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若いころ、年末年始の休みに、北海道をスキー旅行で歩き回っていました。
実家は札幌だったので、帰省して親と新年を過ごす目的もあったのです。
ただ、親といっても父親だけで、男二人の正月というのは味気ないものです。
母親は、自分が高校の時にこの世を去っていて、父親は一人暮らしでした。
正月のおせち料理にせよ、家に着いても自分が買出しに出かける始末です。
料理にまったく無頓着で、父は自炊していたはずですが、外食だったのか。
帰省しても、自分が正月の支度をする羽目になり、自然と足が遠のくもの。
こうして、自宅には帰らずに、そのまま北海道をうろつく結果になりました。
父親には悪いとは思いましたが、帰省しても歓迎される雰囲気もないのです。
実に味気ないもので、母親が生きていてくれたら違っていたかもしれません。
そんな境遇の独身時代に、塩狩温泉で大晦日を過ごした年が、ありました。
おそらく三十代になっていたのではないかと思いますが、よくは思い出せない。
ただ、塩狩温泉のパンフレットは持ち帰っているので、間違いないでしょう。
この温泉旅館ですが、ユースホステルが併設されており、当日、宿泊しました。
当時は、まだユースに宿泊する若者でにぎわっていて、部屋は混雑しました。
確かジンギスカンが夕飯で、みんな一緒に鍋を囲んだ楽しい思い出もあります。
そして、JR塩狩駅の近くに小説家、三浦綾子の記念館が建てられていました。
彼女は、この土地にちなんだ「塩狩峠」という代表作の小説を残しています。
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そんな話がウイキペディアに紹介されていましたが、この旅館はもうありません。
今から十年ぐらい前になりますが、温泉旅館とユース共々閉鎖されたんだとか。
意外と知られていた温泉ですが、時代の波には勝てなかったのかもしれない。
開湯以来、開拓農民の疲れた体を癒してきたのでしょうが、寂しい気もします。
まあ、宿泊客にとっても、駅を降りたらすぐそばという便利さもあったはずです。
一方、ユースの泊り客も、鉄道で旅する人が大半で、私みたいに車の人は少ない。
中には、クロスカントリーのスキーをわざわざ持ち込んでいる、男性客もいました。
二人連れだったのですが、国土地理院の詳細地図を携えているほどなのです。
きっと、目印など見当たらず、降り積もった雪の原野を歩くつもりで必要だったのか。
他方、実際に自分がユースでいただいた冊子に、スキーコースも紹介されています。
冊子は、塩狩周辺ガイドというのですが、版を重ねて改定五版になっていました。
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というわけで、大晦日恒例の紅白歌合戦も始まって、みんなは雑談に興じていました。
ところが、自分ときたらスキー行脚の旅で、肉体的な疲労がたまりにたまっています。
ジンギスカンの夕飯でお腹一杯にもなっていますし、それで睡魔に打ち勝つこともできずに、つい寝入ってしまったのですが、一人用の戸袋みたいな寝室を確保しておいたせいで、おしゃべりの話し声にあまり邪魔されずに快眠できたのは、ラッキーだったなと未だに思い返せるのでした。
おまけ:
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※現在は、塩狩ヒュッテというYHが開設されております。
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