2026年7月22日水曜日

中国風の音楽なら、YMOの”ファイアークラッカー(1978)”を思い出すのだが、ご先祖様はいらっしゃったのだ ー アーロン・アヴシャロモフ(音楽鑑賞)

Aaron Avshalomov (1894 – 1965)
                                      
まるで、屋台中華そばのチャルメラを聞いているかと脳髄が反射してしまった。
オーケストラが支那風メロディーを奏でるのですが、れっきとしたクラシック。

ただ、前世紀の現代音楽がはびこった時代の作品にしては、非常に聞きやすい。
イージーリスニングと思ってしまうほどで、アーロン・アヴシャロモフの作品。

この人は、ユダヤ系ロシア人の作曲家ですが、極東の出身だというのも異色だ。
ニコラエフスク・ナ・アムーレで生まれたとあり、日本語で尼港と言いました。 

この名は、ロシア革命のどさくさで起こった虐殺の尼港事件として、悪名高い。
日本人犠牲者は判明しているだけで731名にのぼり、ほぼ皆殺しにされたのだ。

何とも血なまぐさい事件ですが、事件の首謀者は、赤軍のパルチザン部隊です。
今なら、プーチンがウクライナに軍事侵攻したのと似通い、残酷さは同じだな。

しかし、ご本人は革命前にスイスに留学して、その後、米国に亡命できました。
ただし、そこで安穏としていられなかったのか、なぜか北京に舞い戻るのです。

まあ、極東で生まれたから、その風土が恋しかったのか、音楽研究に没頭する。
中国民謡の収集にいそしんだとあるのですが、これはバルトークの活動と同じ。

当時のハンガリー王国の各地から、民謡収集を行ってピアノ曲を創作しました。
ただ、これは自分の母国で活動できたからで、アーロンさんはソ連へ戻れない。

つまり、共産主義体制は、戻れば二度と出国できないような恐怖の抑圧国家だ。
それでも、プロコフィエフなどは、西欧の暮らしに行き詰ってソ連に帰国した。

もちろん、作曲家として名声を手にしており、一種の凱旋帰国だったのだろう。
これと違って、彼は北京の活動後、外国人が居留する租界の上海へ移りました。

※試聴はタイトルをクリック

ここには、亡命ロシア人音楽家がたくさんいて、上海交響楽団も存在している。
音楽家で活動するのにも十分な基盤があり、しかも自由な土地を選んだのだな。

ですが、彼は第二次世界大戦が終結して程なく、米国に移住してしまいました。
当時は、日本が米国に降伏し、中国は国民党と中国共産党の内戦が激しかった。

自由な租界の拠点も消滅し、亡命の流浪者は、またもや中国から逃げ出したの。
だから、彼がその中に混じっていたとしても驚くにはあたらず、当然でしょう。

というわけで、この作曲家は、祖国を持たない、正に流浪の民だったのでした。
それで、主要な作品は、中国滞在中に作曲されたために、現地の民謡収集の成果が遺憾なく発揮されたかもしれず、中国風のメロディーが流れてくる楽曲には、それが嫌味にならずに上手くアレンジされているので、感心してしまった自分なのでした。



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