高松市のマンホール 屋島の合戦がモチーフ |
マンホールとは、その名の通り、人が入って作業をする孔(穴)で、英語なのです。
”Man”は人で、”ホール”は穴と日本人でも知っているお馴染みの英語なのだ。
それで、地下の下水道・暗渠・埋設された通信ケーブルなどの管理に使われます。
普段は、人が穴に落ちたりしないように蓋がしてありますが、これがマンホール。
一般的には丸型なのですが、用途によっては大小や四角型のものなど様々です。
でも、主流は円盤型で、デザインを重視した「デザインマンホール」も色々あります。
それで、全国津々浦を旅行してみますと、地面に気をとられるほどの蓋もあります。
上水道・下水道は、自治体が管理しておりますが、地元をPRするデザインですな。
それが結構楽しくて、特に瀬戸内海の旅行では、思わず写真に収めてしまうくらい。
冒頭の写真は、高松市のものですが、源平合戦の一つ、屋島の戦いでしょうか。
有名なのは、源氏の武将、那須与一が、平家が立てた扇の的を射落としたこと。
実は、沖合いで揺れる船の上においた扇を弓矢で射ぬくのは、至難の業なんだ。
でも、平家からの挑戦状を受けなければ源氏の名折れ、失敗しても名折れです。
そんな大役を、大将の義経が指名しても、怖気づいて辞退者が続出しました。
結局、兄貴は傷が癒えていないと口実で逃げ、その役目を弟の与一が担いました。
そんな話が平家物語に書かれているのですが、マンホールが上手く表現しました。
まあ、これはアートだって言ってやりたいぐらい、ご当地マンホールのデザインです。
これも、瀬戸内海の海上交通の古い歴史があればこその話で、文物も豊かでしょ。
今治市のマンホール |
こちらは、戦国時代に活躍した村上水軍の軍船をあしらったデザインが勇ましい。
確かに、今治市から目と鼻の先にある来島は、村上水軍の城郭が築かれました。
そして、軍船は安宅舟と思いますが、大きいものでは長さ50m以上もあったとか。
幅も10m以上の巨体を誇り、百数十人の戦闘員が乗り込んでいたと言います。
ただ、この船体には、西洋の船のような骨格としての竜骨は、存在しておりません。
竜骨が無いのですから、龍のような船首像はなかったはずで、時代考証ゼロだな。
何れにせよ、デザイン重視で作ったのでしょうから、許してあげるとしましょうか。
そして、多島海ゆえに、島々をめぐると色々なマンホールに出会えて楽しみました。
大崎上島木江地区 鯛が跳ねているのかな |
これは、広島県大崎上島の木江港で撮りましたが、名産の鯛と蜜柑が主役です。
しかも、宿泊したペンション魚実では、鯛の刺身に、まるごとの煮付けが出ました。
これに舌鼓を打ちましたが、マンホールも偽りのないグルメを主張したということです。
次に、下蒲刈島ですが、盆栽のような松の木に菖蒲のような花が描かれています。
何だろうと思って調べてみたら、日本古来の風習を活かした島起しだというのです。
ガーデンアイランド構想が推進されていて、その一環で美しい庭園も作られました。
当然、マンホールの通り、松を主体にした庭園の名は、松濤園で観光客も多い。
下蒲刈島の三之瀬地区にありますが、入園流が高くて我々は素通りしました。
下蒲刈島(しもかまがりじま)で見た |
なので、この代わりにマンホールを眺めることで、この松濤園のよすがに致しましょう。
というわけで、地方の風物を写したマンホール発見は、旅先の楽しみになりました。
まあ、それだけが目的で旅をしているわけでもないので、きっと見落としてしまったマン
ホールもあるとは思いますが、それでも時々は地面にも目が向く分けでして、絵になるデザインのマンホールが見つかると、しっかり写真に収めてしまう熟年夫婦がそこにおるのでした。
おまけ:まだあるので、ちょっとご紹介!
戸塚は、箱根駅伝の選手が通ります |
横浜は、レインボーブリッジ |
礼文島は、レブンアツモリ草 |
稚内で見た北海道開拓使のデザイン |
横浜市栄区は、いたち川のタッチーくん |
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