2016年12月1日木曜日

スキー場がオープンしようがしまいが、良好なゲレンデコンデションまではお預けだよーん - カストロ逝去(社会主義国キューバ)

サンタクララにあるチェ・ゲバラ霊廟

今年は、初滑りで名前の上がるスキー場も順調にオープンしている今日この頃。
でも、全然、スキー場の記事を書かないじゃないのよって、言われるかもしれません。

確かにブログランキングもスキースノボー絡みのジャンルですが、ネタが季節の話題。
例えば、真夏のクソ暑い季節に無理に書こうとしても、トレイニングが関の山です。

大抵のブロガーは、オフシーズンになれば、それ以外の趣味で書き連ねたりします。
特に、スポーツ関連のネタが多いですが、中には酒好きの人もいたりして、面白い。

他にも、”半農・半漁・時々ボーダー”ブログさんは、身の回りの生活日記みたい。
そんなブロガーさんに加えて、ランキング上位のお歴々は、スキースノボ命で更新。

でも、どう読んでも、仕事柄、その方面で生計を立てていそうな雰囲気の人ばかり。
ブログを飯の種にしているねーと思いつつ、こちらは好きなことだけを書くスタイル。

中には、スキー場のビジネス相関図まで持ち出され、典型的ムラ社会の描写だよ。
最後には、みかじめ料って表現まで発見して、レジャーの割りに薄気味悪さも残る。

江戸時代風にトレースしてみた

まあ、朱に交われば赤くなるで、そういうコミュニティーもまた楽しからずやと思います。
ところで、興味の赴くまま書くことにして、目下の話題はカストロさんが亡くなったこと。

このランキングだと門外漢の人ばかりでしょうが、キューバの指導者だった人ですわ。
御歳、九十歳、長寿を全うしたとは言え、ホッとして亡くなったと言うのが本音かな。

だって、半世紀にわたって敵対したアメリカと、最近、歴史的和解を果たしたからね。
社会主義の国だし、これで、攻め込まれることもなくなったと、思ったんじゃないのか。

このカリブ海に浮かぶ島国は、アメリカのお膝元にあって、影響力は計り知れない。
なのに、カストロさんは、アメリカと癒着していたバチスタ独裁政権を倒してしまった。

一方、有力紙ニューヨークタイムズは、反体制勢力を報道面から支援していました。
だけど、カストロさん、投獄されたりメキシコに亡命したりと、艱難辛苦の連続です。

それでも、捲土重来でキューバに再上陸できたものの、政権側に掃討される始末。
西の果てまで追い込まれてしまった中、このニューヨークタイムズが取材致しました。

そして、たった十人だけのゲリラ部隊も、写真の撮影法で五十人に見せかけます。
元々、カストロは命を落としたと思われていたのですが、大逆転の報道になりました。

カストロの立てこもった山の記念碑
ヘミングウェイの愛したラ・ボデギータ・デル・メディオ

こうして、カストロは国内で勢力の回復にも成功し、革命の勝利を手中にします。
時は西暦1959年、諜報機関のCIAですら、当初、カストロを支援していました。

なのに、後になって敵対したたのも、自分の縄張りに社会主義国を樹立したから。
単純な話ですが、当時のキューバは貧富の差も激しく、社会主義化は自明の理。

こうして、怒り狂ったアメリカは、ピッグス湾侵攻事件を仕掛けるものの失敗します。
この怒りが収まらなかったのでしょうか、以降、経済封鎖を続けに続けてきました。

まるで、世界のジャイアンともいうべきアメリカですが、国連ですら呆れる始末です。
最終的に、この封鎖を賛成する国がアメリカとポチのイスラエルだけになってしまった。

なので、アメリカも諦めたみたいで、経済封鎖も解かれ、昨年には国交回復です。
これを例えて、キューバの雪解けと言うそうですが、雪も降らない国なのに面白いわ。

さて、閑話休題、小生、実は仕事でこの国へ二度ほど、出張したことがあります。
日本から直行便が無いぐらいに、はるか西方のカリブ海に浮かぶ遠い国でしたわ。

ガソリンスタンドで休憩

成田からロスまで夜行便、次にメキシコシティーまで飛んで一泊しないといけない。
翌朝にやっとこさ、ハバナ入りしたら、なんと午後になっていたという遠距離出張です。

しかも、歴史的な雪解けの十年以上も前のことで、アメリカ製品が見当たりません。
革命以降、アメ車の輸入も止まったまま、ビンテージカーばかりが走りまくっています。

時々、ロシア製のラーダが走り抜けるので、やはり共産圏の国なんだと悟りました。
それで、日本製の製品はどれを取っても耐久性が高いと、すごく人気がありました。

勤め先の取り扱う製品も、経済封鎖の対象外になっていて、全国に散らばります。
このため、仕様先のフィールド調査で、国内横断でドライブする羽目に陥りました。
   
世界遺産カマグエイにあるブロンズ像通りにて
時差ぼけもひどいし、一日で数百キロも駆け抜けて、過酷なんてもんじゃないない。
でも、キューバ国内の雰囲気を味わえただけでも、良い思い出にはなりましたなー。

と言うわけで、人々は、アメリカに負けても復興を遂げた日本を尊敬していました。
資源に乏しいのにもかかわらず、あるといえば勤勉な国民の人的資源だけが頼りと言う我が日本国を、キューバのあるべき将来になぞらえていたのかも知れず、その結果、識字率が99.8%にも達したと言うのは驚きでもあり、将来の有望なる経済発展を今でも願ってやまない自分が、居るのでした。


おまけ:
ブロンズ像は、キューバを代表する女性彫刻家、Martha Jiméneが製作したものです。


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ




   

0 件のコメント:

コメントを投稿