伊豆大島の東岸は断崖絶壁 |
トウシキキャンプ場から、波浮港を巡り歩きながら、筆島を目指しました。
ぷらぷら歩きながら、キャンプ場そばの遊泳場やら寄り道もまた楽しい。
かつては、遠洋漁業の基地として有名な波浮の港も、時を止めたかのよう。
海沿いの爆裂火口が、波の侵食で切り崩されて、海水が流れ込んだのです。
こうして、湾の入り口はすぼまって、中は弧を描いた広い海岸線になりました。
確かに、地図で見たとおりに、円を描く内湾だと思いましたが、他にもあります。
この間、震度六弱の地震を引き起こした、北海道の噴火湾ですが正にそうです。
規模がかなりでかくなりますが、地図で見ると丸い湾の形状は、そっくりですな。
湾内には、都立海洋国際高校の実習船が、三隻、仲良く停泊しておりました。
遠洋の研修航海に出かけるのだろうと思いつつ、学校はキャンプ場のすぐそば。
元町港からバスで向かうと、学校の名前が停留所になっており、そこで降ります。
それで、ここの地名がもっと愉快で、”クダッチ”ってカタカナで書いてあるのです。
それで調べてみると、下地と書いて、クダッチと島言葉で読ませる感じでした。
無理やり漢字を当てはめたみたいで、由来すら分かっていない大らかさなのだ。
そんな場所柄ですが、波浮の町屋も時代が止ったかのように、ひっそりとします。
軽自動車一台が通れるかどうか、細い通り道を歩きつつ、少し喉も渇きました。
カキ氷の暖簾が出ているお店で、大島アイスを買って、上さんと分け合いました。
梅雨の中休みで、晴れてはいますが、湿気が多いのかなーと思いつつ、ペロリ。
栄養補給も兼ねながら、力も少しは沸いて、ここから文学の散歩道をたどります。
これが、急な坂道で、階段状の登りもきつく、そんな場所にも人は住んでいます。
つまり、入り江から急坂をせり上がるのも、火口の断崖が名残ということでしょう。
こうして上りあがれば、新たな住宅街ですが、昔は上と下を往復したのでしょうか。
向う側が波浮の町屋 |
そんなことを思いつつ、まだまだ、目的地の筆島まで道半ばといったところです。
ただ、ひたすら歩くわけですが、先々で発見する文学碑を読んだりして、一休み。
中には、ここ出身でレコード大賞を受賞した”霧氷”の作詞家、宮川哲夫なのだ。
子供の頃、”むーひょおう”って、歌っている橋幸夫の物真似をよくしていました。
そんな歌を改めて口ずさんだりしながらも、筆島までの海岸線歩きでテクテク。
帰り道の距離を思えば、気後れもしますが、やっとこさ、筆島にたどり着きました。
ここには、島に流された切支丹、オタ・ジュリアを称えた十字架の碑があります。
実に立派なクロスですが、彼女が滞在したのは、わずか一ヶ月だったようです。
ただ、彼女の影響で入信する島人が絶えず、最後には神津島まで流されました。
元々、徳川家康の侍女ですから、高貴な気高さと深い信仰心が並外れています。
その敬虔さゆえに感化された人も多く、洗礼を受けた人が、かなりに上ったのか。
背景に筆島も見えますが、それ以上に白亜の十字架の存在感に圧倒されますな。
多分、最期の流刑地、神津島のある方角に向かって立っているように思いました。
ここ、大島の東岸は人家も少なく、絶海の孤島のような寂寥感が募ってまいります。
そんな思いに浸りながら、犬の散歩中のおじさんに会って、帰り道をたずねました。
この石碑から階段を上がると、二車線舗装の大島一周道路に戻れると言うのです。
ただ、このおじさんのが三原山のガイドをしている人らしく、この島の案内が長い。
はるか大昔、大島の最初の火山の名残として、残ったのがここの場所なんだとか。
それに加えて、三原山に向かった月の沙漠ラインの説明が、延々と続くのです。
興味もありましたが、帰りのバスに間に合わないと、気もそぞろになって来ました。
確かに、大砂漠ラインと言う定期路線バスが運行されますが、多客期のみです。
梅雨に入って、祝日が一日もないような地味な六月には、運行されておりません。
波浮の港歌碑 |
キャンプ場から、最寄のバス停まで歩くと、二時間以上かかるかもしれません。
しかも、人里はなれて人界未踏の地と言ってもいいくらいに、人家もありません。
なので、行くとしたら、どのように歩いていくか、気になって聞いたのが雲の尽き。
長い紹介やら自慢やらの話で、間に合いそうなバスの出発時間まで残り少ない。
発着点になる大島町陸上競技場までは、ここから歩けば、三十分ほどでしょうか。
時計を見ると、もう二十分しか残っていなくて、話を切り上げ、急ぎ足で戻りました。
それで、自分の腕時計を少し早めておいたのが、幸運だったと申しましょうか。
すでに出発時間を一二分過ぎていたのに、バスはのんびりと待っていてくれました。
ラッキーだと思って、いざ乗るものの、上さんはぶつぶつ文句を言う始める始末。
とにかくバスで戻りましたが、実際、帰り道になる椿ロードには、文学碑があります。
それを端折ったのですが、午後から歩き出して二万歩近くになり、十分でしょう。
距離にして14キロ程にもなり、結構歩いたと思いましたが、体力勝負になりました。
というわけで、このコースは春先のまだ少し寒い時に、歩かれるのをお勧めします。
そうすれば、体も温まりますし、汗をかくこともあまりないでしょうから歩きやすいはずで、筆島を見るのも一興でしょうし 、ハイキングにはお勧めなコースだなと、思ったのでした。
おまけ:
クリックで拡大してご覧ください |
いいねと思ったら、二つポチっとね!
0 件のコメント:
コメントを投稿