2015年3月30日月曜日

黒森ユースホステルに泊まった懐かしい思い出だが、百度は絶対危ない - 十和田湖大湯温泉スキー場 (秋田県)

平成3年12月31日滑走

閉鎖された平成18年、東北地方で一番古いユースホステルだったのだそうです。
もともとは、このスキー場の施設の一部として公益法人によって建設されたとか

ウイキペディアに書かれていましたが、どんな団体だったのかとても気になりました。
まあ、日本ユースホステル協会が支援したのなら、これは当たり前のことでしょう。

ただ、ググって見てもウイキの引用ばかりで、それ以上の話しが出て来ないのです。
正体が分かりませんから、なぞの公益法人だったと言うことにしておきましょう。

それで、このユースは、スキー場が閉鎖してからも営業を継続していたとあります。
一方、スキー場の廃止が何時だったのか、これがググって探しても見つかりません。

温泉分析表がなつかしい
グーグル検索で見つけました

ところが、百度(Badio)による文書共有サイトに資料がアップロードされていました。
それは、秋田県鹿角市の広報平成13年3月号ですが、実に怪訝に思います。

いったい誰が、地方自治体の広報誌に、ゲラ刷りデータを掲載したのだろうか。
資料を眺めますと、印刷した後に裁断するトンボが切ってあり、間違いありません。

この百度ですが、携帯用の日本語変換入力ソフトのシメジで知られています。
ところが、代表的な大手企業の内部資料も掲載されて、どうもダダ漏れらしい。

どこでどうやって集めてきたのかは知りませんが、スパイまがいの活動にも思えます。
他方、このシメジも、アプリをインストールする際の権限許可に注意が必要です。

安易に許可してしまえば、端末の電話番号やシリアル番号が読み取られます。
元社員も証言して、通話履歴や連絡先の読み取りなど不正入手は否めない。

百度は中国企業ですが、独裁体制の共産党に代わって情報を収集したのか。
レノボのPCでも、スパイウェアでデータのハッキングが行われている噂もあります。

実際、欧米の政府調達(電子機器)は、中国企業を排除するようになりました。
中国人民解放軍と関係の深いファーウェイもあるし、用心に越したことは無い。

まあ、平成12年シーズンを最後に廃止したのも分かって、百度さまさまでしょう。
スパイもどきの情報盗取り運営者だろうが、まずは感謝申し上げる次第です。

クリックで拡大します

話が横道にそれましたが、あの時、ユースへ到着して早速荷物を降ろしました。
ところが、リフトを四時に休止すると、スキー場内のでかいアナウンスが聞こえます。

大晦日だし、早めに切り上げるのは当然でして、急いでゲレンデに向かいました。
雪不足もあったのですが、結局、リフトを二回乗っただけの滑走になりました。

というわけで、ユースの内風呂の脱衣所にあった温泉分析表がとても珍しかった。
写真でネットにアップしてくれた人には、思い出せましたので感謝したくなりました。

こうして、大晦日の日に一宿一飯の恩義に預かった黒森ユースなのですが、やはり温泉の気持ち良さが一番記憶にこびりついていて、温泉ユースもなかなか捨て難かったと、リアルに思うのでした。

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)   


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




 

2015年3月28日土曜日

ちょうどいい~づな(^▽^)のブログさん、小島のリフトを紹介してくれてありがとう -  飯綱高原スキー場(その二)(長野県)

記事のブログはこちらから

飯綱高原スキー場の記事を書く下調べの最中に、このブログを発見しました。
投稿は”積もったよ”で、ゲレンデにうっすらと雪が覆われた状態の紹介でした。

まだ、十二月はじめですから、積雪としては順当なところかもしれません。
それで、以前の記事で紹介した小島製作所のリフトが気になり、コメントしました。

二十二年前に滑った時のリフト回数券を大事にとってあります。
裏面広告が、県内のリフト設営会社の小島製作所でした。
当時は飯綱にも設置されたリフトがありましたが、まだ動いていますか。
知りたいなー、だって、あの頃のリフト券をブログで紹介していますから。  
[ ぐりぐりももんが ] 2014/12/9(火) 午後 10:04

返信遅れてすみません。
小島製作所のリフト、まだ残っていますよ。
よくご存じですね~。
昭和59製の第3リフトは現役バリバリで稼働しています。
担当の整備士さんも違う会社になりましたが、70歳を過ぎても面倒をみてもらっています。
回数券大切に保管して思い出にしていただきありがとうございます
[ nak*y*maiid*na ] 2014/12/12(金) 午前 8:52 

どうもありがとうございます。
里谷多恵が金メダルを取ったモーグルのテレビ中継で、小島のリフトを見かけました。
当時の段階で、懐かしいと思ったぐらいです。
飯綱高原も記事にしましたが、ブログ掲載は来年四月以降になりそうです。
季節に関係なく、書き溜めては三日おきに更新しています。
よかったら、その頃にご訪問ください。
貴スキー場の再訪を、いつの日にか実現したいと思います。
ご返事のお礼まで。
[ ぐりぐりももんが ] 2014/12/14(日) 午前 9:04

ちゃんと返事もいただけたし、わざわざリフトの写真まで投稿していただけました。
リフトも健在だったのが確認できたし、言うことはありませんですなー。

というわけで、私のようにスキー場のブログをちゃんとチェックする自分がいるのです。
ネットを通じゲレンデた情報の入手により、ブログ記事がちゃんと書き続けられるのがうれしくて、ゆるキャラ”づなっち”のブログには感謝感激なのでした。


注:記事のアップを少し早めました。

国設飯綱高原リフト回数券(裏)

いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




   

2015年3月26日木曜日

リフト券の譲り渡しで、良心の呵責に苛まれるのは普通のことでしょう - 池の平スキー場(新潟県)

平成4年3月21日滑走

実は午後から滑り始めたのも、妙高杉ノ原が、無茶苦茶混雑していたからです。
ゴンゴラ待ちが一時間になりそうだったので、わざと四時間券で終わらせました。

索道の時間待ちが長すぎで、滑り二割、待ち八割では間尺に合わないのです。
それに、初中級者御用達みたいな緩い斜面ばかりで、滑りに気合も入りません。

せっかく、長野を通り越して新潟は上越まで出張ったのに、時間がもったいない。
当時は、高速道路が延伸されていなくて、下道をひたすら運転する時代でした。

一人で長時間、よく運転して出かけたもんだと思うのですが、下手の横好きです。
こうして、すぐお隣のゲレンデがこの池の平だったので、午後に速攻で向かいます。

グーグルドライブはこちらから
全ページごらんいただけます

それで、駐車場に入ったんですが、運よく空きスペース一台分を探し出します。
後はリフト券ですが、帰り支度の男性に、分けて欲しいと声を掛けてみました。

もちろん、千円くらいでと金額を申し出たのですが、相手は気前良くタダです。
それでは申し訳ないと、お金を払おうとしたのですが、いいからと言ってくれました。

この受け答えで、ご本人は関西弁のアクセントで話すので、おやっと思いました。
関西からですと遠距離のイメージが強いので、どちらから来ましたかと聞きます。

京都からだと答えてくれたのですが、北陸道を飛ばすと数時間で着くらしいです。
上越は、意外に関西から身近なスキーエリアだったのが分かって驚きました

さて、こういったリフト券の譲り渡しは、モラル的に見てもあまり良くはありません。
リフト券自体は、法的に見ると「券を買った人がリフトに乗れる権利」に当たります。

一種の債権として位置づけられるのですが、民法では譲り渡しを定めています。
それは、第四百六十六条ですが、「債権は、譲り渡すことができる。」とあります。

なんだ、譲ったっていいじゃんと思うでしょうが、次項に断り書きがありました。
「当事者が反対の意思を表示した場合には、適用しない。」ということです。

クリックで拡大します

つまり、リフト券を売る人(当事者)が、譲り渡しは認めないと条件づけることです。
券の中には、「本件は同一人のみの利用に限られる」と読めるものがありますね。

文言は裏面でも表面でもかまいませんが、とにかく書かれてあればダメなのです。
でも、文面でうたってあるとはいえ、同一人をどうやって識別するんでしょうかね。

一方、シーズン券は個人専用ですから、顔写真を券に印刷するのは納得できます。
ですが、一日券は量をさばきますから、手間を掛けずに但し書きですませたのか。

まあ、その程度でお茶を濁したにせよ、譲り渡しの数は高が知れているのでしょう。
ところが、規模の小さいスキー場では、この文言すら省かれている場合があります。

そこで、長野券ではこういった事業者を救済する条例を、しっかり設けておりました。
志賀高原のホームページでしかと確認したのですが、結構脅しが効いております。

※ [乗車券の譲渡禁止について]
当スキー場内において不特定の者に対し転売する目的で得た乗車券を売ったり、また売ろうとした者は長野県公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例第7条により法的に罰せられます。

 
うーん、そこまで言われると、ちょっと腰が引けて、譲り渡しもできなくなりそうです。
さすが、スキー観光の県らしく、事業者には手厚い保護がなされているのでした。

というわけで、ゲレンデ自体は、妙高杉ノ原に比べると、空いていて楽しめました。
ほどよい中級者コースがあったりして満足したはずなのですが、なにせ午後からで時間も限られていて、あくせくして滑ってしまったせいか、あまり滑りを良く思い出せないのが残念で、次回は余裕を持って滑りに出かけてみたいとも思うのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから

クリックで拡大します
ゆるきゃら・いけべい

グーグルドライブはこちらから

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




 

2015年3月24日火曜日

鉛温泉といえば、花巻だから宮沢賢治だし、高村光太郎だよ - 鉛温泉スキー場(岩手県)

平成3年1月3日滑走

若い頃、東北は仙台近辺に勤めていて、休みになると秘湯めぐりをしていました。
時間を持て余したせいですが、露天風呂を楽しむのは日本人だからでしょうか。

初めは宮城県内を中心でしたが、段々と県外へ遠征するようになって来ます。
特に岩手県は、何度も訪ね歩きましたが、この鉛温泉周辺もその一つでした。

最もこの温泉が一番有名になっただけでして、周辺は異なる温泉が多いのです。
例えば、街道筋の手前から、松倉、志度平、渡り、大沢と名湯が連続します。

大沢温泉の自炊部がひなびておりました
グーグルドライブはこちらから

こうして、最後の奥まった場所が鉛温泉になり、隣は愛隣館の新鉛温泉でした。
豊沢川の渓谷に沿って、温泉が豊富に湧き出しており、湯めぐりができるのです。

さらに、この界隈を有名にしたのは、田宮虎彦が執筆した小説のおかげでしょう。
タイトルは”銀心中”で、鉛温泉にあった理髪店からイメージを膨らませました。

実は、虎彦は、藤三旅館に一ヶ月も逗留して、この小説を執筆したといいます。
今現在も、この旅館は使用された部屋を紹介していて、宿泊も可能なんだとか。

映画化したほどの流行作ですが、作者自体はすでに忘れ去られてしまいました。
文庫本も残ったのはわずかに一冊ですが、やがては絶版さてしまうかもしれない。

でも、なぜ、この作家を覚えているかと言うと、小学生の頃に読んでいるからです。
”子別れ”と言う作品ですが、文章表現が巧みで盛り上げ方に痛く感動しました。

これがきっかけで本人を調べ初めたのですが、この作品は感傷的な気もしました。
他の作品も、代表作は私小説が主で、どうも四畳半的世界に没頭しそうです。

だから、未だ若かったせいもありまして、他の作品を読まずに済ませてしまいました。
さて、この温泉のある花巻なんですが、もちろん、詩人宮沢賢治のふるさとです。

グーグルドライブはこちらから

アメニモマケズ、カゼニモマケズ”という、没後に発見された遺作はご存知でしょう。
代表作とも言われますが、ファンタジーの童話の世界の方が自分は好きですね。

この鉛温泉スキー場だって、ゲレンデにこの賢治を思わせる名称がついています。
銀河コースやら、ポランの広場ですが、”利銀河鉄道の夜”など作品からでした。

それで、自分も”注文の多い料理店”を読んだりして、感銘を受けました。
そのせいもあってか、この花巻にある宮沢賢治記念館も二度訪ねています。

ところで、詩集”智恵子抄”で有名な高村光太郎記念館も、この花巻にあります。
戦災で焼け出された光太郎は、七年間、ここで独居自炊の生活を送りました。

●あどけない話
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。

この詩は、特に有名なのですが、職場で臨席の若い衆に聞くと知りませんでした。
もう、高村光太郎と言う詩人ですら、過去の人になってしまったのかもしれない。

学校で習わなかった感じで、国語に登場する作品に流行り廃れがあるのでしょう。
というわけで、この花巻は意外と観光名所もあり、四季折々に楽しめるのでした。

どちらかといえば、文学散歩のような観光名所めぐりが、似合うかもしれません。
それでも、ウインタースポーツであれば、温泉とセットで鉛温泉スキー場が楽しめるでしょうし、車で来ているのなら雫石周辺のスキー場も回れますので、ここは白猿の湯といわれた鉛温泉に、ぜひ投宿していただきたいと思うのでした。


おまけ:
宮沢賢治のお父さんが利用したとパンフにあります
グーグルドライブはこちらから
クリックで拡大します
注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ





     

2015年3月22日日曜日

ちびりちびりと大満足、ウイスキーボトルの携行で飲みすぎには要注意 - 妙高杉ノ原スキー場 (その一)(新潟県)



生まれて初めて、ステンレスのウイスキーボトルをスキー場に携行してみました。
いつもは山登りに使っていたのですが、寒さしのぎに飲んでみる気になったのです。
 
二十年以上前に購入しましたが、飾りも無く一番安いので二千八百円でした。
ステンレスの胴に革張りがした高価なボトルもありましたが、実用一点張りです。
 
用を足せばよいのだとばかりに、登山用品店のコージツへ出かけて求めました。
まだ、アウトドアや中高年登山のブームがやってくる少し前のことだったと思います。
 
このゴンドラは、3キロ以上の距離で、山頂駅も標高が約千五百メーターです。
山麓からして標高が七百メーター以上あって、冬の寒さがかなり身に堪えます。
 
ゴンドラに乗れば何もすることがないし、窓の外は雪も降って視界も利きません。
室内に暖房もなくて、ところどころのすき間から冷たい寒気が吹き込んできます。
 
そこで、寒さしのぎに、ウイスキーでも飲みながら、体を温めようとしたのでした。
当時は四人がけでしたが、運転開始前に並んでも三十分待ちになるのです。
 
それに、ひどい雪降りの中、リフトだって立ちっぱなしで待つ間も一時間近い。
こういう時、ウイスキーをちびりちびり飲みながら待つのも、実に乙な気分でした。

グーグルドライブはこちらから

さて、昭和62年のチラシでは、ゲレンデが妙高国際と杉ノ原に分かれていました。
別々に開発されたのが、コースレイアウトを発展させて合併したような感じです。

調べてみますと、妙高国際のゲレンデは、昭和43年に再オープンとありました。
コクドが買収した結果なのでしょうが、杉ノ原はこれより八年後の開業でした。
 
後年、妙高国際側は、三田原ゾーンに改称されたのですが、標高も高いです。
最高地点は、標高が千九百メーター近くに達して、五月連休も滑走できました。
 
ところが、訪問客が急減したのか、現在は連休の営業が無くなり、少しさびしい。
当時は、嫌気のするリフト待ちが確実なほど、スキーヤーで賑わっていました。
 
このゴンドラは、四人掛けと小さいゴンドラで、マニアックな大平索道の設置です。
実は、このメーカーの索道は、昔はスキー場の随所で見かけることができました。
 
最近は、耐久期間も過ぎて、大半が架け替えられており、見かけるのも難しい。
会社自体も整理されて今はなく、非常に懐かしいブランドになってしまいました。

平成4年3月21日滑走

このスキー場ですが、標高差で実質日本最高となる1,124メーターもあります。
滑走距離では、最長で8.5キロもあり、日本屈指のロング滑走が楽しめます。
 
ただ、初中級者向けの林間コースが中心で、上級者には物足りないかも知れない。
上級コースも、最大45度なのに平均16度ですから、本当は中級レベルでしょう。
 
なので、ガンガン滑り込む人には、ちょっと不満が残ってしまうかも知れません。
というわけで、新潟県では有数の人気を持つゲレンデといって過言ではないし、その人気のおかげで、週末はリフト待ちが他のスキー場に比べて長いので、ぜひ平日にたずねて滑ってもらいたいと、思うのでした。


おまけ:
全ページごらんいただけます

グーグルドライブはこちらから

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)           


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




 

2015年3月19日木曜日

日本人のスキーには、アルペンは論外、ノルデック競技からメダリストが輩出して当然 - 竹鶴シャンツェ(北海道、余市町)

余市町、竹鶴シャンツェ

北海道の余市町といえば、ニッカウヰスキーの余市蒸溜所をご存知でしょう。
朝のNHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルとなった竹鶴正孝が開きました。

実は、マッサンは、地元のスポーツ振興に尽力した人としても知られています。
その象徴ともいえるのが、竹鶴シャンツェでミドルヒル(K点:50m)のジャンプ台。

平成12年には近代化され、サマージャンプができるような施設にも変身しました。 
また、その隣にスモールヒル(K点:30m) の笠谷シャンツェも併設されています。

それで、このジャンプ台から、冬季オリンピックの金メダリストも輩出されました。
一人は笠谷幸生で、もう一人が斉藤浩哉ですが、どちらも余市高校の出身。

もちろん、この高校は、スキージャンプで活躍した選手を多数送り出しています。
特に、ジャンプの東三兄弟と呼ばれた中で、和広・昭広は卒業生でした。

グーグルドライブはこちらから
全ページご覧いただけます

背景は、旧制余市中学の裏山にジャンプ台が建造されたせいもあるでしょう
それに加えて、資金面でスポンサー役だったマッサンの力は、計り知れません。

そして、ニッカの会社もスキー部を創設して、ジャンプ競技を支えて来ました。
現在は、親会社のアサヒビールがスポンサーとして日本人選手を支えてはいます。

でも、最近は実業団のスキー部活動が低迷しているのが、なんとなく寂しいです。
ワールドカップの入賞年齢記録を更新し続ける、葛西紀明選手も渡り鳥でした。

地崎工業→マイカル→土屋ホームと所属を変えて、レジェンドを打ち立てのだ。
一方、札幌オリンピックで金メダルに輝いた笠谷選手は、ニッカに所属しました。

現役時代は、年間二百日もジャンプのための時間が与えられていたといいます。
これって、勤め人としての勤務内容は、飛ぶためだけにあったようなものでしょう。

しかも、笠井選手を広告塔に利用しようとした形跡は、見当たらなかったのです。
つまり、マッサンは余市という町とスポーツが、純粋に好きだったのだと思います。

ニッカ余市蒸留所

それも雪国である以上、冬のジャンプ競技にたどり着いたとしても不思議はない。
そんな気もしますが、メダリストを誕生させるには、こうした歴史が必要なのだ。

だから、金メダルまでにたどり着いたのですが、アルペン競技ではどうなんだろう。
猪谷千春さんが、半世紀も前に銀メダルを取って以来、後に続く人がいません。

だからといって、選手層を見ると、ジャンプ競技よりも厚いはずなんですけどね。
実際、アルペンは派手さがあって、スキーをする人ならやってみたくなるものです。

でも、海外のワールドカップに参戦しても戦績として、結果が全く伴っていない。
第一シードの常連まで這い上がった選手だって、数えるぐらいのものでしょう。

日本にはゲレンデが五百ヶ所もあるのに、どうして優れた選手が生まれないのか。
まあ、しょせん箱庭みたいな規模のスキー場ゆえ、それに見合った技量なのか。

以前、テレビ番組でバラエティー番組に出演したアルペン選手を見て笑いました。
自分は、誰よりも優れている優秀な選手だと、自慢げに吹聴していたからです。

選手の名前は忘れてしまいましたが、なんかちやほやされて舞い上がっている。
結局、その後ワールドカップで上位入賞したのかどうかも、分からないほどでした。

まあ、結果が伴わないのに、用具メーカーのスポンサーが日本人向けにつきます。
これで、自分は優秀なんだと思い込む奴がたぶん、大馬鹿なんじゃないのか。

糞みたいな商業主義のアルペン競技と違って、ジャンプなんか実に地味ですよ。
東北・北海道の経済は低迷するわ、気前の良いスポンサーもいないくなりました。

後は、選手自身がどんな環境だろうが、競技に熱意を持って打ち込むかどうか。
ただただ、飛ぶことが好きな若人が、人知れず地道に練習に励んでいるのです。

その努力の結果がオリンピックのメダルにつながったのなら、不思議はないでしょう。
というわけで、マッサンが最終回を迎える前に、少し書き残したいと思いました。

というのも、三月初めのスキー遠征で、アルペン競技の練習風景を見かけました。
富山県のたいらスキー場でしたが、若い選手たちがポール練習に励んでおります。

まあ、そこそこのバーンだとは思いましたが、あの程度の斜度と距離のことです。
せいぜい出られて、インターハイとか国体が関の山だろうみたいにも思えました。

しかも、日本特有の湿った雪のゲレンデは、欧州中心の乾いた雪質と違います。
たぶん、滑り方も大きく変わってくるるだろうし、その分体力も必要かもしれない。

こうなると、将来、冬季オリンピックでアルペン競技による日本人のメダル獲得者が出るのは、きわめて難しいことなのかもしれないと、つい思ってしまったのでした。



いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




     

2015年3月17日火曜日

ゆるキャラ”づなっち”も登場したが、やはり里谷多英コースが記念碑的看板だ - 飯綱高原スキー場(長野県)

平成4年2月14日滑走

いくら経営が厳しくなったからといって、この里谷多英コースを閉めちゃいけません。
日本人女子選手が冬季オリンピックで史上初の金メダルを獲得したコースです。

ここでは、長野五輪でフリースタイルスキーのモーグル競技が開催されました
大会本部の長野市からは、最も近接したスキー競技会場だったということです。

そのせいか、テレビ中継で見ていると、当日の観客が多いのが見て取れました。
もちろん、メダル獲得の可能性が高い競技というのが背景にもあったのでしょう。

天気もピーカン晴れで絶好の日和になっており、印象深いものがありました。
ユーチューブで探せば、里谷選手のコザックを決めた空中技が未だに楽しめます。

今は難易度の高いエアの回転技が主流ですが、当時はこれで惚れ惚れしました。
モーグルは、選手一人の競技時間が短くて試合の回転も早いので、観戦が楽しい。

ただ、オリンピックが終わってしまえば、スキーのブームも去って雲行きが怪しくなる。
このコースとて例外ではなくて、、普段はあまり滑る人がいない状態だったようです。

結局、経営効率化を図る市の方針で廃止になりましたが、問い合わせも増えます。
再開の強い要望が届いたせいか、平成21年シーズンから改めて復活されました。

リフト回数券(裏)

それで、ゲレンデの設置リフトですが、珍しい小島製作所の手になるものでした。
今、改めてリフト券を見返したのですが、裏面広告の登場も、このためでしょう。

現在は索道事業の分野から撤退しており、ネットで検索しても現況が判明しません。
実は、このモーグル中継を見ていて、リフトの動力部をみて小島だと分かりました。

以前、エコーバレーのスキー場で小島製を見慣れていたので、見覚えがあります。
機械の塗装が、暗めのこげ茶色で、他の索道メーカーと雰囲気が違っていました。

それに、動力部のカバーや索道リールのデザインが、無骨でどっしりして昔風です。
とあるブログでは、三菱重工が落札し、中身は小島という経緯を紹介していました。

しかも、架設の実績が飯綱高原第4・5ペアだとあり、五輪当時と平仄が合います。
そんなリフトの掛かった多英コースですが、自分もコブコブのバーンに挑戦しました。

あの頃はオリンピック前で、ここがモーグルバーンになると思って記念に滑りました。
このコースでは、数々の大会が当時は開催されていて、コブが深いままななのです。

スイスイと滑って降りることもできずに、ここは慎重にキックターンを繰り返しました。
というわけで、ゲレンデには、ゆるキャラ”づなっちの登場でイメージ刷新中でしょう。

ユーチューブでも、長野県マスコットのアルクマ君と相撲をとって意気軒昂なところを見せていますし、づなっちのふわふわ遊具を設置したり、お子様向けにづなっちグッズを販売するなど、ファミリー向けを通してぜひスキー人口の拡大に貢献してほしいと思ったスキー場なのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから
づなっち写真
クリックで拡大します

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




  

2015年3月15日日曜日

海外にもっと名前が売れても良いスキーリゾートなんだけどね - 尾瀬岩鞍スキー場( その二、四季の森ホワイトワールド尾瀬岩鞍)(群馬県)

尾瀬岩倉リゾートパンフ
全ページごらんいただけます
グーグルドライブはこちらから

日本は、世界の中でも類を見ないスキーリゾートのある国なんだそうです。
ネットで紹介されていたデータによれば、三百五箇所もあるそうで、驚きました。

どれぐらいの規模を言っているのかわかりませんが、リフト一本では無理でしょう。
最低、リフトが数本合って、ゲレンデもバリエーションがあり、宿泊設備も整っている。
 
これを合格ラインとすると、日本のスキー場は数が減ったとはいえ、総数五百くらい。
なので、小規模なゲレンデを差し引いて三百箇所くらいは、リゾート適マークなのか。
 
一方、最も多いのはアメリカですが、スキー発祥の地、オーストリアよりも多いのです。
数ではアメリカがダントツで四百箇所以上もありますが、それは大陸国家だから。
 
日本より面積で25倍も大きな国だし、緯度的に高くて雪にも恵まれています。
首都のワシントンでも仙台あたりですし、シアトルはもっと稚内より北に位置します。
 
ロッキーー山脈のような山岳地帯もありますし、人口も三億人以上なのでした。
だから、スキーリゾートが四百箇所以上あったとしても、当たり前かも知れません。
 
クリックで拡大してください。

他方、ヨーロッパアルプスのお膝元、オーストリアは、二百七十五箇所もありました。
面積で比べると日本の四分の一にもならないのに、リゾートが集中しているのです。
 
それだけアルプスは、貴重かつ重要な観光資源になっているということでしょうか。
人口は千万人にも満たない国ですが、スキー・スノボ用品のブランドも有名です。
 
ヘッド、フィッシャー、アトミック、ディナスター、クライスルなどなど、目白押しですね。
こうしてみると、国土面積も小さいし、緯度で見てもかなり南の日本が異色です。
 
かろうじて、人口が一億二千万人で、経済規模には見合っているのかもしれません。
西日本のゲレンデは北緯34度程度に位置しますが、緯度的には北アフリカでした。
 
ただ、モロッコアルジェリアにもスキーリゾートがありますから、雪は降るのです。
イラン、パキスタン、インドだってスキーができますから、実に世界は広いのでした。
 
さて、最近は、海外のスキーヤーも日本のリゾートでよく見かけるようになりました。
特に、北海道のニセコは、オーストラリアからのお客さんがよく来るので有名です。
 
グーグルドライブはこちらから

実際、このことが、日本のスキーリゾートを、海外に紹介する橋渡しになりました。
英語圏の人たちが、その素晴らしさネットで紹介してくれたのがきっかけです。
 
つまり、実際に滑った人が、日本のゲレンデの真価を理解してくれたのでした。
どうも、ゲレンデのレイアウトが、林間を抜けるコースになっているのが魅力らしい。
 
ヨーロッパアルプスなら、標高も高くなって、軽く森林限界を超えてしまいます。
雪質は申し分ありませんが、見渡す限り雪原だけになり、景色が単調かもしれない。
 
一方、日本のスキー場は、標高がさほど高くないので、必ず山林が残されています。
標高の最も高い横手山スキー場でも、針葉樹林帯が美しくて樹氷も期待できそう。
 
円安になって日本を旅行しやすくなりましたから、ここは日本を訪れてもらいたい。
各地のスキーリゾートが、世界に向けて発信・紹介されるのは、うれしいことです。
 
それで、どこのリゾートが紹介されているのか、ネットで検索をかけて調べました。
北は北海道から長野県あたりまで、名の知れた箇所がよく紹介されております。
 
尾瀬岩鞍リゾートパンフ(夏バージョン)
全ページごらんいただけます
グーグルドライブはこちらから

ですが、残念なのは、この尾瀬岩倉を含めた関東地区のゲレンデが見当たりません。
この片品村の国道120号線は、ゲレンデ街道でして、リゾートが集中しております。
 
車で出かけても、首都圏からは近距離ですから、交通の便もよいはずなのです。
なのに、この岩鞍はリゾートとして売り出してきたのに、海外では知名度がありません。
 
ここは、海外のPRにもっと目を向けてもらって、積極的に売り出したらどうでしょうか。
加えて、世界遺産の富士山が見えるなんて、ちょっとした宣伝になるかもしれない。
 
それに、冬のスキー以外では、尾瀬湿原のハイキングを目的とした宿泊施設です。
パンフを見ると分かりますが、高山植物の鑑賞をトレッキングで紹介していました。
 
というわけで、このリゾートは、マルチで観光PRをしたらいいんじゃないでしょうか。
尾瀬国立公園の四季を通じた景観は、この日本にひとつとない素晴らしさですから、スキーヤーも含めた海外観光客の誘致に、もっとチャンレンジしてもらいたいと思うぐらいなのでした。


おまけ:
海外における日本のスキーリゾートを紹介したサイト
 
 
 
 
 
 
 
 
 



いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ