2015年3月7日土曜日

ブルトレ休憩室とか道路ステーションの野宿とか、ゲレンデ以外でも話は尽きない - 湯沢中里スキー場 (新潟県)

平成4年2月16日滑走

昔は高速道路代が惜しくて、夜中に下道を走って距離を稼いだものです。
横浜からだと、手っ取り早いのは、第三京浜~環八で関越道に入ります。

ところが、昔はスキー渋滞なるものが、週末の早朝から始まり出しました。
上越方面のスキー場を目指す車両が大挙して、環八に殺到するのでした。

屋根のキャリーにはスキーが積まれ、ノロノロ運転だからブランドも目につきます。
ロシニョールの3Gやら4S、オーリンのマークVとか、憧れの板でしたなー。

ペパーミント色の板も流行ったし、同系色の日産シルビアもヒットしていました。
そんなチェックができるぐらい、渋滞がひどいせいか、このルートはギブアップです。



代わりに国道16号線から、こちょこちょ県道で上越を目指したりしていました。
特に、埼玉県の飯能、入間、小川、嵐山をせこく独楽鼠のように北上しました。

ただ、どれだけ時間を節約したのかは別で、抜け道探しが楽しみだった気もします。
こうして、最後に関越トンネルだけ高速で通過して、上越のゲレンデに至りました。

一方、先に関越道に入った時は、途中で降りて国道17号線の三国峠越えです。
このルートには、ところどころにトイレつきの駐車場もあって、これが便利でした。

とにかく一般道で長距離を走っていますので、用を足したくなる時もあるものです。
こうして、湯沢町に降りてくると大きなターミナルもあって、ここで野宿しました。

”みちしるべ湯沢”というらしい

トレイも整備されてきれいに清掃されていたし、よく使わせていただきましたよ。
ただ、夜通し長距離トラックの出入りも頻繁で、騒音は我慢せざるをえない。

ここから、中里スキー場は目と鼻の先ですが、JR越後中里駅は直結しています。
駅前がゲレンデという便利さもあって、昔はスキー列車も運行されていました。

このシュプール号が廃止されたのは、平成13年でかなりの年月も経っています。
ゲレンデマスコットのイラストにしたって、背景に機関車が描かれたりしました。

今なら上越新幹線でガーラ湯沢が直結ですが、懐かしさではこの中里でしょう。
しかも、無料休憩所にブルートレインの車両も使われて、鉄道オタクにはうれしい。


スハ43という客車ですが、半世紀も前の車両が第二の人生を送っているのでした。
というわけで、このスキー場は、ファミリー向けのありきたりなゲレンデには違いない。

ただ、アクセスの便利さが勝って、それがスキー客を集めてきたのだと思います。
後年、ゴンドラつきで規模も大きく魅力的なゲレンデも、雨後のたけのこのように誕生はしますが、ご家族なら安近短志向が一番の選択肢だったわけで、コンセプトがこのゲレンデにはピッタリだったのだろうなと、思った次第なのでした。


おまけ:
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2015年3月5日木曜日

郷土富士の名の下に展開するゲレンデは穴場だった - 高井富士スキー場 (X-JAM 高井富士スキー場) (長野県)

平成4年2月15日滑走

全国には、部分的にでも富士の名が使われる郷土富士が存在しております。
その多くは、姿が富士山に似ていたり、歴史的に富士山と関係がある山です。

あるいは、土地を代表する山塊にその名を付けたものもあるかもしれない
この高井富士は、高社山(こうしゃやま)と言い、おらが郷土の山でしょう。

地理的には、この山を境にして長野盆地と飯山盆地が区分されるようです。
この辺りは善光寺平と呼ばれているし、北側には木島平の地名もあります。

確かに、周囲は平坦でそんな土地に囲まれて、一際目立つ存在なのでした。
古代より信仰の対象とされ、修験道場の跡もあって、歴史のある山塊です。

高社山のイメージ
クリックすると拡大します

ただ、整った円錐形とは言いがたく、山容をなぞらえるには少し苦しい。
グーグルの画像検索をみると、撮影場所で容姿がかなり変化していました。

おそらく、富士山を容易に拝められない土地ゆえ、代わりに尊んでいたのか。
なので、晴れていれば、毎日拝むことのできる信仰の対象だったのでしょう。

さて、この高社山を南北で境にして、豪雪地帯の切分けができるといいます。
この山以北は、一里を北に行く毎に、一尺雪が深くなると言われていました。 

日本海から押し寄せる雪雲が、この山でさえぎられ、手元で降るのです。
だから、周辺にはスキー場も多く造られて、北志賀エリアとなったのでした。

先ず、よませ、木島平・牧ノ入は、この山麓を取り巻くような感じです。
一方、志賀高原の西側斜面は、北志賀ハイツ、小丸山、竜王が展開しました。

飯山駅の新旧交差ブログ
”コバQのデジカメ歩き”より転用

ただ、志賀高原の印象が強すぎてで、北志賀でのPRは不利でしょうか。
それに、ゲレンデは標高が七百メーターと低く、積雪の条件では不利です。

シーズン初めの雪不足は問題らしく、人工降雪機が設置されていました。
確かに、表面は天然雪でも、滑っていると硬いバーンが顔を覗かせます。

融けて固まった、ざらつく粒の粗い雪が印象的で、志賀高原と比べてしまう。
それでも、標高を上り詰めるドライブも不要で、アクセスが楽なのも事実。

というわけで、半日でゲレンデを滑り終え、お隣へ移動してしまいました。
今では、リフトを乗り継いでハシゴできるコースも改めて設定されています。

もうすぐ北陸新幹線もオープンで、十分にアクセスが良くなるでしょう。
こうしてみると、このゲレンデも、もう一度脚光を浴びるような雰囲気がしてきますので、スキー場の経営には是非がんばってもらいたいと思うのでした。


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注:コースマップ出典元→オールスキー場完全ガイド’95(立風書房)

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2015年3月3日火曜日

日本で唯一、鉱山学部って秋田大学にあったもんなあー - 水晶山スキー場(秋田県)

秋田大学国際資源学部付属鉱業博物館

秋田県にある国立秋田大学には、一風変わった鉱山学部が存在していました。
その沿革は古くて、日本で唯一の官立鉱山専門学校から出発しております。

開学は明治43年と古くて、同時期には米沢高等工業学校も開かれています。
県下初の高等教育機関ですが、戦後に両校は大学の学部へと昇格しました。

どちらも、東北地方の振興を目的としましたので、実学の要素が強いようです。
米沢は、絣(かすり)の織物が有名で、繊維技術の習得を目的としていました。

他方で、秋田は鉱山技術ですが、今現在は鉱山などどこにも残っておりません。
本当に昔は鉱山が栄えたのか、調べないと分からない現状が寂しい気もします。

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そこで、グーグルで、秋田県の鉱山と打つと、十五箇所が検索されてきました。
ほとんどが既に閉山されていますが、おっとどっこい現役で操業中を見つけました。

先ず、八橋・申川(さるかわ)油田ですが、意外に原油の生産量が大きいです。
二つ併せて、日量129キロリットル、ドラム缶645本の原油を生産しております。

他方、小坂鉱山は、精錬施設をリサイクル用の都市鉱山として復活させました。
この言葉はニュースでちらほら聞きますが、要するに有用なゴミの再利用です。

つまり、大量に廃棄される家電製品には、高価なレアメタルが残されています。
国際市況も高騰しており、人手をかけて回収しても採算が合うようになりました。

金、銀、銅、錫、ニッケル、アンチモン、セレンなど二十種類の金属だからすごい。
かっての採鉱、精錬事業から転じても、現在も秋田の鉱山業は元気なのです。

こうして、産業自体が変遷を遂げたためか、大学も新しい学部へと改組しました。
名前も工学資源学部へ改まり、地球規模の資源系分野をカバーしています。

平成3年12月31日滑走

ちょっと話題を引っ張りすぎましたが、実際にこの付属博物館は訪問しています。
それに、この水晶山スキー場は、”史跡尾去沢鉱山が運営しているのです。

何れにせよ、興味の赴くまま訪ね歩いたのが、この博物館にゲレンデなのでした。
このスキー場が変で、昼間からスノーマシンで雪を降らせようと努力していました。

メインゲレンデの途中、少し緩めのバーンがあり、マシンがデンと鎮座しています。
リフトに乗って見ていると、やがて監視員が登って来て機械を点検し始めました。

何かスイッチを入れた感じがして、ファンが回りながらノズルから水が噴霧されます。
最初は雪なのか、みぞれなのか何となく降り出したものの、仕舞いには霧雨です。

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中頁に日本索道工業会の広告

結局、雪は積もらず、稼動させた意味が何だったのか、良く分かりませんでした。
その頃は、暖冬の年が続いていて、スキー場も試運転程度に動かしてみたのか。

確かに、大晦日でも積雪が三四十センチでは、雪不足も否めなかった感じです。
このため、焦って動かしたのかも知れず、珍しい光景に出会った気がしたのでした。

と言うわけで、日本に鉱山が殆ど無い現状では、山師は死語になるのでしょうか。
意味は、投機的な事業、鉱山発見等で金儲けを企てる者を指したみたいです。

つい最近でも、この鉱山王国だった秋田県らしく大日本鉱業なる会社が似たような詐欺事件を起こしているほどでして、他方、スキー場で雪を降らせようとしたのも冬の山師の賭けだったのか、と今になって回想する自分がいるのでした。


おまけ:

廃墟探検地図(秋田県 廃鉱・採石場跡 廃墟一覧)

鉱太くんと花壇2014
クリックで拡大します

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2015年3月1日日曜日

ゲレンデ情報だけなら底が浅すぎで、地方を深く知ってこそ楽しみも広まる - 国設戸狩スキー場(その一)(戸狩温泉スキー場)(長野県)

ツイッターから借用しました

                       菜の花畠に、入日薄れ、
                         見わたす山の端(は)、霞ふかし。
                             春風そよふく、空を見れば、
                                 夕月かかりて、にほひ淡し。

この”朧月夜”は、長野県飯山市の春の情景から作詞されといわれています。
作者は高野辰之で、現在も人々に知られている数多くの唱歌を作詞しました。

これ以外には、故郷、もみじ、春がきた、春の小川など、誰もが知っていましょう。
当時、高野は地元の師範学校を卒業し、この地で小学校教員をしていました。

後年、文部省唱歌の作詞に携わりますが、この思い出が下敷きになったのです。
ところで、このことが知られはじめたのは、つい最近のことで、一冊の本からです。

タイトルは 『唱歌誕生―ふるさとを創った男』といいまして、そのものずばりですね。
東京都知事を辞任した猪瀬直樹が、ノンフィクション作家時代に出版しています。

舞台は飯山市も設定されていますが、その中に真宗寺というお寺が出てきます。
高野は、その住職の娘を娶りますが、一方、この寺は小説の舞台になりました。

それは、文豪、島崎藤村の名作「破戒」で、作中では蓮花寺と呼ばれています。
まあ、小説では住職が異常性癖者として描かれており、実名は出せないのです。

作中で、仏教にある破戒を犯してしまうあたり、タイトルになぞらえたのでしょうか。
もっとも、主人公は部落出身の小学校教師で、その出自を秘めて生きています。

父親から出生を口外しないように戒めをうけたのにもかかわらず、告白してしまう。
だからこそ、タイトルを破戒としたのでしょうが、この住職は伏線なのかもしれない。

このノンフィクションは、このように飯山の歴史の縦糸、横糸を紡いでいるのでした。
実際に、街中を歩くと分かりますが、城下町らしいゆかしさを感じられるのです。

平成3年12月22日滑走

ところで、飯山でスキー場といえば、斑尾高原とこの戸狩温泉の二つがそうです。
昔は、他にも信濃平、飯山国際があったのですが、廃止されてしまいました。

それでも、市内には飯山シャンツェと呼ばれるジャンプ台が、整備されております。
この地にスキーが伝来し、百周年を迎えたのが二年前ですから、歴史は古い。

今でも、ウインタースポーツの盛んな地域に違いないのを実にうれしく思いました。
ところで、冬場のスキー場に目が向くだけなら、こんな話は分からずじまいでしょう。

ゲレンデのある土地柄にも、季節ごとに伴う情趣は、味わい深いということです。
しかも、毎年ゴールデンウイークになれば、”朧月夜音楽祭”が開かれています。

この情景がそのまま残る菜の花公園が会場だそうで、参加してみたくなりました。
というわけで、戸狩温泉スキー場がきっかけで、飯山の町も調べてみたのです。

これが出発点となって、小学唱歌のことまでたどり着いたのですが、森吉町の米内沢スキー場だって、唱歌”浜辺の歌”を絡ませて書いてみたぐらいですから、改めてこのノンフィクションを読み直そうかとも考える自分がいるのでした。


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