小丸山スキー場(長野県)

平成4年2月15日滑走

スキー修学旅行の受け入れに積極的なのが、功を奏してサバイバルしました。
ゲレンデそばの北志賀グランドホテルは、ブーツのままで出入りできる近さです。

しかも、全館で客室が百部屋以上にもなり、大人数を受け入れできます。
自分が滑った時も、ゼッケンをつけた数多くの児童がリフト乗り場に並びました。

とにかく、初心者コースがイモ洗い状態になるし、リフト待ちが三十分以上です。
しかも、これより上部のリフトからは、中級者に目もくれずに上級者コースでした。

中級者コースもあるにはありますが、申し訳程度で同じコースをリピートするだけ。
結局、コースにバリエーションが少なく、近くのゲレンデに目移りしてしまいました。

なので、滑走した当日、ここから高井富士とよませのゲレンデをハシゴしています。
一日で三ヶ所を、元を取れるだけ滑りまくっていた当時の若さと体力が懐かしい。

もう齢五十を過ぎてしまいましたし、今更、やれといわれてもできない話でしょう。
確かに、諏訪地方の小規模なゲレンデと比べれば、スケールも雪質もいいはず。

ゲレンデガイド(1995)
グーグルドライブはこちらから

小さいながらも、志賀と誇るべき名称を冠にしており、ブランド力もあるはずです。
こうなると、どうやってスキー客の誘致に成功するか、運営企画が物を言います。

結局、スキー修学旅行の生徒をかき集め、ホテルの稼働率アップを狙いました。
スキー場とホテルの運営会社が同じですから、相乗効果を狙うなら団体ですよ。

スキースクールだって、団体の生徒さんを手厚く指導すれば評判も高まります。
ただ、一般客が滑りに来ると、ちょっと疎外感を味わいかねないのも事実です。

だから、一人でガンガン滑りに来るスキーヤーは、空いている高井富士でしょうか。
自分も、早朝に到着してゲレンデを下見した時、迷わずリフト券は回数券です。

どうも、印象がこじんまりとしたゲレンデで、ここは小手調べに滑ろうと思いました。
こうして、八回券という少な目の回数券で滑りはじめまたのが、正に正解でした。

実際に、リフトが動き出して一時間後、待ち時間が三十分以上に長引きます。
下手をすれば、初心者用のリフトは、本当に一時間になりそうな気配でした。

というわけで、このゲレンデからスタートして、北志賀エリアの探訪が始まりました。
この記事を書くために、今回ホテルを調べましたが、宿泊プランの企画が面白い。

若者向けに音楽スタジオとホールがあり、スタジオは24時間練習できるようです。
まあ、北志賀高原ゆえ、さわやかな夏にはクラシック音楽の練習もいいでしょう。

一方、バンドを組んでいる人には、曲作りで泊り込むのも、いいかもしれません。
つまり、合宿向けの宿泊企画では、音楽とスキーは重要な二大要素なのです。

スキーブームが過去の話になってしまった現在、スキーだけに依存していは経営も成り立たず、それ以外のシーズンも含めて面白アイデアで、PRと集客に努める発想には、感服してしまったのでした。


おまけ:
北志賀高原小丸山リフト回数券(裏)
北志賀高原小丸山広告ページ1995
ゲレンデガイド(2003)
グーグルドライブはこちらから


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2015年5月15日金曜日

トヨタのMIRAI(ミライ)で、スキー場へ出かけるのって、結構、夢なんだよな -  (全国津々浦々のスキー場)



自分の勤めている会社に、この四月、燃料電池自動車トヨタ「MIRAI(ミライ)」が納入されました。
このミライは、水素充填が約三分で済み、走行距離も約650kmですから、ハイブリッドカーなみの給油いらずという手軽さがあります。

ただ、水素の燃料代がまだ高いため、ガソリン価格1リッター分に換算すると、14~15キロぐらいの燃費になります。
ちなみに、自分が奥美濃へレンタカーでスキー旅行をした際、本田フィット・シャトルのハイブリッドタイプに乗りましたが、燃費はリッター19キロでした。

つまり、水素は、燃焼すると水に変わるというクリーンなエネルギーですが、庶民の感覚でいえば、現段階ではコストパフォーマンス的にはエコカーには及ばないかもしれません。

本体価格は、税込で723万6000円。
販売目標は、発売から1年間で400台。

ただし、エコカー減税と自動車グリーン税制による減税分を加えると、合計で約225万円になり、実質的に500万円弱で購入することができるみたいです。
一方、水素ステーションについては、JX日鉱日石エネルギーが2020、平成32年までに国内10拠点で水素を生産し、販売面では主要な約二千店を対象に順次、導入すると報道されました。

では、どうして、日本では、エネルギー政策で水素を推進しているのでしょうか?
実は、ノーベル賞受賞者が新しい科学技術開発の提唱をしたからなんです

2010年(平成22年)、日本人で鈴木章さん・根岸英一さんのお二人が、ノーベル化学賞を受賞しました。
受賞業績は、化学物質の合成反応方法であるクロスカップリングの開発です。

翌年(2011年)、この根岸さんは、物質を作る方法として、人工光合成こそ次世代の技術であって、日本が世界に先駆けて実用化すべきだと、国家プロジェクトの立ち上げを強く訴えました。

この「人工光合成」では、光を使って水を水素と酸素に分解し、水素をクリーンエネルギーとして利用するプロセスが、産業化できるとして有力視されました。
これを経済業省も支援して、産官学が連携した研究プロジェクト、「人工光合成化学プロセス技術研究組合」が発足しております。

同組合は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDOから委託を受ける形となっていますので、ある意味、自分の勤め先も間接的な係わり合いがあるということです。

ちなみに、この根岸さんですが、自分の発見した合成方法では特許を申請しませんでした。
特許を取得しなければ、我々の成果を誰でも気軽に使えるからと考えて、半ば意識的にそうしたのだそうです。

そのせいか、東北大震災で起こった福島第一原発事故に関しても、週刊誌にこんな批判的なコメントを載せました。

原発に頼ることをやめるべき.....。東大の先生は東電に買収されています。
そうすると公平にものを言えなくなる。
だから、絶対に買収されてはいけません。
私は買収されていないから、どこでも何に対しても自由に発言できるのです。

これを考えると、人口光合成による水素生産は、資源の乏しい日本に対して、未来を託すエネルギー産業として、根岸さんは、常々考えていたのだろうと思うのでした。


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2015年5月11日月曜日

難読ほどではないが、由来がすごく気になる夜間瀬の地名 - 北志賀よませスキー場 (Mt.KOSHA よませ温泉スキー場 ) (長野県)

平成4年2月15日滑走

このゲレンデは、北志賀高原観光協会に所属しております。
同じ山之内町ですが、志賀高原観光協会もあって、ライバルでしょうか。

それで、両方のホームページを見比べると、標高の違いがハッキリ分かります。
北志賀は、山里に近いせいか、そばが収穫されており名産になっていました。

加えて、夜間瀬のエリアは、りんごなど果樹栽培が盛んなのをテレビで知りました。
実は、NHKの番組”キッチンが走る!”で、志賀高原が紹介されていたのです。

番組では、プロの料理人が食材を訪ね歩き、それを使って料理をもてなします。
高原の上流で天然イワナが紹介されますが、農作物は里に降りて来てからでした。

そこでは、番組のキャンピングカーがリンゴ園をたずね、ブルーベリーが紹介されます。
一帯はなだらかな傾斜の耕作地が広がり、のどかな田園風景がうかがえました。

周辺は、旧石器時代や縄文時代の遺跡も残され、昔から住みやすいのでしょう。
本郷地域には、六世紀後半に造られたと推定される古墳が三基も残ります。

まあ、冬場は確かに寒いとはいえ、周辺は盆地ですから夏場は暑くなりそうです。
こうして、古来から人々が生活を営んできたのを考えると、歴史の重みを感じます。

反対に、ウインタースポーツは、二十世紀に日本人のレジャーにやっと定着しました。
日本へ伝来してから百年になるかならないかで、年月にしてもまだ若造なのですよ。

さて、夜間瀬という地名は読みも面白いですが、漢字の当て方が変わっています。
由来は、温泉、風位、牧場などが三つの説があり、どれなのか決めつけられない。

一つは、上流で温泉が「交ざる」ことを指した「湯交じり川」から転じたとする説。
夜間瀬は以前、「夜交」と表記していたから、湯交、夜交、夜間瀬となった。

次に、高社山から吹き降ろす「ヤマセ」が、なまってよませに転じたとする説です。
三番めは、牧場にあった馬を囲うための柵「馬柵(うませ)」に由来する説でした。

自分は北国の出身ですから、やませに慣れ親しんでいるので選んでみたくなります。
ただ、漢字が山背なので食い違いがあり、当てはめるのがやや苦しい気がしました。

こういった由来を解き明かすのはなぞを呼びそうですが、他方で愛着も湧きます。
一頃、山ノ内町が進めた合併協議に、新市名に夜間瀬市を押した人もいました。

少数意見でしたが、地元住民の土地に対する深い愛情を物語る逸話でしょうか。
というわけで、このゲレンデで、往年の名スキーヤー海和がホテルを開業しています。

その名も、ホテルカイワといい、ホテルからゲレンデまでの移動は0分!のすばらしさ。
生まれ故郷のやまがた赤倉温泉スキー場で彼を紹介しましたが、懐かしいのです。

温泉も掘り当てられ、今は温泉スキー場として運営中ですが、頑張ってもらいたい。
現在、スキーブームは下火どころか消え去り、スキー産業自体が風前の灯です。

そんな中でも、夜間瀬の名に愛着を持つ住民の皆さんがいる限り、スキー場の支援は限りなく続いていくと思いますし、南斜面で雪が融けやすいとか、そんな不利な環境はものともせずに、ぜひ健闘を期待したいところなのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから
2003ゲレンデマップ
グーグルドライブはこちらから
1995年立風書房ゲレンデガイドより
四つのスキー場がドッキング
クリックで拡大します


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2015年5月7日木曜日

自動車のキーを落として、JAFにお世話になったスキー場 - ファースト石打スキー場(新潟県)

平成5年2月14日滑走

このスキー場は、所有者がたびたび変わったみたいで、名前も変更されて来ました。
ネットで丹念に調べましたが、その変遷を簡単な表にすると、次のようになります。

昭和41年11月
TBS会館がTBS不動産に商号変更

昭和49年12月
”小田急石打スキー場”が開業(小田急不動産)(会社のあゆみ小田急不動産㈱)

平成3年頃
ファースト石打スキー場がリニューアルオープン(ファースト不動産に経営移譲)

平成17年
このシーズンを最後に休業。

約四十年の営業期間は、ゲレンデの集まる中越地方では短かったのかも知れない。
魚野川を挟んだ向かい側は、石打丸山スキー場で、隣は舞子後楽園スキー場です。

規模の大きなゲレンデにはさまれてしまって、リフト四本では地味な印象も受けます。
クワッドリフトもなく、三人乗りのトリプルがある程度で、実に穴場的なゲレンデでした。

グーグルドライブはこちらから

このため、空いている噂だったのに、スキーブームの頃はそれでも混雑していました。
リフト待ちなんかも、十分ぐらいはあったでしょうか、雪が降り止まない中を並びます。

山麓の駐車場から第一リフトで上がりましたが、降りるとそこはメインのゲレンデでした。
第一リフトのコースは、中級で比較的斜度もあるので、上部の様子がうかがえません。

いったん上がってしまえば、残り三本のリフトが横並びに展開したコースレイアウトです。
それで、このメインゲレンデに民宿やロッジが集まっており、少し不思議な気もしました。

なぜなら、リフトに乗って地形を見渡した限りでは、接続する道路が見つかりません。
おそらく、このリフトを使って、食料品や日用雑貨品を運び上げているのかもしれない。

そんな風に鵜呑みしてしまったのですが、実際には連絡道路が背後に隠れていました。
ゲレンデマップの右側にも、沢を曲がりこんで上ってくる除雪された道路があります。

グーグルマップでも確認したのですが、付近は上ノ平らという地名さえ付いていました。
つまり、スキー場が開かれる以前から、人々はここに暮らしていたということでしょう。

その後、ゲレンデが開発され、住民は民宿やロッジを経営し始めたのかもしれません。
これを思うと、スキー場は上部のゲレンデが、先に開発されたような気がして来ました。

昭和四十年代は、マイカーブームだとはいえ、高速もなく道路事情が良くありません。
国道17号線で三国峠越だし、スタッドレスタイヤもなくチェーン装備が必要でした。

こうなると、鉄道のスキー列車が楽だし、最寄の駅からは車の送迎があったのでしょう。
駐車場も不要だし、実際に上ノ平の集落には、必要な平地も少ない感じです。

ただ、年月を経て関越道が開通して、マイカーで乗り入れるスキーヤーも増えてきます。
当時のスキーブームでは、千台収容のパーキングが宣伝文句になったりしていました。

こうして、ひとつ山を下った魚野川沿いの河岸を、用地に手当てしたのかもしれない。
このため、連絡用がてら第一リフトを掛け、そこに追加にコースを開いたと思いました。

だから、最初に初級コースがなくて、後付けで中級コースになってしまったのでしょう。
ゲレンデマップを見る限り、平均斜度20度、最大斜度35度とあり、初心者にはきつい。

これは、スキー修学旅行やファミリー向けゲレンデとしては、少し不向きな印象です。
仮に平均斜度がきついとしても、最初のスロープが緩ければ、恐怖感も煽らないはず。

というわけで、関越道の塩沢石打ICから車で五分ほどと、アクセスもかなりいいのです。
これを思うと、集客にはいい条件と思いつつ、変則的なレイアウトが今一の印象でした。

一方、対岸はMt.グランビューやシャトー塩沢のような旧式然たるゲレンデが健在です。
生き残りがダメだったのも、運営者が不動産屋と言う厳しい銭勘定のせいでしょうか。

ついに、休止のまま再開されることもなく、今に至っているわけですが、自分史的にはポケットに穴の開いたポンチョを着ていたおかげで、自動車のキーをなくしてしまい、JAFにお世話してもらってドアを開け、スタータースイッチを外して起動させ、エンジンをかけっぱなしにしたまま自宅まで帰ってきたという、逸話めいた記憶だけが先行していたゲレンデなのでした。

おまけ:
クリックで拡大します注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)
ファースト石打駐車券

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2015年5月4日月曜日

斑尾高原で開催されていたニューポート・ジャズ・フェスティバル - 斑尾高原スキー場 (その二) (長野県)

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スキーリゾート斑尾高原の十周年記念事業として、始められたようです。
地元のペンション経営者らが構想したイベントの核は、ジャズミュージックでした。

このため、本場のニューポート・ジャズ・フェスティバルを誘致することになりました。
夏の高原でゲレンデを観客席に、ビールでも飲んで野外ライブを楽しむ趣向です。

ジャム・セッションも楽しめますが、テニスなど他のレジャーと組み合わせられます。
正直に言いますが、斑尾ってこんなこともしていたのかと、思ってしまいました。

こういう野外のコンサートというのは、開放感があり新鮮な気分に浸れるものです。
うす暗く紫煙が充満するようなライブハウスの印象だけが、ジャズではないはずだ。

もし、このフェスティバルの醍醐味を体験できたなら、その人は最高に幸せでしょう。
ジャズはライブこそ本質だそうでして、その意味では良いイベントだったと思います。

Wayne Shorter - Speak No Evil (1964)
ユーチューブはこちらから
フェスティバルに参加していた

さて、自分もジャズ好きで、音楽データならCDに換算して二百枚はあります。
ただ、改めてこのジャンルの良さを再認識したのは、ユーチューブのおかげでした。

インターネットの通信速度も高速化し、アップロードされる音が良くなったのです。
圧縮した音楽ファイルも、mp3で標準の128kbpsから、今はそれ以上です。

聞いていて分かりますが、平成21年の後半から全般的に音質が変わりました。
それまでは、圧縮率が64kbpsのシャリシャリと耳障りな音に耐えていたのです。

それから、ユーチューブ自体も進歩して、音を鑑賞できる水準へ変貌を遂げます。
後は、好みの音楽ジャンルを検索して、試聴を繰り返すのが楽しみになりました。

The Three Sounds - Moods (1960)
ユーチューブはこちらから
ジャズ喫茶の定番アルバム

よく食わず嫌いといいますが、ジャズって始めに何を聞いてよいのか分かりません。
昔は、リスナー入門書みたいな書籍が色々と出版されていたのを覚えています。

ただ、評論家が書いたのは、変に高尚過ぎて、お高く留まっただけの気もします。
大体、音楽というものは聞いて楽しめればそれでよくて、それ以外は何も無い。

一方、ジャズ好きのファンが数多くブログを開いていて、ネットで散見されるのです。
それを丹念に探し当てるのも楽しいのですが、変な玄人より格段に内容が深い。

もし、あなたが英語が得意なら、ウイキペディア英語版でもぜひ検索してください。
ジャズミュージシャンの紹介記事が実に豊富で、日本語記事は糞レベルでした。

誰が書いたのか拙く訳したのか知りませんが、ネーティブの方が記事はすばらしい。
こうして、グーグルで記事を検索しながら、ユーチューブでもデータを検索しまくる。

現在では、好きになれそうなミュージシャン、アルバムが気軽に見つかる時代です。
繰り返し聞きたければ、i-tunesのような音楽ダウンロードサイトから購入するだけ。

正に、ネットに出現した多数の素人による集合知が専門家を不要としています。
音楽を自由に楽しむのに、これだけ敷居が低くなった時代は、かつてありません。

というわけで、フェスティバルは、平成16年からスポンサーが集まりませんでした。
このため、開催にできずにいましたが、後年、規模を縮小して再開されています。

やっぱり、地道にライブを、毎年毎年、続けていくことこそ大事だと思うのですよ。
他方、ネットの集合知は参考にはなるかもしれませんが、その上を越えてみたい。

今を楽しく生きていく上で、ジャズ音楽ならライブ音楽を聞くという体験こそ、人生にもっと巾や深みを与えてくるような気もしますし、スキーだって滑ってみなけりゃ爽快感は分からないのと同じだと、等しく思うのでした。


おまけ:
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