2015年7月17日金曜日

帆・ランプ・鴎ですぐ分かる人は、かなりの文学マニアだと思うよ - 月山スキー場(山形県)

 ”砲塁”

 破片は一つに寄り添はうとしてゐた。
 亀裂はまた微笑もうとしてゐた。
 砲身は起き上がつて、ふたたび砲架に坐らうとしてゐた。
 みんな儚い原形を夢みてゐた。
 ひと風ごとに、砂に埋れて行つた。
 見えない海──候鳥の閃き。

 (詩集「帆・ランプ・鴎」より)

言わずと知れた、詩人 丸山薫の代表作のひとつなんだだそうです。
高校時代、現代国語の授業で習ったのですが、さっぱり分かりませんでした。

何でも、先生によれば、この詩は、大きな時間の”循環”を表しているのだとか。
”儚い原形”を夢見ている”みんな”って、誰のことだろうか、兵士かもしれない。

タイトルが砲塁だし、砲身や砲架のような大砲に関わる言葉も使われています。
この詩が収録された詩集は、戦前の昭和七年で、5.15事件が起きました。

軍部が台頭する中、武装した青年将校たちが総理大臣官邸に乱入します。
時の内閣総理大臣 犬養毅が殺害された大事件ですが、正にクーデターです。

これから、一気に十五年戦争という暗い世相へ突入しますが、その予兆なのか。
だから、はかない夢を見て、負け戦の記憶が砂に埋れて行つたというのでしょうか。

でも、作者の詩は、印象派風の鮮明なイメージがあり、知的で清純な作風です。
昭和期の抒情詩新風として迎えられた中で、反戦的な意味だったのでしょうか。

まあ、これ以降の試作のスタイルを見ますと、そんな風には思えない分けですよ。
たまさか、表現したい内容と時勢がシンクロしてしまったのかもしれません。

 ”白い自由画”

 「春」という題で
 私は子供たちに自由画を描かせる
 子供たちはてんでに絵の具を溶くが
 塗る色がなくて途方に暮れる

 ただ まっ白い山の幾重なりと
 ただ まっ白い野の起伏と
 うっすらとした薄墨の陰影の所々に
 突き刺したような疎林の枝先だけだ

 私はその一枚の空を
 淡いコバルト色に彩ってやる
 そして 誤って まだ濡れている枝間に
 ぽとり!と黄色のひと雫を滲ませる

 私はすぐ後悔するが
 子供たちは却ってよろこぶのだ
 「ああ まんさくの花が咲いた」と
 子供たちはよろこぶのだ

 (詩集「北国」より) 

ところで、この詩人は、夏スキーで有名な月山スキー場の周辺に縁があります。
終戦を挟んで約三年間、西川町の岩根沢に戦火を逃れ、疎開していました。

しかも、そこにある国民学校の教壇に立つかたわら、詩作活動も続けたのです。
かの地では代用教員として働きつつ、四冊の詩集を生み出すなど旺盛でした。

タイトルも、北国、仙境、花の芯、青い黒板など、当時の生活を繁栄したもの。
そこで、地元との交流も育まれたことから、丸山薫記念館の設立になったのです。

この「白い自由画」という詩ですが、この教員時代の体験を踏まえたものでしょう。
雪深い北国で、子どもたちの春を待つ純朴な心が、目に浮かぶような情景です。

まんさくの花は、春に先駆けて「まずさく花」が「まんさく」になったとも言われます。
こぶし、カタクリなど春を告げる花はありますが、この詩にはこの花の色でしょうか。



それで、この記念館は、何かの観光案内で知ってから、何となく気にしていました。
当時、良く出かけた月山スキーの帰り道ならば、途中で手軽に立ち寄れます。

こうして、国道からそれ、山側へ分かれた急な細い舗装道路を、登り始めました。
次第に耕作地も広がり、民家も散在するようになりますが、そこが岩根沢です。

入館者は自分一人だけで、ひっそりとする中、受付の方がいらっしゃいました。
パンフレットに記念の手作りのストラップまでもらいましたが、二百円では心苦しい。

というわけで、そんな気持ちを抱く、地元が愛して止まない詩人の記念館でした。
施設自体は、ささやかなものですが、詩人がこの地で一時期を暮らした証とするには十分なものでして、山形の四季折々の風土とはるかに眺められる月山のたおやかな容貌が、創作意欲に火をつけたのは確かだったのだろうと、思うのでした。


おまけ:



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