2017年2月15日水曜日

江戸時代、只見の住人は越後(新潟)の人々と、最も交流があったって聞いて驚いたわ - 只見スキー場(福島県只見町)

平成5年12月30日滑走

奥会津の隅っことも言うべき、只見町は正月と5月の休暇に、二度、訪ねました。
車の運転ならルートは幾つかありますが、高速道の直接アクセスはありません。

スキーで滑りに来た時は、磐越道を降りて、只見川沿いの下道を走っています。
一方、五月連休の旅行では、関越道の小出ICから国道252号線に入りました。

JR只見線も併走しており、名前の通り、只見町に至っている未電化の路線です。
ディーゼル一両だけの編成で、気動車が走り去るのを見ながら、車を走らせます。

小出駅から一時間半ほどの鉄道旅になりますが、車も意外に時間が掛かりました。
これも、六十里越と名づけられた往還をなぞった国道で、かなりの標高差です。

トップの地点では残雪もちらほら見られるほどで、豪雪地帯ゆえかと思いました。
人家も全く無くなり、プラットホームだけの停車場を見かけたり、正に秘境です。

グーグルドライブはこちらから
六十里越のルートに沿っています

でも、江戸時代には雪に閉ざされない限り、越後から往来が錯綜したようです。
塩、小間物、塩鮭、ニシン等、人々に欠かせない食料・用品が運び込まれました。

これに代って、只見からは麻・生糸・ゼンマイが送り出された重要な交易路です。
塩の道になぞらえるのに格好でしょうが、実は同様な別ルートも存在しました。

八十里越と言いまして、現在の三条市に至るルートで、こちらも険しい山道です。
その名の由来も、険しさゆえに一里が十里に感じられる程、しんどいからだそう。

だから、実際にはどちらもはるかに短い距離ですが、落石の危険性もかなり高い。
このため、急峻かつ長大な山道の労苦をかみしめて、言葉で表現したのでしょう。

鉄道に加えて、国道の開通も悲願なのは間違いなく、先ず252号が通じました。
ところが、八十里越はというと、険しい核心部分が未だに開通できない物凄さ。

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番号は289号線で、地図上ではルートが点線なので、点線国道とも呼ばれます。
それで、これがいじめっ子扱いで、かつては別の箇所でも登山道がルートでした。

福島県白河市から下郷町へ抜ける際、甲子峠を超えるのに、歩きの山岳路です。
つまり、峠越えの登山道が国道指定を受けて、国道標識付きの登山国道なのだ。

点線国道より通行できるからマシでしょうが、生活のために使う人もおりません。
ただ、 数年ほど前にトンネルが縦貫し、この甲子道路は実用道路に変わりました。

だから、この点線区間を残すのみとなったのですが、八十里越は気候が厳しい。
建設作業は、雪の無い五月から十一月までに限られるので遅遅として進みません。

なので、その代わりに旧道の山道を越えようとチャレンジする猛者がでる始末です。
ネットで簡単に見つかりますが、きついらしくて物好き以外は、試さないでしょう。

というわけで、開通まで後十年を待ち望むとして、もうひとつ只見はダムの町です。
田子倉ダムによって生み出された人造湖には、季節ともなれば観光遊覧船も運航されるなど、紅葉の季節には絶景の観光地になるのですが、他方、戦後の只見川電源開発計画で作られた田子倉発電所は、未だに国内第二位39万キロワットもの水力発電量を誇るなど、ダムお宅にとっても見逃せないロケーションに違いないのでした。


おまけ:
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ゲレンデ貸切もできるみたい


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