最盛期に、人口が五十万人を超えていたという記述が、どうも気になる。
これは、”財界さっぽろ”という雑誌社の社長が投稿したブログ記事なの。
”北海道開拓の先覚者達”という連載でしたが、アイヌ民族を指します。
この社長さん、人口二百万の札幌で暮らす都会人なのかもしれない。
おらは還暦になったけれど、小学校の頃の北海道は、寒さも厳しかった。
田舎暮らしもあったし、道路、鉄道のインフラも悪かった記憶があるな。
姉貴なんか、日本で最も寒い土地の一つ、幌加内町で生まれたくらい。
日本の最低気温、マイナス41.2度を記録したのも同町母子里地区。
この町って、日本三大自慢があるのだそうで、先ず、この最低気温だな。
次に、ソバ畑の栽培面積が日本一で、最後は人造湖の朱鞠内湖だ。
朱鞠内湖 |
幌加内町のそば畑 |
ダム湖として、日本で最大の貯水面積があるのだそうで、すごく神秘的。
おらの方は、おやじが転勤したおかげで、お隣の名寄市生まれなのです。
でも、この朱鞠内については思いれもあって、一度、旅行で訪ねました。
この朱鞠内湖でキャンプしたんだけど、八月でも朝の気温が15度だ。
半袖だとブルっと震えて、北海道は寒冷と思ったほどに気候は厳しい。
なので、北海道開拓の始まる前、未開の原野・山林に住めるものか。
アイヌの人だって農耕をほとんどせず、基本は採集・狩猟の生活でした。
となると、獲物は自然の恵みで、捕り過ぎたら後は自然繁殖力が頼り。
気候が寒冷だし、銃を持たなかったから狩猟道具もたかがしれたものだ。
そうなると、アイヌの人達が五十万人も住めたはずがないと、思ったのよ。
シマフクロウのつがいは400ヘクタールの縄張り |
それで、ネットでググりましたが、未開民族の人口密度論文がありました。
それによると、一平方キロの面積当たりで、0.1人と計算されています。
国連の機関などでは、もう少し高くて0.4人の定義だそうで、超低いな。
そこで、この係数に北海道の面積、約83,450平方キロを掛けてみた。
すると、0.4ならおよそ33,400人になり、記録に残された数値に近い。
ただ、和人が持込んだ天然痘等の疫病で人口が減った可能性もある。
それに、アイヌの人も、場所請負制できつい使役に駆り出されたりした。
まあ、こういった過酷な環境では、人口が減ったとしても否定はできない。
なので、その二三倍の人数が住んでいたと考えて、上限で十万人かな。
というわけで、五十万人も蝦夷地で暮らせないというのが、自分の結論。
ところで、現代日本人とアイヌ人の相関性を、遺伝子のゲノム分析で調べたところ、どちらも縄文人の遺伝的要素を強くて有していることから、アイヌ人も日本人も同じ出自なようで、違いができてしまったのは、北海道が寒冷すぎて農耕に適さなかったので、狩猟経済に依存していくようになって、その結果、言葉や文化が隔たってしまったのだろうと、勝手に決め込む自分がいるのでした。
おはようございます。
返信削除朱鞠内湖は綺麗な湖ですよね、
遊覧船に乗って結構楽しかった思い出があります。
アイヌは現在は2万人いるそうでして
アイヌ協会には2千人だそうです。
補助金もらえるアイヌは協会にいる人だけだそうで
ここでも・・・・人口は合いません。
北海道教育大教授で、宮下英明さんという人が、"アイヌ民族" 否定論作法ー "アイヌ" 学入門”という論文を、ネットで公開されておられます。
返信削除その序文が過激で、”はじめに" アイヌ民族 " は,デマゴギーである。本テクストは," アイヌ民族 " がデマゴギーであることを述べようとするものである。”と、述べています。しかも、”アイヌについて勉強し,アイヌとは何かを知れば," アイヌ民族 " が虚言であることがわかる。”とも述べています。学識者にも、ちゃんと見抜いている人がいるのが分かるんですね。今のアイヌのイメージは、かつてジョンバチェラーが紹介した平取アイヌがベースになっていますが、道東の千島アイヌとは全く系統が違います。単一民族とみなすのは、かなり難しいので、利権がらみでしかありえない虚構だと思うのですよ。
楽さん、コメントありがとうございました。
返信削除Unknownのコメントは、”ぐりぐりももんが”です。