2015年2月25日水曜日

サントリーの差別的な舌禍騒動を見る限り、マッサンのニッカには及びもしないはず - 大平山スキー場オーパス(秋田県)

平成5年1月2日滑走

このゲレンデは、秋田市の仁別にありますが、読みを”にべつ”といいます。
北海道の北広島市にも、同じ地名があるのですが、語源はアイヌ語でした。

つまり、アイヌ語を語源とする地名が、東北地方にも残っているということです。
このため、アイヌの人たちが、東北地方にも住んでいた痕跡だという人もいます。

ただ、アイヌの人達は、遺伝学的にも日本人と同じ特質を持っているようです。
縄文人系だそうで、何のことは無い日本人なのですが、言葉が非常に違います。

しかも、北海道・東北の気候は厳しくて、稲作のような農耕は非常に難しい。
それでも、弥生時代の証左である稲作のある遺跡が無いわけでもありません。

青森県の垂柳遺跡(たれやなぎ)が有名ですが、定着した印象が薄いのです。
こうして、ほとんどの東北地方で、狩猟・採集中心の生活が続いて行きました。

そして、奈良時代ですら、縄文の生活慣習や文化は脈々と受け継がれました。
こうなれば、稲作中心の関東以西とは大きな隔たりが出来てしまったのでしょう

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結局、平安朝廷は、言葉や風習に違いをもった日本人を異端視しました。
他方、朝廷の支配下にあった関東地方からは、東北は目と鼻の先です。

こうなると、東北地方の有力者を政権に組み入れたくなるのも、当たり前の話。
当時、蝦夷(えみし)と蔑まれた呼称は、上から目線でしかないと思うのです。

ただ、蝦夷も黙って従うわけではなくて、朝廷に対しては抵抗を繰り返します。
三十八年戦争と呼ばれた長期間ですが、この戦いの歴史は尋常ではない。

当時、蝦夷の生活は、狩猟が生活の糧ですから、勇猛果敢は当たり前です。
もっとも、アテルイという優秀な軍事指導者に恵まれていたのも、一因でした。

こういった歴代政権の蝦夷征伐は、同じ日本人の同士討ちでしかないのです。
でも、征服者は、征服された人間を貶めるような主観に立って歴史を作ります。

こういった背景が、実は現在の関西人に受け継がれていたら、どう思いますか。
そして、そのような侮りの眼差しを持つ人が、企業の経営者だったら驚きです。

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みなさんも、サントリーと言う企業を知らない日本人はいないでしょう。
美術館やコンサートホールを運営し、企業メセナに熱心な文化的企業です。

昔、その社長で、大阪商工会議所会頭も努めた佐治敬三さんがおりました。
この方は、とんでもない差別主義思想の持ち主で、ある時、馬脚を現しました。

「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」

実際、この発言は、東北、北海道、九州で大きな反感を喰らいました。
そして、自然発生的に大々的な不買運動へ拡大して行ったのです。

たとえ公的な立場での発言とは言え、自らの認識を思わず吐露してしまった。
面白いのは、その後の関西企業のえげつない東北人への擦り寄り方なのです。

先ず、ビールキャンペーンガールとして、仙台出身の鈴木京香さんを選びました。
おもねり、こびる関西商人の逞しさには、思わず失笑を隠せませんでした。

というわけで、スキー場の地名だけで、全く無関係な寄り道をしてしまいました。
本当は、ゲレンデ紹介をしてもいいのですが、ホームページを見てもらえれば分かることですし、滑った感想とか写真を紹介しているブログも有象無象にありますので、ここは薀蓄を傾けて東北のゲレンデ周辺地名にまつわる地誌的な感じで、書いてみたということなのでした。


おまけ:
リフト券(裏面)

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