2014年6月11日水曜日

金メダル三冠王からケーキ屋ケンちゃんへ変身 - 八ヶ岳ザイラーバレースキー場(シャトレーゼリゾート八ヶ岳) (長野県)

平成元年12月9日滑走

あの金メダル三冠王、トニー・ザイラーがコース設計しました。
と言っても、その冬季オリンピックは半世紀以上も前の話。

時は昭和三十一年、1956年と言う昔語りになります。
若い人であれば、三丁目の夕日をイメージできるかも。

あの頃、日本は戦後から復興して間もない頃です。
貧しいながら、家庭の団欒や近所付き合いもありました。

そんな日本のささやかな一般家庭の日々です。
ところが、欧米ではしっかりオリンピックを開催しています。

特に冬季オリンピックなら、競技の世界は資本力です。
スキー用具の開発、スキー場施設の投資はビジネスになる。

山を切り開き、リフトのような索道も架けなくてはいけない。
スキー場のアクセスに便利な道路も敷設する必要が出てくる。

冬場のスポーツはまさに観光レジャー産業の延長線上です。
そんな開きのあった時代、日本人も銀メダルを取ってくれました。

猪谷千春氏が、回転競技でこの栄冠を手にしています。
開催地は、イタリア・コルティナダンペッツォでした。

でも、金メダルはこのトニーザイラー氏なのですよ。
しかも三冠ですから、上には上があるということです。

この方は美男子でして、引退後芸能界に転進です。
日本の映画「銀嶺の王者」にも主演しているくらい。

有名ですから、コースを設計・監修したとなると箔がつきます。
しかも冠名をいただいて、ザイラーバレーと名づけられました。

上に掲げたリフト券ですが、開所日そのものなのです。
初滑走日でもあり、記念式典が初めに行われました。

センターハウス前では特別にステージがこしらえてあります。
式典が進む中、驚いたことにザイラー氏本人が紹介されました。

その後、テープカットに加わったのですが、人だかりでよく見えない。
わけの分からないうちに、一斉の拍手とファンファーレが響きました。

グーグルドライブはこちらから

やれやれ、これでリフトが運行されるなと思って並びます。
それから、やっと乗れたのが30分後で、初すべりとなりました。

このスキー場、今は無き野辺山スキー場と目と鼻の先です。
似たように、晴天率は高くとも降雪量は内陸陸地ゆえ少ない。

このため、ゲレンデ整備は端からスノーマシン任せになります。
この日も、バーンは全面的に人口雪でこさえてありました。

もっとも12月初めなので、まだ暖かくて降る方が珍しい。
おそらく11月から、この日に向かってせっせと降らせてきたのでしょう。

滑ってみた感想ですが、コンパクトにまとまったコースレイアウトでした。
ただ、標高差が220メーターでは滑走距離も伸びて行きません。

それでも、リフト2本を上手に使って上級コースを降りるのが楽しい。
合計3本のリフトでは制約もありますが、そこそこに楽しめました。

と言うわけで、せっかくのザイラーバレーも今やシャトレーゼへ改名です。
なんでも、経営権がスイーツで有名なメーカーに委譲されたからとか。

かつての三冠王も形無しですが、ケーキ屋さんのほうが家族受けするでしょう。
客層を広めるには、お菓子に目が無い子供たちを取り込むのが一番です。

今やリゾートとして生き残るには、ファミリー相手にあの手この手でPRするしかないと言うことなのでした。


おまけ:
リフト券(裏)

注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド(立風書房)


いいねと思ったら、二つポチっとね!
にほんブログ村 スキースノボーブログへ
にほんブログ村 スキースノボーブログ スキー場・スノボー場へ





0 件のコメント:

コメントを投稿