2015年2月27日金曜日

ゲレンデに鎮座ましますスキー神社と言ったらここなのだ -大鰐温泉スキー場(青森県)

平成4年1月2日滑走

このスキー場は、ゲレンデが、あじゃら高原と大鰐国際の二つに分かれていました。
向かって左手のあじゃらは、リゾート開発のゲレンデで、ゴンドラが敷設されました。

長さが約2.3キロとそこそこあり、全体は初中級者向けのバーンが占めています。
リゾートとしゃれ込んでこさえたのでしょうから、急な斜面も不要なのでしょう。

一方、百年の歴史と豪語する国際ゲレンデは、確かにキツイ斜面がありました。
何しろ、全日本学生選手権の第一回大会が、戦前開かれたほどのバーンです。

特に、有名な難所が神沢(かんざわ)バーンで、国内屈指の斜度が30度以上。
ここを滑り降りられたら、何処へ行っても大丈夫というのですが、本当でしょうかね。

あじゃら高原は閉鎖中
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自分的には、小樽天狗山スキー場の新コースが一番過激ですがどうでしょうか。
母校の基礎スキー部が、検定試験の練習でよく使っていましたが、恐ろしい。

今井思い出しても震えますが、滑り出しが43度で途中でも32~3度以上です。
激しすぎるゲレンデの代表格ですが、こちらのバーンも登竜門だったということです。

ここでは、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんも、落下傘を背負って練習しました。
なんでも、エベレスト滑降を目前に控えて、パラシュートの効果を確かめたらしい。

滑降のスピードを落とす目的だと思いますが、まるでジェット戦闘機のようです。
後年、八十才でエベレスト登頂を果たした超人ですが、こんな関係に驚きました。

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さて、ファミリーゲレンデの途中に、スキー神社が建立されていたのを見かけました。
ただ、新潟県妙高市にある同名の神社が、建立では三年古くて少し残念です。

まあ、二十世紀に入ってスキーが導入されて後の話なので、似たようなものです。
趣旨は、スキーヤーの安全と、このスポーツの発展を願って建立されたのでしょう。

ところで、このゲレンデは、スキーブームに便乗して更なる拡大を図ろうとしました。
自治体自らも打って出て、第3セクター方式でゴンドラを架けて拡張したのです。

これがあじゃら高原ですが、取らぬ狸の皮算用だったのか、赤字が解消できない。
このつけが大きくて、大鰐町は、平成の大合併にも途中で脱落する始末です。

結局、この町だけが、合併後の弘前・平川の両市に寂しくも挟まれるのでした。
それでも、開湯が平安時代という大鰐温泉の観光資源が、未だ残っております。

クリックで拡大します
ストックが図案に使われています

これが町の希望なら、草津温泉のようにスキーと紐付けするのがベターでしょうね。
というわけで、この町自体も人口一万人とそれなりに人も住んでいるようです。

そして、はるか江戸時代の頃より、弘前、津軽藩の奥座敷的な湯治場だったのですから、ここは伝統を次の世代へ活かして、もうひと踏ん張りしてもらいたいと思うのでした。


おまけ:
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2 件のコメント:

  1. 大鰐温泉スキー場は私の縄張りですので、薀蓄を披露させてください。

    現在、大鰐温泉スキー場はリゾート開発したあじゃら高原エリアは休業中で、国際エリア(右半分)、リフト3基による営業となっています。神沢バーンは確かに急で、30°以上は余裕にあります。公称34°ですが、おそらく部分的に40°近いと思います。当然雪付きが一番悪いです。

    あと、大鰐町の財政がここまで厳しいのは当然スキー場開発に伴う借金100億超が原因ですが、その内訳でも一番大きいのは、麓に開発した スパガーデン湯~とぴあ なんです。

    現在の大鰐スキー場は上記したように右半分の縮小営業で、FIS公認コース:雨池国際コースをネタに全中やらインターハイやらを誘致して、麓の旅館と連携して、大会運営で地道に借金を返しております。

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  2. 拙ブログにお越しくださり、コメントをありがとうございます。
    つい最近も、全国中学校スキー大会のアルペン・クロスカントリー会場になりました。
    (この大会は、須原スキー場の記事で紹介しました。)
    北海道に住んでいたので、ウインタースポーツのニュースは新聞やテレビでもおなじみで、このスキー場で開かれた学生競技大会が、よく紹介されていました。
    なので、東京へ就職してからスキー行脚をするようになって、このゲレンデもようやく滑られたという感じでたずねました。
    今になって思い返しますが、バブル景気の爪あとは、実に地方に深い傷を残したということです。

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