2015年2月9日月曜日

別名”みだらお”とは無関係に、ボルクルとダハシュタインでガッツに滑っていた - 斑尾高原スキー場 (その一) (長野県)

平成3年12月22日滑走

刊行からもうすぐで三十年になる、極楽スキーという本を、当時熱心に読みました。
当時、新人類と呼ばれた世代が、スキーブームを担っており、かれらが読者層です。

当時は、苗場と並んでミーハー(この言葉自体が死語か)が集まるスキー場でした。
文中、”去年の彼は今年もやって来るのかしら”と、ずい分色っぽい書きっぷりです。

イケメントと乳繰り合うのが楽しみで、期待に胸を膨らませるギャルかもしれません。
別名、”淫ら尾(みだらお)”と紹介していたのを覚えていますが、軽佻浮薄ですな。

バブル真っ盛りで、ペンションに泊まり、昼はスキーで夜はディスコへ繰り出します。
あわよくば、軽いノリのおねえちゃんを引っ掛けて、今宵はいんぐりもんぐりの世界。

栂池の”いっぱつがいけ”と双璧をなしたみたいで、華やかな時代もあったのでした。
若者には元気がありますし、不純な動機で興味をくすぐられたとしても仕方がない。

そんな時代を懐かしくも思うのですが、まさに自分もその世代の一人だったのです。
一方、この本ではスキー用具のさまざまなブランドがロゴ入りで紹介されていました。

みんな見栄張っ子でしたから、競い合ってブランド用品を購入しまくった時代です。
自分も、紹介されていたスキー板のボルクル、ダハシュタインのブーツを揃えました。

たいていは、シーズン落ちの春先に、かなり値下がりしたタイミングを狙っていました。
半額以下が楽しみで、特にボルクルの板は、三セットぐらい買い換えたりしたのです。

あの頃は、まだカービンぐスキーが登場してない頃で、非常に長い板を選びました。
しまいには、195センチの板で滑るようになりましたが、平板と呼んでいましたね。

平成16年滑走のコイン(記念用)

それで、斑尾は二回滑りましたが、自分的にはエポックメーキングのゲレンデです。
最初は平板で滑ったのですが、次はカービンぐ板の筆おろしゲレンデがここでした。

確か平成16年で、カービングが普通になっていた頃で、ずい分遅いデビューです。
それまで、大事にボルクルの平板に乗っていたのですが、新人類も年を取りました。

足腰も弱くなったし、上級斜面より中級の緩斜面で、ちんたら滑るのが好ましい。
ならば、無理せず曲がりやすい板にでも乗って、筋肉痛になるのを防いでみよう。

まあ、かつての新人類も年月に勝てず、中年オジジのとば口に立ったということです。
さて、カービング板は、圧雪バーンだと知らない内に加速するのが半端ありません。

短い板の割りに走行中は安定しているので、怖いもの知らずでぶっ飛ばします。
がに股開きを気にする余裕すらなくて、初めは板を操るコツがつかめませんでした。

グーグルドライブはこちらから
裏面もごらんいただけます

その内、滑る間に何なく操縦方法を体で覚えてしまったのですが、かなり楽です。
こうして、平板には暇乞いをさせたのですが、山スキー用は現役で使っております。

というわけで、みだらおの与太話とは無縁に、ガッツに滑りまくった自分がいました。
あの頃、リフト待ち一時間が日常的に見受けられ、並んで待つのが実に苦痛です。

なので、こんなゲレンデは敬遠しつつ、空いているスキー場で滑るようになってしまったのですが、時を経てカービングスキーで滑った時分には、余りにスキー客が少なくて驚いてしまい、人々は、まさに淫ら尾の目的が勝って遊びに来ていただけなんだと、ピュアなスキー野郎は思ってしまうのでした。


おまけ:
グーグルドライブはこちらから
リフト券裏面

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)
  

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3 件のコメント:

  1. ボルクル → フォルクル じゃないかな?
    Volkl フォルクル
    Volkswagens フォルクスワーゲン

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  2. そうです。
    でも、ボルクルと言っておきましょうか。
    ウムラウトの付いた発音は、難しいのですよ。
    なので、時を止めたように言い方を変えず、そのままにしました。

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    1. 分かりました。私が野暮でした。

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