2014年6月13日金曜日

ラリーみたいに走って​コマ状態で回転した - 八千穂高原スキー場(​長野県)


昭和62年3月14日滑走

とにかく、スキー場の行き帰りが恐怖体験でした。
無謀な運転にチャレンジしたせいもあるでしょう。

3月に入って暖かくなってきたとは言え、まだ冬です。
道路状況には十分注意しないといけないのです。

どうしてそんな無謀な運転をしてしまったのか。
それは、このスキー場まで近道をしようとしたからでした。

先ず、それは往路から始まりました。
順当なら、中央道、国道141・299号線を使います。

ただ、299号線に入ると北上してから南下するのです。
やや遠回りのルートでして運転距離も長くなる。

国道141号線から西北に向かってたどり着きたい。
そんな考えから詳細な道路地図を眺め回します。

小海町にはリエックスすきー場があり、その先に温泉もある。
稲子湯と言うのですが、そこまで車でも通行可能だろう。

グーグルドライブはこちらから

当時は、未だスパイクタイヤを履いていて過信しました。
次に、その温泉でスキー場までいけるかどうか聞いて走ろう。

そんな安易な発想の出たとこ勝負で出発します。
稲子湯までは順調に運転もでき、そこで道順を尋ねました。

旅館の人は、スキー場まで林道が通じていると答えました。
それで安心感も加わって、いざ車を走らせます。

もっとも、中古車のカペラと言うボロ車で傷など気にしない。
雪混じりの砂利道ですが、スパイクなので制動が利きます。

ただ、一車線で対向車が来たらどうしようか不安になる。
速度も出さずにのんびり抜切ると、多少道が広がりました。

改めて地図を見ましたが、そこが県道のようです。
合流まで、最後が急な上り坂でスリップして上れない。

勢いのつく場所までバックしてから加速し何とか登り終えました。
こうして、精神的にはかなり緊張を強いられて運転しました。

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スキー場についてしまえば、開放感にあふれています。
そんな往路ですが、実は帰り道こそ恐怖を体験しました。

この帰りですが、改めて怖い思いをしたくないのです。
となれば、国道299号のメルヘン街道が妥当なところ。

そう思って、下り坂のメルヘン街道を下り始めました。
ストレートな道筋で、スピードも60キロを超えてしまいます。

おやっ、急カーブだと思ってハンドルを切った瞬間でした。
車がコマ状態です、スピンしてしまいました。

クルリンと回って、気がついたときは車は反対車線向きでした。
要するに、車が下るのでなくて登り方向に向かっていました。

こわー、カーブの先は日陰で圧雪状態になっていました。
あの急スピードで突っ込んだら、スケート状態になってしまった。

崖下へダイブもせずに、運がよかったとしか言いようがありません。
ほぅーっと、一息ついて胸をなでおろしました。

こんな経験もあり、スキー場の印象より道路なのです。
規模の小さかったゲレンデぐらいしか、思い出せません。

と言うわけで、今改めてパンフレットを見直しながら思い返しております。
そんな、恐怖体験で冷や汗の出る思いをした行き帰りなのでした。


おまけ:グーグルドライブはこちらから
八千穂高原パンフ(表)
八千穂高原パンフ(中左)
八千穂高原パンフ(中右)
八千穂高原パンフ(中裏)
八千穂高原パンフ(裏)
八千穂高原パンフ夏(表)
八千穂高原パンフ夏(中1)
八千穂高原パンフ夏(中2)
八千穂高原パンフ夏(裏)


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2014年6月11日水曜日

金メダル三冠王からケーキ屋ケンちゃんへ変身 - 八ヶ岳ザイラーバレースキー場(シャトレーゼリゾート八ヶ岳) (長野県)

平成元年12月9日滑走

あの金メダル三冠王、トニー・ザイラーがコース設計しました。
と言っても、その冬季オリンピックは半世紀以上も前の話。

時は昭和三十一年、1956年と言う昔語りになります。
若い人であれば、三丁目の夕日をイメージできるかも。

あの頃、日本は戦後から復興して間もない頃です。
貧しいながら、家庭の団欒や近所付き合いもありました。

そんな日本のささやかな一般家庭の日々です。
ところが、欧米ではしっかりオリンピックを開催しています。

特に冬季オリンピックなら、競技の世界は資本力です。
スキー用具の開発、スキー場施設の投資はビジネスになる。

山を切り開き、リフトのような索道も架けなくてはいけない。
スキー場のアクセスに便利な道路も敷設する必要が出てくる。

冬場のスポーツはまさに観光レジャー産業の延長線上です。
そんな開きのあった時代、日本人も銀メダルを取ってくれました。

猪谷千春氏が、回転競技でこの栄冠を手にしています。
開催地は、イタリア・コルティナダンペッツォでした。

でも、金メダルはこのトニーザイラー氏なのですよ。
しかも三冠ですから、上には上があるということです。

この方は美男子でして、引退後芸能界に転進です。
日本の映画「銀嶺の王者」にも主演しているくらい。

有名ですから、コースを設計・監修したとなると箔がつきます。
しかも冠名をいただいて、ザイラーバレーと名づけられました。

上に掲げたリフト券ですが、開所日そのものなのです。
初滑走日でもあり、記念式典が初めに行われました。

センターハウス前では特別にステージがこしらえてあります。
式典が進む中、驚いたことにザイラー氏本人が紹介されました。

その後、テープカットに加わったのですが、人だかりでよく見えない。
わけの分からないうちに、一斉の拍手とファンファーレが響きました。

グーグルドライブはこちらから

やれやれ、これでリフトが運行されるなと思って並びます。
それから、やっと乗れたのが30分後で、初すべりとなりました。

このスキー場、今は無き野辺山スキー場と目と鼻の先です。
似たように、晴天率は高くとも降雪量は内陸陸地ゆえ少ない。

このため、ゲレンデ整備は端からスノーマシン任せになります。
この日も、バーンは全面的に人口雪でこさえてありました。

もっとも12月初めなので、まだ暖かくて降る方が珍しい。
おそらく11月から、この日に向かってせっせと降らせてきたのでしょう。

滑ってみた感想ですが、コンパクトにまとまったコースレイアウトでした。
ただ、標高差が220メーターでは滑走距離も伸びて行きません。

それでも、リフト2本を上手に使って上級コースを降りるのが楽しい。
合計3本のリフトでは制約もありますが、そこそこに楽しめました。

と言うわけで、せっかくのザイラーバレーも今やシャトレーゼへ改名です。
なんでも、経営権がスイーツで有名なメーカーに委譲されたからとか。

かつての三冠王も形無しですが、ケーキ屋さんのほうが家族受けするでしょう。
客層を広めるには、お菓子に目が無い子供たちを取り込むのが一番です。

今やリゾートとして生き残るには、ファミリー相手にあの手この手でPRするしかないと言うことなのでした。


おまけ:
リフト券(裏)

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド(立風書房)


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2014年6月9日月曜日

県民スキーヤーなら必ず一度は滑る? - みやぎ蔵王えぼしスキー場 (宮城県)

クリックで拡大します

タイトル通り、一度は滑りに行くんじゃないのか?
蔵王と冠もついていますし、ゴンドラも運行されている。

規模から言っても、宮城県唯一のスキー場でしょう。
標高差700メーター、滑走距離4.5キロは、そうざらに無い。

ただ、隣県の山形蔵王の方が、ネームバリューとしては高い。
なので、今一知名度が無く、首都圏からお客さんを呼べない。

ざおうと言ってしまうと、やまがたになっちゃうのが実に悔しいのです。
みやぎにだって蔵王と冠したスキー場は、ここを含めて四つです。

それぐらい観光地を取り込もうとして、宣伝しているのだ。
にもかかわらず、ローカルなゲレンデから脱却できないまま。

それに、温泉だって名湯の遠刈田や鎌先も近くにあります。
温泉プラススキー場と言う組み合わせもバッチリです。

実を言うと、自分も仙台近郊に住んでいたから出かけていました。
東北道の高速へ乗ってしまえば、ドアツードアで二時間です。

グーグルドライブはこちらから

これほど、近くて規模の大きいスキー場はかけがえがありません。
県民スキー場にふさわしい、おらがスキー場だと感じていました。

ただ、スキーブームの最中、非常に混雑していました。
週末ともなれば、リフト待ちが一時間になったと記憶しています。

それは、ゴンドラのできる前で特にジャンボリフトは人気がありました。
確か、当時はシングルリフトで距離が1キロ、時間も10分かかります。

乗っているだけで寒さがこたえますが、シングルなので混雑もすごい。
上級コースだけに、腕自慢がこぞって乗り場に群がっていました。

昭和63年3月27日滑走

ただ、このスキー場、ゲレンデの滑走した印象が薄いのです。
これだけ規模も大きなスキー場ですから、何かしら思いではあるはず。

多分、リフトが混んでいて滑走間隔が開き過ぎだったせいでしょう。
滑ってリフトでかなり待つの繰り返しでは、滑った印象も忘れてしまう。

なので、ゲレンデ全体の思い出が希薄になってしまったのだと思いました。
それでも、週末金曜日に滑った時、ゴンドラも貸切状態で堪能しました。

もちろん、ジャンボCのコースを滑りまくったのは、言うまでもありません。
と言うわけで、このスキー場はもう一度滑りたいと改めて思うのです。

なぜなら、リフトの待ち時間も無いままに、ゲレンデ全体が思い浮かべられるようになるまで滑るのが本望なのでした。


おまけ:
みやぎ蔵王えぼし・パンフ(裏)

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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド(立風書房)


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2014年6月7日土曜日

全国でただひとつ鉄道でアクセス - 面白山高原スキー場(スノーパーク面白山) (山形県)



このスキー場、JR仙山線に乗ってしか行けません。
宮城県の仙台からなら一時間程度かかります。

山形からだと25分ですが、行く人はいないでしょう。
だって、すぐ目の前は蔵王スキー場がありますから。

自分も一度だけ会社仲間と滑りに行きました。
確か、入社して日の浅い昭和58年頃だったと思います。

あの頃、東京へ就職したのですが、赴任は仙台になりました。
正確には多賀城で、すぐに職場の人達と親しくなりました。

さすが東北と思ったのですが、みなスキーをします。
四十代、五十代でも毎月滑りに出かけるのです。

運動が好きな人が多く、夏はゴルフやテニスでした。
季節が冬になれば、スキーに切り替わるんですね。

東北まで来ますと、さすがに冬は寒い分けです。
雪も降りますので、手じかに楽しめるスキーが一番。

なので、職場の若い人と誘い合って遠征しました。
ただ、ここで紹介するのにちょっとためらいしました。

というのも、リフト券を捨ててしまったからです。
券をコレクションする習慣の前で、証明するものが無い。

自分のポリシーとしては、リフト券があるかないかです。
滑った証拠をそこに求めているので、無いのは苦しい。

それでも、夏場に出かけた時の乗車券が見つかりました。
しかも、昔なつかしい硬券で特別往復乗車券です。

これなら、仙台に住んでいたのも証明されるでしょう。
まして、ここへは知っていなければ出かけないはずです。

なので、おまけみたいに取り上げてみることにしました。
行き方ですが、仙台からは愛子駅でまず車を駐車します。

駅名が難読でして、”あやし”と読むので面白いです。
臨時停車駅のため、最初に往復乗車券を買いました。

画像をクリックで拡大します

ここから、電車に乗って半時間で無人の面白高原駅に到着です。
駅ですが、本当にゲレンデに近くて直結した感じです。

雪が少なかったので、スキーをかついて多少は歩きました。
それでも、五分とはかからなかったと思います。

リフトが4本だけでクワッドも無いようんば地味なゲレンデです。
ただ、440メーターの標高差と全長2キロのバーンは手ごわい。

それなりに滑りがいのある条件を備えていると思います。
ただ、仲間と滑っていたので適当に緩いバーンで楽しみました。

このような鉄道駅に直結するスキー場は、他にもあります。
違いは車でも行けるかどうかで、面白山はJRだけなのがすごい。

JR陸羽西線高屋駅→国設最上川スキー場(廃止)・山形県
JR上越線越後中里駅→湯沢中里スキー場・新潟県
JR大糸線簗場駅→ヤナバスキー場(休止)・長野県

他は、車の駐車場も併設なのでアクセスは限定されません。
ところが、この面白山は冬季になると道路の除雪すら無い。

スノーモービルを使えば道路の行き来ができるかもしれません。
自分が夏場に出かけた時は、帰りに車に乗せてもらえました。

道路も二方向あり、一つは線路に沿って山寺へ出ます。
もう一つは、天童高原スキー場から関山街道(R48)へ抜けます。

あの時は、仙台へ帰宅する都合、国道48号線経由で帰りました。
だから、硬券の切符がとられずに残ったことになります。

と言うわけで、このスキー場は休止中で再開が危ぶまれています。
スキーヤーも減少し、東北大震災の影響が災いしたせいでしょう。

できれば、再開の暁にはリフト券をコレクションしに出かけてみたいと思った次第なのでした。


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