2014年12月29日月曜日

まさか、雫石みたいにゴンドラがなくなることはないでしょうが - 焼額山スキー場 (その一) (長野県)

グーグルドライブはこちらから
ゲレンデマップ(87年)
昭和58~62年までのコースレイアウト

このスキー場名、読みがちょっと難読ですが、一度覚えたら忘れられません。
字は焼額と書いて、”やけびたい”と読むのですが、エントリーレベルでしょうか。
  
上級者向けなら、山形県の”山毛欅潰山”ですが、すぐには読めないはずです。
”ぶなつぶれやま”なんて絶対に読めないと思いますが、みなさん、どうですか。
  
因みに、日本異様難読山名コンテストが行われた中で、第14位だったそうです。
1位は一尺八寸山、2位は爺爺岳で、道産子ですから2位は知っていました。
  
ちゃちゃだけ”と読みまして、北方領土の国後島にあるのを学校で教わりました。
1位は、いっしゃくはっすんとも読めますが、ところがぎっちょんちょん、全く違います。
  
なんと、”みおうやま”と読むんだそうで、その謂われに伝承が残されていました。
昔、この山で三頭の大イノシシが山狩りでし止められて、尾が切り取られました。
  
それを切り取ってつなげたら、一尺八寸(約58cm)の長さがあったんだそうです。
それで名づけられたと言われていますが、”みおう”ってこじつけ臭いですよね。
  
まあ、「三尾」の意味で”みお”と読むところから、転じたとも言われています。
そんな難読・難解な山の名前では、焼額はお子様レベルなのかもしれません。
  
実際に、山頂には稚児池もありますから、落ちが付いたということにしましょうか。
さて、このスキー場、春スキーで滑ったばかりで、滑るコースも限定されました。
  
第二ゴンドラだけが運転されて、ここかしこと滑走禁止のロープも張られます。
枝分かれするコースも無くはないのですが、滑っているうちにつまらなくなります。
  
どうも、メリハリの付かない中級用コースばかりで、意外に早く飽きてしまいました。
こうなったら、後はゴンドラの頂上駅からお隣の奥志賀高原へ移動するだけです。
  
こうして、ゲレンデを二股架けて滑りこむと、楽しさが倍に広がる感じが致しました。
さて、この焼額ですが、当初は第一ゴンドラが掛けられて、営業を開始しました。
  
その後、第二ゴンドラが増設されて、山全体がゲレンデの格好になっています。
しかも、一の瀬山の神と奥志賀の両ゲレンデと滑走コースが連絡しました。
  
五つのスキー場で豪快な滑りパンフ
最近は、リフトが減ってしまって残念
  
というわけで、これぐらい大規模なゲレンデになれば、群を抜いた滑りごたえです。
本音を言いますと、一度はフルシーズンの頃に滑ってみたいと思っておりました。
  
ただ、人気の志賀高原だけあって、スキーヤーも多く混雑しそうで敬遠してきたのですが、スキーブームも去ったことですし、天候も落ち着いた三月初めにでも滑りに改めて出かけてみようかと、考えてみるのでした。

  
おまけ:
グーグルドライブはこちらから
グーグルドライブはこちらから

   
いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ





   

2014年12月27日土曜日

地元の有数企業が開発したから、パンフレットも独立独歩のPR - 奥志賀高原スキー場 (その二)(長野県)

グーグルドライブはこちらから
(平成四年頃)

奥志賀高原は、長野県の私鉄企業である長野電鉄によって開発されました。
その歴史は古く、昭和33年までさかのぼり、ある人物の助言が物をいいます。

猪谷六合雄氏なのですが、ゲレンデのデザイナーとしても高名だった人です。
それは、焼額山麓東方に広がる傾斜地”熟平”をリゾート地にする構想でした。

ただ、実際にこれが実現するまでには、十年以上の長い時間が掛かっています。
なにかの紆余曲折があったのだと思いますが、詳しいことは分かりません。

こうして、別荘地の分譲を手始めに、順にスキー場、ゴルフ場がオープンしました。
この経緯が面白くて、今にいたる奥志賀高原の歴史を年表にまとめてみました。

<奥志賀高原の開発年表>
昭和43年(1968年)
3月31日 熟平(奥志賀)開発のため山ノ内町と賃貸借契約調印
9月16日 不動産業営業開始 
昭和44年(1969年)
12月21日 奥志賀高原ホテル、スキー場開業
12月17日 奥志賀高原山頂レストハウス営業開始
昭和51年(1976年)
6月1日 奥志賀高原ゴルフ場開業 
昭和61年(1986年)
12月13日 奥志賀高原ゴンドラ開業(12月8日竣工式)
平成5年
4月26日奥志賀林道A・B線の県道昇格、奥志賀高原ホテルまで無料開放。
平成7年(1995年)
4月1日 奥志賀林道C・D線 県道昇格、箕作まで全線無料開放。
平成19年(2007年)
5月11日 ユニファイド・パートナーズへ奥志賀開発エリアの譲渡を発表。
       (奥志賀高原スキー場、奥志賀高原ホテル、奥志賀ゴルフ場)
7月 上記三施設をユニファイド・パートナーズ㈱の子会社へ譲渡

山ノ内町 今伝えたいこと”より


最終的に、開発者たる長野電鉄はこのエリアの事業から撤退してしまうのです
電鉄の創始者が志賀高原の名づけ親なので、断腸の思いだったかもしれない。

この他、丸池周辺の観光事業も手を引きましたので、ちょっと残念に思いました。
まあ、スキーブームが去ってしまい、将来の成長が望めなくなったということです。

そうなれば企業としても、事業の集中と選択は避けられなくなってしまうでしょう。
こうして、奥志賀高原と長野電鉄の開発の歴史は、幕を閉じたのでありました。

それでも、このリゾートは健在でして志賀高原とは、別格の品位を保っております。
その中核こそ、奥志賀高原ホテルでして、上品な大人のリゾートには違いない。

ラウンジが広く景観もよく、大きな暖炉はホテルの顔で、フランス料理も折紙つき。
開発当初から開業され、歴史の長さがこのホテルの奥ゆかしさを物語ります。

小澤征爾氏の関わった森の音楽堂と言う小さなコンサートホールまでありました。
どの施設もシックにまとめられていて、バブルのリゾート開発とは根本が違います。

というわけで、長野県、いや東京の財界人までにもこよなく愛された土地です。
ホイチョイプロダクションの”極楽スキー”という本でも、このスキー場とホテルが特別扱いで紹介されておりましたが、スキーはリゾートという切り口から徹底的に掘り下げたコンセプトに、正にここが合致していたのであろうと思うのでした。


おまけ:グーグルドライブからご覧ください
2003奥志賀高原パンフ

    
いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ





   

2014年12月25日木曜日

長野電鉄創業者が、志賀高原と名づけたのだ​から、心して滑走せよ - 奥志賀高原スキー場 (その一)(長野県)

共通リフト券でハシゴしました

志賀高原は、長野電鉄の社長だった神津藤平が、昭和五年に命名しました。
名づけられてから、八十年ちょっとなので、歴史的にはまだまだ新しい方です。

しかも、自分の出身地だった志賀村、現在の佐久市志賀にちなんでいます。
何とも、安直な名前の付け方に違いなく、佐久なら菅平高原のほうが近い。

ただ、昭和二年に湯田中まで鉄道路線を延ばしたのが、きっかけになりました。
ここは、火山地帯ならではの豊富な湧出量を持つ多数の温泉が存在します。

開湯千三百年の歴史に加えて、江戸時代には文化人も数多く逗留しました。
ここに、山上の楽園、高原地帯が加われば観光地としては鬼に金棒でしょう。

つまり、後年の一大スキーリゾートに至る経緯が、電鉄事業を発端としました。
ですので、スキーヤー諸君は長野市の方角に足を向けて寝てはいけません。

なぜなら、ここには志賀高原スキー場の礎を築いた同本社が存在しております
賢くも恐れ多い、この両方の名前ですが、深く心にとどめて置くようにしましょう。

さて、この長野電鉄が最終的に開発したスキー場が、この奥志賀高原なのです。
オープンは、およそ半世紀前の昭和44年、滋賀では一番奥まったところでした。

往復料金、券を見せると帰りは無料

湯田中から国道を登ってくると、道路は蓮池のところで分岐点に出会います。
右手方向は横手山・渋峠へ抜けますが、この奥志賀は左手に流れて行きます。

奥志賀林道と言うのですが、滑った当時は有料道路で区間に分かれていました。
焼額まではA区間で360円を、奥志賀まではB区間570円を払ったのです。

それで、奥志賀を滑るために、A区間で降りて通行料金をせこく節約しました。
つまり、焼額山のゴンドラで頂上まで上り、次に隣の奥志賀まで移動するのです。

このため、平坦な山頂部のバーンを、ストックで突いて滑走しなければなりません。
たった210円のセーブなんですが、滑走前の準備運動ぐらいに思って滑りました。

現在、この林道はすでに無料化されていまして、ケチる必要もなくなりました。
それでも、もし焼額山と併せて楽しむのなら、手前で駐車した方がいいでしょう。

グーグルドライブはこちらから
さて、頂上の第4ゲレンデに到着したら、ゲレンデはYの字の二股に分かれます。
左手を滑ると、奥志賀高原ホテルまで降りますが、右手はゴンドラ駅に着きます。

このゴンドラ駅とホテルは離れていまして、戻るにはもう一度ゴンドラに搭乗します。
頂上駅まで上がり、左手を目指して滑りこみますが、目の前が上級コースです。

と言うわけで、初心者にはきついのですが、回避するコースも用意されていました。
宿泊先のホテルに戻る滑走パターンなのですが、自分としてはゴンドラ側のダウンヒルコースが好きで、ノンストップでガンガン滑りこんでいるのも楽しく、奥志賀のゲレンデは最高だと感じた記憶が鮮やかなのでした。


おまけ:
スキー場のパンフレットは、(その二)で取り揃えて紹介します。
ぜひ、ご訪問ください。
注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ





   

2014年12月23日火曜日

バスクリンもいいけどさ、一滑りの後は天然​温泉に浸かって極楽気分 - 熊の湯スキー場 (長野県)

グーグルドライブはこちらから

この熊の湯温泉は、きれいなエメラルドグリーンの湯をしているのだそうです。
泉質は硫黄泉だそうですが、湯の花が多いと白骨温泉みたいに白くもなります。

ところが、こちらの方は色が美しく、入浴剤のバスクリンを思い出してしまいました。
それで、このバスクリンですが、昔は津村順天堂が製造と販売をしていました。

現在は、社名もバスクリンに変わりましたから、そのものずばりになっています。
八十年以上も前に誕生したブランドですから、じつに息の長い商品になりました。

研究所も学園研究都市のつくば市にありますから、意欲的な開発体制です。
三名の調香師も在籍していますし、香り、色、成分のこだわりもうかがえます。

一方、熊の湯が天然温泉なのは分かりますが、日帰り料金、千円はちと高い。
源泉掛け流しのすばらしさは、十分な価値がありますので、ここは宿泊でしょう。

結局、スキー場は滑って堪能しましたけど、実際、湯船に浸かりませんでした。
ちょっと、残念だったのですが、ふもとの湯田中まで下りれば立ち寄り湯も多い。

グーグルドライブはこちらから

この”わくわくの湯”は、ドライブ途中で、偶然に見つけた民宿の温泉宿でした。
場所は、上林温泉近辺でバイパス沿いにあり、スキー帰りに便利な立地です。

地味で目立たない風情でも、逆にお客さんが少なくて、まったりゆったりしました。
実にひなびた立ち寄り湯ですが、疲れを癒すのに格好なお湯だったと思います。

というわけで、スキー場は滑れば分かりますから、とにかく出かけてみてください。
フルシーズンの頃には、国道をはさんだ横手山スキー場と一体化するのです。

滑走コースも増えて大きなゲレンデに変身すれば、滑りまくって疲れるでしょう。
だから、ここは熊の湯ホテルにちゃんと泊まってみることにして、琥珀色の湯にどっぷり浸かってみたいものだと思うのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから
   
いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ





   

2014年12月21日日曜日

ステンマルクのラスト・スラロームをテレビ​で見たんだよ - 横手山スキー場 (長野県)

平成3年4月27日滑走

ステンマルクは、二十世紀で最も優れたアルペンスキーの選手と言われます。
戦えば勝つのが当たり前みたいに、ワールドカップ優勝は八十六勝に達しました。

「ステンマルクに次ぐ二位は優勝と同じ価値がある」なんていわれたぐらいですよ。
天才スラローマーって言葉も、未だに彼だけのためにあるような感じもします。

それで、このスキー場ですが、彼が競技を引退した花道のゲレンデになりました。
時は平成元年のことで、テレビ中継されたのを見ていたので、よく覚えています。

確か、大回転競技が終わった後、彼だけのためにデモ滑走が設けられていました。
横手山の山頂から、パラレルクリスチャニアでシャカシャカ回って降りていきます。

でも、途中で制御しづらくなったのか、ゆっくりとターンを切り替えて滑りました。
観戦客からも盛大な拍手が送られていましたが、ひとつの時代が終わったのです。

未だカービンぐスキーの登場していない、平板時代のエランスキーがまぶしかった。
ステンマルク選手のおかげで有名になったメーカーですが、懐かしく感じますね。

グーグルドライブはこちらから
裏表ページをごらんください。

さて、スキーブームの頃は、混雑するスキー場ほどシーズンを外して行きました。
特に、志賀高原はふもとの湯田中温泉からアクセスする道路が結構大変です。

国道292号線がそうなのですが、曲がりくねった道路をしこしこと上り詰めます。
そして、初めて出会うスキー場がサンバレーで、すでに標高千四百メーターです。

標高差で八百メーターもあり、上がっていくときの高度差を稼ぐドライブが面白い。
ただし、真冬の頃は圧雪路になり、カーブでスリップしないように警戒も必要です。

一方、日光東照宮と中禅寺湖の間は、標高差が約六百五十メーターでした。
関東圏にお住まいなら、誰でも訪れる名所で、特にいろは坂が印象に残ります。

上り詰める印象が強いのですが、実際は志賀高原が標高差は大きいのです。
気温もグッと下がって、樹林帯の様相も針葉樹やダケカンバに変わっていきます。

それだけ、高地は寒い気候なんだと思う分けですが、春スキーの頃は違います。
お彼岸も過ぎて陽が高くなって、ポカポカした陽気は正に春の訪れなのでした。

時は四月一日、エープリルフールですが、スキー場は嘘みたいにガラガラです。
三月末までの混雑具合が嘘のようで、スキー客の少なさに驚いてしまいました。

しかも、週末のくせに客の少なさの激変振りは、季節ものスポーツのゆえでしょう。
もう春になって、人々はこれ以外のアウトドアスポーツへ移行してしまったようです

一方、滑走に快楽を感じてしまう滑り屋さんだけが、この志賀高原に出没します。
標高も高いし、四月に入ったとしても、三月末と雪質にほとんど差はありません。

こうなると、スキー客がグッと空いて来るので、滑り放題、スピード出し放題です。
とにかく滑るのが楽しいのですが、気温が上昇してくると雪も融けて重くなります。

その分、滑走面に摩擦がかかって思ったようにスピードが出せなくなるのです。
こうなると、体だけが惰性で前へつんのめる感じになりますが、致し方ありません。

というわけで、横手山のスカイリフト頂上は、日本一標高のあるゲレンデなのです。
ここから、滑り出す時は意外にコースが狭くて怖さも募ってくるのですが、そんなことにもへこたれず、ピーカン照りの中を降りまくっていた若い頃が懐かしく、昔に戻れるものなら戻って挑戦してみたいと、つい思ってみてしまうのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




  

2014年12月19日金曜日

スキー発祥の地、ヨーロッパアルプスはもち​ろん山岳登山の殿堂でもある - スイスアルプス博物館(SAM)(東京都)

グーグルドライブはこちらから
全ページごらんいただけます

開館してから十年ほどで閉館してしまった、短命の幻のミュージアムです。
場所は、東京赤坂CSタワービルのスイス政府観光局に隣接して設けられました。

自分が訪れたのは、開館して間もない頃、平成3年ぐらいだったとだと思います。
仕事中に訪れることが出来たのも、観光用ポスターを無償で譲ってもらうことでした。

当時、勤めていた会社では、ポスターを自動的に掲出する製品を販売していました。
複数のポスターを収納して、一枚の画面に一定間隔で掲出する装置な分けです。

商品名はポスターチェンジャーといい、大型の機械仕掛けのポスタースタンドでした。
ユーザーは銀行や信用金庫さんで、支店のロビーなどでよく設置されていました。

そのポスターは、金融商品の紹介や、金利の情報など、PRや告知に必要なのです。
監督官庁の指導で、掲示板を設けなければならない事情があると聞いていました。

この製品ですと、ポスター一枚分のスペースで何枚も表示でき、実に省スペースです。
金融業界ではある程度知られていまして、見本市・展示会へ良く出展していました。

このため、展示用に収納するデモ用ポスターが必要になり、いろいろと探し回ります。
美しい風景のものがベストでして、各国の政府観光局へ出かけては手に入れました。

特に、観光で人気のあるイタリア、スイスなどは協力的に資料を提供してもらえました。
南アフリカも好意的で、意外に観光資源が豊富なことを、ポスターから知りました。

それで、この博物館は、スイス政府観光局へ立ち寄ったついでに、見学したものです。
ヨーロッパアルプスは、ゲレンデスキーと同時に近代登山の発祥の地でもあります。

当時、自分も、夏は登山、冬はスキーと山に関わるスポーツを楽しんでいました。
だから、興味もあって拝見させてもらったのですが、古い装備が展示されています。

登山靴、ザックやヤッケのような道具ですが、あれでよく登れたなと感慨も湧きました。
化学合成による素材が発達していない時代ですから、重かったり機能で劣りそうです。

それでも山頂を目指していたのですから、昔の人は体力的に強靭だったのでしょう。
というわけで、この博物館の存在は、バブル崩壊とともに、文字通り泡と消えました。

スイス三大銀行の一つ、クレディスイス銀行がスポンサーとなって開館したのです。
この時代のメセナ活動では、よく見られた活動の一つだったかもしれません。

そして、閉館に当たっては、幸いにして展示品の一部が、長野の大町山岳博物館へ移管されましたので、それがせめてもの救いになったのだろうなと思うのでした。


おまけ:
博物館コラム――Column
登録博物館と呼ばれる博物館を知っていますか?
今この登録博物館が岐路に立たされています。


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




  

2014年12月17日水曜日

ここへ来れば、ゲレンデはより取り見取りのパラダイス - 志賀高原スキー場(長野県)

91スキー場ガイド
グーグルドライブはこちらから
全ページご覧いただけます

当時は、22箇所のスキー場、74基のリフト・ゴンドラ・ロープウェーがありました。
”チャレンジカード付き”とタイトルが打ってあり、切り取り線が引かれていました。

全部乗って応募すると、記念のTシャツがもれなくゲットできるキャンペーンです。
この他、シーズン終了後には来シーズンモデルのスキーも抽選で当たりました。

ちょっと挑戦したくなる気も起きますが、達成はかなり至難の業だと思いました。
だって、吹雪でリフトが動いていなかったり、春スキーには止まるリフトもあります。

まあ、シーズン最盛期に一週間ほど合宿すれば、できたんじゃないかと思います。
それぐらい、金と時間が掛かりそうですが、その割りにTシャツ一枚は情けない。

ただ、その頃、若い人はスキーに夢中でして、達成した人がいるかもしれません。
そんなスキーブームが過ぎ去ってから久しいのですが、現在はどうでしょうか。

ホームページを訪れてみましたが、スキー場は19箇所、リフト等が52基でした。
かなり間引かれてしまったようですが、それでも、依然として大規模なエリアです。

間違いなく、申し分なく、日本を代表するスキーリゾートには違いないでしょう。
それで、どのスキー場が閉鎖されてしまったのか、調べると次の通りでした。

石の湯スキー場
前山スキー場
笠岳スキー

石の湯スキー場は、木戸池のそばでゲレンデも独立しており、小規模でした。
無論、雪質はすばらしいのですが、離れ小島のようにポツンとしています。

たぶん、スキー客の混雑を避けるために重宝されていたのかもしれません。
他の二つは、隣接ゲレンデもあって規模的には楽しめるのですが休止しています

スキー人口も最盛期に比べて三分の一になり、来場者が大きく減ったのでしょう。
それでも、前山は夏に観光リフトとして運行されているのが、救いかもしれません。

それと、道路の良くなかった頃に重宝していた志賀高原ロープウェイも廃止です。
当時でも、利用者はバスを降りて発哺温泉へ向かう人ぐらいだった感じがします。

スキーシーズンも道路は除雪されましたし、移動にシャトルバスが運行されました。
リフトだって、蓮池~ジャイアント~西館山と実際に乗り継ぎもできたのです。

こうなると、志賀の象徴だったロープウェーは、時代の流れで役割を終えました。
それで、残ったスキー場の数だけを数えても、大規模だと改めて実感しています。

ただ、ゲレンデ全てを簡単に滑り歩けるわけでもなくて、エリアが複数になります。
個人的な独断ですが、次のように分類できるんじゃないでしょうか。

a.横手山・渋峠と熊の湯
b.木戸池
c.サンバレー・丸池・蓮池
d.ジャイアント・ブナ平・西館山
e.高天ヶ原・タンネの森・一の瀬ファミリー
f.一の瀬山の神・ダイヤモンド
g.焼額山・奥志賀高原
※91スキー場ガイドの4~5Pを参考。

この内、木戸池とサンバレー・蓮池のゲレンデだけは未だ滑ったことがありません。
実に残念ですが、木戸池はどうも規模的に魅力が余り無いような気がします。

サンバレーはこのエリアの中では標高が少し低いのとゲレンデが北西の向きです。
雪が融けやすくアイスバーンになりそうな気もして、滑る気が起きませんでした。

というわけで、志賀高原は複数回訪れていても、完全滑走がむずしいのでした。
次回は、スキーのできない上さんを伴って滑りに行きますから、ハードルが高い。

こうなると、エメラルド色の熊の湯温泉にでも泊まることで、スキー以外の旅の楽しみを増やして奥さん孝行に励むとすれば、きっと出かけられると信じつつ、いつかは絶対に完走を実現させてやると思うのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから
全ページごらんいただけます



グーグルドライブはこちらから
全ページごらんいただけます
グーグルドライブはこちらから
全ページごらんいただけます

いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ


  
 


2014年12月15日月曜日

春スキーなら風でリフトも休止にならないの​でベスト - 川場スキー場 (群馬県)

平成3年4月13日滑走

どうも、このゲレンデは風に弱いレイアウトになっているようです。
シーズンを通して強風が吹きやすく、リフトの運行を取りやめることが多いのです。

ネットで評判をググって見ましたが、異口同音に風が話題となっていました。
それが、スキー場の魅力を損ねてしまうのですが、それでも結構賑わっています。

中規模ながら、コースは縦に長く設計されて三キロ以上の滑走距離もあります。
谷間から両翼の斜面に向かって、コースが開発されているのが特徴でしょう。

どちらの頂上からも、一気にふもとまで滑り降りられる醍醐味になっています。
ここは、思う存分にダウンヒルを楽しみたいところでしょうかね。

ただ、ゲレンデが水平に広がらないので、コースのバリエーションが限られます。
ちょっと面白みに欠けるかも知れないし、谷間へ吹き降ろす風も悪さをします。

なので、多少のマイナス要素は否めないですが、何よりアクセスが格段に良い。
沼田インターを降りたら、小一時間でたどり着けるんじゃないでしょうか。

距離的にはかなり短いのですが、車が駆け上がる標高差は度肝を抜きます。
スキー場のベースまで、なんと八百五十メーターを登らないとたどり着けません。

意外にカーブが少なくストレートな道路ですから、雪道は十分に気をつけましょう。
谷筋をグングン登る道路ですから、スタッドレスタイヤは必須だと感じました。

グーグルドライブはこちらから
全ページごらんいただけます
さて、ここは関東圏でありながら、積雪量も豊富でして営業期間も長いのです。
年によって差はありますが、四月第二週までは確実に営業していると思います。

ですので、このゲレンデは三月以降の春スキーでエンジョイするのをお勧めします。
アクセスの道路も雪が無くなっていますし、フルシーズンの強風も治まってきます。

天候も安定して晴れの日も増えてきますから、滑るとしたら最高なんじゃないか。
しかも、当時は四月以降に訪れると、千円の駐車料金が無料になりました。

今はもう無料化されていますが、当時は、この浮いた金で昼飯代に回しました。
カワバシティーのレストランも充実して、ちょっと一杯で食事を取っていたものです。

この駐車場ですが、6Fまである立体の屋根付きで、まったく天候を気にしません。
更衣室も中だし、用具の雪落としがエアーガンなど、色々と工夫されていました。

というわけで、このゲレンデは、NHKのテレビニュースでも取り上げられていました。
シーズンの長いスキー場ですから、春スキーの話題として紹介していたのです。

桜の花見も終わろうかと言う頃に、依然として首都圏郊外では滑られるのです。
そんな季節の違いに話題性を見たのでしょうが、取材するのも近いからでしょう。

雪質も良いですし、首都圏からのアクセスも便利ですから、日帰り圏のスキー場として、これからも順調に営業を続けてもらいたいと希望するのでした。


おまけ:
二年後に春スキーを楽しんでおります。
パンフレットが、少しばかりシンプルになっていました。


グーグルドライブはこちらから
全ページごらんいただけます
平成5年4月17日滑走
川場温泉センター2時間券


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




  

2014年12月13日土曜日

ゲレンデの印象より、税金の支払先がどこなのか案じてしまった -  FORESTER渋峠(渋峠スキー場)(長野県)


グーグルドライブはこちらから
渋峠は3-4ページで紹介

このスキー場、本当は長野県の志賀高原に位置しているのでもなさそうです。
と言うのも、このパンフレットでは、このゲレンデをちゃんと網羅しているのでした。

群馬県の国有林野のスキー場を紹介したパンフですが、結構、数があります。
群馬は、草津白根、尾瀬岩倉、万座温泉など、名だたるゲレンデも多い。

改めて、なるほどと驚いてしまうのですが、この渋峠にはびっくりさせられました。
普通だと、志賀高原横手山スキー場に接続するゲレンデの認識が強いのです。

だから、長野県のスキー場だと思いがちですが、ところがコースがまたいでおります。
長野県側の横手山からリフトを乗り継い渋峠を降りれば、そこは群馬県です。

県境なのだから致し方ないのですが、一方、渋峠のホテルは長野県側でした。
他方、横手山へ伸びる渋峠のゲレンデは群馬県に区分けされております。
  
クリックで拡大します

スキー場・ホテルの運営者が長野県で、ゲレンデだけは群馬県になってしまう。
モザイク状な所在地の扱いなのですが、税金の納め先も違うんでしょうかねー。

法人税は、長野県の下高井郡山ノ内町に収めるとして、ゲレンデはどうなのか。
リフトの固定資産ですが、群馬県に税を納めるとすると中之条町になってしまう。

草津町なんじゃないかと思うのですが、合併した六合村のエリアのせいでした。
でも、群馬県の国有林だから、群馬のスキー場だといわれてもピンと来ません。

だって、シーズン中のほとんど長野県側からのアクセスに依存するゲレンデです。
群馬からは、国道292号線が五月連休明け直前に春に開通するまでは無理。

春スキーだけは、草津から登ることで群馬のゲレンデになりきれるということです。
もっとも、このパンフをこしらえた協議会自体が、本当に存在していたのでしょうか。

営林署が適当にでっち上げて、宣伝していたような印象すら感じて来てしまう。
ネットで調べたところ、同県にスキー場経営者協会なるものは存在しております。

スノークイーンなるミスコンを開催したりしていて、現在もいたって活動的です。
ところが、こちらの国有林野内は、ググっても全く引っかからず実態すら怪しい。

このパンフにこだわる必要もなさそうで、志賀高原のゲレンデにしてしまいましょう。
これで一件落着のゲレンデですが、ここは日本の国道最高地点なんですね。

標高2172mの高山地帯でして、申し上げたとおり通年の通行はできません。
しかも、草津白根山の火山活動が活発になると、夏場でも通行止になります。

途中では、硫化水素の火山ガスが漂っているらしく、停車もためらわれるとか。
標識にも、「駐停車禁止、すみやかに通り抜けること」と謳われてあるぐらいです。
  
グーグルドライブはこちらから

自分の滑ったときは、国道が開通して間もなくで、朝は吹雪に見舞われました。
スタッドレスタイヤのままでしたので何とか通行できましたが、カーブが恐ろしかった。

横手山を中心に滑りましたが、頂上から渋峠側へ試しに滑り降りてみました。
緩い斜面の林間を滑りぬけるのですが、どこがコースか分からなくなってきます。

かったるいゲレンデだなーと思いつつ、二三回滑ってみて飽きてしまいました。
これ以上滑る気もなくなりまして、また横手山に戻って滑ったのを覚えています。

と言うわけで、渋峠のホテルや横手山ヒュッテは、グルメで知られているのでした。
シチューとか焼きたてパンがテレビでも紹介されておりまして、ここは観光地です。

はっきり言いまして、ゲレンデがなくても観光地としては既に有名な分けですよ。
それでも、冬場のお客さんが少ない時は、スキー客にも来てもらいたいのでしょう。

しかも、残雪の春スキーまでリフト営業されますので、それなりに魅力はあります。
というわけで、ゲレンデは刺身のつま程度かもしれず、それ以外の食べると楽しみとか、温泉に浸かるとか、国立公園の白根山をドライブするなど、旅の目的をいくつも組み合わせて滑りに行ってもらいたいと考える、スキー場なのでした。

   
いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




     

2014年12月11日木曜日

コルティーナ・ダンペッツォのリゾート地をもじったみたいね - 白馬コルチナ国際スキー場(白馬コルチナスキー場)(長野県)

平成3年4月6日滑走

四月は季節の衣替えみたいな月で、冬から春へ劇的な変化が起きるのが面白い。
特に、季節もののウインタースポーツは典型的でして、スキーはその代表でしょう。

つまり、来季までは当分の間、お預けになり、これに新年度の開始も影響して来ます。
予算、学校教育、企業決算など、日常の生活を律する日付が改まってしまうのです。

要するに、季節に対する気持ちの入替えが先んじますが、自然はそうはいきません。
天候とてそう簡単に区切られるものでもないし、季節は徐々に変わっていくものです。

そうなると、ゲレンデのコンデションも、三月末と四月初めでは似たり寄ったりです。
だから、四月のスキー場は、スキーヤーも寄り付かなくなって閑散とするのでした。

車で出かけるスキー客も一斉に来なくなりますので、道路が事のほか空いております。
フルシーズンなら渋滞で混雑するわ、雪道でノロノロするわで、余計にイラつきました。

一方、白馬エリアで一番北側に位置するコルチナへは、ちょっと遠いので行きづらい。
他方、自分は何時までも滑っていたい人種ですから、四月は十分にシーズン中です

このため、四月になれば出かけやすくなるはずだと、この時期を逃さずに狙いました。
道路は嘘のように空いていて、ルンルン気分で快適にドライブできて実に楽しい。

  
ゲレンデもガラガラで、リフト待ちを気にすることなくガンガン滑りまくってしまいました
その手前にはグリーンプラザホテルがあるのですが、まるで専属ゲレンデみたいです。

滑った後にホテルのロビーへ行ったのですが、高い吹き抜けの天井がすばらしい。
デザインが、まるでスイスのチロル地方か、どこかの建築を模したように思えました。

もっとも、スキー場名のコルチナは、コルティーナ・ダンペッツォから借用したようです。
北イタリアはドロミーティ山脈の麓にあるリゾート地ですが、日本とは関係がなくもない。

冬季オリンピックも開かれ、アルペン競技で日本人が初めてメダルを獲得しました。
初猪谷千春さんが、回転で銀メダルを獲得したのですが、これに続く人が現れません。

以来、トリノオリンピックで皆川選手が四位になるまで、なんと半世紀が過ぎています。
それだけ、アルペンスキー界は選手の層が厚くて、壁を越えられないのかもしれない。

グーグルドライブはこちらから

そんなヨーロッパアルプスの地名をもじったゲレンデですが、面白いレイアウトでした。
二つの尾根にはさまれた谷間にメインのコースがあって、リフトでまず登っていきます。

この両尾根へはリフトに乗り換えてあがりますが、稜線上がコースになっているのです。
そして、稗田山尾根という南側の稜線からは、白馬乗鞍国際スキー場へも行けました。

ただ、この時は既にスキー場が営業を終了していて、残念ながら滑られませんでした。
現在は、この乗鞍のわらび平ゲレンデ自体が、コルチナスキー場に譲渡されています。

昔と比べて規模も大きくなったし、コースバリエーションが増えたっていうことでしょうか。
というわけで、滑走距離が多少短くとも、豊富な中上級者のバーンを満喫しました。

もう一度行きたいかと問われたら、躊躇なく滑りに行きたいと答えてみたくなるゲレンデレイアウトですので、今なら混雑もしていないでしょうから、今度は雪質の良い二月あたりを狙ってみようかとも、思うのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから
グーグルドライブはこちらから


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ