海上自衛隊練習艦”かしま”の流し樽 |
金比羅様といえば、長く続く参道の石段が有名で奥社まで登るのが通なんだ。
数を勘定すれば、何と千三百六十八段になるとか、つい漢字で書いてみました。
そうすれば、パワースポットに到達できて、ご利益に預かれそうな気もして来ます。
この春、テレビ番組でもかなり紹介されていましたので、チャレンジしてみました。
標高差なら三百メーターにもなりませんので、そんなにきつい登山でもありません。
ハイキングと思いますが、普段歩きなれない人には、しんどい参拝になりましょう。
だって、讃岐平野は見渡せば、険しい山もなくて讃岐富士も四百メーターちょっと。
奥の院から遠方を見渡せば、緑に覆われた円錐形のかわいい富士山も見えます。
江戸時代、庶民が自由に旅ができなくとも、許されたのが神仏への参拝旅です。
だから、”一生に一度は、こんぴらさん”という言葉で親しまれてきた権現様なんだ。
これって、江戸の庶民が大山やお伊勢様へお参りをしたりしたのと同じですな。
そんな金比羅様ですが、昔から海上交通の守り神として信仰を集めてきました。
犬だけで参拝した”こんぴら狗”の銅像 |
絵馬殿に行けば、有名な「流し樽」も、数多く奉納されているのが目に付きます。
それは、船乗り達が、航海中に樽を投げ入れ、それを拾った人が届けたものです。
奉納する初穂や神酒・お賽銭を樽に入れ、「奉納金刀比羅宮」の旗を立てます。
それを海へ流せば、潮の流れのぶつかり合う讃岐で漂い、ついには岸へ流れ着く。
神聖な金比羅様ですから、人々はその霊威を信仰して届けるのも自然でしょう。
そりゃあ、自然の驚異におののいていた昔には、気象衛星もGPSもなかったから。
当時、板子一枚下は地獄といわれる航海は、自然の天候に左右されてしまう。
つまり、海上安全を守護してくれる霊威は、何よりも頼りになったと思います。
一方、絵馬堂に奉納されていた数々の絵馬を見ても、似たような心持でしょう。
暴風雨や遭難で命拾いをした絵馬も中にはありますが、新造船の絵馬も多い。
船を建造した造船所や船持ちとなった漁師さんが、お祝いに絵馬を納めました。
眺めてみるのも楽しいのですが、一箇所、グレーの船ばかりのゾーンがありました。
何だと思ってみて見ると、それは海上自衛隊の掃海隊群の艦船が並んでいます。
輸送艦しもきた、掃海艇みやじま、やくしま、たかしま、みやじま、ひらしま等々。
面白いって感じましたが、最近のヘリコプター空母とか、護衛艦が見当たりません。
なにゆえ、掃海隊群だけが熱心に絵馬を奉納するのか、不思議に感じました。
それで帰宅してから調べたのですが、どうも旧大日本帝国海軍の伝統と思うな。
敗戦で海軍が解体された後、戦時中に敷設された機雷除去が必要になります。
この作業、掃海部隊の役割ですが、特別に旧海軍の部隊存続が許されたらしい。
だから、絵馬を奉納する慣習が、旧海軍から受け継がれて続いていると思うんだ。
一方、港湾や海峡等に敷設された機雷の除去し処分するのは危険な仕事です。
逆に平時であっても、危険な掃海任務の安全を祈願したとしても、当然でしょう。
まあ、組織の掃海隊群として絵馬も納められており、旧日本海軍の伝統なのか。
戦前の大日本帝国海軍の慰霊祭も執り行われているし、当然なことなんだな。
というわけで、金比羅様をお参りしたら、海上自衛隊の話まで行ってしまいました。
瀬戸内海には、呉の基地もありますし、各種艦艇を建造した造船所が多くありますので、特段、右傾化するような話でもないと思うのですが、自衛隊を毛嫌い憎く思う”糞パヨク”だけには、金比羅様を汚すかもしれないので、絶対に行ってもらいたくないとも思うのでありました。
おまけ:
巨大なプロペラの奉納 |
白い笠の下で加美代飴を売る露店”五人百姓” |
もちろん琴電に乗りました |
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