平成3年3月23日 |
パンフレットを見ますと、 乗鞍高原温泉スキー場とセット扱いで紹介されていました。
かつては、安曇村の自治体が運営していて、 ペアリフト一基の小さなゲレンデです。
滑走距離も一キロあるかないかで、 コースは二本と初中級者のファミリーゲレンデ。
楽しく滑るのに向いているかもしれませんが、 規模では乗鞍高原温泉がぐっと大きい。
このため、お客さんがパスしてしまう可能性もありますが、 どっこい混雑していました。
ナイターで滑った当時、リフト待ちが発生して、 ちょっと驚かされたのを覚えています。
あの頃はスキーブームでしたから、 混雑回避の代役を担っていたのかもしれません。
スキー場の進化の過程で、コバンザメみたく、 こまめに営業できたということでしょう。
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それで、この”いがや”という名前は、猪谷六合雄( いがやくにお)氏に因んでいます。
なんでも、息子の千春さんにスキーの英才教育を施す目的で、 引っ越してきました。
戦前の六年間、移り住んだとあって、その地名が番所(ばんどこ) とかなり難読です。
しかも、ウイキではどう読むかについての記載について、 変な釈明がありました。
”私は、攻撃を受けています。”と直裁に記述していて、 あまり穏やかではありません。
不思議ですが、和歌山県雑賀岬には”番所庭園”があり、 読みも全く同じなのでした。
変な言い争いには関知せずに、 とにかくゲレンデが切り開かれたのは事実なのです。
正に開拓された感じで、 農地でなくて滑る斜面が目的のスポーツに直結していました。
この猪谷氏は実に多彩で、 住むために山小屋の図面を引いて自ら建てていました。
その数は改造も含めて十二棟にもなり、 合理的な山小屋暮らしを求めたのでしょう。
簡素な生活の結論ですが、 一方で日本で始めてキャンピングカーも自作しています。
車に寝泊りすれば、 宿に泊まる必要も無いので好きな時に好きな場所へ移動できる。
要するに、 生涯にわたり生活拠点を転々とした人らしい暮らしぶりとも言えそ うです。
そんな猪谷氏ですが、 似たように自分も週末になるとスキー場を滑り歩いていました。
キャンピングカー程ではないのですが、 週末の住処をハッチバック車にしていました。
滑り終わると、先ず日帰り温泉に立ち寄り、 次に道の駅を見つけて野宿するのです。
こうすれば、予め宿屋を予約する必要も無く、 自在に予定を変更することも可能です。
こんな気ままな野宿旅でして、 これこそがスキー旅行の自分史を支えてくれました。
というわけで、 自分もアウトドア派なので志向するところが似通っていたのでしょ う。
実際に滑ったスキー場を、 後年になって改めて調べ直すと新たな発見で驚くのです。
この日、先に白樺リゾートスキー場を訪れましたが、 ゲレンデの選定が猪谷氏でした。
これに続けて、 このいがやスキー場へたどり着いてナイターを楽しみましたので、 この日は知らず知らずのうちに同氏がデザインした二ヶ所のスロー プを滑ったことになる分けでして、 猪谷つながりのゲレンデ行脚が不思議で面白いと思うのでした。
おまけ:
消前烈火:猪谷六合雄(くにお)氏ー『貧乏な贅沢者』猪谷六合雄スタイル -生きる力、つくる力-
乗鞍高原カフェ&バー スプリングバンクの日記 「乗鞍高原・いがや」の歴史探索ツアー
オートキャンプ(タブロイド新聞)
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