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余市町、竹鶴シャンツェ |
北海道の余市町といえば、ニッカウヰスキーの余市蒸溜所をご存知でしょう。
朝のNHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルとなった竹鶴正孝が開きました。
実は、マッサンは、地元のスポーツ振興に尽力した人としても知られています。
その象徴ともいえるのが、竹鶴シャンツェでミドルヒル(K点:50m)のジャンプ台。
平成12年には近代化され、サマージャンプができるような施設にも変身しました。
また、その隣にスモールヒル(K点:30m) の笠谷シャンツェも併設されています。
それで、このジャンプ台から、冬季オリンピックの金メダリストも輩出されました。
もちろん、この高校は、スキージャンプで活躍した選手を多数送り出しています。
特に、ジャンプの東三兄弟と呼ばれた中で、和広・昭広は卒業生でした。
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背景は、旧制余市中学の裏山にジャンプ台が建造されたせいもあるでしょう。
それに加えて、資金面でスポンサー役だったマッサンの力は、計り知れません。
そして、ニッカの会社もスキー部を創設して、ジャンプ競技を支えて来ました。
現在は、親会社のアサヒビールがスポンサーとして日本人選手を支えてはいます。
でも、最近は実業団のスキー部活動が低迷しているのが、なんとなく寂しいです。
ワールドカップの入賞年齢記録を更新し続ける、葛西紀明選手も渡り鳥でした。
地崎工業→マイカル→土屋ホームと所属を変えて、レジェンドを打ち立てのだ。
一方、札幌オリンピックで金メダルに輝いた笠谷選手は、ニッカに所属しました。
現役時代は、年間二百日もジャンプのための時間が与えられていたといいます。
これって、勤め人としての勤務内容は、飛ぶためだけにあったようなものでしょう。
しかも、笠井選手を広告塔に利用しようとした形跡は、見当たらなかったのです。
つまり、マッサンは余市という町とスポーツが、純粋に好きだったのだと思います。
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ニッカ余市蒸留所 |
それも雪国である以上、冬のジャンプ競技にたどり着いたとしても不思議はない。
そんな気もしますが、メダリストを誕生させるには、こうした歴史が必要なのだ。
だから、金メダルまでにたどり着いたのですが、アルペン競技ではどうなんだろう。
猪谷千春さんが、半世紀も前に銀メダルを取って以来、後に続く人がいません。
だからといって、選手層を見ると、ジャンプ競技よりも厚いはずなんですけどね。
実際、アルペンは派手さがあって、スキーをする人ならやってみたくなるものです。
でも、海外のワールドカップに参戦しても戦績として、結果が全く伴っていない。
第一シードの常連まで這い上がった選手だって、数えるぐらいのものでしょう。
日本にはゲレンデが五百ヶ所もあるのに、どうして優れた選手が生まれないのか。
まあ、しょせん箱庭みたいな規模のスキー場ゆえ、それに見合った技量なのか。
以前、テレビ番組でバラエティー番組に出演したアルペン選手を見て笑いました。
自分は、誰よりも優れている優秀な選手だと、自慢げに吹聴していたからです。
選手の名前は忘れてしまいましたが、なんかちやほやされて舞い上がっている。
結局、その後ワールドカップで上位入賞したのかどうかも、分からないほどでした。
まあ、結果が伴わないのに、用具メーカーのスポンサーが日本人向けにつきます。
これで、自分は優秀なんだと思い込む奴がたぶん、大馬鹿なんじゃないのか。
糞みたいな商業主義のアルペン競技と違って、ジャンプなんか実に地味ですよ。
東北・北海道の経済は低迷するわ、気前の良いスポンサーもいないくなりました。
後は、選手自身がどんな環境だろうが、競技に熱意を持って打ち込むかどうか。
ただただ、飛ぶことが好きな若人が、人知れず地道に練習に励んでいるのです。
その努力の結果がオリンピックのメダルにつながったのなら、不思議はないでしょう。
というわけで、マッサンが最終回を迎える前に、少し書き残したいと思いました。
というのも、三月初めのスキー遠征で、アルペン競技の練習風景を見かけました。
富山県のたいらスキー場でしたが、若い選手たちがポール練習に励んでおります。
まあ、そこそこのバーンだとは思いましたが、あの程度の斜度と距離のことです。
せいぜい出られて、インターハイとか国体が関の山だろうみたいにも思えました。
しかも、日本特有の湿った雪のゲレンデは、欧州中心の乾いた雪質と違います。
たぶん、滑り方も大きく変わってくるるだろうし、その分体力も必要かもしれない。
こうなると、将来、冬季オリンピックでアルペン競技による日本人のメダル獲得者が出るのは、きわめて難しいことなのかもしれないと、つい思ってしまったのでした。
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