2018年10月27日土曜日

スキーは、滑って楽しんで何ぼのものだから、それ以外に旅のオプションがあった方がいいじゃないのさ - 円空ふるさと館(岐阜県・郡上市美並町)

円空さんを訪ねるには、このパンフ

岐阜県のスキー場に行けば、円空さんの仏様に出会うチャンスが増えます。
もちろん、円空さんが生きた江戸時代、美濃・飛騨で活動したからなの。

しかも、諸国を行脚した地方は、東北北海道にまで広がりを見せました。
ずい分と、広範囲な活躍ですが、その仏像が北海道南部にあるのです。

その江戸時代、北海道は松前藩の領地でしたが、稲作が出来ません。
何万石と、治める領地の経済力をお米の収穫で把握した時代なのにな。

なので、米が獲れない代わりに、他の商品物でお米の価値に換算ました。
鮭、鰊、昆布など水産資源が主な商品で、それが一万石とされました。

この石高ですが、大名とみなすレベルの最低高なので、恣意的でしょう。
でも、貨幣価値に換算した額で見た資料では、それ以上だったようです。

江戸幕府は、米の取れ高を尺度とする農本主義で運営されていました。
それでも、貨幣経済が浸透し、北前舟による物流が藩に貢献しました。

実態以上に金持ちだったと見るべきですが、和人はせいぜい三万人です。
人口が少なすぎで、広大な北海道を治めるには大変だったと思います。

しかも、その和人は、殆どが気候の穏やかな道南地方に集中しました。
その証拠として、北海道の南部は杉の木が生育できる北限なのです。

そんな人口も少なく文物にも乏しい地域に、仏を彫る阿闍梨が現れる。
それが円空さんでして、地元の人たちも、敬って歓待するのは当たり前。

有珠善行寺の円空仏

そんな状況で仏を彫ったのだと思いますが、有珠善光寺にもありました。
場所は、有名な観光地、洞爺湖のそばで噴火した有珠山の山麓です。

道産子にとって、明治から開拓が始まる前の歴史は、無いに等しいのだ。
だから、内地の連綿と続く歴史と言う流れに、つい憧れを抱くものです。

大体、江戸時代以前に建立された寺院が、数えるほどしかないのですよ。
中でも、この有珠善光寺は有名で、小学校の郷土史でも教わりました。

このため、円空さんが彫った仏像が残されていたのは、記憶に残りました。
これが子供心にも、はるばる北海道まで旅して仏様を彫ったというお姿。

それ以降、内地で働くようになり、円空さんの実際の仏像を拝みたくなる。
拝観できるチャンスが増えたわけですし、スキー旅行に併せたらどうなのか。

そう思って、その仏様の多い地域、岐阜県へスキー行脚に出かけました。
ところが、問題がありまして、宝物殿のある寺院は、冬季休館になります。

雪の多い地域ですから、そんな寒い頃に、わざわざ訪れる人もおりません。
それを知らずに訪ねて悔やんだのが、千光寺の円空仏寺宝館なんだ。

確か、ほおの木平スキー場へ行った時と思いますが、松本から入りました。
高額な通行料で驚いたトンネル、安房峠道路を走り抜けた分けです。

だから、そこまで行ったのにという悔しさもありますが、休館は致し方ない。
いつか日を改めてということにして、その時が二三年前にめぐってきました。

江戸期の近世畸人伝にも紹介された

それは、奥美濃のスキー場を滑りに行ったときのことで、帰りがてらでした。
以前より、東海北陸自動車道があるので、この辺は便利になりました。

それで、時間に余裕もあり、高速を降りて円空ふるさと館に向かいました。
この美並の地区は、元々、円空さんが長きにわたって活動した場所です。

なので、木っ端仏の小さい仏様から、大振りな仏様まで鑑賞できるんだ。
隣は星宮神社があり、元は粥川寺ですが、円空さんとゆかりもあります。

こうして拝観できましたが、印象的な荒々しいなた彫りに感銘しましたな。
仏の教えを極めようとした求道の姿が、仏様に表れている気もしました。

というわけで、芸術性では、木喰さんよりも、はるかに高尚な気がしました。
タイトルにもありますが、年齢を重ねていくと楽しみにも巾が出てまいりますので、滑ること以外のオプションが大切で、ゲレ食がどうとか、地酒が同とか言うのは、至極、月並み平凡なことで、こういうジャンルに心がけるのも一興かと思うのでありました。



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