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2026年7月26日日曜日

十九世紀中葉、パリ万国博覧会(国際博覧会)への出品などをきっかけに、日本の芸術が注目されて、ヨーロッパの音楽界にまで影響を与えたのだ ー Japonisme(音楽芸術)

                      
日本の作曲家に影響を与えたチェレプニンを、ユーチューブで調べていました。
実は、このクラシック作曲家の作品は、今までに聞いたことがなかったのです。

だから、”Tcherepnin”と本人の苗字を入力して、先ず検索をかけてみたのだ。
すると、各種の作品が列挙されて来ましたが、中にはピアノ協奏曲もあります。

第一番を聞いてみましたが、”Noriko Nakagawa”がソリストで日本人らしい。
どうも、この女性は、スウェーデンのBISレーベルと専属契約しているようだ。

なので、このレーベルでリリースも多く、和服を着たCDカバーまであったぜ。
それが冒頭のフォトなのですが、タイトルは”Japonisme”とあり日本趣味だな。

片仮名ならジャポニズムで、十九世紀後半になってヨーロッパで流行しました。
これはフランスが中心でしたが、クラシック音楽の世界でも影響はありました。

だから、当時、活躍した作曲家も、日本文化の音を取り入れれようとしたのか。
大がかりな作品は少なかったようで、ピアノ作品はかなり発表されております。

それで、ユーチューブで”Japonisme”で検索すれば、収録曲がリストアップだ。
だから、CDを入手せずに全曲を鑑賞できたのですが、作曲家に興味を引いた。

それは、聞いたこともない作曲家で、片っ端から作品ごとにウイキで検索です。
すると、中には”ペルシャの市場にて”を作曲したケテルビーまで見つけました。

この人は、軽音楽の分野で大成した人ですが、こんなピアノ曲も発表している。
実際、ウイキで検索したら、このピアノ曲も作品としてリストに入っていたの。

他にはサンサーンスナもいたり、ウイキで作曲者を検索すると全部見つかった。
だから、当時は高名な音楽家だったのであり、ジャポニズムの影響は大きいな。

それで、タイトルにも、”Tokio”、”Nikko”、”Geisha”などが含まれています。
もう完璧に日本趣味だと思うのですが、ここで思い出したのは坂本龍一の作品。

有名な”戦場のメリークリスマス”の曲なのですが、これって焼き直しに近いよ。
要するに、ジャポニズムの影響を受けた過去の作品の亜流にしか、過ぎません。

というわけで、この録音こそ我がジャポニズムへのいざないになったのでした。
他の作曲家では、フランスのアンリ・ジル=マルシェックスがいて、文化交流の目的で四度も来日しており、チェレプニンと同様に日本の作曲界への大きく影響を与えた人もいたのが分かって、おもしろいCDを発見したなと、思ったのでした。



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2026年7月22日水曜日

中国風の音楽なら、YMOの”ファイアークラッカー(1978)”を思い出すのだが、ご先祖様はいらっしゃったのだ ー アーロン・アヴシャロモフ(音楽鑑賞)

Aaron Avshalomov (1894 – 1965)
                                      
まるで、屋台中華そばのチャルメラを聞いているかと脳髄が反射してしまった。
オーケストラが支那風メロディーを奏でるのですが、れっきとしたクラシック。

ただ、前世紀の現代音楽がはびこった時代の作品にしては、非常に聞きやすい。
イージーリスニングと思ってしまうほどで、アーロン・アヴシャロモフの作品。

この人は、ユダヤ系ロシア人の作曲家ですが、極東の出身だというのも異色だ。
ニコラエフスク・ナ・アムーレで生まれたとあり、日本語で尼港と言いました。 

この名は、ロシア革命のどさくさで起こった虐殺の尼港事件として、悪名高い。
日本人犠牲者は判明しているだけで731名にのぼり、ほぼ皆殺しにされたのだ。

何とも血なまぐさい事件ですが、事件の首謀者は、赤軍のパルチザン部隊です。
今なら、プーチンがウクライナに軍事侵攻したのと似通い、残酷さは同じだな。

しかし、ご本人は革命前にスイスに留学して、その後、米国に亡命できました。
ただし、そこで安穏としていられなかったのか、なぜか北京に舞い戻るのです。

まあ、極東で生まれたから、その風土が恋しかったのか、音楽研究に没頭する。
中国民謡の収集にいそしんだとあるのですが、これはバルトークの活動と同じ。

当時のハンガリー王国の各地から、民謡収集を行ってピアノ曲を創作しました。
ただ、これは自分の母国で活動できたからで、アーロンさんはソ連へ戻れない。

つまり、共産主義体制は、戻れば二度と出国できないような恐怖の抑圧国家だ。
それでも、プロコフィエフなどは、西欧の暮らしに行き詰ってソ連に帰国した。

もちろん、作曲家として名声を手にしており、一種の凱旋帰国だったのだろう。
これと違って、彼は北京の活動後、外国人が居留する租界の上海へ移りました。

※試聴はタイトルをクリック

ここには、亡命ロシア人音楽家がたくさんいて、上海交響楽団も存在している。
音楽家で活動するのにも十分な基盤があり、しかも自由な土地を選んだのだな。

ですが、彼は第二次世界大戦が終結して程なく、米国に移住してしまいました。
当時は、日本が米国に降伏し、中国は国民党と中国共産党の内戦が激しかった。

自由な租界の拠点も消滅し、亡命の流浪者は、またもや中国から逃げ出したの。
だから、彼がその中に混じっていたとしても驚くにはあたらず、当然でしょう。

というわけで、この作曲家は、祖国を持たない、正に流浪の民だったのでした。
それで、主要な作品は、中国滞在中に作曲されたために、現地の民謡収集の成果が遺憾なく発揮されたかもしれず、中国風のメロディーが流れてくる楽曲には、それが嫌味にならずに上手くアレンジされているので、感心してしまった自分なのでした。



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2026年7月18日土曜日

親子でピアノ協奏曲を作曲していますが、フランス印象主義音楽の影響を受けた父よりも、独自の和声とアジアの民謡・旋法を融合させたユニークさ ー アレクサンドル・チェレプニン(音楽・芸術)

ピアノ協奏曲1番、試聴はこちらから
          
チェレプニンというロシア人の作曲家は、忘れ去られていたのかもしれません。
現在でも、音楽史の中では、二十世紀の作曲家と紹介される程度に過ぎません。

交響曲からオペラ・バレイまで多方面に作曲した彼ですが、聞いたこともない。
実は、不思議な東洋風のチェレプニン音階で作曲していたのが、正体なのだな。

まあ、ユーチューブ番組でググったら、その構造が簡単に紹介されていました。
聞いてみると、ジプシー音楽のようでもあって、中東風の音律にも聞こえます。

ウイキでは、”自ら課している技法の定石”から脱却しようとしたと言うのです。
何のことが分からないので、またもやググりましたが、洋楽のマンネリらしい。

このため、ヨーロッパ中心の伝統的な音楽語法を、打ち壊そうと考えたのです。
つまり、西欧の行き詰った既存の枠組みやルールが、音楽界でも浮上しました。

この結果、新しい音を求めて、音楽的視野をユーラシアの民俗音楽へと広げる。
その成果がチェレプニン音階だったのですが、この興味は日本にも向きました。

それで、日本へ訪問しているのですが、そこで多くの作曲家と触れ合いました。
実際に、江文也や早坂文雄、伊福部昭らを指導して、チェレプニン賞まで設立。

作品は、”チェレプニン・コレクション”として、欧米で出版していたほどです。
それに、自らピアノで演奏したほどだから、気合の入れ方が違うということだ。

ただ、それで日本の作曲家が、欧米のクラシック界で紹介されたのは僥倖です。
まあ、こういった彼の活躍で、日本の作曲家が欧米で認識されるようになった。

映画ゴジラの音楽を担当した伊福部昭など、このチェレプニン賞一等を受賞だ。
日本の音楽界と関係の深い活動でしたが、彼の作品自体を耳にする機会がない。

それぐらい、クラシック界では取り上げられることもなかったということかな。
それでも、最近は徐々に録音がリリースされて、ピアノ協奏曲1番もそうです。

この1番は、まだ若いころの作品で、チェレプニン音階は全く使われていない。
ですが、その後の音楽活動を占うような、中東風の曲想が耳には新しいほどだ。

というわけで、ユーチューブでも、かなり作品が紹介されてきている現在です。
未だ聞き出したばかりなので、どんな作風なのかはおいおい鑑賞するとして、今や21世紀なのだから20世紀の作品を現代音楽と思わずに、聞き込んでやるぞと思った自分なのでした。



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2026年6月28日日曜日

コルンゴルドの作品は、委嘱したピアニストが演奏面で排他的な権利を持っていたので、余計レパートリーから外れてしまったらしい ー 左手のための協奏曲(音楽鑑賞)

日本の左手ピアニスト、館野泉
             
ユーチューブで、BGM風にクラシック作品を選曲して、聞く機会が増えました。
中でも、折に触れてセルゲイ・ボルトキエヴィチのピアノ協奏曲を聞くのです。

ピアニストの一方、作曲でもあったボルトキエヴィチは、三番まで残しました。
どれも捨てがたい作品なのですが、特に2番は”左手のための”と副題付きです。

この副題付きの作品は、ラベルがよく知られていますが、こちらは目新しいな。
この副題については、戦争で片手を失ったピアニストが、依頼したからでした。

つまり、裕福な出身のヴィトゲンシュタインは、このまま演奏を希望しました。
ただ、左手だけなので両手を使わずに済むピアノ作品が、どうしても必要です。

このため、彼は当代で著名な作曲家に作品を依頼した成果が、この作品でした。
ラベルの作品との比較は難しいのですが、ロマン派らしい堂々とした作風だな。

活躍した時代は二十世紀前半ですが、当時の音楽動向に影響を受けていません。
このため、左手だけで演奏していると思えないほどに、華麗な出来上がりです。

それで、作曲家に委嘱した中に、プロコフィエフのピアノ協奏曲がありました。
4番ですが、あの有名な3番の後に作曲されたのに、無名なままが不思議です。

これも、ウイキで作品解説を読んだのですが、依頼者が演奏不能としたせいだ。
結局、第二次大戦で右手を負傷した、ジークフリート・ラップが初演しました。

しかも、作曲家の死後から三年を経てからでタイミングを逸したのは否めない。
それでも、左手になったピアニストが、復活公園にこの作品を選んだりします。

ユーチューブで聞けたりしますが、他の作曲家も探すと見つかったりするんだ。
次に、作品を紹介しておきますが、ヴィトゲンシュタインは資産家なのでした。







というわけで、末尾に挙げたラーボアは盲目のピアニストで作曲家でもあった。
実は、盲目のピアニストというのは、現在では辻井伸行さんが著名ですが、十八世紀にはオーストリアのマリア・テレジア・フォン・パラディスという女流ピアニスト・作曲家が活躍したぐらいで、このラーボアの作品などを聞いていると、隻腕であろうが盲目であろうが、才能次第なのだろうとも思えたのでした。



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2026年6月22日月曜日

名前について、ネットではアクセント記号の付いていない表記が目立ちますが、母国語ではアクセントは必要だ ー バイオリン協奏曲(音楽・芸術)

Arvīds Žilinskis(1905—1993)
                                       
最近は、耳にしないクラシック作曲家の作品を、ユーチューブで聞いています。
音楽のジャンルは何でも聞きますが、ユーチューブなら容易に楽曲を探せるな。

ただ、クラシックの耳慣れない作品を探すには、英語で入力しつつ検索します。
なぜかというと、世界中の好事家が、楽曲をアップロードしてくれるからです。

特に、楽器の協奏曲が面白くて、こんな作曲家がいるのだと驚いたりもするな。
それで、今回は、ラトビア出身のアルヴィーツ・ジリンスキスを発見しました。

彼の母国は、北欧のバルト海三国の一つですが、国自体をあまり耳にしません。
一方、リトアニアならユダヤ人へビザ発給をした外交官、杉原千畝は有名だな。

だけど、エストニアとこの国は、かつてはソ連峰に組み込まれていた程度です。
日本人にとって、馴染みの薄い国なのは実際ですが、そんな国の作曲家なのだ。

特に、近現代で活動した作曲家なのに、バイオリン協奏曲がロマン派の風合い
まあ、侵略・併合で文化的にも抑圧された国は、プロレタリアのごり押しだろ。

同時代のショスタコビッチの交響曲5番なんか、「革命」と福田何時だからな。
どちらかというと現代音楽っぽい作品だと思いがちなんだが、全く違いました。

色濃いロマン派のメロディに裏打ちされて、感情を込めた旋律が奏でられます。
確かに、バイオリンという楽器が持つ、歌うような豊かな表現力だからだろう。

同時期の作品、例えば、コルンゴルド、フェラーリを聞いても同じ印象なんだ。
一方で、彼の作曲したピアノ協奏曲を聞いても、ロマン派の色濃さが濃厚なの。

他の商品にしても、ロマン派っぽい作風だから、プロレタリアなんか関係ない。
というわけで、自分の感性の好むままに作曲を続けてきた人民芸術なのでした。

その一方で、同国出身の作曲家をググってみると、そのリストが見つかるのですが、彼自身の名は漏れていてないのが不思議で、こんなに良い協奏曲を作曲しているのだから、漏れないはずがないと思ってしまったのでした。



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