2021年9月22日水曜日

ナチス帝国音楽院が、政治的に音楽家を抑圧した中でも活動できたのは、メディアに音楽が不可欠だったからかな ー ピアノ協奏曲第1番(エドゥアルド・キュンネッケ)

Eduard Künneke (1885 - 1953)
      
エドゥアルド・キュンネッケは、ニ十世紀前半に活躍したドイツの作曲家です。
作曲家で独り立ちするまでは、合掌指揮者やコレペティートルを務めたらしい。

その後は、オペレッタ作曲や、映画、劇場、放送などの音楽も手掛けています。
手広い多方面な作曲活動ですので、クラシック音楽のジャンルとは趣も違うな。

ジャズの影響もあってか、ジャズバンドとオーケストラの競演作品もあります。
まあ、ウイキペディアでは、その程度のふれ方で記述の少ないのが物足りない。

ブロードウェイやロンドンの劇場にも作品を提供ましたが、どんな作品だろう。
なので、動画をググってみますと、当然、この協奏曲も上位に上がって来ます。

でも、筆頭に上がってきたのは、オペッレッタの作品でエピソード紹介な感じ。
それ以外にも、歌曲の紹介が多くて、どっちかというと大衆音楽系なのだろう。

でも、これらはドイツ語の曲ばかりなので、英語圏で依頼された作品ではない。
なので、探す内に見つけたのが、音楽が彼のクレジットになっている短編映画。

これは、撮影がタイムラプス手法で、一枚ずつ撮影写真をつなぎ合わせている。
だから、植物が芽吹いていく様子を、コマ送りの動画で短時間に再現しました。

鑑賞は、こちらをクリック
    
要するに映画音楽まで手掛けているから、音楽産業に足を踏み入れている感じ。
クラシック作品の領域を超えて、幅広く活動していた作曲家と言えるでしょう。

それで、彼のオペレッタ代表作、”彼の地から来た従兄弟”は上演の機会も多い。
実は出演者が9人だけで、大掛かりな合唱団やバレエ団が、全く登場しません。

だから、現在でもドイツの地方劇場で、よく取上げられるのが分かる気もする。
原題は、”Der Vetter aus Dingsda”で、ユーチューブでググると動画もでます。

その数も多いので、地元の皆さんに、よく知られたオペレッタなのでしょうな。
こういった作曲家ですから、ピアノ協奏曲を手掛けていたというのは少し驚き。

でも、フランスのオペラ作曲家、マスネ―だってピアノ協奏曲を書いています。
”タイスの瞑想曲”で有名ですが、オペラ作品”マノン”は歌劇場のレパートリー。

もっとも、どんなクラシック作曲家も、ピアノを弾いて作曲するのは当たり前。
だから、交響曲よりピアノ協奏曲を書き上げたとしても、普通の成り行きかな。

ピアノ協奏曲の視聴は、こちらをクリック
    
そう思うと、彼がそんな協奏曲を書き上げたとしても、そう不思議に思わない。
しかも、オペラ歌手の舞台前練習で、ピアノ伴奏者を勤めたほどの力量がある。

他方、クラシックを離れた軽音楽の関心から流行したジャズ音楽の影響もある。
だから、このピアノ協奏曲を聞くと軽めなノリの曲想が心地よく感じられます。

当時流行したジャズ音楽の雰囲気を、作品の中に味わうのも楽しみ方の一つね。
ところで、彼はナチス政権下の戦時中も、国内に留まり音楽活動を続けました。

というわけで、柔軟な音楽活動こそが、ナチス体制から少し距離を置いたのか。
そんな彼の作品は、メディアを通して聴衆に音楽を純粋に楽しんでもらおうとする姿勢だったのかもしれず、それをしてナチスの第三帝国から離れた活動であったのだろうと、思う自分がいるのでした。、
   
注:コレペティートル(ドイツ語: Korrepetitor / フランス語: corépétiteur)は、歌劇場などでオペラ歌手やバレエダンサーにピアノを弾きがら音楽稽古をつけるコーチを言うのだそうです。



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