昭和62年12月28日滑走 |
子供の頃から、北の峯と呼んできました。
富良野に変わったのは、昭和51年です。
ところが、コースは支笏湖に近い恵庭岳に設けられました。
このオリンピックのためだけなんです。
しかも、この一回きりで終了後には現状復元されました。
場所が国立公園内のため、環境保護が優先なのです。
これに比べて、長野オリンピックは開催地がかなり広域でした。
札幌という地理的な開催地にこだわったということでしょうか。
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そんな、肩透かしを食らった北の峯ですがやりました。
その後、ワールドカップアルペン選手権を十度開催しています。
リフトも無い時代から、ダウンヒルのメッカだったのです。
そんなゲレンデゆえ、北海道のスキーヤーにも憧れでした
それで、このゲレンデの思い出なんです。
誰だろうと、ワールドカップコースへでスイスイあがれてしまう。
滑られるかどうかは、まったく関係ありません。
ゴンドラで一挙に上がれば、そこがコースのスタート。
いざ滑り出そうとしても、初心者はその斜度で怖気づきます。
しかも、ゲレンデの幅が狭くて混雑し始めてしまう。
そこを何とか抜け出せば、後は一気に降りるだけです。
シンプルだが、滑りが好きな人にはこたえられません。
でも、本州からのスキーヤーにはハードルが高いでしょう。
ゴンドラを降りてチンタラ滑るゲレンデがないのですから。
というわけで、 こんな初中級者を相手にしないレイアウトもありません。
その分、滑り込みたい滑走ジャンキーには申し分ない。
そんな、富良野スキー場の滑走体験なのでした。
おまけ:
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