2015年2月27日金曜日

ゲレンデに鎮座ましますスキー神社と言ったらここなのだ -大鰐温泉スキー場(青森県)

平成4年1月2日滑走

このスキー場は、ゲレンデが、あじゃら高原と大鰐国際の二つに分かれていました。
向かって左手のあじゃらは、リゾート開発のゲレンデで、ゴンドラが敷設されました。

長さが約2.3キロとそこそこあり、全体は初中級者向けのバーンが占めています。
リゾートとしゃれ込んでこさえたのでしょうから、急な斜面も不要なのでしょう。

一方、百年の歴史と豪語する国際ゲレンデは、確かにキツイ斜面がありました。
何しろ、全日本学生選手権の第一回大会が、戦前開かれたほどのバーンです。

特に、有名な難所が神沢(かんざわ)バーンで、国内屈指の斜度が30度以上。
ここを滑り降りられたら、何処へ行っても大丈夫というのですが、本当でしょうかね。

あじゃら高原は閉鎖中
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自分的には、小樽天狗山スキー場の新コースが一番過激ですがどうでしょうか。
母校の基礎スキー部が、検定試験の練習でよく使っていましたが、恐ろしい。

今井思い出しても震えますが、滑り出しが43度で途中でも32~3度以上です。
激しすぎるゲレンデの代表格ですが、こちらのバーンも登竜門だったということです。

ここでは、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんも、落下傘を背負って練習しました。
なんでも、エベレスト滑降を目前に控えて、パラシュートの効果を確かめたらしい。

滑降のスピードを落とす目的だと思いますが、まるでジェット戦闘機のようです。
後年、八十才でエベレスト登頂を果たした超人ですが、こんな関係に驚きました。

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さて、ファミリーゲレンデの途中に、スキー神社が建立されていたのを見かけました。
ただ、新潟県妙高市にある同名の神社が、建立では三年古くて少し残念です。

まあ、二十世紀に入ってスキーが導入されて後の話なので、似たようなものです。
趣旨は、スキーヤーの安全と、このスポーツの発展を願って建立されたのでしょう。

ところで、このゲレンデは、スキーブームに便乗して更なる拡大を図ろうとしました。
自治体自らも打って出て、第3セクター方式でゴンドラを架けて拡張したのです。

これがあじゃら高原ですが、取らぬ狸の皮算用だったのか、赤字が解消できない。
このつけが大きくて、大鰐町は、平成の大合併にも途中で脱落する始末です。

結局、この町だけが、合併後の弘前・平川の両市に寂しくも挟まれるのでした。
それでも、開湯が平安時代という大鰐温泉の観光資源が、未だ残っております。

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ストックが図案に使われています

これが町の希望なら、草津温泉のようにスキーと紐付けするのがベターでしょうね。
というわけで、この町自体も人口一万人とそれなりに人も住んでいるようです。

そして、はるか江戸時代の頃より、弘前、津軽藩の奥座敷的な湯治場だったのですから、ここは伝統を次の世代へ活かして、もうひと踏ん張りしてもらいたいと思うのでした。


おまけ:
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2015年2月25日水曜日

サントリーの差別的な舌禍騒動を見る限り、マッサンのニッカには及びもしないはず - 大平山スキー場オーパス(秋田県)

平成5年1月2日滑走

このゲレンデは、秋田市の仁別にありますが、読みを”にべつ”といいます。
北海道の北広島市にも、同じ地名があるのですが、語源はアイヌ語でした。

つまり、アイヌ語を語源とする地名が、東北地方にも残っているということです。
このため、アイヌの人たちが、東北地方にも住んでいた痕跡だという人もいます。

ただ、アイヌの人達は、遺伝学的にも日本人と同じ特質を持っているようです。
縄文人系だそうで、何のことは無い日本人なのですが、言葉が非常に違います。

しかも、北海道・東北の気候は厳しくて、稲作のような農耕は非常に難しい。
それでも、弥生時代の証左である稲作のある遺跡が無いわけでもありません。

青森県の垂柳遺跡(たれやなぎ)が有名ですが、定着した印象が薄いのです。
こうして、ほとんどの東北地方で、狩猟・採集中心の生活が続いて行きました。

そして、奈良時代ですら、縄文の生活慣習や文化は脈々と受け継がれました。
こうなれば、稲作中心の関東以西とは大きな隔たりが出来てしまったのでしょう

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結局、平安朝廷は、言葉や風習に違いをもった日本人を異端視しました。
他方、朝廷の支配下にあった関東地方からは、東北は目と鼻の先です。

こうなると、東北地方の有力者を政権に組み入れたくなるのも、当たり前の話。
当時、蝦夷(えみし)と蔑まれた呼称は、上から目線でしかないと思うのです。

ただ、蝦夷も黙って従うわけではなくて、朝廷に対しては抵抗を繰り返します。
三十八年戦争と呼ばれた長期間ですが、この戦いの歴史は尋常ではない。

当時、蝦夷の生活は、狩猟が生活の糧ですから、勇猛果敢は当たり前です。
もっとも、アテルイという優秀な軍事指導者に恵まれていたのも、一因でした。

こういった歴代政権の蝦夷征伐は、同じ日本人の同士討ちでしかないのです。
でも、征服者は、征服された人間を貶めるような主観に立って歴史を作ります。

こういった背景が、実は現在の関西人に受け継がれていたら、どう思いますか。
そして、そのような侮りの眼差しを持つ人が、企業の経営者だったら驚きです。

スキー場周辺の観光施設
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みなさんも、サントリーと言う企業を知らない日本人はいないでしょう。
美術館やコンサートホールを運営し、企業メセナに熱心な文化的企業です。

昔、その社長で、大阪商工会議所会頭も努めた佐治敬三さんがおりました。
この方は、とんでもない差別主義思想の持ち主で、ある時、馬脚を現しました。

「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」

実際、この発言は、東北、北海道、九州で大きな反感を喰らいました。
そして、自然発生的に大々的な不買運動へ拡大して行ったのです。

たとえ公的な立場での発言とは言え、自らの認識を思わず吐露してしまった。
面白いのは、その後の関西企業のえげつない東北人への擦り寄り方なのです。

先ず、ビールキャンペーンガールとして、仙台出身の鈴木京香さんを選びました。
おもねり、こびる関西商人の逞しさには、思わず失笑を隠せませんでした。

というわけで、スキー場の地名だけで、全く無関係な寄り道をしてしまいました。
本当は、ゲレンデ紹介をしてもいいのですが、ホームページを見てもらえれば分かることですし、滑った感想とか写真を紹介しているブログも有象無象にありますので、ここは薀蓄を傾けて東北のゲレンデ周辺地名にまつわる地誌的な感じで、書いてみたということなのでした。


おまけ:
リフト券(裏面)

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2015年2月23日月曜日

本格リゾートとして開発コンセプトをがっちりネーミングに託してきた - タングラムスキーサーカス(その一、タングラム斑尾)(長野県)

タングラム・パズル

このスキー場の命名ですが、格好良く新しい造語だと、てっきり思っていました。
でも、調べてみたら、シルエットパズルの一つを指しているのが分かりました。

このパズルは、さまざまな形のピースを組み合わせて課題の形を作りあげます。
それがタングラムでして、世界的に非常に有名なもので、正方形がべースです。

日本では、”清少納言知恵の板として江戸時代中期の書物で紹介されました。
でも、構成するパズルのピースが少し違っているので、ジャパンメードでしょうか。

平安時代の女流歌人・清少納言が女児の知恵試しに考案したと言われます。
古典文学『枕草子』の作者として知られていますが、才女らしい伝承と思いました。

それで、二十世紀の初めで、二千以上の作品とも言える図形が知られていました。
七つの片々を使って、人間・動物・物・文字など自在に形が出来上がるようです。

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ところで、このタングラムにはシンボルマークのキャラクターが使われています。
なまえをパンタンというのですが、角を生やして笛を吹いている姿をしています。

開業当時、一般公募によって採用されましたが、オリジナルはギリシャ神話でした。
パーンは、羊飼いと羊の群れを監視する神さまで、山羊のような角を持ちます・

牧羊神といいますが、フルートのような横笛を吹いていますが、音楽好きなのか。
神話の世界では、竪琴の神アポロンと音楽の技量を競うことになっています。

田舎じみた旋律は野卑だったのでしょう、アポロンの奏でる音色には勝てません。
こうして、悔しくも負けてしまったパーンですが、どうしてタングラムになるのか。

平成4年2月14日滑走
パンタンが描かれています

まあ、自然と融合する中で、ゆったりとした時間、草原をおおらかに歌い、踊り、走る。
このことから、純粋に遊び心を表現したキャラクターだと、リゾートは説明するのです。

なるほど神様の遊び心なのかと思ったものの、タングラムまでには結びつきません。
ただ、リゾートですから、遊ぶ人次第で四季をさまざまに楽しんでもらうのも事実です。

だからこそ、複雑な造形を可能にするパズルの創造性に、引っ掛けたのでしょう。
というわけで、ここのゲレンデは、同じ山に開かれた斑尾高原スキー場と隣同士です。

スキーブームの頃、あの”みだらお”と呼ばれたイケイケのゲレンデに対抗したのか。
いや、本格リゾートとして、開発コンセプトをタングラム&パンタンでガッチリ練りこんだのは、さすがバブル期の東急不動産として心意気が違ったなーと思いつつ、今になってそのことに気が付いた、周回遅れの自分がいるのでした。


おまけ:
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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)    


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2015年2月21日土曜日

米内沢って、自分の好きな浜辺の歌の作曲者の故郷だった - 米内沢スキー場(秋田県)

平成3年12月31日滑走

今、防備録を読んだのですが、平成三年の大晦日は、きついドライブをしました。
この日だけで、このスキー場を皮切りに、青森県の大湯温泉まで北上しています。

その途中、鹿角市の水晶山スキー場を滑り、大湯温泉のゲレンデも滑りました。
どのスキー場を滑るのかは、特に決めていた分けでもなく、ガイドブックが頼りです。

ただ、このスキー場はどんな出版物でも全く紹介されていない未知の存在でした。
今なら、ネットで検索すると何かは引っかかるものですが、当時は未だありません。

メディアの種類が今と違って限られていたし、携帯電話の影も形も無い頃でした。
その日は、まず森吉スキー場近くの一軒宿、杣(そま)温泉を出発しています。

森吉町の阿仁前田市街を抜け、米内沢に入ってから道路標識を見かけました。
このゲレンデを指し示す矢印方向の看板だったのですが、偶然に見かけたのです。

この時は、非常にレアものを見つけた気分になり、ついハンドルを切っていました。
こうして、滑ってみたのですが、私だけのためにリフトが動いていたようなものです。

普通、家庭のある人なら、大晦日は大掃除や正月休みの準備で忙しいでしょう。
年末年始をずっとスキー旅行に費やす人間は、奇特以外の何者でもありません。

リフト監視員も、暇で仕事を持て余し気味だったのか、立ち話に乗ってくれます。
この米内沢は、伝統的にスキー競技が盛んで、学生が滑りに来るのだそうです。

もっとも、距離とかノルディック系の話が出たので、アルペン競技ではない感じです。
確か、この地域には鷹巣農林高校というスキー競技で有名な学校がありました。

道産子ですから、ウインタースポーツに強い学校は新聞で読んで知っています。
東北では、これ以外に弘前の東奥義塾高校も、入賞の常連校だったはずです。

まあ、雪に慣れ親しんでいる児童が、遊びでも地元の競技大会に出場します。
中には能力のある子供もいて、選ばれてそのような学校に進学するのでしょう。

つまり、ここでは将来のオリンピック選手を輩出するための下地があるのでした。
でも、今では過疎化が進み、現地も人口が減少して子供たちが減っています。

雪に恵まれた環境でスキーが思う存分楽しめるのですが、リフトもあまり動かない。
ネットで散見される情報だと、ナイター営業はあるが土日は休むなど変則的です。

北秋田市のHPから転載

わずかに北秋田市のHPでは、平成23年にスキー場開きを写真を見かけました。
今年もまもなくシーズン到来ですが、地域の皆さんへ、是非、開いてもらいたい、

そんな風に思いつつ、この町は、別な意味でも思いがけない土地になりました。
それは、自分も口ずさむ唱歌”浜辺の歌の作曲者の故郷だと分かったからです。

一世紀も前の歌曲ですが、美しい調べから音楽の教科書でも紹介されています。
この曲を作った成田為三さんですが、この内陸の米内沢町で生まれ育ちました。

現地には顕彰碑も建てられ、「浜辺の歌音楽館」で業績も紹介されております。
ユーチューブで作曲者やこの歌から検索すると、データが数多く見つかりました。

というわけで、米内沢はまんざら係わり合いが無いわけでもないと、知ったのでした。
スキー以外にも”浜辺の歌”の作曲者の出身地とは露知らず、大晦日で休館中だった、この音楽館がなんだったのかと、帰宅してから調べ初めて分かったのですが、今度は季節のいい頃にでも改めて訪れたいと思う、自分がいるのでした。


おまけ:
鷹巣農林高校卒業の高橋大斗選手が今季国体で優勝
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2015年2月19日木曜日

富士山の見える、一番遠いスキー場だと思ったらちがっていた - 尾瀬岩鞍スキー場(その一、四季の森ホワイトワールド 尾瀬岩鞍)(群馬県)

平成4年4月11日滑走

快晴に恵まれると、はるかかなたの南南西に、富士山がちょこっと顔を出します。
自分の場合、西山第3ロマンスリフトの山頂駅を降りた辺りで、拝ましてもらいました。

山々が連なる稜線の合間から、プリンみたいな形をのぞかせたのが印象的でした。
丁度、途中に富士山を影にしてしまう高い峰がなかったのが幸いしたのでしょう。

つまり、富士山は、地形に邪魔されなければ、遠くてからでも見える場所があります。
北限で有名なのは、福島県の阿武隈山地の日山(標高1057m)で、かなり遠方です。

直線距離では三百キロ弱ですが、南端・西端となると和歌山県の妙法山になります。
どうも途中の平坦地や低い山地に恵まれたようで、直線距離が何と322キロでした。

一方、ゲレンデから富士山が見えるなら、この岩鞍が一番遠方と思って来ました。
先ず、ロケーションが、群馬県でも北部の県境、尾瀬界隈で、かなりの遠距離です。

しかも、最高地点が標高で千七百メーターもあり、見晴らしが素晴らしかったのです。
でも、今まで本当にそうなのか確かめたことがなく、今回は調べることにしました。

そうはいっても、グーグルの検索だけですが、興味のある事実が浮かび上がります。
やはり、世界遺産だけに、みなさん、”富士山の見えるスキー場”がキーワードです。

ヤフーの知恵袋や、教えて!gooなどで、質問されておられるのが分かりました。
それで回答の方はというと、下記のスキー場が手っ取り早く紹介されていました。

<ヤフーの回答>
富士山の見えるスキー場は自分が知ってる中ではスノータウンイエティ、富士見パノラマ、サンメドウズ清里、車山高原、志賀高原横手山などです。
特にスノータウンイエティは富士山麓にあります。

<gooの回答>
八ヶ岳周辺のスキー場から見ることできます。
八ヶ岳周辺から南東方面に富士山ありますから(甲府盆地坂山地越え)
見つけ易いと思います。
車山高原スカイパークスキー場
サンメドウズ清里スキー場
富士見高原スキー場

もちろん、ふじてんスノーリゾートは、富士山麓のゲレンデですから見えて当たり前。
これから、距離を隔てたゲレンデが列挙されていきますが、比較的近いかもしれない。

加えて、多少距離が伸びて標高の高さから、志賀高原の横手山も紹介されました。
それでも、山梨・長野の両県から見えるというのは、まず常識の範囲で面白くない。

ならばと、もっと検索を続けてみたら、妙高杉ノ原スキー場が紹介されていました。
ここは新潟県になり、日本百名山の妙高山のお膝元にあるゲレンデになります。

富士山の見えるスキー場マップ
くりっくで拡大してご覧ください

富士山の遠望ができるのも、ゴンドラ終点から約百メーター移動した辺りなんだとか。
距離にして177キロだそうですが、岩鞍のゲレンデからだと距離はどうなんだろう。

それではと、ディスプレーにグーグルマップを映して、定規を当てて計ってみました。
うーん、167キロくらいかなー、もちろん縮尺を計算しながら割り出した距離です。

ちょっと近いようで、ネットでも170キロという説明がありましたので、本当でしょう。
残念ですが、妙高杉ノ原の方が、最も遠方だったということに落ち着きそうです。

因みに、同県の苗場スキー場でも可能で、筍山ロマンスリフトの乗車中とありました。
リフトの途中から左方向にあるようで、筍山山頂からは角度的に見えないようです。

この他、ちょっと気になったのは、同じ片品地区の丸沼高原で見えるかどうかです。
調べ上げた限りでは、見えたか見えないのか、少しあいまいな表現が目立ちます。

ゴンドラ山頂駅をおりて、すぐそばにある見晴台から見ることはできたのでしょうか。
自分も、丸沼高原を二度ほど滑りましたが、天候のせいで確認ができませんでした。

というわけで、関東圏で中上級スキーヤーが満足するスキー場は、唯一ここでしょう。
冬季国体のジャイアントスラローム会場に、何度も選ばれるほどで折り紙つきです。

すり鉢上に展開されるコースのレイアウトが理想的な気もしますし、ゴンドラで上がれば林間コースも用意されていますので、オールラウンドタイプのスキー場として、今後も末永く活躍してもらいたいと、希望するのでした。


おまけ:
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尾瀬岩倉リフト一日券(裏)

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)
        

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2015年2月17日火曜日

入会地の利権やら環境保護は仁義なき戦いだったのかもしれない - ごりん高原スキー場(長野県)

平成4年3月22日滑走

とにかく、湯田中温泉街からロープウェーで、ゲレンデに直結しました。
便利さが温泉宿泊客には売りだったはずですが、志賀高原は目と鼻の先。
 
より取り見取りのゲレンデにバリエーションがあって、対抗するのは難しい。
スキーヤーが一度は行きたいゲレンデに流れる客足を、引き止められません。
 
しかも、駐車場が貧弱すぎて、三十台程度の規模だったのには驚きました。
確か、箱根の駒ケ岳ロープウェーも駐車場が小さかったように思います。
 
ですが、こちらはスキー客がゲレンデに滞留して、駐車時間は長いはずです。
こうして、運営上、何だかちぐはぐな印象は、ぬぐいさることができませんでした。
 
さて、ゲレンデの起点は、全長3キロ以上のロープウェイでいったん上ります。
標高はすでに千メーターを越えますが、ここから、ゴンドラに乗継ぐのです。

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ここも2.5キロの長さがありますが、終点は標高が千五百メーター近くです。
こうなると、志賀高原のゲレンデに引けを取らない雪質はお墨付きでした。
 
”ごりん高原”という名称ですが、長野冬季オリンピックが目標だったのでしょう。
当時、この開催地に長野が選ばれており、近隣の五輪山はピッタリ来ます。
 
そして、もう一本ロープウェーを掛けると、なんと志賀高原に直結するのでした。
つまり、ここから索道距離で四キロを延長すれば、北東の焼額山スキー場です。
 
運営者のコクドもつなげる構想だったようで、裏話がウイキに書かれていました。
しかも、志賀高原の入り口とする計画があり、支柱のみ設置していたとあります。

これはスゴイと思ったのですが、なぜそこまでしようとしたのかよく分かりません。
ただ、色々調べると、スキー場に関わる施設の利権争いがあった感じです。

この焼額山周辺は、湯田中渋温泉地区の住民が運営管理する入会地です。
入会地と言うのは、かつての村や部落など村落共同体が総有していました。
 
江戸時代、主な産業は農業で、田畑にならない山林はあまり用をなしません。
それでも、薪炭・用材・肥料用の落葉を採取するのに入会山は、貴重です。
 
このため、住民には、生活のために共同で利用できる権利が与えられました。
これが歴史を経て、財団法人共益会という組織に発展してきているのです。

クリックで拡大します
 
一方、志賀高原のメインゲレンデは、別の村落による入会地になっていました。
サンバレーから横手山までが含まれるのですが、現在、和合会が管理しています。
 
こうして、この二つの村落は、合併を繰り返して現在の山ノ内町になりました。
このため、町有地を管理する団体が分かれている歴史的背景があるのです。
 
和合会ですが、宿泊施設、スキー場とリフトの運営を会員だけに認めています。
どうも、観光資源で恵まれ過ぎた高原の自然に頼りきり、殿様経営は否めない。
 
しかも、入会資格は、沓野地区に住む一家の長男のみにしか与えられません。
女性会員などもってのほかで、男尊女卑なのか、ちょっと閉鎖的な雰囲気です。
 
これでは、コクドも投資したくても自由にできないし、排除されたのが本音かも。
そこで、指をくわえて見ていた別地区の共益会に声を掛けたのだと思います
 
その結果が焼額スキー場なのですが、瞬く間に人気を獲得してしまいました。
投資額の規模が桁違いですし、続けて隣の奥志賀高原ともつながりました。
 
まあ、これだけ因縁がつけられると、あの和合会を抜ける国道は使いたくない。
ならば、途中で混雑回避のようなゲレンデを経由して、焼額までつないでしまう。
 
では、どうしてコクドは、ロープェイを掛けるのをあきらめてしまったのでしょうか。
自分の想像ですが、コクドはもっと広大なゲレンデ開発を計画していたはずです。
 
長野オリンピックの招致活動が始まった当初、滑降の競技会場は志賀高原でした。
当時、谷を挟んで焼額山の向かい側にある岩菅山が予定されていたのです
 
周辺は、和合会と共益会が共有する入会地で、コクドの参入できる余地はあります。
オリンピックを口実に、共益会は支持でしょうから、残るは和合会の説得なのか。
 
ところが、長野県自然保護連盟などが自然保護を訴えて反対活動を始めました
岩菅山は、スキー場開発の進んだ志賀高原で、数少ない手つかずの山なのです。
 
この反対運動は、多くの県民から支持を得られたようで、開発は断念されました。
ただ、不可思議なのは日本オリンピック委員会の正式決定と発表がありません。
 
他方、コクドのオーナーである堤氏が記者会見しているのを、自分は覚えています。
結局、オリンピックもスキービジネスとつながっていたのは間違いないようです。
 
というわけで、コクドの大規模開発計画も頓挫して、残されたのがごりん高原です。
焼額山までロープウェイがつなげられなかったばかりに、このゲレンデを活用する目的と意図は失われ、駐車場までもがこじんまりとしたままで廃止となったのですが、未だに、グーグルマップ上ではロープウェイとゴンドラの路線が残されたままで、何ともそれが悔しさをにじませているようにも感じられるのでした


おまけ:(参考文献)
(結構、エグい記事)






五輪高原・湯田中駐車場領収書
   
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2015年2月15日日曜日

盗んだ北海道の人工降雪機を使うぐらいなら、平昌オリンピックは諦めろよ - スノーマシン・人口降雪機(樫山工業)

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我々の周りには様々な細菌がいるのですが、変り種は大気中の雨降らし細菌です。
約四十年前、雨、雪、雹、霰の中に、氷核形成体という有機物が発見されました。

氷核活性細菌といって、雪や雨の「氷核」と呼ばれる微粒子の元になっています。
摂氏十度の温度でも、雪や雨の氷核が形成されますが、その細菌のしわざでした。

今まで、お勉強では、細かいチリが核になって雨粒になると習ったかもしれません。
でも、これが大違いで、この氷核活性細菌が地表と大気上空を循環しているらしい。

大気中の水蒸気が雨になって降り注ぎ、蒸発して再び雨になるのが、水の循環です。
氷核活性細菌は土壌に潜んで、水分の蒸気に紛れ込んで上空に昇って行きます。

そこで自ら氷核を作り、雨や雪になって地上へ落下し、再び大気の循環に乗りだす。
つまり、地球の水の大循環の原動力となっていたのが、細菌だったのは驚きでしょう。

ところで、この氷核活性細菌ですが、実はスキー業界でも商業利用されていました。
商品名はスノーマックスといい、人口降雪機の造雪促進剤として導入されています。

これは、樫山工業のパンフを見ていて発見したのですが、平成五年の発行でした。
スキーブームの最盛期だった頃で、ゲレンデ整備には金を掛けていたのでしょう。

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なにせ、当時は暖冬傾向が強い時代で、天然の雪がなかなか降ってくれません。
神頼みにしていたのでは、スキー場もオープンできず、収入も減ってしまいます。

ゲレンデ開発に巨額の投資をしたのに、肝心な雪がないと、ただの斜面でしかない。
こうなると、何が何でも人工雪を降らせるしかなく、スノーマシンが注目されました。

あの頃は、どこのスキー場でも、大きなファンのついた機械を当たり前に見ました。
移動可能なキャタピラー車もありましたが、ゲレンデ脇に固定されていたのも多い。

スノーガンのタイプやら、ホースが張り巡らされたり、貯水池もあったりしました。
それで、空気中の水分はマイナス七度以下に冷えれば雪ですが、当時は暖冬です。

寒ければ、空気中に水を散布してファンで巻き上げれば、簡単に雪は降ってくれます。
ところが、西日本では、一月になっても営業できないほど、ひどい暖冬が続きました。

納入実績表(H4年頃)
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こうなると、零度近くまで気温が冷えたら、無理やりに雪を降らしてしまいたい。
一方、この雨降らし細菌なら気温が零度以下になれば、簡単に雪へ変わります。

そこで、この菌を無害の粉末にして水にまぜて、噴射させるアイデアが出されました。
これがスノーマックスの商品化でして、人口降雪機の能力を強力に補完しています。

ですので、単純なスプリンクラーというより、バイオ人工降雪機と言うべきでしょう。
この技術は、昭和63年のカルガリー冬期オリンピックで大々的に使用されました。

ところで、タイトルに挙げた事件は、昨年、北海道で頻発した盗難事件になります。
ネットで話題になりましたが、同時期に中古のスノーマシンも多数取引されました。

バイヤーは韓国人というのも面白いのですが、平昌オリンピックがキーワードなのか。
信憑性はありませんが、オリンピックのゲレンデ造成用に持ち帰ったというのです。

韓国にもスキーリゾートは十箇所以上あるようですが、積雪量は思ったほど少ない。
オリンピック開催地の平昌は、何と多い年で40センチ程度しか見込めないのです。

これでは、天然雪に依存はできず、勢いスノーマシンに頼るしかなくってしまいます。
標高も山岳地帯で千五百メーターがやっとで、冬の気温もさほど厳しくなさそうです。


こうなると、残る手立ては造雪促進剤のスノーマックスを使うしかなくなるのです。
ただ、スノーマシンの機種によっては、水専用でノズルが目詰まりするかも知れない。

特に、北海道は、冬の山間部だと簡単にマイナス七度以下に冷えてしまいます。
仕様も水専用なのかも知れず、韓国へ持ち込んでも使えない可能性が残ります。

つまり、造雪剤がなければ、韓国では雪も降らせないと、ネット住民が考えました。
だから、タイトルも嫌韓表現の丸出しで、平昌オリンピックを当てこすったのでしょう。

というわけで、この氷核活性細菌は、雲を形成する水滴中のエアロゾルなのでした。
この核が、生物由来のものもあるという意味でして、PM2.の範疇にも入ります。

実際は、感染症やシックビルディング症候群を引き起こす可能性が無くもありません。
もし、こういった造雪剤が利用されていくとなると、人間に対する影響も気になります。

商品化されているものは殺菌された菌体なので、感染はあまり気にしなくて良さそうですが、アレルギー系となると不安が残りますし、スキーヤーの気管支系に影響を与えるかも?という話題が、なぜ出ないのかとふと思ったのでした。


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2015年2月13日金曜日

迫アナウンサーがダムに沈む秘湯宿を取材してしんみりしたのを思い出した -  森吉スキー場 (その二) (秋田県)

捨てずに大事にしています

この杣温泉のおばあちゃんが、ダムに沈む予定なので寂しいと嘆いていました。
テレ朝アナウンサーからフリーに転じた迫(さこ)文代が出演した、旅番組です。

迫さんも同情して、ずいぶんとしんみりした雰囲気になったのを、よく覚えています。
既に二十年近く前のTV番組ですが、自分も晦日の一晩を世話になりました。

森吉スキー場を滑った後、宿泊の場所も押さえていなくて急きょ電話しました。
部屋があっただけでも幸いだと思いましたが、宿も小さく数組のお客さんだけです。

マタギの里ゆえ、郷土料理の熊肉もお膳に出されて、迫さんも食べていましたね。
こうして、雪がしんしんと降る静かな一晩を過ごせたのは、一人旅でも楽しかった。

スキー行脚の旅行の中で、忘れられない思い出になったのは間違いありません。
ところで、最近グーグルマップを見たら、ダム湖はもっと下流に貯水されたようです。

結果的に水没は免れたようで、近くにある国民宿舎も無事なのが分かりました。
もっとも、この奥には古いダム湖の太平湖があって、景勝地として知られています。

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一方、スキー場は開業から約二十年弱の平成18年12月に閉鎖されました。
スキーブームも昔の話で、首都圏からは遠いし、現地は過疎地のスキー場です。

地元住民のスキー客も見込めないし、阿仁・森吉の二つは重荷だったのでしょう。
それでも、森吉には日本最長(2.2キロ)のクワッドリフトが、営業されていました。

他方、阿仁はゴンドラが掛かられていて、通年の観光施設としては有利です。
クワッドもフード付きでしたが、アクリル製のためか汚れて視界が良くありません。

それに、ゴンドラは室内で雨風もよけられますが、チェア式だと足元が濡れます。
結局、観光用クワッドは利点が見出されなくて、ゴンドラに軍配が上がりました。

というわけで、この地域は、伝統的にウインタースポーツの盛んな場所柄です。
高橋大斗選手のように、名の知られたスキーヤーもたくさん輩出されて来ました。

もっとも、ノルディック系が多いのも、ゲレンデに恵まれていなかったからでしょうか。
このため、自治体だって規模のあるスキー場を誘致しようとしたのかもしれません。

目的が観光開発にあったのかもしれませんが、そんな背景も感じてしまいますし、二つの内、阿仁の一つだけでもゲレンデが残されたのであれば、スキー選手の育成には十分に活用してもらいたいと、切望するスキーヤーの自分がいるのでした。


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