2018年10月18日木曜日

南アルプスをはさんだ東と西の自治体は、地理オタクなら聖地巡礼のように訪ねたくなるもんだ - 見神の滝と糸魚川・新倉断層(早川町・山梨県)

”けんじんのたき”と読むのですな

雨畑の集落を過ぎて、ほどなく運転して行くと、この見神の滝が見えてきます。
町を貫いて流れる早川に合流する雨畑川にある滝で、意外な見ごたえなんだ。

滝が二段になっており落差は数十メーターほどですが、少し水量がか細いかな。
言い伝えでは、二段目の滝壺に金が隠されているので、若者が挑戦したらしい。

ただ、断崖絶壁のために全て失敗したというのですが、この滝壺が印象的です。
一旦、滝壺に流れ落ちてぶつかった水流が、溢れながら落下するのが面白い。

こういった変化のある滝は見とれますが、それより下流のダム湖が摩訶不思議。
せき止められたダム湖は、溢れん限りに土砂が流入して貯水が殆どありません。

途中、湖に注ぎ込む沢に橋が掛かっていましたが、橋桁まで土石が押寄せます。
砂防ダムすら無い沢で、自然のまま、任せるままに土砂が流れ込んでいたんだ。

もっとも、このダムは灌漑用ではなくて発電用で、堆砂は構わないんだとか。
それでも、土砂が勝手放題に堆積した風景は荒涼として不気味な気もしました。

まあ、町全体の河川流域は急峻な地形で、水害対策で砂防事業の対象です。
沢筋の谷間を車で走れば、崩落の激しい箇所も見かけたり、断層が多いのかな。

   
そう言えば、早川町の川沿いに糸魚川-静岡構造線の断層帯が通り抜けます。
しかも、新倉の内河内川左岸は、国指定天然記念物の逆断層が露出するの。

正直に言いますが、説明看板と駐車場があったとしても一見では分かりません。
これを見たさに地質マニアがやって来ますが、至高のオタクポイントでしょう。

それでも、高尚なネーミングのジオパークで教育や観光に活用する目的はある。
地理的定義だから地域に根ざした町おこしプログラムで、この構造線もそうだ。

糸魚川のエリアで登録されていますが、残念、早川町は設定されておりません。
ならば農鳥岳の山麓だから、南アルプスのジオパークが該当するかと思います。

ところが、これにも当てはまらず、折角、天然記念物に指定されたのに悔しい。
本来、南アルプスは大体が中央構造線の大断層に沿って出来上がっています。

つまり、異なる構造線なので、早川町は、ちょっと逸れてしまっているのね。
この南アルプスは多くの自治体に囲まれますが、似たような露頭も存在します。

村立だけど地理マニア垂涎の博物館

早川町の河川と同じく、流れに沿って中央構造線が走っているということです。
しかも、大鹿村は、高峰、塩見岳などの登山の出発点で、これも早川町と同じ。

北川と安康の露頭とで、日本の地質百選・国の天然記念物にもなっていますよ。
更に言えば、どちらもしょっぱい塩化物泉の温泉が湧き出しているのが瓜二つ。

太古の昔、海底が隆起した時に、海水が地層に閉じ込められたからでしょうな。
それが、今の時代になって湧き出して、体が温まる名湯になっているのです。

というわけで、農鳥岳に至る登山の縦走は、ここ大鹿村から出発したのでした。
塩川小屋までバスで行き、ここから日本で最も高い三伏峠にたどり着いて、塩見岳、農鳥岳、間ノ岳、北岳と連続で登頂したのが懐かしい思い出でもあり、今回の早川町の旅で、それを思い出させてくれたことが、楽しい旅になったのでした。



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2018年10月15日月曜日

食事処”こんぼうす”でほうとうを食べたけど、店の名前は食いしん坊のことなんだってさ - 南アルプス山岳写真館・白旗史朗記念館


鑑賞者が、自分で館内照明を点けて入場しなければならないので、驚きました。
当然、退出する際も照明を消さねばならず、それほどお客さんが少ないのかな。

まあ、山梨県の早川町は、最寄り町から一本道で他の自治体へ抜けられません。
つまり、袋小路のどん詰まり奈良田の集落なので、バスなら一時間以上の道程。

舗装道路でも谷あいに沿ってクネクネ運転せねばならず、それだけ交通が不便。
なので気安く訪れる分けにもいかないのでしょうが、それでも温泉旅館がある。

入館券は、隣にある古民家のカフェ”鍵屋”で買い求めましてて、六百円也です。
山岳写真家で高名な白幡史郎さんの作品を展示していますが、なぜか早川町。

ただ、南アルプス白峯山脈に属する農鳥岳を直接に登るには、ここが出発点だ。
この奈良田から歩き出し、千メーター以上を稼いで、大門沢小屋で一泊します。

それから、頂上まで一気に登り詰めますが、自分は別ルートから登頂しました。
熊の平小屋からトラバースして、濃鳥小屋で幕営して西農鳥岳経由でアタック。


その後、日本第二第三の高峰、間ノ岳と北岳を縦走したから、奈良田は未知。
そんな登山だから、このルートを知らず、今回は雰囲気だけを味わいました。

加えて、ここから北岳登山のベース、広河原まで道路が通じているのも事実。
ただ、マイカー規制の県道だから、別ルートのバス乗車で行くしかないんだ。

だけど、白幡史郎さんは南アルプスの写真を多く撮影しており、立地は当然か。
何れにせよ、南アルプス山麓の町に、その山塊を撮影した写真家の取り合わせ。

しかし、これほど高名な写真家の展示館なのに照明を自分で点けるのが寂しい。
写真を鑑賞しましたが、美しい海外の山岳写真が多いのに南アルプスが少ない。

やっぱりお膝元なんだから、南アルプスの雄大な写真に入れ替えて欲しいなあ。
そんなことを思いつつ、展示館を後にして、共通券の郷土資料館も訪ねました。

パンフの内容はこちらから

それで、こちらでも入館者が館内の照明を点けて見学するのが、ルールでした。
平坦な耕作地が見いだせない山間の集落ゆえに、焼畑農耕に関する説明がある。

この焼き畑農法は、岩波新書のある一冊を読んで、内容は多少知っていました。
稲作の起源を探る 」というタイトルで、焼畑で陸稲を栽培していたようです。

でも、南国の宮崎県で行われていた焼き畑の記録なので、北にある山梨は無理。
しかも、早川町は標高が高くて、この資料館ではヒエアワの栽培とありました。

本の説明にもありましたが、焼畑は自給自足が目的で食糧を調達することです。
このため、収穫の少ない焼畑だと、換金作物にするには経済的に見合いません。

山林の傾斜地は人手に頼るしかないし、機械化やら合理化など論外な話かもね。
自然の生態系を巧みに利用した合理的な農法だけど、衰退は避けられなかった。

というわけで、展示された焼畑農耕用具は、国指定の重要有形民俗文化財です。
何れにしても、今回の旅行は、それなりに自分に蘊蓄を深める旅になった分けでありまして、これから何時か、農取岳をアタックするときは、この奈良田ルートからチャンレンジしてみたいと、思ったのでした。



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2018年10月12日金曜日

温泉の多い自治体だから、『限界集落(ギリギリ)温泉』というコミックまで思い出してしまった - 早川町・限界集落(山梨県)

   
一度、歩いてしかいけない孤立集落を訪れたのは、四年前のことでした。
そこは、礼文島の東岸にある宇遠内と言う、二三軒しかない集落です。

最果ての旅行自体、寂寥感が募る上に、限界集落の印象が重なります。
寂しさを感じたのも、歩き出してたどり着くまで四五時間の間、人家がない。

最後の海辺の集落、西上泊を出て、ひたすら草原や深い森林を歩きます。
途中、車で何とか行けそうな召国(めしくに)集落の分岐にも出会うんだ。

後は、風の音を聞きながら草を掻き分けて、黙々と歩いていくだけなのです。
途中、一緒だった上さんが寝不足だったのか、行きたくないとむずかりました。

一本道で行く行かないの喧嘩になってしまい揉めたのですが、何とか落着。
ようやく歩き出しますが、これが往年の”愛とロマンの8時間コース”なのです。

桃岩ユースホステルに宿泊したことのある人なら、お話を聞いたと思いますよ。
ただ、海岸の崖っぷちを滑落する恐れもあり、ルートが一部訂正されました。

はるか崖下に宇遠内の堤防が見えた

このため、宇遠内の集落を経て対岸へ抜ける山間ルートになってしまった。
それでも、8時間の冠を抱いたコースの名称は、変らずに使われているんだ。

初めの風景は、過去の森林伐採が激しかったのか、荒涼とした草原です。
冷涼な気候で植林の成長が極端に遅いのか、保護柵で守られていました。

それが草原の中に散らばる殺風景な風景ですが、それが林野に変ります。
昔、ニシン漁で栄えた頃に伐採が及ばなかったと思いますが、礼文岳周辺。

山道の様相を呈して標高を稼ぎながら、続いて急降下の断崖が現れます。
これも恐怖の連続ですが、降りてゴロタ石の海岸を歩けば、集落でした。

公衆トイレもあるし、こじんまりした食堂もあるので、観光地には違いないな。
あまりに喉が渇いて食堂でジュースを買ったりしましたが、少し値が張ります。

それで、船で運搬して手間賃が掛かると、申し訳なく説明してくれるんだ。
まあ、こっちは観光地だから高くても已む無しと思いましたが、気心が素朴。

PDFはこちらをクリック

そんな迂遠内の集落は、わずか三軒だし冬場は市街地に移り住むみたい。
自動車道路が通じている最終地点から、歩いても一時間以上掛かります。

そんな絶海の孤島みたいな場所ゆえ、冬場になればどうしようもありません。
なぜ、そんなことを今さらながら思い出したのも、先週の旅行がきっかけです。

山梨県の早川町を観光で訪ねたのですが、”日本一小さな町”なんだとか。
ただ、断り書きがあって、東北大震災の影響を受けた自治体を除きます。

うーん、千人強しか住んでいない町になりますが、テレビでも紹介されました。
それは、ついこの間の、テレ東の”出没!アド街ック天国”という一時間番組。

よくPRできたと思いつつもそれなりの内容で驚きましたが、集落の数が多い。
30以上にもなるのだそうですが、中には限界集落も含まれているのでしょう。

町全体でも65歳以上の人の割合が47%ぐらいだそうで、かなり高いなあ。
これが集落だと、55%を超えてしまえば限界集落に当てはまってしまうんだ。

パンフの中身はこちらから

まあ、町全体の割合も高いので、消えゆく集落が出現してもおかしくはない。
というわけで、温泉が豊富に湧き出て、世界最古の温泉旅館もあります。

そんな町の特色を活かせば、限界集落の数が増えていったとしても、身延山の寺社町の特色を併せ持つ自治体だし、南アルプス・濃鳥岳登山の出発点にもなっている観光地ですから、このまま、日本一小さな町のまま、しぶとくPRし続けて行って欲しいなとと、思うのでした。



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2018年10月9日火曜日

C型肝炎治療で注射したインターフェロンは、一本一万円だったけど保険適用で費用が戻ってきたんだ - 樹木希林とガン放射線治療法(そのほか)

    
母が、不治の病で冥土へ旅立って、四十年も年月が過ぎてしまいました。
若い頃、母の享年47歳まで、自分も生きられるのかと不安もありました。

ですが、既にその時から十年も過ぎ去ってしまい、自分も還暦の年なんだ。
それでも、会社の健康診断で親族の既往症を聞かれ、ハッとするものです。

まあ、脳卒中と心筋梗塞は不治ではなくなりましたが、ガンはいただけない。
だいたい、五年生存率という用語が現れること自体、恐ろしい病魔なんだ。

母もガンの転移が進んで、腎臓癌で息を引き取ったのが、脳裏に甦ります。
おじさんは、肝硬変で亡くなったし、自分だって主要マーカー値が高いんだ。

だからといってすぐ癌になるわけでもなく、ストレスを溜めずに生きましょう。
人間ドックの先生なんかも、まっ良いでしょうで終わってしまったぐらいです。

それで、この間、女優の樹木希林さんが逝去された話題は、耳目に新しい。
長い期間の闘病で全身癌に冒されても、なお女優活動を続けられました。

しかも、その生存のカギが、健保適用外の最先端治療だったのが話題です。
一年に一回、鹿児島にある施設で治療を受けるのですが、治療費が高い。

一回、三百万円以上にもなるというのですが、自分の命には代られません。
四次元ピンポイント照射という、何やら過去に戻って治療をするんだろうか。

もちろん、そんなことはなく、腫瘍の位置の縦・横・高さに時間を考慮します。
患者の呼吸で動く腫瘍に合わせ、照射位置を変えてピンポイントに当てる。

この時、照射する放射線で治療が異なりますが、希林さんは陽子線なの。
他には、重粒子線や普通の放射線もありますが、治療機関が限られます。

四次元ピンポイント照射療法の装置
高精度放射線治療システム ノバリスtx

ラッキーだったのは、自分の住む神奈川県下に重粒子放射線治療がある。
HPを見ますと親切にもローンを組む場合の説明もあったりして、驚きました。

まあ、患者さんも切実でしょうが、作詞家のなかにし礼も治療を受けました。
その闘病の様子がネットで検索して探し出せますが、痛々しいものがある。

今日も生きられたと言って、奥さんと病床でハイタッチするなんて涙ぐましい。
それでも、生きたいという願望があるからこそ、病魔に立ち向かうのでしょう。

ところで、この四次元放射線治療は、北海道大学が世界に先駆けました。
日本人の手によって開発されたのですが、免疫治療の分野もそうなのです。

オプジーボなる薬がそうですが、一千万円の単位で薬代が飛んで行きます。
京都大学の本庶佑さんの研究成果の賜物ですが、ノーベル生理医学賞。

受賞理由も、免疫抑制の阻害による癌治療法の発見で、正にそうなんだ。
でも、副作用が大きく、効き目のでる部位も限られるとか、問題もあります。

癌と一口に言いますが、働きの違う臓器に発生したガン自体が異なるかも。
そうなると、自分自身で効果のある治療を選ぶしかないのかもしれません。

というわけで、母に試した丸山ワクチンも、未だに大規模な臨床試験中。
本来、このワクチンは皮膚結核の患者や、肺結核、ハンセン病の治療にも用いられ、その目的で治療薬も認められているのですが、目的の異なるガン治療に有効なのかは未知数な分けでして、効く効かぬは本人次第ですから、そこは自分に役立ちそうな治療法を色々と探し出してみるしかないということなのだと思ったのでした。



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2018年10月6日土曜日

ルーブルみたいな観光資源のミュージアムには及ばなくても、地方にある独自性の美術館を鑑賞しよう - 網走市立美術館(網走市・北海道)

氷上漁業

旅すがら、天候が思わしくなくて雨に見舞われるのは、いやなものです。
前回の投稿でも、そんな時、旅を楽しくする場所を選んだ話をしました。

博物館に加えて、最悪、地元の郷土資料館で暇つぶしはできそうです。
他に、美術館があれば芸術作品の鑑賞をすれば、何とかなりそうだな。

他にも考古展示館とか、ただ、興味がないと退屈以外の何物でもない。
それなら、絵を見るぐらいなら、万人に向いた時間つぶしとなりそうです。

それで、北方民族博物館に立ち寄った翌日午後、天気が思わしくない。
小雨模様になりそうだったので、網走市立美術館で作品鑑賞をしました。

地方自治体で美術館を持つのは、運営にコストが掛かるので大変です。
それでも、開館しているのは、よほどの理由があったればこそなんでしょう。

例えば、地元にゆかりのある高名な芸術家にちなんで、作品を展示する。
地元出身の芸術作品コレクターが、寄贈してくれたので展示施設を作る。

陶芸など芸術活動の盛んな土地柄ゆえ、地域の振興目的で開館する。
周辺に観光地があり、集客を見込んで観光の魅力を増す目的で開館。

おおまかに言って、この四パターンに分けられると思いますが、どうかなあ。
自分なりに色々な美術館へ出かけましたが、地元出身のパターンが多い。

これに加えて作品の寄贈も重なって、収蔵作品に厚みが増して行きます。
この網走の美術館だって、画家の居串佳一がこの地で活動していたから。

東京国立近代美術館蔵 氷上の賑わい(1946年)

少年時代から独学で絵を始め、長じては全国へ舞台の活動を移します。
独立美術協会展など、積極的に出展しますが、若くして亡くなりました。

まだ四十代で、これから旺盛な活動に期待のかかる頃だったのに残念だ。
終始、北海道の風物やアイヌの生活を主題とした写実的な描き方だな。

まあ、それだけ地元色を色濃く反映した作品が、収蔵されていましたよ。
これも、コレクション多数を市に寄贈したいという市民が、現れたからです。

それで、網走市が美術館構想を持ち上げたのは、むべなるからでしょう。
この後、北方民族博物館も開館して、観光資源の魅力も上がりました。

というわけで、百聞は一見にしかず、網走へ行ったら立ち寄って下さいな。
十勝の鹿追町にある神田日勝の美術館が全国的に有名になってしまいましたけど、こちらの作品も負けず劣らず、北海道とアイヌの人々を含めた北方民族の係わり合いを強く描写した作品が展示されていまして、鑑賞すればオホーツクになるほど来たのだと納得いたしますので、是非にも立ち寄っていただきたいと思うのでした。



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2018年10月3日水曜日

旅行なのに雨だ! そんなときでも楽しい時間をすごせる方法を知っているからね - 北海道立北方民族博物館(網走市・北海道)

   
長旅をすると、天候の急変で雨に降られたりしますが、致し方ありません。
今年の夏休みが特にそうで、北海道に着いたら降水確率が急変なんだ。

晴れだったのが曇りと悪くなり、降水確率も40%に下降するのが曲者。
観光地を歩き回るのに、傘を指すのも難儀な話で、判断に迷いました。

特に、知床五湖などは歩き出せば、最低でも一時間は外にいるんだな。
こうなると、お天気の様子を見ながら、急きょ、プランを変えたりしました。

そんな時、旅行中、雨の日になれば、アウトドアからインドアへ変更します。
旅先の近場に博物館や美術館でもあれば、それもまた旅の楽しみです。

まあ、今秋の夏休み旅行でも、予定をとっかえひっかえして訪れました。
それで、斜里町に北のアルプ美術館があったのですが、休館日で残念。

山の文芸誌「アルプ」を中心に文藝資料・美術品が展示されています。
中でも、建物に由緒があって、三井農林が残した旧従業員寮なんだ。

   
この会社は、山林経営が中心でしたが、酪農や乳製品生産もしました。
農場が閉じられてから、かなり年月が経ちますが、建物は見たかったな。

何れ日を改めて、道東を旅する時もあるでしょうし、次の機会としますか。
そこから、翌日に訪れたのは、網走の北海道立北方民族博物館です。

ここで分かったのは、定義としてアイヌ民族は南限の地に住んでいたこと。
要するに、北海道が最も緯度が低い場所に位置しますが、気候は寒冷。

他の地域では、トナカイの牧畜が行われたみたいだけど、狩猟採集だけ。
やっとこざ、北海道と命名されて開拓が始まって、百五十年に満たない。

だから、近代農業で開拓が始まるまで、人々の生活は向上しなかった。
和人だって、渡島半島の南部にへばりついて住んでいたぐらいですから。

まあ、そんなことを思いつつ、民族衣装を見たり収集動画を視聴しました。
面白いのは、どの民族かは忘れたけど、寝る時は裸だったのを知りました。

毛皮で作られた防寒の着衣を脱いで、寝具代りにして家族が寝ます。
川の字になって肌を寄せ合いながら寝ているので、体温で温まり合うのか。

普段の生活で厳しい寒さに順応しているとは思いましたが、驚きました。
他には、子供達の素朴な玩具が可愛くて、弓矢とかままごとの道具とか。

     
どんなに気候が厳しくても、そこに人々の生活が存在したのを感じますな。
それで、スキーの原型みたいな移動手段の用具も展示されていました。

北ユーラシアの狩猟、漁撈民やトナカイ飼育民も利用していたようです。
人間の考えることは同じですが、内地の和人はかんじき止まりだったんだ。

多分、日本は湿った雪が多くて、スキーの滑る感覚が無かったのだろう。
というわけで、オホーツク海から北極海を中心とした展示物は日本唯一。

旅先で思わぬ雨に打たれても、一味違った観光を楽しめるのであれば、それもまた一興であり、北海道と言う北方の地にふさわしい展示博物館であるのなら、なおさら旅の興趣をそそるのではと思ったのでありました。

パンフの中身はこちらから



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