2015年9月3日木曜日

単なる金儲けの手段として、あんたは糞図柄を扱ってきたんじゃないのか -  東京オリンピックエンブレム問題(その他)

佐野研二郎とはいったい何者なのか?
世間的には「いま、日本でもっとも有名で旬のアートディレクター」ということになっていて、
それはもちろん間違いではないかもしれないが、僕が問うてみたいのは、
彼が「何をやってきたのか」ではなくて、彼の「クリエイターとしての本質」である。
しくじり佐野研二郎氏に足りない「リスペクト」と「許される力」、ダイヤモンドオンラインより)
  
2020年開催の東京オリンピックのエンブレム(ロゴ)が取り消されました。
組織委員会が公式に使用中止を決め、報道発表が行われたのです。

そして、五輪スポンサー企業はウェブサイトからエンブレムを削除します。
未だ時間はありますが、国立競技場問題と言い、波乱がありすぎでしょう。

まあ、最初からパクリじゃないかとか、ゴタゴタと揉めた挙句がこの始末です。
一方、デザイナーの佐野研二郎さんは、剽窃はないと白を切り通しました。

つまり、そう言わざるを得ないほど、美大の教授と言う社会的地位なのです。
ただ、この騒動は自身を含む家族のプライベート侵害による打撃が大きい。

釈明文がネットで掲載されましたが、痛々しさも伝わってくる文章でした。
でもね、人間として耐えられない限界状況と述べていても、同情しません。

つまり、ノブレスオブリージュ(社会的地位には責任を伴う)ってことです。
もっと言うと、オリンピックは国家事業であり、日本国にケチは付けられません。

これが、改めて暴露された商業美術の模倣なら、単なる営利絡みの始末。
だから、個人や家族がどうのこうのより、日本を毀損してどうなるかっていう話。

この辺で、エンブレムをサントリーのノベルティーグッズ程度と見なしたのか。
そうなると、この人は人格的にお粗末で、美術に向き合う真剣さを感じない。

左が佐野研二郎の東京五輪エンブレム 右がスペインのデザイン事務所の震災支援の壁紙

他方、スポンサーを取り仕切る業界のフィクサー電通様の存在は、大きい。
今や、オリンピックは、放映権収入やらロゴ使用収入やら、営利で金まみれ。

賞を取った、箔を付けやすいデザイナーの案を採用すれば、安泰と言うのか。
国家イベントに対するリスクマネージメントの安易さが、はっきり露呈しました。

あのデザインは、ほとんどが第一印象で喪章みたいと、感じたんじゃないのか。
しかも、中心にある黒い棒一本が黒衣のようで、非常に不安すら覚えました。

未来に期待する余裕もなく、ひょっとして日本を終わらせてしまう不吉さです。
こういった生理的な嫌悪感が先頭に立つのなら、取り下げは自明の理か。

この佐野某は、オリンピックの成功をどのようにデザインしたかったのでしょうか。
それが全く見えてこないのですよ、単純な図形の並び替えごっこでしかない。

というわけで、彼では、国家的偉業のオリンピックを成就させられないのです。
美を追求するデザイナーとしての資質自体がそなわっていないのが明白であり、単なる職業だから右から左へデザインを大量生産するだけのビジネス偏重であり、ものづくりの好きな日本人から見れば、するべき意味や意義に対するリスペクト(尊重)のかけらすら見えない、気持ち悪い存在であって、それがこの佐野某ではなかったのかと、本当に思うのでした。



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