厚岸町太田にある屯田兵の現存兵屋。写真の粗末な小屋は、明治の頃に建てられたというのだが、個人で維持されてきたらしい。それだけ、開拓した土地に愛着があるからだろう。記念館も近くにあって、館内の収蔵品は、意外と充実していた。ここで、大洋漁業が、ミンク牧場を運営していたのには驚いた。
この厚岸の開拓地では、酪農を始めた当初、スコットランド西部エア州原産のエアシャー種が導入されたという。写真を見る限り、ホルスタイン牛と変わりはないのだが、耐寒性に優れ、粗放な飼養管理にもよく耐える一方で、乳量が少ないため、乳用牛はホルスタインに置き換えられていったということだ。
井上耕介先生殉職碑、厚岸町片無去(かたむさり)にあるが、グーグルマップでも見つけられる。明治41年3月6日、税法改正の急務を伝えるため釧路から厚岸へ向かう出張の途中、吹雪の中を行軍して遭難したという痛ましい事件だ。駅逓のある宿舎まで、あと百メーターだったというのが、なんとも切なく気の毒に思える。しかし、この辺鄙な土地に旧国道が通っていたとは思えないのである。現在の国道44号線より、遠く北に位置しており、この難読な地名の周囲には牧場が散らばっているだけなのだ。しかも、建立された殉職の碑が、行方不明となってから発見されたのは、三十数年後の事だったという。
厚岸町から標茶町の内陸部は、牧草地帯が広がる。牧場の経営面積も大きい。北海道の青空と雲を見ると、首都圏の雲はみすぼらしくみえてしまう。実は、釧路に来てから二三日は天候が思わしくなくて、青空を拝むことができなかった。この日は、ようやく北海道の夏空を眺めることができて、被写体に収めた。
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