2014年3月5日水曜日

ニコニコ共和国の岳温泉 - あだたら高原スキー場 (福島県)

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一頃、ミニ共和国がブームでした。
日本で架空の国家として建国されたものがそうです。

目的は、地域振興や自然保護運動の手段でした。
地方自治体や商工会・観光協会などが運営していたと思います。

それで、岳温泉にはニコニコ共和国が打ち立てられました。
昭和57年のことで、温泉街入り口が国境だったとか。

このスキー場ですが、そんな共和国のゲレンデなのです。
自分の滑った時は、ゴンドラもなく実にひなびたものでした。

昭和63年3月5日滑走

シングルリフトに乗れば、頭の上はひさしが付けられています。
雪よけだと思いますが、小さすぎて気休めみたいです。

この手の搬器のデザインは、かなり古色蒼然でした。
何しろ、滑車が金属製で支柱を通過するときのショックが大きい。

上下にガタンガタンと揺らされます。
今となっては、これも懐かしいのですが、いやなこともありした。

それは、滑車から黒いグリースがポタポタ降ってくるのです。
明るい色のスキーウェアについてしまえば、それは染みです。

要するに、滑車にはさび止め油が塗られていました。
春に向かって気温も上がり、温んで来たら用心なのですよ。

時折、滑車から何か振ってこないか、見上げねばならない。
そんな、せわしいリフトの乗降なのでした。

ところでゲレンデの印象ですが、緩斜面が主体です。
温泉に漬かるのがメインといった感じの家族向けスキー場でした。

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さて、ここは富士急が経営する温泉ホテルもありました。
当日、運良く部屋もあいていて格安なのです。

一泊二食、七千円ぐらいだったでしょうか。
懐も気にならないので、思わず投宿してしまいました。

ただ、あてがわれた部屋には驚きました。
大広間をふすまで間仕切りして、こしらえた八畳間です。

隣に誰か泊まったら、物音がそのまま聞こえて来るでしょう。
しかし、幸い、両隣には泊まる人はいませんでした。

温泉にどっぷり漬かって疲れを癒したのが楽しかったなー。
スキー場より温泉ですよ、岳温泉ですから。

お湯に入れば、ニコニコしてくるのかもしれない。
だから、共和国にその名が命名されたのだ。

そんな風に思い返したスキー場なのでした。


おまけ:


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2014年3月3日月曜日

亡霊のゲレンデがパンフに - 聖高原スキー場 (長野県)

平成5年3月6日滑走

豪快にジャンプするスキーヤーは受け狙いでしょうか。
派手なスキーセーターはイエローなのでした。

袖にはラインも引かれて、アクセントで引き立ちます。
パンフはレトロで、まるで70年代を引きずったかのようです。

でも、滑ったのは90年代に入ってです。
つまり、パンフのデザインを変えずに使い続けてきたのでしょう。

手にした途端、懐かしさで一杯になりました。
コピーの字面も漢字が並んでいて古めかしい。

今時の子供たちには、なじめない雰囲気です。
だから、ちょっと心配にもなってきました。

パンフも新調できないなんて、経営はどうなんだろうか。
実際、その日は自分を含めて十数人です。

ほとんど一枚バーンのゲレンデを独占して滑りました。
一方、今現在、このゲレンデは営業中なのがうれしい。


ホームページを見ると、SAJ認定のスキー学校も開かれています。
地元のみなさんに愛されているというところでしょうか。

ところで、このスキー場までのアクセスがちょっと難です。
国道403号線を上るのですが、四百番代は想像がつきましょう。

二車線あるかないかで、冬なら大型の対向通行も難しい。
しかも、高度を上げて行くので頻繁にカーブに出くわします。

冬場の道路としては、慣れていないとちょっと厳しい。
ただ、距離としてはそんなに長くないので大丈夫でしょう。

それで、この近辺にはすずらん第二ゲレンデもあったようです。
車の運転中に、赤さびたスキーリフトの鉄骨支柱も見かけました。

ゲレンデらしい斜面と見なせましたから、そうでしょう。
でも、パンフレットにその紹介が堂々と乗っていました。

もう廃止したのなら、削除して良かったのかも知れません。
ところで、鉄道オタクのスキーヤーなら、ここは見逃せません。

麓には篠ノ井線があって、ここの姨捨駅は見ものです。
スイッチバック方式で車両が出入りするみたいです。

そして、この駅から見下ろすと善光寺平が眼下に広がります。
ここは、戦国時代、武田・上杉軍がたびたび激突しました。

歴史好きなら、ご存知の川中島合戦場として有名です。
それに、お月見ポイント第一位に選ばれたこともあるようです。

というわけで、近くには上山田・戸倉温泉もあります。
観光スポットが以外に点在しているんですね。

と言うわけで、規模に拘わらず訪ねてみる価値はあります。
今でも、そう思えるスキー場なのでした。


おまけ:
聖高原パンフ(中左)
聖高原パンフ(中右)
聖高原パンフ(裏)


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2014年3月2日日曜日

ゴンドラ設置は昭和43年 - 五竜とおみスキー場(白馬五竜スキー場) (長野県)

昭和60年1月18日滑走

ここは、感熱マーキング方式のリフト券でした。
初めて見るデザインで、ベースは茶色です。

その上に黒い丸とか四角が転写されていました。
よく見ると、購入した日付に印がつけられています。

他方、碁盤の目にマーキングがベッタリつけられました。
当時、実に不思議なリフト券だと思いました。

確か、ゴンドラに乗る時も改札口で提示しました。
すると、機械で読み取りしていたのを覚えています。

なぜ、こんな面倒なのか良くわからない。
日付をスタンプした一日券なら、見せるだけです。

監視員の人もどうぞと軽く会釈してくれるでしょう。
ところが、このスキー場はかなり違いました。

ただ、作業を見ていて気づくことがあったのです。
何かをデータを集めているようです。


この券を裏返してみたのですが、面白いことに気づきました。
リフトの運営会社が二社併記されています。

飯森とゴンドラのあるゲレンデなのですが、ちょっと離れています。
つまり、スキー場は一つでリフト運営は別々なのでしょう。

だから、どっちのリフトに乗ったか集計する必要があります。
これは、後でリフト収入を配分するのに便利です。

当時は、スキー場開発に民間の資本力が弱かったのかもしれません。
一つがゲレンデ開発で成功したら、他社が隣接して乗り出してくる。

こうして規模は大きくなりますが、運営はまちまちです。
ただ、こうなるのももっともな理由があると感じました。

クリックで拡大(昭文社:山と高原地図より)

このスキー場、ゲレンデのレイアウトが不思議です。
麓の初中級コースから急に上級コースへ斜面がせり上がります。

これを乗り越えると、改めて広大な中級コースが広がるのです。
標高がかなり高いですし、雪質もかなり良くなります。

リフトで乗り継ぎするぐらいなら、ゴンドラが便利でしょう。
一気にスキー客をあげてしまえば、喜んでもらえる。

それには施設の立ち上げに投資もかなり要るだろう。
こうして、別々に掛けられていったのだと思いますね。

クリックで拡大

このゴンドラですが、当時、卵形のテレキャビンで四人乗りでした。
フランスのPOMA社製で安全策道(Ansaku)が敷設しています。

稼動した年が1973年で、会社案内の沿革にも乗っておりました。
後年、箱型のゴンドラが主流になりますが、初期は丸型でした。

まあ、比較的すいているスキー場です。
白馬としては、手前にある立地で関東方面からも行きやすい。

そんなスキー場ですが、後年、五月連休の春スキーでよく行きました。
Hakuba47スキー場にもアクセスしています。

規模も、八方や栂池に匹敵したんじゃないのか。
時間を掛けて熟成したスキー場になったのだと思いました。


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2014年3月1日土曜日

黄門様も真っ青のストックリフト券 - 苗場スキー場 (新潟県)

昭和61年1月25日滑走

この頃、ストックに旗印みたいに貼付けました。
これを、リフトに乗るとき監視員さんに見せ付けます。

ただ、使い終わった後がかなり問題です。
実に剥がれにくくて、ストックにシールが残ります。

上手にはがしても、糊が残っていてベタベタしました。
券の裏面全体が、粘着シールになっていて効き目が強い。

だから、最初から張らないスキーヤーもいたのです。
ホルダーに入れて腕に通して、提示していたのを覚えています。

自分の場合、部分的に保護紙を残して張り付けました。
宿に戻ってから、ゆっくり時間をかけて剥がしたのです。

こうして、記念に残せたのですが、券の説明に目が行きました。
ほかの系列スキー場へはしごができたみたいです。

三国、田代、みつまた高原、かぐら、中里、八海山と共通ですよ。
今になって気づいたのですが、ゲレンデは離れて独立しています。

唯一、田代とかぐら、みつまたが連絡しているぐらいです。
だから、その日のうちに渡り歩くなんて当時はできない。

混雑が当たり前で、リフト待ちが30~40分です。
駐車場から国道に出るのも週末なら1時間以上かかったでしょう。

当時は、スキーブームの真っ盛りでした。
特に、このスキー場は大人気で、そこにとどまるしかない。

しかも、ロープウェー・ゴンドラの共通券はあきらめました。
ゴンドラに乗るのにも、一時間は普通に並びました。

滑りに行ったのか、立ち並んで耐寒訓練をしていたのか。
それでも、若人が群がった理由はなんだったのだろうか。

ほかに何か遊びは無かったのだろうか。
今になって、自問自答するわけです。

そして、あの頃滑った人は、すでに子育ても終わっている。
時間に余裕もできたし、スキーも再開できるはずです。

でも、スキー場に戻ってきた人の数はかなり少ない。
結局、立ち疲れたりスキーレッスンに飽き飽きしたんじゃないのか。

そんなことを思ってみたりもするのでした。

おまけ:
上さんは南国育ちなので、スキーが不得手です。
アメリカで滑った写真を見せてもらいましたが格好だけでした。
でも、一人で勝手に出かけるわけにも行かない。
なので、ちょっと寂しいです。


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