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平成3年4月27日滑走 |
ステンマルクは、
二十世紀で最も優れたアルペンスキーの選手と言われます。
戦えば勝つのが当たり前みたいに、
ワールドカップ優勝は八十六勝に達しました。
「ステンマルクに次ぐ二位は優勝と同じ価値がある」
なんていわれたぐらいですよ。
天才スラローマーって言葉も、
未だに彼だけのためにあるような感じもします。
それで、このスキー場ですが、
彼が競技を引退した花道のゲレンデになりました。
時は平成元年のことで、テレビ中継されたのを見ていたので、
よく覚えています。
確か、
大回転競技が終わった後、彼だけのためにデモ滑走が設けられてい
ました。
横手山の山頂から、
パラレルクリスチャニアでシャカシャカ回って降りていきます。
でも、途中で制御しづらくなったのか、
ゆっくりとターンを切り替えて滑りました。
観戦客からも盛大な拍手が送られていましたが、
ひとつの時代が終わったのです。
未だカービンぐスキーの登場していない、
平板時代の
エランスキーがまぶしかった。
ステンマルク選手のおかげで有名になったメーカーですが、
懐かしく感じますね。
さて、スキーブームの頃は、
混雑するスキー場ほどシーズンを外して行きました。
特に、
志賀高原はふもとの湯田中温泉からアクセスする道路が結構大変で
す。
国道292号線がそうなのですが、
曲がりくねった道路をしこしこと上り詰めます。
そして、初めて出会うスキー場がサンバレーで、
すでに標高千四百メーターです。
標高差で八百メーターもあり、
上がっていくときの高度差を稼ぐドライブが面白い。
ただし、
真冬の頃は圧雪路になり、カーブでスリップしないように警戒も必
要です。
一方、日光東照宮と中禅寺湖の間は、
標高差が約六百五十メーターでした。
関東圏にお住まいなら、
誰でも訪れる名所で、特にいろは坂が印象に残ります。
上り詰める印象が強いのですが、
実際は志賀高原が標高差は大きいのです。
気温もグッと下がって、
樹林帯の様相も針葉樹やダケカンバに変わっていきます。
それだけ、高地は寒い気候なんだと思う分けですが、
春スキーの頃は違います。
お彼岸も過ぎて陽が高くなって、
ポカポカした陽気は正に春の訪れなのでした。
時は四月一日、エープリルフールですが、
スキー場は嘘みたいにガラガラです。
三月末までの混雑具合が嘘のようで、
スキー客の少なさに驚いてしまいました。
しかも、週末のくせに客の少なさの激変振りは、
季節ものスポーツのゆえでしょう。
もう春になって、
人々はこれ以外のアウトドアスポーツへ移行してしまったようです
。
一方、滑走に快楽を感じてしまう滑り屋さんだけが、
この志賀高原に出没します。
標高も高いし、四月に入ったとしても、
三月末と雪質にほとんど差はありません。
こうなると、スキー客がグッと空いて来るので、滑り放題、
スピード出し放題です。
とにかく滑るのが楽しいのですが、
気温が上昇してくると雪も融けて重くなります。
その分、
滑走面に摩擦がかかって思ったようにスピードが出せなくなるので
す。
こうなると、体だけが惰性で前へつんのめる感じになりますが、
致し方ありません。
というわけで、横手山のスカイリフト頂上は、
日本一標高のあるゲレンデなのです。
ここから、
滑り出す時は意外にコースが狭くて怖さも募ってくるのですが、
そんなことにもへこたれず、
ピーカン照りの中を降りまくっていた若い頃が懐かしく、
昔に戻れるものなら戻って挑戦してみたいと、
つい思ってみてしまうのでした。
おまけ:
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