2016年8月12日金曜日

黒いダイヤの留萌炭田を偲んだり、環境にやさしい風力エネルギーを実感したりして - 羽幌炭鉱遺構・ユーラスエナジー苫前(北海道羽幌町・苫前町)

羽幌炭鉱第一選炭工場・貯炭場

なぜ、石炭のよく取れる地域を炭田とひとまとめにして、呼ぶんでしょうかね。
炭田は、量や質で経済価値のある石炭層が存在している地域を指します。

その地層が集まっている箇所だから、ある程度は広い地域になりますね。
炭の田んぼだから、日本人の大事な主食、米の栽培地域になぞらえたのか。

一方、石炭産業そのものが、今や、日本から閉山・消失してしまっています。
かつての繁栄が、どのようなものだったのか、今は廃墟ばかりになりました。

それでも、そんな炭鉱跡に足しげく通う好事家(マニア)が、意外におります。
巷間では、廃墟マニアと呼びますが、間違えば不法侵入になるかもしれず。

その上、採掘した石炭を運び出す炭鉱鉄道の遺構も残っていたりします。
鉄橋だったり、レール跡だったり、駅舎だったりと、廃線めぐりも兼ねています。

羽幌炭鉱鉄道橋梁跡
羽幌町のパンフレット
グーグルドライブぶはこちらから

こちらは廃鉄ですが、両方を兼ね備えたのが、炭鉱全体の施設になりましょう。
そこで、天売焼尻島のある羽幌町ですが、一帯が留萌炭田の中心地域です。

中でも、築別、羽幌、上羽幌で営業した羽幌炭鉱は、規模がかなり大きい。
煤の出ない優良炭で、年間の出炭量も、最盛期には百万トンを超えました。

人口だって炭鉱地区だけで一万人を超え、とうとう、町は三万人を越えました。
市に昇格もできたはずなのですが、最終的に羽幌町のままで至っています。

炭鉱の閉山時期を見誤ったのかもしれませんが、逆に良かったかもしれない。
歌志内市なんて、今や人口が四千人を割って、日本一小さな市になりました。

さて、実際に車を運転して行って見ましたが、きれいな連絡道路が続きます。
途中までは農家もあり人里を感じましたが、炭鉱の核心部に入ると違います。

二車線の道路が、廃墟となった建屋・遺構を巡るような印象に変わるのです。
太陽小学校や炭鉱住宅の一群は、打ち棄てられた雰囲気さえ漂って来ます。

山奥に、かつては殷賑を極めた産業地区が存在したのかと思うと、物悲しい。
行けば分かりますが、残された分厚い樹海の山野は、青々としていました。

そんな、かつて炭鉱のあった町は、天売焼尻の離島観光の起点でもあります。
なので、この廃墟めぐりも、観光プランに加えようというのが、町のPRでした。

先ず、天売焼尻をくまなく観光すると三日で、羽幌炭鉱跡は、所要一日です。
これに、お隣の苫前町まで、環境にやさしい風力発電設備まで足を伸ばす。

周辺を回るには、砂利道の運転だったよ

この発電設備は、近寄ってみれば、意外と巨大さに圧倒されてしまいます。
ブレードと呼ぶ羽根は、直径で百メーター近くあって、それがぶん回る計算。

風が吹いてブレードが回転するべ、ブーンと低くうなる音が耳障りになります。
設備の周りには農家も点在していて、夜中、騒音で眠られないのではないか。

そんな風に思ったりしましたが、圧倒されるものがあって行かずにいられない。
まあ、実感するには、論より証拠だと思って見に行くことを、お勧めしますね。

というわけで、羽幌の基幹産業だった炭鉱に、思わぬ不幸が待ち受けました。
羽幌炭鉱の炭層が大断層にぶち当たってしまい、採炭ができなくなる一方で、可採埋蔵量が二億トンと計算されている将来性に期待して、新たな炭層を探し出して採炭を続けるのか、それとも政府の補助金を受けて閉山し、従業員に退職金を渡すのか、思案した挙句に後者を選んでしまって、それが今の廃墟につながるのですが、何時か、資源価格が高騰したら、夢はもう一度とヤマは再開されるのであろうなと、夢想したりするのでした。


おまけ:
羽幌町は、オロロン鳥の里だよ
説明看板は、最低限あるのだ

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