2016年12月29日木曜日

やっぱ、シーズンインの不安定なゲレンデコンデションに気をする必要がここにはありません - 奥只見丸山スキー場(新潟県)

平成28年12月26日滑走

クリスマス25日から出かけたスキー旅行ですが、天候が思わしくありません。
初日から雨模様で、雪の降る気配など全くないのが、少し寂しい行きもします。

ネットでゲレンデ情報を調べても、雪が溶け出してきて積雪量が減り気味です。
30センチと言っても、それだけ深さが全体的にあるかどうかは、分からない。

加えて、一部滑走可の条件付けだけになると、ゲレンデの条件は厳しいはず。
この時期、奥只見丸山は積雪が1メーター超えなので、ここしかないでしょう。

それに、魚沼市の大湯温泉「湯本ホテル」に宿泊したので、アクセスが抜群。
本当は、ここを予約したのも、格安温泉ホテルの伊東園グループだからなのだ。

カニ食べ放題で一泊八千円ちょっとは、お値打ち過ぎる料金で温泉も最高です。
開湯一千三百年でもありますし、奈良時代に発見された古ーい温泉なのが凄い。

ただ、これほど歴史のある温泉も、全国各地にあるので有り難みが薄れてしまう。
特に加賀の山代温泉、鶴岡の湯田川温泉は、文人墨客に愛されたので有名とか。

比較すれば、山奥の閑静な温泉ですが、背景には雪の越後駒ヶ岳も見えて美しい。
非常に山容の秀麗な山塊で、この山の姿は大湯温泉スキー場からも見られます。

越後駒ヶ岳

ただ、今回の旅行ではオープン前になっていて、暖冬で雪が少ないのも分かります。
それで、奥只見丸山は、温泉街から少し魚沼側に戻ってシルバーラインに入ります。

延々十キロ以上のトンネルを走り抜ければ、すぐにスキー場の駐車場に到着です。
やっとだと思う程、トンネルが長さを感じさせてくれますが、そこは白銀の別世界。

第一リフトからゲレンデコンデションは上々でしたが、お気入りは第三リフトなのだ。
索道距離342メーターながら、標高も高く雪質がよいので、徹底的な滑り込みです。

斜面も適度に緩めで、圧雪車が入ってゲレンデを整備してくれており滑りやすい。
リフトに乗っているときに体を休める程度で、着いたら一気に滑り降りる反復滑走。

ゲレンデでスキー講習も見かけましたが、滑りもせずに人の話を聞くのはどうかな。
技能検定とか取得したい人は、茶道や華道の師範みたくお話を聞くの大事でしょう。

そうやって、反抗的な態度も見せず、イエスマンよろしく黙々と受講するのだ。
でも、滑っていればハッピーみたいな自分には、非常に無意味だと思うんだなー。

ゲレンデマップ
クリックで拡大できます

まあ、三時間もあれば、一日券の元が取れてしまうほど、密度の濃い滑走ですわ。
そして、還暦まであと二三年の自分として、体力は大丈夫だと自信も付きました。

というわけで、一月中旬の閉鎖前のスキー場を滑ることが出来て、楽しかったです。
従来は、3月中旬以降の春スキーシーズンで滑ってきたので、第一リフト沿いの斜面は雪が完全に溶けてしまって、リフトも単なる登行兼下山用でしかなかったのですが、今回はちゃんとトップから麓まで滑ることができたということでけでも、自分史的に重大な経験になったと言うことなのでした。


おまけ:
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今シーズンのパンフだよ


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2016年12月26日月曜日

今シーズンのスキー旅行を始めるけど、雪がぜんぜん降っていないので寄り道トリップになりそう - 新潟県のスキー場

昨年末、12月28日の上越国際

今年もスキーシーズンに突入してから、雪不足の日々が続いております。
なのに、関東では54年ぶりの初雪が、11月末に降って期待は膨らみました。

ところが、昨年と同じように寒波が早く来すぎたのか、寒さは中だるみなのだ。
例年ですと、クリスマス寒波が来て、スキー場も正月休暇の書入れ時に突入。

寒波は来るには来ましたけど、その前二三日が十一月中旬並みの暖かさです。
それまでに積もった雪も融けてしまい、ゲレンデを一時休止せざるを得なくなる。

そんなスキー場がちらほら出現した中、救いの寒波でしたが気温が下がりません。
雪もそんなには積もらなかったようで、全面滑走には程遠いコンデションばかり。

写真は、昨年末にやっと雪が積もって滑られるようになった上越国際でした。
当間コースのベースから撮影しましたが、ピー間照りの中を気持ちよく滑りました。

それで、今回もほぼ似たような旅程で、新潟県までスキー滑走行脚にでかけます。
ちょっと奮発して四泊五日、この原稿がアップされる頃には、南魚沼の大湯温泉。

温泉自体にスキー場もありますが、ここなら奥只見丸山スキー場のベースです。
まだ、積雪が一メーターを超えた程度なので、今年はやっぱり暖かいのかなー。

ここから湯沢へ行ったりしながら、六日町温泉で一泊して、後は上越市へ移動。
湯沢周辺のスキー場にしても、滑られそうなゲレンデを見つけるしかないようです。

それに、コンデションも悪そうで、まだ滑っていない湯沢パークなんか雪が無いよ。
ここが第一目標だったし、長岡市民スキー場も行ってみたいのだが、年内は無理。

後はちんたら、日帰り温泉に漬かってのんびりしながら旅をするしかないでしょう。
長岡まで、青春18ならぬ青春ほぼ還暦切符で、鈍行列車の旅から先ずスタート。

ここから、ネットの予約が簡単な冬タイヤ仕様のオリックスレンタカーを拝借します。
コンパクトカーで、五日間の使用料が三万円ですから、コスパ最高で申し分なし。

だから、自家用車を持つの止めちゃったくらいで、旅先で車をいつも借りるのです。
こうすれば、自宅から運転して疲れるような自動車旅行ともおさらばで、気楽々々。

後は、宿泊先ですが、温泉宿が二泊で、後はビジネスホテルで泊まる予定です。
ところで、上越のホテルにしたのも、軍ちゃんという、和食居酒屋が目標だから。

食べログはこちらから

ここの地魚が新鮮で舌鼓を打つには、最高のお店でして、赤倉なんか泊まらない。
直江津が本店みたいですが、スキー場までのアクセスを考えて、ここにしました。

まあ、ここからだったらシーズンインの長い関温泉スキー場までは、目と鼻の先。
赤倉もあるし、杉の原もあるし、高速を飛ばして志賀高原まで遠征も視野の範囲。

ただ、レンタカーは返却しなきゃいけないので、燕三条のアパホテルまで戻ります。
ここもお楽しみがあって、千二百円で食べ放題バイキングのレストランがあるのだ。

お店は、神戸クック・ワールドビュッフェと言って、ステーキ、寿司と何でもござれ。
より取り見取りで食べて楽しんだ、最終夜の仕上げということにいたしましょうか。

というわけで、29日の夜には、横浜の自宅へ無事ご帰還ということになりそうです。
この他、スキー以外にしても、長岡にある新潟県立近代美術館では、「良寛と巻菱湖 越後が生んだ幕末の二人の書人」展が開催中なんだそうで、能書家でもあった良寛和尚の書を鑑賞するのも良しでしょうし、ご先祖さまが蝦夷地へ移住してしまっても、本家が住まいする、ここ郷土、新潟の文物、味覚を堪能しようとする、自分がいるのでありました。



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2016年12月23日金曜日

文字や言葉のかわりに一目でわかるように抽象化されたのが、東京オリンピックからなんだ - ピクトグラム(そのほか)

東京オリンピックのピクトグラム

ピクトグラムは、言葉や文字の代わりに、見ただけで分かるデザインのアイコンです。
絵文字、絵単語になりますが、非常口を示すサインのイラストで、おなじみのもの。

言語の壁を越えて、ある程度の常識を分かち合えれば、その意味を理解できます。
特に、たくさんの国や地域から人が集まる特別な場所は、非常に役立つはずです。

その典型的なイベントは、スポーツの分野なら、オリンピックが代表格になるんだな。
昭和34年の東京オリンピックは、欧米以外の地域で、初めての開催になりました。

コミュニケーションも日本語になり、アルファベット圏以外の国では初めてなのです。
欧米は、言語こそ各国で違うものの、書き言葉はアルファベットの表音文字なんだ。

しかも、各国の言語は互いに影響しあったりして、借用語もあったり似通っています。
意思の疎通を図ろうと思えば出来なくもないはずで、何とかなったのが実態でしょう。

一方、日本語は、漢字やらひらがななど、表意・表音文字が複雑に絡み合います。
これに、ローマ字も加わりますが、あくまでも日本語を表現する発音だけなのです。

他方、発音はあいうなどの母音を中心に構成されて、話すのに難しくはありません。
でも、文章構文が欧米の言語と全く異なりますし、単語自体が未知との遭遇です。

このため、日本語が通じない選手や観光客向けに、一目で意味を分かってもらおう。
当時、ほとんどの日本人は英語が不得手だったはずで、こうなったら絵文字で勝負。

つまり、文字の文章で表現する代わりに、視覚的な図案で表現することにしました。
まあ、言語に制約されなくても、内容の伝達を直感的に行うのが、目的なのです。

それこそが、コミュニケーションの壁を越えて、当時の日本人と外国人を取り持つ。
こうして、競技種目は、体のシルエットをデザインしたピクトグラムが採用されました。

実を言うと、これがオリンピック史上で初の採用になったのですが、これぞ日本です。
以降、大会エンブレムと同様に、開催国を象徴するピクトグラムが使われています。

札幌オリンピックのピクトグラム
今見ても、感動するポスターのデザイン

一方、自分が開催の年に住んでいた、札幌での冬季オリンピックも傑作でしょう。
表現したい概念を、単純な絵として表現する技法に、徹底的にこだわっています。

どれをみても、ウインタースポーツの特徴をシンプルに、表現して分かりやすい。
特に、バイアスロン競技は、距離スキーを履いたまま、射撃する姿勢が秀逸です。

ところで、日本には家紋も存在していて、今日まで息づいている固有の文化です。
古くより出自といった自らの家系、家柄、地位を表すために、用いられてきました。

紋所(もんどころ)や紋とも呼ばれますが、二万近くの家紋が確認されているそう。
日本人は、昔から意味や目的を、絵柄に象徴化する創意の才があるのでしょう。

国旗の”日の丸”の絵柄でも、平安時代の扇子に、既に描かれているといいます。
つまり、日本は象徴化のピクトグラムの世界でも、先進国であり続けたというわけ。

他方、日本人は、表意文字の漢字も使い続けてきたので、形で意味を見ますね。
漫画、劇画、アニメだって、日本人のお得意とする具象化は、世界をリードします。

これが、オタク文化の輸出につながり、コスプレだって自己表現のピクトグラムかな。
しかも、非常口マークの走り出すピクトさんも、ISOのお墨付きになっていました。

   
国際標準化機構ですから、世界標準なので、色々な国の公共施設で見かけます。
というわけで、外国のスキーヤーが増えている日本のゲレンデも、安全は重要です。

このために、黄色い三角形の安全に関わるピクトグラムをスロープで、よく見かけるのですが、これについては、次回の投稿に譲るとして、識字率の低いインドなんか、国政選挙の投票権まで、政党別にアイコンで分かるように識別されているなんて、世界のあらゆるところで、ピクトグラムは活躍しているというところなのでした。


おまけ:ゲレンデの安全標識だよ!



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2016年12月19日月曜日

滑走した年の九月には妖精美術館もオープンしていたから、改名もありってことかな - 会津金山スキー場(福島県金山町)

平成5年12月30日滑走

前日、野宿の良い場所が見つからず、越後川口駅の駐車場に車を停めました。
当時、この只見川沿いに道の駅がなくて、トイレ付きの駐車場が見つかりません。

駅だからあると思ったら、そこも見つからず、夜も遅かったので仕方なくて泊りました。
そして、周辺に住民用の日帰り温泉があると聞いていたのですが、見つからない。

防寒対策のためスキーウエアで着膨れしているせか、滑っていると汗もかくのですよ。
下着も替えたいところだし、お風呂に入ってさっぱりとしたいと思うのも、当然でしょう。

暗くなって車を走らせますが、途方に暮れていた中、ふと通り過ぎて気が付きました。
あれ、この平屋の建物って、住民の共同浴場っぽくないのかなーって思ったのです。

それで、車をバックさせて様子をううかがっていたら、人が入っていくのが分かりました。
これは、そうかもしれないと思って、自分も車から出て歩いて意、開き戸を開けます。

すみませんと少し大声を出して見渡すと、一目瞭然、脱衣所なのが分かりました。
そして、風呂に入ってもかまいませんかと聞いたら、中の人は構わないというのでした。

解体されて更地でした

やったーと思って入ったら、二十歳前後の若い男性が二人で入浴していました。
正月休みの帰省で実家へ戻ってきており、同級生と一緒になったと話してくれます。

いやはや、ラッキーと思いつつ、川向こうも温泉宿で温泉が湧いていると聞きました。
当時、この共同浴場の名前すら知らないで入らせてもらったので、痛く感謝ですよ。

その後、帰宅してネットで調べたら橋立温泉と分かりましたが、今はもうありません。
かなり前に撤去されてしまったようで、その場所は跡形も無くなっているようなのです。

とても、懐かしい思い出だったのですが、川向こうの温泉宿も休止中と分かりました。
施設も古く、くたびれてきた上に、湯治場への旅行者も少なくなってからでしょうか。

こういった、ひなびた温泉地が無くなってしまうのは、とても残念なことだと思います。
それでも、周辺にはまだまだ共同浴場が残っているようで、うれしい気もします。

クリックで拡大してご覧下さい
現在、索道距離が長くなりました

さて、翌朝、次なるゲレンデ、金山スキー場へ向かったのですが、遠くはありません。
到着しますと、リフト運行が始まるまで小半時も残しており、時間を持て余しました。

用足しなど時間をつぶして、いまかいまかと待っていたら、リフト券売場が開きます。
それから、リフトが動き出しましたが、シングルリフト三本のかわいいゲレンデでした。

索道距離も三百メーターあるかないかで、乗ったと思ったらすぐに降リ場に到着です。
スロープも、初級者から上級者まで、それなりに滑られるようにあつらえてあります。

まあ、伝統のあるスキー場だと、ゲレンデガイドブックに書かれたことだけはあるかな。
というわけで、滑りに出かけるにはかなりの遠征でしたが、良い思い出になりました。

この後、昭和村営スキー場も滑りではしごしたのですが、ここは既に閉鎖されてなくなってしまっていますので、フェアリーランド金山とかわいらしく改名した効果があるのかどうかは分からないにしても、昨今のスキー客減少の中で、がんばってサバイバルしてもらいたいと切望する自分がいるのでした。


おまけ:
昭和村営スキー場のアップネタはこちらから;

金山町には、妖精美術館があるので、フェアリーランドって改名したのかな?


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2016年12月16日金曜日

産卵のために遡上する魚も、鮭とは限らずにチョウザメなのが、この偉大なる北海道なのである - チョウザメ記念館・美深温泉(北海道・美深町)

   
大学の卒業までは札幌市民でしたので、カムバックサーモン運動をよく覚えています。
市街には、南北に貫くように豊平川が流れていて、終端で石狩川に合流しました。

この石狩川は、鮭が遡上すると河として有名でしたが、豊平川は支流だったのです。
ただ、札幌の都市化が激しくて環境汚染も著しく進んだため、鮭も遡上できません。

もちろん、夕張炭坑の選炭による洗浄汚水を、石狩川に垂れ流したせいもあります。
川の水がどす黒くて、子供心に、こんな子汚い川に戻ってくるのかと、思っていました。

つまり、北海道は大自然がまだ残っていると思うのが誤りで、環境破壊は進みました。
なので、札幌市民も遅ればせながら、鮭にかこつけて運動が始まったと言うわけです。

当時、酒造会社がスポンサーになって、タイトル入りの焼酎まで発売されていました。
テレビCMもあって、俳優で活躍中の石原良純さんが出演していたのを覚えています。

学生でしたから、友達と酌み交わす時には、この手ごろなお酒にお世話になりました。
今もユーチューブで検索するとコマーシャルが見られますが、相手は秋吉久美子です。

まあ、この焼酎ブランドが「純」だったので、引っ掛けで良純さんを起用したのでしょう。
一方、テニスをしている女性のスコートが、動きでめくれてパンツが見えてしまいます。

それをグラス片手ににやにやする良純さんなのですが、想定はカップルなのでした。
正式は、パンツではなくアンダースコートなのですが、昔の公序良俗は結構エロイな。

お色気モノですが、今なら、放送したくても良識ある視聴者が、黙っていないでしょう。
一方、放流された鮭の稚魚も、二十二万匹まで増えて、三十年以上になりました。

こうして、例年、鮭はカムバックするようになり、千匹以上の遡上が確認されています。
でも、人工孵化の稚魚を放流したとしても、産卵できる河川が改善したのかどうか。

秋になって、産卵しようと豊平川を遡上しても、産卵場所をうろうろ探す鮭が現れる。
そんな新聞記事を見かけるようになりましたが、河川の美化も大切だということです。

こうして、水質もさることながら、河川そのものの状態がはるかに改善されてきました。
その結果、自然に回帰する天然ものの鮭が増えてきたでのあれば、嬉しい限りです。

そうであれば、放流するより、野生魚によるライフサイクルを確立したほうが適当かも。
自然の摂理にかなっているというべきで、そうでなければ、逆に悪影響になるでしょう。

だから、人工孵化による稚魚の放流を、昨年から六割以上も削減し始めたのです。
ある意味、運動の消滅を喜ばなくてはいけないのでしょうが、これも一つの節目だな。

ところで、産卵のために河川を遡上する魚は、別に鮭とは限らないのが北海道です。
例えば、チョウザメなんかもそうで、ただ、北海道の種類はキャビアをはらみません。

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チョウザメ飼育の歴史は古い

有名なカスピ海産とは異なり、ダウリアチョウザメとミカドチョウザメの二種類です。
かつては、石狩川、天塩川、十勝川等で、悠然と泳ぎ生息していたということです。

もちろん、漁獲されて、札幌の庶民の台所、二条市場でも売られていたといいます。
この他、天塩川の流域ではアイヌの人が食べていましたが、とても美味なんだとか。

漢字で魚へんに皇の字を当てますが、中国では皇帝に献上された由来からです。
そのいわれから漢字が作られたようですが、おいしくなければ献上されませんよね。

ヨーロッパでも、昔は、戴冠式や王族の宴席でチョウザメ料理がふるまわれました。
ロイヤル・フイッシュと呼びならわして珍重されたほど、キャビアより大切だったのだ。

それで、北海道に生息していたミカドチョウザメは、どうも絶滅してしまったようです。
これも、経済開発による河川改修やら、水質悪化の環境汚染などが原因らしい。

一方、天塩川でこのチョウザメが奇跡的に捕獲されたニュースが、記事になりました。
これも、カムバックサーモンのように、川の環境が改善されたから戻れたのでしょうか。

そう言えば、天塩川の流れる道北の美深町に、チョウザメ館という施設があるのです。
かつて、この町では、水産庁の肝いりで積雪寒冷地でのチョウザメ飼育を始めました。

場所は、天塩川が残した河跡湖の三日月湖で、記念館の近くで放流されています。
ただ、この河川に生息していた種類ではなく、ベステル種というハイブリッドなのです。

異なる種類を掛け合わせた人工的な種ですが、もちろんキャビア採取が目的です。
それに、繁殖力も強く環境に対応できることから、事業化にうってつけだったようです。

こうして、事業化を目指し、この種で養殖を始める人々が全国に増えていきました。
既に出荷も始まって、地域起こしブランドとして有名になったのは、先ず宮崎県です。

宮崎チョウザメ、宮崎キャビアと単刀直入のネーミングでも、立派な宮崎ブランドだな。
こうして、事業化の軌道に乗せた地域もある一方、天然遡上の美深町はどうなんだ。

実は、チョウザメはキャビアが採卵できるのに8~10年も掛かり、成長が遅いのです。
こうなると、北海道の美深町は寒冷地ですから、飼育上、気を使うこともあるでしょう。

一方、宮崎県は九州で温暖場所で、ベステル種と違うシロチョウザメを飼育しました。
チョウザメも種類では温帯に生息する種類もあって、そちらが扱いやすいのでしょうか。

となれば、内地で養殖する方が成功するかも知れず、だったら美深町はどうしましょう。
でも、そこで事業に取り組むスタッフ達の大いなる野望こそ、生態系の回復なのです。

つまり、天塩川にまたチョウザメが棲息してくれるようになるのが、野望なんだそうです。
いつか、天塩川に体長一メートル超えのチョウザメが、悠然と泳いでいる姿を見たい。

こんな野望なら、カムバックサーモンより、カムバック・チョウザメでウエルカムですね。
というわけで、北海道の自然環境回帰に、このチョウザメも一役買ってもらいたいのだ。

この夏、美深町では、びふか温泉に立ち寄って湯に浸かってまいりましたが、休憩する広間には、大きな水槽の中に一匹だけチョウザメが泳ぎまわっているのを見かけたりして、ああ、ここはチョウザメの飼育で有名になった町なんだと、改めて思い出す中、道産子の自分としては、南国宮崎より本来の生息地を強く応援したい気持ちになったのでした。


おまけ:
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お土産でチョウザメクッキーはいかが


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2016年12月13日火曜日

長きにわたってご愛顧頂きまして誠にありがとうございましたって、サイトで読んだら少し悲しくなってしまった - 柳津温泉スキー場 (福島県柳津町)

平成5年12月29日滑走

あの頃も、年末の休みに突入すると、必ずゲレンデ行脚の旅に飛び出しました。
新年の初出勤まで、一週間ぐらい長い休みになるので、滑りだめをするのです。

二三日前から旅の荷造りなんかしまして、当日は真夜中にごそごそ起き出します。
眠い目をこすりながら、ひたすら新四号の国道になる下道を運転する一人旅です。

ここは、トラックの大型車が良く使う道路で、新利根大橋も無料開放の前でした。
延々と走って、途中、お得な24時間営業のフリートSSに立ち寄って給油もします。

今、思い出すと、高速料金をケチってみたり、体力に任せて運転していたものです。
それでも、スキーの滑走ができるという、楽しみのほうが勝っていたということでしょう。

その前年も、お正月は福島県内のゲレンデを滑りましたが、上越方面より遠隔地。
時間がかかるので、そこまで出かけたら、少なくとも三日は宿泊しないともったいない。

そうなると、長い休みといえば正月しかなくて、先ず、おおすごスキー場からスタート。
このゲレンデは、すでに投稿をアップしましたが、次に、柳津温泉を目指しました。

なぜかって、ここには、敷設された策道のコースが途中で右に折れるリフトがあります。
しかも、椅子式ではなく、策道がJ字形状のバーが降りている風変わりな格好です。

国土地理院の地図で分かるよ
クリックすると拡大します
ゲレンデ案内も紹介が小さいこと

バーの先端には円盤があり、股にはさんで板は滑らせて、引っ張り上げてもらうのだ。
だから、これに乗るためには、スキー滑走の初歩的な技能が必須になる分けです。

そして、円盤にはワイヤーにスプリングがついているので、滑走の状況で伸縮します。
でも、中間駅からは六十度ぐらいに屈曲するので、登りながらカーブせねばならない。

これができそうも無い人は、中間駅で降りてしまえばよいのですが、ちょっと残念かな。
ただ、中間駅~山頂駅の距離が短いので、子供達は途中で降りて滑っていました。

自分は、この屈曲リフトの構造がとても変わっていたので、見学がてら登りきります。
それで、このリフトについては、策道観察日記さんのブログでも、紹介しておりました。

まあ、スキーリフトに乗るのがの好きな御仁は、屈曲タイプは試乗せねばなりません。
そういうわけで、自分もチャレンジしましたが、Jバーリフトに変わりはありませんでした。

ただ、当時でもJバー自体が日本には少なくて、体験できること自体が貴重でした。
加えて、独特なのは、ゲレンデへ上がるのに、登はんリフトに乗らなければなりません。

グーグルマップで発見!
リフト券裏面
川向こうの町並みがシルエット

先ず、リフト券を買ったら、単座のシングルリフトにスキーを抱きかかえて乗るのです。
駐車場の付近は、標高も低いので暖かいせいか、殆ど雪が無くて融けていました。

ゲレンデの崖下には、只見川がゆったりと流れていましたが、これに県道が沿います。
ここ柳津温泉は、ひなびた湯治場の趣もあって、橋を渡った対岸が町並みなのだ。

その一角には名刹円蔵寺もあって、日本三虚空蔵の一つに数えられていました。
リフト券の裏面にも、お寺のシルエットが象徴的に浮かび上がっていたのが面白い。

やっぱり、おらが町の名所でして、昔から温泉宿場で寺社町だったということでしょう。
もっとも、最初の開湯は、隣接する西山温泉で、万病に効くから神の湯なんだとか。

というわけで、ここの日帰り湯にも入らずに素通りしてしまったのが、今になって残念。
どうしてだったのか、理由は今もって分かりませんが、暗くなっていたこともあり、車の中で野宿をする場所を探そうとして焦っていたのかも知れず、もう少しひなびた温泉場の町並みを観光しておいても良かったかなと、廃止されたこのゲレンデを懐かしむ自分がいるのでした。


おまけ:
円蔵寺は高僧徳一上人の開基ですが、関わりのあるスキー場、猫魔も読んでみてね!
  
化け猫が住み着いていたお山だから、ねこまんまが普通でしょ - 裏磐梯猫魔スキー場 (その一) (福島県)

会津はゲレンデ巡りもいいけど、古寺巡礼が似合うね - 裏磐梯猫魔スキー場 (その二)(福島県)

スキーがてら、会津六詣出に挑戦してみても良いかも。


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2016年12月10日土曜日

戸塚三大迷瀑と実方塚をめぐる、ちょっとした小旅行はいかが - 実方塚・紅葉滝ほか(横浜市戸塚区)

紅葉滝、住宅開発でリニューアル

以前、里山の風景が残されている舞岡公園と横濱アイス工房を紹介しました。
それで、この紹介だと、少し物足りない気もしまして、今回は三大迷瀑なのです。

これに、小倉百人一首にも選ばれている藤原実方の墓らしい塚も訪ねてみました。
戸塚区役所のHPでも、名瀑の一部とこの塚が、ちゃんと紹介されておりますな。

先ず、紅葉滝、清の滝、まさかりが淵の滝ですが、山間でもないのに存在します。
そして、実方塚は、この紅葉滝と横濱アイス工房、舞岡公園がセットになります。

なので、ハイキングがてらたずねて、プラプラ歩き回るのも乙ではないでしょうか。
そして、以前紹介したアイス工房の牛乳を納める小野ファームも隣接しております。

先の投稿では、舞岡公園を主とした地図だったので、場所を収録できませんでした。
それに、実方塚は、車道からちょっと小道に分け入って行くような、里山の中です。

実方さん一族の墓地に塚も立てられていますし、一家の所有地でもあるのでしょう。
これまで、あまり塚のありかが詳しく紹介されなかったのも、このせいだと思いました。

道路開発で現在地へ移設せざるを得なかったのに、新しく石の道標も付きました。
だから、この実方塚は一族の名誉でしょうから、新しいマップで紹介するとしましょう。
   
 小倉百人一首 第五十一番 藤原実方 朝臣
  かくとだに えやはいぶきの さしも草
  さしも知らじな 燃(もゆ)る思ひを
   
実方塚
グーグルドライブはこちらから
拡大してご覧ください

ポイントも赤丸印で付けておきましたし、簡単に位置関係が分かるものと思います。
特に、アイス工房そばの階段を下りると紅葉滝があり、お不動さんも祀られています。

ただ、近隣の住宅開発で、滝自体が人工的に作りかえられてしまったのが、残念。
それでも、デベロッパーの配慮から、滝の風情が残されたのが心温まるお話でしょう。

休憩できるベンチもあって、晩秋ともなれば、紅葉もちゃんと赤く染まってくれます。
そして、ここから実方塚までは目と鼻の先なので、どちらも訪ねて歩けるのです。

次に、三大迷瀑と謳ったのだから、堤の滝とまさかりが淵も紹介せねばなりますまい。
堤の滝は、関東大震災の地震で滝のあった崖が崩壊してしまい、今はありません。

今でも清水はチョロチョロ流れているのですが、滝と呼べるほどの水量が無いのです。
鬱蒼とした森林の中に、東屋にベンチがある程度ですが、側に山道が付いています。

標高差で二十メーター以上もある階段状の歩道ですが、小学生も使っていました。
生活路と思いましたが、ここが滝だと思わせるのは、案内板だけしかありません。
     
    
もし、物好きで行くのなら、季節は春が一番で、柏尾川の桜並木を歩きましょうか。
戸塚駅からちんたら歩いて、金井公園・高校を通り越していけば、間もなくですわ。

一方、戸塚は区域が広く、最後のまさかりが淵は最寄の駅がなくて、遠方なのです。
もし行くのなら、戸塚バスセンターから国道一号線の原宿方面へ行くバスでしょうか。

堤の滝から改めて目指す方法もありますが、行き帰りはバスが無難かもしれません。
吹上と言うバス停から、そこそこ歩いてたどり着きますが、一帯は市民の森です。

よく森林が残されていて、季節になれば梅も桜も咲いてくれて、散策が楽しいです。
それで、この山林から急な崖を下ると、川が流れていて幅広な小滝に出会えます。

これが川の淵をなしていて、故にまさかりが淵と名づけられましたが、民話も残ります。
この筋書ですが、前半はイソップ童話の”金の斧、銀の斧”とも相通じるものがある。
    
   
ただ、ストーリーの後半部は、浦島太郎の伝説を合体させたような、奇妙な結末。
主人公は、女神から斧を返してもらう代わりに、このことは誰にも話さないと約束する。

ところが、三日後に帰宅すると三年も年月が経っており、家族は嘆き悲しんでいた。
しかも、法要の最中にひょっこり帰って来たので驚かれ、逆に理由を問い詰められる。

已むを止まれず、これまでの事情をしゃべってしまい、主人公は約束を破ってしまった。
その結果、亡くなってしまったと因果応報を説くのですが、まるでごった煮の世界です。

まあ、イソップ童話は、戦国時代、来日したキリシタン神父が日本に伝えたようです。
これが、日本全国に広まって行った結果、浦島太郎のような話と融合したんだろうな。

何ともみょうちくりんな民話ですが、この滝の側には主人公、彦八の墓まである始末。
言い伝えにしては出来すぎだよと思いたくなりますが、少しは興味も涌いてきましょう。

と言うわけで、実方塚から程近い小野牧場の周辺は、宅地化が進行しております。
牧場の側には下倉田八幡さまの神社もあるのですが、裏手の牛舎近くまで分譲住宅が立ち並んで来まして、次第に緑が減ってきているのを残念に思いつつ、せっかく戸塚ブランドの称号までもらった横濱アイス工房なんだから、あの牛舎も永遠なれと、思わずにはいられないのでした。


おまけ:ハイキングコース(戸塚駅~まさかりが淵)
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春が来たら歩きましょう

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